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初体験

作者: まるちゃ
掲載日:2026/08/01

これは、俺が初めて「そういうもの」を体験したときの話です。


当時の俺は、幽霊なんているわけがないと思っていました。


怖い話を聞いても、どこか他人事だった。


でも、あの日を境に、その考えは変わりました。


今でも「あれは何だったんだろう」と思うことがあります。


これは、俺が初めて体験した、忘れられない出来事です。

これは、俺が三歳の頃に初めて「見た」ものの話だ。


母方の祖父が亡くなった。


俺にとっては初めての葬儀だった。


祖父の家は、築七十年くらいの古い平屋だった。


玄関を開けると、広い土間があり、そこから二段ほど高くなった客間へ上がる造りになっている。


客間の右側には居間があり、その正面には仏壇が置かれた部屋があった。


祖父は娘を四人持った。


ずっと男の子も欲しかったらしい。


そんな祖父にとって、初孫である俺は待望の男の子だった。


だからなのか、俺のことを本当に可愛がってくれていた。


俺も祖父が大好きだった。


ただ、三歳の俺には、祖父が亡くなったということがどういうことなのかなんて分からなかった。


弟はまだ生まれたばかりで、従兄弟も一歳くらい。


大人たちは皆、仏壇の前に座って神妙な顔をしている。


そんな中、俺だけがじっとしていられず、縁側や客間を走り回っていた。


そして、その時だった。


俺は祖父の家を探検していた。


客間から居間へ行くと、左側に一枚の引き戸があった。


仏壇の部屋の隣にある部屋だ。


そこには、それまで一度も入ったことがなかった。


三歳の俺にとっては、それだけで十分な理由だった。


俺は引き戸に手をかけた。


――スーッ。


扉を開けると、中は真っ暗だった。


窓があるはずなのに、雨戸が閉まっているのか、外からの光はほとんど入っていない。


仏壇の部屋からは、お坊さんのお経が聞こえていた。


「南無妙法蓮華経……」


ポコ……ポコ……ポコ……


木魚の音が、一定の間隔で響いている。


俺は暗い部屋の中へ入った。


「なんだぁ。真っ暗だなぁ」


幼い俺は、それくらいにしか思っていなかった。


そして、部屋の真ん中あたりまで歩いた時。


ふと、上を見た。


部屋の電気のところに――


誰かが立っていた。


暗くて顔まではよく見えない。


でも、人がいる。


大人の男の人だった。


俺は特に怖がることもなく、その人を見上げていた。


その時だった。


「ともきー? どこ行ったの?」


母の声がした。


振り返ると、母が少し怒った顔でこちらへ歩いてきていた。


「あ! いた!」


母は俺のところまで来ると、俺の手を取った。


「この部屋、入っちゃダメって言ったでしょ」


俺は母の手を引っ張りながら、部屋の上を指差した。


「ねぇねぇ、ママ」


「なに?」


「あそこにいるおじちゃん、なんで暗いところに一人で立ってるの?」


母は俺が指差した場所を見た。


そして、もう一度俺の顔を見た。


「……ん?」


母には、何も見えていなかった。


「どこにいるの?」


「ほら、あそこ!」


俺はもう一度指を差した。


でも母は、


「誰もいないよ」


と言った。


そして俺の手を引いて、仏壇の部屋へ戻った。


その時の俺は、それ以上気にしなかった。


大人には見えないけど、自分には見える。


三歳の俺は、それくらいにしか思っていなかった。


その後、葬儀は終わった。


親戚同士で話をしている間、俺は従兄弟の親に遊んでもらっていた。


さっきの部屋のことも、すぐに忘れてしまった。


――それから、十年ほど経った。


俺は中学生になっていた。


祖父の法要で、家族や親戚がまた集まった。


その日も祖父の家にはお坊さんが来て、お経を唱えていた。


仏壇の前に座っていると、ふと昔のことを思い出した。


三歳の時。


祖父の葬儀の日。


暗い部屋。


そして、そこに立っていた「おじちゃん」。


俺は隣にいた祖母に聞いてみた。


「あそこの部屋って、今も使ってないの?」


俺が指差したのは、あの日入った部屋だった。


