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誕生  一

「お方様、お気を確かに!」

「おつむりが見えております。あと僅かで御座います。」

激しい息遣いと産みの苦しみに獣の様な声が漏れる。

広い屋敷の奥深く、明かり取りも無い続き部屋に押し込められての出産は、当家当代の御屋形様や高貴の男性たちに穢れが及ばない為の古来からの習わしであった。

引き裂かれるほどの声があがる最中にも関わらず屋敷の筆頭女中の多紀(たき)は一心に祈っていた。

(なにとぞ男の児を、なにとぞ直系の男児を・・・)

左京家十八代目当主|陵悠≪りょうゆう≫に二人の児は有ったが、どちらもおなご。

ましてや『風の宮』と『水の宮』では如何に何でも正室の|迦絵≪かえ≫の立場が弱すぎる。

このままでは京極家の|莉貴丸≪りきまる≫に御屋形の地位を差し出すしか無いだろう。

(永きに亘って里に君臨してきた左京家を存続させるために、なにとぞ、なにとぞ男の児をお授けくださいませ、天狗様。)

三流貴族とは言え辛うじてそこに引っ掛かっているお蔭で、正室迦絵の傍付として権勢を振るってきた多紀にはこれは正念場であった。

身体の弱い迦絵を口説き落としての懐妊はこれ以上望みようも無い。二人目の二の宮、|珠洲夏≪すずか≫を産んだ時でさえ、みつきもの時間床から離れることが出来なかったほどだ。

上つ方の高貴な血を護るために繰り返された同族婚姻は、生まれる者の身体を弱らせて行くばかりで有るのだが、名ばかりの貴族の身にそれは関われる事では無かった。

事実、迦絵もこれが最後と覚悟を決めての懐妊。

我が子に当主の座を譲り渡す為の決死の出産であったのだ。


「多紀様、おつむりがっ・・・」

とてつもない悲鳴がその声に被さったが多紀は両手を出て来たばかりの小さな頭に添えて僅かに力を加えた。

再びの悲鳴が、まるで生きたまま引き裂かれるかのような悲鳴があがった。

だが、ずるりと産み落とされて産声を上げたのは、多紀の祈りが通じたのか男児であった。

「お方様! 男の児で御座います! 十九代目様の御誕生で御座います!」

舞い上がらんばかりの多紀にはもはや迦絵の様子など眼にも入らない。迦絵の存在さえ忘れたかのように産まれたばかりの親王を自ら隣室に用意された産湯に浸けるべくいそいそと向きを変えた。

