表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/11

第四話

 一番上はシャルリーヌお姉さま、二番目のセレ姉さまの本名はセレスティーヌ、三番目はアンジェリーヌお姉さま、四番目はブランディーヌお姉さまで五番目がカロリーヌお姉さま。

 現在シルヴィ様のご両親は魔界にいるそうで、人間界に残っているのはシルヴィ様たち六人と、お城の管理や彼らの世話を任せられている執事やメイドたちが十数人。

 アズナヴール家が所有しているのはお城が建っているこの山…いくつか連なっているように見えるんだけど、その全てが所有領だそうで、動物たちを放牧しながら飼っているのは向かって左手の山、オールシーズン楽しめる果実畑は向かって右手の山、お城の敷地内には巨大迷路のような大庭園が裏手に広がり、前面には広くなだらかな草原が広がっていた。

 一番の疑問はどうやってこの広大すぎる敷地を移動するんだろう。

 動物の世話をして畑仕事も、なんて考えたらとても一日の中で終わらせるのは不可能だ。

 なにしろ移動だけで数日かかりそうな場所だもの。

 どうしたらいいのかしら。

 なんて心配していたけれど、全然問題ないらしい。

 「飛んでいくから」って。

 そもそもこんなに広大な土地を持っていて、居住区域であるお城の敷地だって常識の範囲を超えているのに、働いている人数が極端に少なすぎるのは不自然。

 でも全く問題ないのはつまり、アズナヴール家の家族も使用人たちも、全員が「魔族」だから。だそうです。

 うーん「魔族」と「魔物」の違いからしてよく分からないんだけど、一体どう違うのかしら。

「そうね、まずはそこからちゃんと説明した方がいいわよね」

 まるで自然に私の心を読み取って、シルヴィ様が言う。

 だんだん私も慣れてきた。

 思考を丸々読み取られるというのは、なかなか便利だったりもする。

 言葉に出来ない微妙な感情や、いくつもの感情が入り組んだときなどはそれをシルヴィ様が直接感じ取ってくれるということだから。

 シルヴィ様は敷地や建物の大きさに圧倒されている私を気遣って、ここ、比較的こじんまりした彼専用のダイニングに案内してくれて、美味しい紅茶とお菓子を用意してくれた。

 おかげであまり萎縮せずに済んだ私は、こうして落ち着いて彼の話に耳を傾けられるというわけで「何が何だか分からない」という状況を少しでも解消しようと、彼にレクチャーをお願いしたのだ。

 シルヴィ様は細長い指でティーカップを持ち、こくりと一口飲んでから話を続けた。

 私に出されたのと同じ高級紅茶かと思っていたのだけれど、彼に用意されたのは柘榴ジュース。

 ワインを味わうように舌の上で転がして、それから「んー、美味しい」と飲み下す。

「魔族っていうのは魔界における貴族たちのことよ。高い魔力と知能を持ち、社会生活を営んでいる者の事を言うの。魔物はその逆。魔力も低ければ知能も低い、ほとんど本能に従って生きている低俗な者たち。社会生活を営むことはできないわ。そうね、人間界で言ったらハイエナを思い浮かべてもらうと分かり易いかも」

「本能で狩りをして、生きるために群れで行動する…ってことは、ある程度の知能はあるけれどほぼ動物と同程度ということ?」

「ええ。ここへ来る途中、馬車へ攻撃を仕掛けてきたのはそういう奴らよ。本能でハニーちゃんの香りを嗅ぎ取って、アナタを餌にするために飛び込んで来たの。つまり「狩り」ね」

 狩りだの餌だの、何て物騒なの。

 大体私の香りって何?

 香水なんてつけていないし、きっと入浴後の石鹸の香りがするだけよ。

 それが魔物にとっていい香りなの?

「違うわ。彼らが感じているのは石鹸の清楚な香りなんかじゃない」

「自覚がないのは当然だが、ハニー、君の香りは魔界に生きるすべての者にとって危険な甘い誘惑なのだよ」

「誘惑?」

「ハニーちゃんは魔界にとって千年に一度の「キー」なの」

 そう言ったシルヴィ様は少しも笑っていなかった。

 冷静で淡々としていて、心底真剣な視線をこちらに向けてくる。

 瞳の奥の濃い紫が、鮮やかに煌めいている。

 「魔族」の、瞳。

「見て。分かるでしょう?理性あるアタシたちでもこうなってしまう。瞳の色が鮮やかになるのは、アタシの細胞がアナタの香りに反応して、魔族の血を騒がせるからなの」

 紫色の瞳は一層光をまして、万華鏡のようにきらきら揺らめく。

 じっと見つめられていると吸い込まれてしまいそうな、不思議な光。

 彼の隣で様子を見守っているセレお姉さまもグレーの瞳に強い光を宿していた。

 二人の瞳を見つめる私に微笑んで、彼らは変わらず優雅な仕草でカップの中の柘榴ジュースを口にする。

 あ…光が和らいだみたい。

「よく気付いたわね。これはアタシたちにとって吸血衝動を抑えてくれる、魔法の飲み物なの」

「私とシルヴィはヴァンパイアだから、吸血する代わりにこれを毎日飲むんだ。そうすれば人間から血をもらわずとも生活できる」

「でも膨大な魔力が必要な時はどうしても血が必要になるの。ヴァンパイアにとって体力も魔力も安定させる正しい栄養源は血液だから。柘榴ジュースはあくまでも「人として」生きるためのもの。魔族として生きるには血が、それも女性の血液が最適」

