コンビニ感覚で「付き合ってみる?」と言われたら、意外と苦くて甘い既成事実が始まった。
初投稿です。
百合的なものを書いてみたかった。
短編予定です。
「愛だの恋だの、そんなものは言葉の綾、もしくは、辞書の片隅にひっそりと生息している絶滅危惧種の類か、
あるいは、高名な文豪が原稿用紙を埋めるために捏造したファンタジーの類だろうと、私は定義していたわけだけど――」
私――日向陽葵は、窓の外を流れる雲を、何ら生産性のない眼差しで眺めながら独白する。
私の信条は『事なかれ主義』。右に倣え、左に倣え。敷かれたレールというのは、脱線しなければ安全で快適な特急券だ。
しかしながら、高校二年生という『青春の折り返し地点』に立たされた時、ふと私の脳内にバグが生じた。
「……ねえ、月」
「なに、陽葵。私は今、どうしてカカオ99%のチョコはあるのにカカオ100%のチョコがないのかを真剣に考察していたのだけど」
隣の席で、彫刻のように整った横顔を無駄遣いしながらチョコを咀嚼しているのは、望月月。
周囲からは「ミステリアスな美少女」と、半ば神格化され、半ば敬遠されているが、その実態は単なる極度のマイペースであり、
波風を立てるのが面倒だから静かにしているだけの、ただの同級生であると、私は思っていた。
「恋愛って、しなきゃいけないのかな」
「義務教育には含まれていなかったと思うけれど」
「そうなんだけどさ。こう、世の中の『普通』というレールには、恋愛という駅が必ず設置されているじゃない?
私はただ、停車駅を飛ばして終点まで行っちゃうのが、なんだかルール違反のような気がして」
私の、あまりにも行き過ぎた『事なかれ主義』ゆえの悩み。
それを聞いた月は、最後の一つのチョコを口に放り込むと、椅子をくるりと回転させた。
「なるほどね。陽葵は『恋をしたい』わけじゃなくて、『恋をしているという既成事実』がほしい、
あるいは、恋愛という未知の事象に対する、単なる好奇心?」
「言い方は悪いけど、おおむね正解。でも、やり方がわからない。
参考書もなければ、マニュアルもない。そもそも、相手がいない」
「――相手なら、ここにいるじゃない」
月は、まるで、コンビニの新作スイーツを進めるかのように、さらりと言ってのけた。
「とりあえず、私と付き合ってみる?」
「……はい?」
あっけにとられる私をよそに、月は続ける。
「お試し期間。クーリングオフ不可。でも、面倒になったらいつでも解約可能。
どうせお互い、誰かと情熱的な恋に落ちるタイプでもないでしょう?
だったら、知っている相手と『恋人ごっこ』をするのが、一番リスクが低くて合理的だと思うのだけれど」
それは、告白と呼ぶにはあまりにも事務的で。提案と呼ぶにはあまりに甘い、悪魔の誘い。
「えっと……、それじゃあ……とりあえず。よろしくお願いします?」
月が少しだけ口角を上げて笑う。
私は、自分の人生という名のレールが、音を立てて全く別の方向に切り替わったのを感じた。
「ええ。よろしく、私の恋人」
そして、月はさも当たり前のように、ごく自然な流れで、私の唇を奪った。
予想外の行動を起こされると、動物は何もできなくなると聞いたことがあるが、
私は今日それを身をもって経験してしまった。
呆然としている私から顔を離し、月はいたずらっぽく笑う。
「恋人らしいことをしてみたのだけれど、感想はどう?」
「ファーストキッスはレモンの味、というらしいけど、とても苦いものになったわ。」
***
波風立てずに生きていく、それは私にとってはゼロを何倍かして、イチにすることよりも難しく、険しい道のりであった。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、そんな風に誰かが言った戯言に尾びれ背びれが付き、
高校一年の大半は『告白される』という、無駄なイベントを体験させられ、
スキップボタンはないのだろうかと何度も思った。
しかし、現実にそんな便利なボタンは実装されていないし、私の人生はQTEの連続だ。
そんなある日、いつもの調子で陽葵は『恋愛』などという、くだらないことを口にした。
聞き流しても良かったのだが、ふと思いつく。
陽葵と疑似的な『恋人』という関係になれば、無駄なイベントを発生させずに済むと。
彼女のことは嫌いでもなく、私を――ただの望月 月として見てくれる数少ない友人である。
そんな彼女を『防波堤』に利用するのは、客観的に見ていささかアンフェアな行為かもしれない。
けれど、陽葵が望む『既成事実』と、私が望む『平穏』。