「多紀様。」

女中の一人が酷く低い声で多紀を呼ぶがそれさえ意識の欠片も向けない。

「ささ、親王様。綺麗にならせられませ。」

「多紀様。」

繰り返し呼ぶ声に苛立たしげに、

「何じゃ、律。お方様は任せるぞえ。」

その声に糸を引く様な細い唸り声が被さった。

それは経験豊かな女達でさえ初めて耳にする怖気をふるう人とも思えぬ声。

「・・・な、なんじゃ・・・」

振り返った多紀の眼に未だ膨らんだままの腹が見えた。

「多紀様、もう御一人の御子がっ。」

凍りついた場の中で多紀を呼んだ女中が動く。

「・・・・なんと・・・畜生腹か・・・」

多紀が親王を抱きしめ思わず呟いた。

次に出でようとする胎児に備えた女中が声を張った。

「お方様! しっかりなさりませ!」

苦しさの余り迦絵の両手が空を掻く。

もう声さえ出ない。

「あと一息です!」

だが迦絵の体力は既に切れかけていた。

常からも頼りない程華奢な身体と細い顔。それには既に血の気も無い。息がとまりかけた瞬間、

「御無礼!」

女中の拳が迦絵の胸部をドンと叩いた。

「律! 何を・・・」

悲鳴を上げた女たちの前で迦絵の眼がカッと開いた。

「・・り、つ・・・律、この子を・・頼みます・・・」

迦絵に産み切る力は残って居ない。

最後の力で押し出された頭を掴むと女中は引きずり出した。


「お方様!」

いっせいに手が伸びる。

完全に意識を失った迦絵を見て多紀は抱えたままの親王と律の手の中で産声も上げない児を見比べた。

「・・・律、その児は・・・そのままに致せ。」

産道で時間が掛かり過ぎたのだろう、声さえ出ない赤子だった。

仮死状態の児を放置すれば死に至る。

だが、そうと知って居ても多紀には許せなかった。貴人中の貴人である迦絵の幼い頃から傍に着いていた多紀にはよもや迦絵が双子を生むとは考えても居なかったのだ。

ひとなら一度の出産でひとりが当然。二人も産む事は無い筈。

それは畜生腹と呼ばれ忌わしい事なのだ。

だがしかし、律の手は産まれたばかりの児を逆さに持つと、その市松人形よりも小さな尻をパシッと叩いた。

「律!」

手を伸ばそうとした多紀では有ったが腕の中にはこれ以上ない大事な親王を抱えている。二度三度と叩かれた赤子が子猫ほどの声を上げるのをその場の全員が耳にした。

仮死状態のまま死に至るならば致し方ないが、生き返ってしまったならば多紀にはもう手の出しようも無い。

例え畜生腹でも当主、左京家の一子に間違いは無いのだから。

まして・・・と多紀の眼が周囲を見渡した。

下女の一人二人ならば殺してでも口は塞げるが御殿付きの奥女中が複数人。何より下賤の身ながら律は根の者の頭、(かい)の妻であった。手を出す訳には行かない。

「・・・その御子は男の児かえ。」

冷ややかな声に律は静かな眼を向けた。

「三ノ姫宮様に御座います。」

然も有りなん。

多紀は自分が取り上げた親王を脅やかす事の無い女児に芯からホッとして興味の失せた言葉を投げる。

「その宮様はそなたが見てやるが良い。」

それきり多紀の意識から三ノ宮と律は消え去った。

「お方様は如何だ、祈祷を頼め。薬師を呼べ。私は親王様を見るゆえそなたらで差配いたすのじゃぞ。」

まるで我が子の様に抱え込んで多紀は隣の部屋に移り、産屋はそのまま病室となる。動き出した女中たちの中にただ独り律だけが誰にも顧みられない赤子を胸に抱えた。

「不憫な・・・産湯さえつかう事も出来ないなんて。」

呟きは低く誰も気付かなかった。




「それで連れ帰って来たのか。」

白漆喰に黒い梁が月の光を浴びて綺麗に浮かび上がるささやかな自宅に戻った律は、起きて待って居た夫の海に今日の総てを語り赤子を包んで有った緞子をほどいた。

「気の毒な事だ。産湯ぐらい大した手間では無かろうに。」

海はそう云いながら沸かした湯の加減を見る。

待機していた乳母はまずは喜び勇んで親王に、そして三ノ宮にも乳を呉れたのだがその態度はあからさまに不満気であったし、誰もがこの姫宮に対して-当然律に対しても-指示を下さなかった。

双子だからか、母親が虚弱だからかは判らないが赤子は酷く小さかった。

乳を吸う力も弱く泣き声もか細い。このままでは誰にも顧みられないまま生命さえ危ぶまれる。


「お方様が・・・頼むと仰せられた。律、頼むと。」

お屋形様の正室である迦絵が律の名を知って居た事は不思議な事である。高貴な方々は卑しい根の者に名が有る事さえ知らないと云っても良い。

「出来る限りの事はしてやろう。|衡太≪こうた≫と同じ生誕日だな。」

頼もしい夫の言葉に律は頷いた。

幸いな事に隣の家には生後半年の乳児を抱えた嫁が居る。この里では子供は大事な宝である。どんな者でも自分の乳を呉れる事を嫌がる事は無い。夜が明けたら赤子を連れて行こうと思いながら律はやっと産湯に浸かった三の姫宮に優しい笑顔を向けた。



和製ファンタジーです。

どこまで描けるか判りませんし、完結しないままの見切り発車ですが、気長におつきあい下さい。

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