第三十二話 掃討
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「エルさん!」
俺は駆け寄った。瓦礫の陰に、エルさんが倒れている。
少し離れた場所にはキャソさんの大きな体が横たわっていた。胸が締め付けられる。
ネイさんが耳を寄せ、短く言う。
「鼓動はある……落ち着いてる、命に別状はない」
その言葉に、俺は肺の奥まで空気を吸い込んだ。
「親方! 手を貸して!」
萬子さんの声に応じ、奥から親方が駆けてくる。
呼びかけに、エルさんの指がわずかに動いた。
「……萬子君……?」
その声に、俺は思わず泣きそうにになった。
「エルさん! よかった……!」
キャソさんも低く唸り、目を開ける。
瞳に力が戻っていくのを見て、胸の奥がじんわり熱くなる。
俺たちは互いに顔を見合わせ、深く息を吐いた。
* * *
エルさんが体を起こすと、俺は戦闘の顛末を簡潔に説明した。
ダークエルフの符板、黒煙、狼の影――すべてを。
エルさんは黙って聞き、視線を鋭くした。
「支配の力……やはり普通の符板とは違うな」
その言葉を合図に、俺たちは工房跡へ戻った。
砕けた符板の残骸と黒煙の焦げ跡が残る工房で、エルさんは膝をつき破片を指先で転がす。
「原料はこの鉱山の鉱石……加工もここで行われていたようだ」
作業台に残る工具や削り屑を丹念に調べながら続ける。
「通常なら、ドワーフが符板を作り、付与術者が術を込める。しかし、この痕跡を見る限り、素材の段階で術式を仕込む必要がある可能性が高い」
ネイさんが視線を落とし、無言で頷く。
エルさんは破片を光に透かしながら、さらに言葉を重ねた。
「つまり、流通している未付与の符板では黒い符板は作れない。鉱山を抑える必要があった理由はそこだ」
萬子さんが腕を組む。
「じゃあ、帝国で警備を強化すれば大丈夫ってことか」
「その通りです。原料の取れる鉱山を押さえれば、製造は防げるでしょう」
エルさんの声は冷静だが、その奥に緊張が潜んでいた。
破片を見つめながら、さらに続ける。
「萬子君が支配を自力で解いたことも重要です。もし術式が完成していたのなら、抜け出すのは限りなく不可能だったはずでしょう。つまり、まだ試作段階……現時点でダークエルフが逆襲してくる可能性は低い」
俺は息を吐き、胸の奥が少し軽くなるのを感じた。
「じゃあ、黒い符板に侵された獣を一掃すれば……」
「この鉱山に平和は戻るだろう」
エルさんの言葉が静かに響いた。
その言葉を聞き萬子さんが外を睨み呟く
「終わらせよう」
* * *
外の空気は冷たく、岩場の向こうで獣の咆哮が響く。
黒い符板を埋め込まれた獣たちが群れを成し、赤黒い光を帯びて荒れ狂っていた。
血と鉄の匂いが風に乗り、空気が一変する。
「二人は俺が守る!」
親方が巨大な槌を構え、負傷したエルさんとキャソさんの前に立つ。
萬子さんは拳を握り、前線へ飛び出した。
「やあっ!」
その声が戦場に響いた瞬間、炎と風が絡み合う。
二重刻印の同時発動――。
萬子さんの体から火と風の力が渦を巻く。
疾風が炎を抱き、獣の黒い符板を次々と砕いていく。
その動きは嵐の中の炎のように速く、獣たちが崩れ落ちるたび、黒煙が空へと散った。
「……これが同時発動の力…… 理論上、極めて難しいはずなのに……!」
エルさんの声が震える。
学者としての冷静さを失いかけたその瞳が、萬子さんの背中を追っていた。
「萬子さん、今だ!」
俺は水弾を撃ち込み、獣の視界を封じる。
ネイさんの矢が鋭く飛び、足場を射抜いた。
萬子さんが正拳突きを叩き込み、符板を次々と粉砕する。
炎と風が爆ぜ、黒煙が消える。
最後の獣の符板が崩れ、戦場に静寂が戻った。
岩場に漂っていた血の匂いが薄れ、冷たい風が頬を撫でる。
エルさんの表情には安堵が広がっていった。
「さあ、集落へ帰りましょう」
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