この二つのベクトルを合成すれば、これ以上ないほど強固なシェルターが出来上がるはずだ。
「ええ。よろしく、私の恋人」
私は、計算通りの返答を口にした。けれども、ただ言葉を重ねるだけでは、
事なかれ主義の彼女に「これはただの冗談だ」という逃げ道を与えてしまう。
契約には、署名が必要だ。それも消して消すことのできない、鮮烈なインクによる署名が。
だから私は、彼女の唇を奪った。先ほど食べていた、カカオ99%の苦味を媒介にして。
(……ああ。案の定、というべきか)
呆然と立ち尽くす陽葵の耳が、みるみるうちに赤く染まっていく。
その反応は、私がこれまでに受けてきた数多の告白よりも、ずっと純粋で、ずっと非論理的で。
そして、私の中の『合理的な計算機』が、ほんの少しだけノイズを走らせた。
「恋人らしいことをしてみたのだけれど、感想はどう?」
「ファーストキッスはレモンの味、というらしいけど、とても苦いものになったわ。」
彼女の恨みがましい返答に、私は内心で小さくくすりと笑う。
苦い、か。私にとっては、99%のチョコよりも、ずっと甘ったるい刺激に感じられたのだけれど。
「それは残念。でも、これでもう逃げられないわよ、陽葵。
私たちは今、この瞬間から、世界で一番不純で合理的な『恋人』になったのだから」
窓の外では、夕焼けが世界をオレンジ色に塗り潰していた。
それは、昨日までと同じようでいて、決定的に何かが書き換えられた放課後の風景。
事なかれ主義な彼女と、利己主義な私。二人のレールの分岐点は、もう、通り過ぎてしまったのだ。
***
「ねえ、『恋人とは何をするものか』を決めないかしら」
『恋人』という契約をしてしまった私は、その定義を余儀なくされる。
無論、参考書も、マニュアルもないものに定義などできるだろうか、いや、できない。
夕焼けが消え始め、空に帳が落ちていくのを感じ取ったので、帰ろうとしたところ手をつかまれる。
「私が決めてもいいのだけれど、せっかくだし、適当に食べながら決めましょうか。」
「……そ、そうだね。」
一瞬、また、キスでもされるんじゃないかと、固まってしまった私は、
月の提案に対して、肯定をする以外の選択肢が頭から抜けてしまっていた。
フードコートで適当にジャンクフードを頼み、席へと座る。
目の前に座る月は、健康的なサラダ――などではなく、大盛りのポテトを一つ一つ、丁寧に口へと運んでいる。
ジャンキーな食べ物も、月が食べると途端に高級感があふれるもののように見える。
対する私は、苦みを消すかのようにたっぷりと、ガムシロップをアイスコーヒーに入れる。
「それで、陽葵。あなたの考える『恋人の定義』を、まずは箇条書きで述べてみて。
漏れなく、重複なく、MECEにね」
「……ビジネス会議じゃないんだから。そうね、一般的には『頻繁に連絡を取る』とか、
『休日に出かける』とか、『手をつなぐ』とか、そういうのじゃない?」
私はガムシロップの容器に残った最後の一滴まで絞り出しながら、
およそ情熱とは無縁のリストを提示する。
月はポテトを一本、まるで精密機器の部品を検品するかのように眺めてから口にした。
「却下。具体性に欠けるわ。例えば『頻繁』とは一日に何回、何文字程度の送信を指すのか。
休日の外出は、現地集合なのか、どちらかが迎えに行くべきなのか。手を繋ぐにしても、順手なのか逆手なのか、
あるいは恋人繋ぎなのか。定義が曖昧だと、後でバグが出るわよ」
「バグってさ……。私たちはプログラムを組んでいるわけじゃないんだよ?」
「いいえ、人間関係なんて複雑なアルゴリズムの積み重ねでしょう?
特に私たちは『普通』のレールから外れて、この疑似的な関係を構築したのだから。
しっかりと定義しないと、貴女はすぐに逃げ出すに決まっているわ」
図星だった。私は、面倒になれば「やっぱなしで」といって、また安全なレールに戻るつもりでいた。
月はその退路を、ポテトを咀嚼する間に着々と塞いでいく。
「まず、連絡は朝昼晩の三回。内容は何でもいいわ。生存報告程度で構わないわ。
それから、週に一度は必ず『放課後の寄り道』をすること。そして――」
月は、ポテトをつまんでいた指をナプキンで丁寧に拭くと、テーブル越しに私の手に触れた。
指先が、アイスコーヒーのカップで冷えた私の肌をなぞる。
「登下校時は、こうして手をつなぐこと。
これは周囲への『関係の誇示』として最も効率的だからよ。異論はある?」
「……異論を唱える前に、その『関係の誇示』って必要なのかな?
