第七話 王の証
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宴の余韻がまだ広間に漂っていた。天井には宝石を散りばめた巨大なシャンデリアが輝き、光が水晶の柱に反射して虹色を描く。
長卓には見たこともない料理が並ぶ。黄金色に輝く果実、香草で覆われた巨大な獣の丸焼き、青い炎で炙られた魚が香ばしい匂いを放っていた。甘い香りとスパイスの刺激が入り混じり、空気そのものが濃厚だ。
楽師たちが奏でる弦の音は、どこか異国めいた旋律で耳をくすぐる。宙に浮かぶ小さな光球が、音に合わせて淡く揺れていた。
「異界の英雄とやら、もっと食え! 戦場じゃ腹が減っては剣も振れん!」
低く響く声に振り向くと、将軍ガルシオンが豪快に骨付き肉をかじっていた。鎧の隙間から覗く腕は岩のようで、笑い声も雷鳴みたいに響く。
「いや、戦場には……」俺が言いかけると、隣から柔らかな笑い声がした。
「将軍、彼らを脅すのはやめたまえ。剣を握る前に、まずは杯を握るのが礼儀だ」
ワインを傾ける魔術師長アルネリオ。銀糸のローブが光を受けて淡く輝き、目はどこか愉快そうに細められている。
「脅してなどおらん。事実を言ったまでだ」ガルシオンが鼻を鳴らす。
「事実ね。だが、異界の者は剣より言葉に敏感だ。君の豪胆さは時に刃より鋭い」
「ふん、言葉で敵を斬れるなら苦労せん」
二人のやり取りを聞きながら、俺は杯を手に取った。甘い香りが鼻をくすぐり、舌に触れた液体は不思議な清涼感を残す。
萬子さんが小声で笑う。
「ケイタ、こういう場は楽しんだもん勝ちだよ」
その笑顔に、少しだけ肩の力が抜けた。
だが、宴の終わりを告げる鐘が鳴った瞬間、空気が変わった。
侍女が静かに近づき、俺たちに告げる。
「陛下がお呼びです」
胸の奥がざわついた。
(……皇帝ヴァルディオス。何を話すつもりなんだ?)
* * *
足音が静かな回廊に響く。壁には古代文字が刻まれ、灯りが淡く揺れている。
辿り着いたのは、広間よりもずっと静かな部屋だった。重厚な扉が開き、俺たちは中へ通される。
そこにいたのは皇帝ヴァルディオス。金と黒を基調にした礼装を纏い、椅子に腰掛けている。その姿は、ただ座っているだけなのに圧倒的な存在感を放っていた。
灰銀の髪、深い皺を刻んだ顔。鋭い眼光がこちらを射抜く。
(……昼間よりも、威圧感がすごい)
レオニードが横に控え、静かに言った。
「陛下、異界の客人を」
皇帝はゆっくりと立ち上がり、俺たちを見据えた。
「ヴァルディオスだ。中央帝国を治める者として、君たちに礼を言う」
低く、重みのある声が部屋に響く。
萬子さんが軽く頭を下げる。
「こちらこそ、歓迎ありがとうございます」
俺も慌てて頭を下げた。心臓がやけにうるさい。
皇帝は歩み寄り、深い声で続けた。
「宰相から帝国の成り立ちは聞いているな?」
「はい……三つに分かれた理由とか」俺は答えた。
「そうだ。初代皇帝は血を巡る争いを避けるため、帝国を三分した。だが、その決断は同時に、帝国の力を分散させた」
ヴァルディオスの瞳が、遠い過去を見ているように揺れた。
そして、声の調子がわずかに変わる。
「君たちを呼んだのは、帝国防衛だけではない」
その言葉に、胸がざわついた。
「……どういうことですか?」俺は思わず聞き返す。
皇帝は静かに言った。
「帝国防衛という言葉は、民衆や軍を鼓舞するためのものだ。君たちを戦場に送り込むつもりはない」
その言葉に、胸の奥で少しだけ緊張が解けた。
「本当の理由は――王の証だ」
「王の証?」萬子さんが首を傾げる。
「初代皇帝が神より授けられた帝国統一の象徴だ」
その名を口にした瞬間、空気が変わった気がした。
「それを持つ者は、人族の王となり、人族をまとめる力があったとされる。だが、帝国が三つに分かれたとき、その力が争いの火種になることを恐れ、封印された。伝承によれば、それを見つけられるのは、異界を渡る者だけと伝わっている」
俺は息を呑んだ。
(異界を渡る者……俺たち?)
「その力で戦乱を鎮め、三国の均衡を取り戻した後は、再び封印する。それが私の使命だ」
ヴァルディオスの声には揺るぎない決意があった。
俺はさらに踏み込んだ。
「じゃあ……あなたは、統一皇帝になることを望んでいないんですか?」
一瞬、空気が張り詰めた。
ヴァルディオスはゆっくりと首を振る。
「中央帝国の皇帝は、必ずしもわが子が継ぐわけではない。東と西は女帝が据えられているのは聞いているな?」
「はい……」
「男が生まれた場合、その時、この三国でもっとも優秀な人間が中央帝国の皇帝になる。私の母は西の女帝だ。男児は三国の調和のため、生まれに関係なく、この中央で三国の共存を第一とした教育を受ける」
その声には、誇りと重みがあった。
「私はその使命を全うするだけ。統一皇帝など、望みはしない」
言葉に一片の迷いもなかった。
萬子さんが腕を組み、少し笑った。
「なるほどね。面白そうじゃん」
俺は言葉が出なかった。
(……使命を全うするだけ? 本当にそれだけなのか……)
レオニードが一歩前に出て、静かに視線を向けてきた。
「異界の英雄にしかできぬことだ」
その目が、妙に冷たく光った気がした。
(……なんだ、この視線)
皇帝は最後に言った。
「人族の未来は、君たちにかかっている。戦乱に乗じて、帝国の地を狙う他種族や他勢力もいる。均衡を保つためにも、王の証は必要だ」
その言葉が、重く胸にのしかかった。
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