「じゃあ吸血鬼伝説も少しは本当なのね?」

「そうね。生娘の血、だったかしら。確かにそれが美味であることは間違いないと思うけど…アナタの血とは比べ物にならない」

「だから魔物は私を狙っているの?」

 美味しい匂いがするから?

「うーん、そうね、アナタにとっては残念なことだと思うけど、血液だけじゃないの。アナタの全てがアタシたちにとって至高の宝なのよ」

「涙の一滴、血のひと雫、髪の一本、爪の先まで余すところなく、君は我々の妙薬にも媚薬にもなる。ただし、力の弱い者にとっては即効性のある毒にも成り得るだろう」

 セレお姉さまの白い指先が、つ、と私の頬をなぞる。

 途端に背筋がビクついてしまう。

 彼女の指先に敵意はなく、むしろ好意が強いおかげで恐怖はない。

 けれどもしこれが他の「魔族」の指だったら。

 ここにいるのがシルヴィ様たちアズナヴール家の人々でなかったなら。

 妙薬として取り込んだ人の血肉になるか、毒として利用されるか。

 そうして私の命はとっくに潰えていたかもしれないってこと…?

「分からないけど、もっと苦しい、死んだ方がマシだと思うくらいの生き地獄を味わうことになったかもしれないわ」

「どうして…?」

 得体の知れない寒気に肌が泡立つ。

 震えそうになる私の手を、彼の手がぐっと包み込んだ。

「千年に一度現れるキーを花嫁にした者が次期魔王として君臨する、それが魔界の掟。だからどんな手段を使ってもアナタを我が物にしようとしている奴らがいるの。虎視眈々とアナタを狙ってる。キーは25歳の満月の夜に、魔界全土にその魅惑の香りを漂わせて存在を知らせるわ。だから即座にアタシたちが動き出したの。アナタを守るために」

 力強い言葉と視線、それは信用するに値するものだけど…一体どうやって一番に助け出せたの?

 ほんの少し遅れたら、私は今ここにいない。

 無事でいられたかどうかも分からない。

 どうしてシルヴィ様は…

「運命の相手だから」

「え?」

「アナタはアタシの運命の相手だから。ヴァンパイアにとって運命の相手は香りが違うの。だから見つけ出すことが出来た」

 「運命」その言葉が水面に波紋を作るように心の中に響き渡る。

 ゆっくり心の奥を揺らして、少しずつ染み込んでいくみたいに。

 温かい。

 これも魔法?シルヴィ様の力?

 あったかくて甘い、はちみつ酒みたい。

 それに昨夜も嗅いだあの瑞々しい白桃のような香りが濃くなってくる。

 これは…?

 シルヴィ様に視線を向けた。

 すると、艶然とした微笑が返ってくる。

「ハニーちゃんにはそう感じられるのね。嬉しいわ。それがアタシの香り。アナタだけが感じられる香りよ」

「私だけ?」

「そ。運命の相手は特別なの。二人にだけ感じられる香りがあるのよ」

「随分美味しい香りなんですね、シルヴィ様」

「アナタだって相当美味しい香りがしてるわよ?」

 うふふ、なんて笑い声を聞いてると、ガールズトークでもしているような気分になってくる。

 もちろん私が経験したガールズトークは実家で働くブランシュたちと、パンケーキやマフィンを手作りしながら井戸端会議みたいなものだったけど。

 一緒に作ったおやつ、美味しかったなぁ。

 みんなで生地をこねてオーブンで焼いて、香ばしい匂いが御屋敷中に漂う頃、一人また一人とティータイムに人が集まってきて、採れたてのミルクで作ったアイスクリームまで出てくることもあった。

 なにこれ。

 昨日まで普通にしてきたことなのに、懐かしいなんて感じてる。

 今日から私、ここで暮らすの?

 お互いが運命の相手だからシルヴィ様と結婚して、我が家も私も無事安泰?

 分かってるの、分かってるのよ。

 シルヴィ様もお姉さまたちも、このお城で働く人たちも、私を歓迎してくれてるってことは。

 魔族や魔物に狙われてるっていうのも事実だって身をもって知ったから、シルヴィ様に守ってもらえるならそれはありがたいことだと思う。

 例え代わりに血を提供することになってもね。

 でも、でも…。

 降って湧いたような結婚話に魔界だなんだって話をされて、頭も心も全然追いつかない。

 美しすぎる人たちに囲まれて、本当は「キャー素敵!」って夢見る乙女になるのが正しいのかもしれないけど、そんなのムリよ。

 いきなり初めて会った人を好きになれるわけない。

 当然名門公爵家に嫁げるなんてとても名誉なことだっていうのは理解できるけど…結婚てこういうものなのかしら。

 ある日突然目の前にやってくるもの?