月が目立ちすぎて、私の平穏が削れるような気がするんだけど」
「それは必要経費よ、陽葵。私が貴女の盾になる代わりに、貴女は私の隣という『特等席』で、
そのリスクを引き受ける。利己的で、合理的でしょう?」
月は満足げに、最後の一本のポテトを口に運んだ。
私の心臓は、ガムシロップの過剰摂取による動悸か、あるいは別の理由か、少しだけ騒がしくリズムを刻んでいる。
「わかった、わかったよ。その条件を『恋人マニュアル』として受理します。
……でも、これっていつまで続けるつもり?」
「そうね。……私が貴女に飽きるか、あるいは、この『ごっこ遊び』が本物に書き換えられるまで、かしら」
冗談めかした月の言葉に、私はまた、アイスコーヒーを啜るしかなかった。
苦味はもう、どこにも残っていなかった。
***
『恋人マニュアル』を作り終えた私たちは、片付けをし、店を後にしようとする。
店を出る前に月が、手を繋いできたのでついビクッっとしてしまった。
このままイニチアチブを取られ続ければ、短くとも卒業まで、あるいはその後も彼女とこの歪な関係を続けることになる。
そのことに別に、不満はないのだけれども、やられっぱなしというのもなと思う。
よし、やってやる。深呼吸をして握っている月の手をほどいて、指と指を絡ませる。
所謂、『恋人繋ぎ』だ。隣の月を見ると少し耳が赤くなっているように見えた。
「……陽葵。あまり乗り気ではなかったけど、やっぱり我慢できなかった?」
いたずらそうに笑う月の口は、少し震えているかのように見えた――見えただけだった。
「それじゃあ、明日の朝もしっかりと『恋人繋ぎ』で登校しましょうか」
「え?あ?いやー……」
しどろもどろ、という言葉を辞書で引けば、今の私の顔写真が載っているに違いない。
「明日も」という単語の重力に、私の事なかれ主義が悲鳴を上げる。
高校二年生、多感な時期。全校生徒の注目の的である望月月と、指を絡ませて登校する?
それはもはや「波風」なんて生易しいものではない。津波だ。校内新聞の一面を飾るレベルの天変地異だ。
「どうしたの。言い出したのは陽葵、貴女の方じゃない」
「それは、その。……ちょっとした、出来心というか。月が余裕たっぷりな顔をしてるから、
少しだけ揺さぶってやろうかな、なんて……」
「あら、揺さぶられたわよ。おかげで明日の朝の集合時間が楽しみで仕方なくなったわ」
月は、絡ませた指にさらなる力を込めた。逃がさない、と。
そう言外に告げられているような、心地よい拘束感。
彼女の耳の赤さが、照れ隠しなのか、あるいは私を追い詰めるための演技なのか、今の私には判別できない。
「いい? 陽葵。既成事実というのは、積み重ねてこそ意味があるの。
一回きりの接吻や、一回きりの手繋ぎなんて、ただの事故として処理されてしまう。
私たちが『恋人』という定義を盤石にするためには、継続的な、そして過剰なまでのパフォーマンスが必要なのよ」
「……なんだか理屈っぽいなぁ。もう。わかったよ。敷かれたレールに従うのが、私の流儀だしね」
私は諦めたように、でも繋いだ指は解かないまま、夜の冷え込みが始まった街を歩き出す。
街灯に照らされた二人の影が、アスファルトの上で一つに重なっていた。
それはどこからどう見ても、仲睦まじい恋人同士のシルエットで。
その実態が『防波堤』と『既成事実』のための利己的な契約だなんて、誰も気づかないだろう。
(……まあ、悪くないかな)
繋いだ手のひらから伝わってくる、月の意外なほど高い体温。
それを『生理現象による熱伝導』と定義するには、私の心臓は少しだけ、うるさく鳴りすぎていた。
「じゃあ、明日。八時にいつもの角で。遅刻したら、追加の『実証実験』をするから」
「……善処します」
コンビニで肉まんを買うような、そんな気軽さで始まったはずの私たちの関係。
けれど、家に帰って手を洗う時、彼女の感触が残る右手を洗うのを、一瞬だけ躊躇してしまったことを、
私は誰にも――もちろん月にも、教えるつもりはない。