祖母は少し考えてから答えた。


「ほとんど使ってないねぇ。どうしたの?」


俺は昔の記憶を話した。


「あの部屋、じいちゃんの葬式の時に入ったじゃん?」


「うん」


「あの時、部屋が真っ暗だったのに、おじちゃんが立ってたんだよ」


「……」


「お母さんに聞いたら、誰もいないって言われたんだけど」


そこまで話した時だった。


祖母が、俺の顔をじっと見た。


そして、少し笑った。


「三歳の時のこと、そんなに覚えとるんじゃねぇ」


「うん」


「ともきには、あのおじちゃんが見えるんだね」


その言葉が妙に引っかかった。


「……え?」


祖母は何も説明せず、仏壇の方へ歩いていった。


俺はその場で待っていた。


しばらくすると、祖母が一枚の写真を持って戻ってきた。


「これ、見てみ」


写真には、祖父の家を背景にして撮った家族写真が写っていた。


祖父と祖母。


その子供たち。


そして、何人かの親戚。


祖母は写真の中の一人を指差した。


「この人、おるじゃろ?」


俺は写真を覗き込んだ。


その瞬間だった。


胸の奥が、ぞわっとした。


見覚えがある。


でも、会ったことがあるはずがない。


写真の中で笑っている、見知らぬ男。


俺はその顔を知っていた。


「……この人、なんか見たことある」


祖母は静かに言った。


「あの部屋で見たおじちゃんじゃよ」


背中が冷たくなった。


「え?」


祖母は写真を見ながら続けた。


「この人は、じいちゃんの弟なんじゃ」


俺は何も言えなかった。


祖母は、少し間を置いてから言った。


「あの部屋で、自分で逝ってしまったんよ」


そこで、ようやく全部が繋がった。


あの暗い部屋。


電気の下に立っていた男。


母には見えなかった理由。


そして、祖母が「あのおじちゃん」と言った理由。


俺は写真を見つめたまま、しばらく動けなかった。


「……だから、あの部屋、誰も使わなくなったの?」


祖母は黙って頷いた。


俺は少し迷ってから言った。


「もう一回、入ってもいい?」


祖母が俺を見る。


「なんで?」


「……手、合わせてあげたい」


祖母は何も言わなかった。


ただ、静かに頷いた。


俺はあの日以来、初めてその部屋に入った。


十年前と同じように、薄暗かった。


俺は部屋の中央まで歩いた。


そして、何もない場所に向かって手を合わせた。


「……あの時は、何も知らなくてごめん」


そう呟いた。


しばらく目を閉じていた。


そして、ゆっくり目を開けた。


誰もいない。


当然だ。


俺はそのまま部屋を出ようとした。


その時――


背後から、


ポコ……


と、小さな音が聞こえた。


俺は振り返った。


何もない。


仏壇の部屋から聞こえてくる木魚の音だと思った。


そう思って、部屋を出た。


ふと、祖母に聞き忘れたことを思い出した。


「あのおじちゃんって、いつ亡くなったの?」


俺がそう聞くと、祖母は少し不思議そうな顔をした。


「……おじいちゃんが亡くなる、ずっと前じゃよ」


「どれくらい?」


祖母は答えた。


「ともきが生まれるより、もっと前」


俺は黙った。


俺が生まれる前。


当然、会ったことなんてない。


写真で見たことすらなかった。


それなのに。


三歳の俺は、あの暗い部屋であの人を見ていた。


そして、母には見えなかった。


俺はもう一度だけ、あの部屋を振り返った。


閉じた引き戸の向こうは、何も見えない。


ただ――


あの日と同じように、部屋の電気の下に、


誰かが立っているような気がした。

今でも、あの日のことを思い出すことがあります。


あれが本当に何だったのか、今でも分かりません。


ただ、あの日から少しだけ、夜の暗い場所が苦手になりました。


子供の頃は、怖い話を聞いても笑っていられた。


でも、自分で体験してしまうと、考え方は変わるものです。


あれから時間が経った今でも、あの日見たものだけは、はっきりと覚えています。


信じるかどうかは、読んだ人に任せます。


これは、俺が実際に体験した話です。

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