 見ず知らずの人でもいつか好きになれる?

 家族になれる?

 そもそも、花嫁って何なの?魔界の「キー」って何なの?そんなに大仰な存在?

 分からないことが多すぎるわ。

 世紀の玉の輿婚だとは思うけど、社交界の花や蝶たちはシルヴィ様の事をちゃんと知っていたのかしら。

 こっちが萎縮だとか恐縮だとかしちゃうくらいの美丈夫だってことは当然知っているとして、じゃあヴァンパイアだってことは?お姉さま言葉で喋るってことは?おとぎ話に出てきそうなくらい美しいお姉さまが5人もいらして、山は三つもあるしそこに大きなお城まで建てちゃうし、魔族なのにそれを隠して人間界にいるんだ、なんてことは多分、ううん、絶対知らない、わね。

「ええ、知ってるはずないわ」

 シルヴィ様は延々続く私のモノローグをただ黙って聞いた後、言葉尻をとらえてそう答えた。

 何故かしら、冷静な様子は変わらないのに、少しだけ嬉しそう。

 口角が上を向いている。

 彼は私の視線に気付くと、一層口元を緩めた。

「嬉しいわよ。ハニーちゃんが純粋な子だって分かったんだもの。アタシの思った通りだわ。匂いってウソつかないのよ。知ってた?」

 ううん、と首を振るとふふってシルヴィ様が笑う。

「アタシの外見とかアズナヴールの財力とか肩書きとか、色んなものにキャーキャー言って群がろうとする人間はごまんといるけどね、それを目の前にしても揺るがないし素直に疑問を感じられる人は少ないの。っていうより皆無よね」

「でもお父様は喜んで私の結婚を承諾したんでしょう?」

「もちろん。だけど別にアタシの付加価値に目がくらんだんじゃないわ。アナタが幸せになれると思ったからよ。アズナヴールに嫁げばお金の心配はないし、貴族として堂々と暮らしていける。そこら辺のご令嬢たちにイヤミを言われることもないし、所詮子爵って馬鹿にされることもない。とろけるくらい溺愛されて蝶よ花よと可愛がられて幸せに過ごせるなら、これ以上最適な相手はいないだろう、って」

「お父様、そんな風に?」

「ええ」

 満足げに彼は頷く。

 でもすぐにハッとしたような顔をして

「ああ、そうだわ、ハニーちゃんには何が何でも幸せになってもらうからね」

 なんて念を押すように言う。

「?」

 疑問符を浮かべて首を傾げれば、彼は人差し指でちょんと私の額を小突いた。

 あー可愛い、なんて言って抱きしめられる。

 間近で感じるあの甘い香りが心地いい。

「貴方が何者であろうと構わないが、ミエルが幸せだと感じられないようであれば、貴方の命はないと覚悟することです」

「なあに?それ」

「お義父様の言葉よ。結婚のお許しをもらいに行ったらそう言われたわ。ミエルの幸せが唯一の条件だ、って言われたの」

「私の幸せ?」

「そうよ。だから堂々と宣言してきちゃった。ミエルさんの幸せは私の幸せです。二人揃って最高の幸せ者になりますから、ご心配なく。って」

 宣戦布告みたいなセリフに思わず笑っちゃう。

 するとシルヴィ様は優しくぎゅっと抱きしめる腕に力を込めた。

 きっと彼は全部感じてる。

 私の戸惑いも、疑問も、寂しさも。

 それも全部ひっくるめて彼は私を抱きしめている。

 どうしてこんなふうに出来るの?

「決まってるわ。ハニーちゃんが好きだから。あのね、そう簡単に引き下がらないわよ、アタシ。もうずっと待ってたお姫様がここにいるんだもの、絶対アタシに恋してもらうわ。それで、いつか必ずハニーちゃんからキスしてもらうの。あ、こうしましょ!とりあえず今は婚約期間。で、結婚してもいいって思ったら、アタシにキスしてちょうだい」

「それでいいの?」

「いいわよ。だってアタシからはたっくさんキスしちゃうもの。毎日数え切れないくらいキスしたら、きっと病みつきになるわよ?」

 茶目っ気たっぷりにウインクしてシルヴィ様が言う。

 そんな風に言われると本当に現実になっちゃいそうで怖い。

 でもこうやって抱きしめられているのは嫌じゃないんだ、実は。

 だから困っちゃう。

 いつか本当に絆されちゃいそう。

 なんて思っていたら

「私たちを放って二人の世界か。若いとは素晴らしいものだな」

 セレお姉さまにそう言われて、あれれ、もしかしなくても絆され始めちゃってる自分に気付いたのはそれからしばらく経ってからのこと。

 そしてもう少しきちんと彼らのことを知りたいと思う自分に気付いたのも同じ頃だった。







 続く


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