第二十四話 山道に潜む牙
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山道を進む足音が、乾いた土を踏むたびに小さく響く。昼下がりの陽光は木々の隙間から差し込み、斑模様を地面に描いていた。空気は澄んでいるのに、どこか重たい。湿った土の匂いが鼻をかすめ、胸の奥に小さな不安が広がる。俺は杖を握り直しながら、耳を澄ませた。
「……静かだな」
エルさんが低く呟く。その声に、萬子さんが肩をすくめて笑う。
「静かなのはいいことじゃない? モンスターに出くわさないってことだし」
その瞬間、キャソさんが立ち止まった。
「グルル……」
低い唸り声が、空気を裂く。背筋がぞわりとした。ネイさんも弓を構え、視線を森の奥へ向ける。
「……何か来るな」
エルさんの声が鋭くなる。
次の瞬間、木々が揺れ、轟音とともに黒い影が飛び出した。枝が裂け、葉が舞い、土煙が爆ぜる。
「なっ……!」
俺の目に映ったのは、三メートルはある黒毛の熊の怪物。肩に赤い刻印が脈打ち、血のような光を放っている。牙は岩を砕けそうなほど鋭く、爪は大地を裂く刃だ。さらに、後ろから赤毛の熊の怪物が二頭、木をなぎ倒して現れた。……いや、それだけじゃない。さらに二体、黒と赤が混じった毛並みの熊の怪物が森の奥から姿を現す。合計五体。
その姿に、息が詰まった。毛並みの間から覗く痩せこけた腹。骨ばった肋骨が浮き出ている。口元からは糸を引くほどのよだれが滴り、腐臭を帯びた獣臭が風に乗って鼻を刺した。血走った目が、俺たちを射抜く。
(……食われる。完全に獲物を見る目だ)
心臓が跳ねる。耳の奥で血の音が轟き、足がすくみそうになる。
「散開!距離を取れ!」
エルさんの指示が飛ぶ。俺は反射的に後退し、杖を構えた。
(でかすぎる……軽トラどころじゃない、バスじゃん……!)
黒毛の熊の怪物が咆哮し、低音が森を震わせる。地面が揺れ、枯葉が舞い上がった。
「グルルガン!」
キャソさんが応じるように吠え、片手斧を構えて突進する。火の刻印が斧に赤い光を宿し、空気が熱を帯びる。
その瞬間、エルさんが本を開き、冷静に言った。
「……見ろ、肩の刻印。獣の刻印だ。それも通常より強く光っている。興奮状態に加えて――相当飢えているな。理性はない、食うためなら死ぬまで襲ってくるぞ!」
「死ぬまでって……冗談でしょ!」
萬子さんが息を呑む。俺の喉がひりついた。
「ケイタ君、牽制を!」
「はいっ!」
俺は杖を振り、水弾を放つ。弾丸のような水が熊の怪物の顔面に直撃し、視界を奪う。だが、巨体は怯むどころかさらに突進してきた。爪が岩を裂き、破片が飛び散る。衝撃で足元が震え、肺が圧迫される。
「萬子君、右を頼む!」
「了解!」
萬子さんが刻印を発動し、拳に炎が灯る。赤毛の熊の怪物の突進を受け止め、渾身の回し蹴りを叩き込む。衝撃で地面が裂け、火花が散った。
「……重っ! これ、ジムのサンドバッグじゃないよ!」
萬子さんの冗談に、ほんの一瞬だけ緊張が緩む。
「ネイ君、援護!」
「任せろ」
ネイさんの矢が風を纏い、熊の怪物の脚を射抜く。矢が風を裂く音が耳を刺し、動きが鈍った瞬間、キャソさんが「グオオオオ!」と咆哮し、斧を振り下ろした。火の刻印が爆ぜ、黒毛の熊の怪物の肩に刻まれた赤い紋様を叩く。焦げた匂いが鼻を突き、熱風が頬を焼いた。
だが、残りの熊の怪物が一斉に襲いかかってきた。萬子さんが一体を蹴り飛ばすが、もう一体が背後から迫る。
(まずい……!)
視界が研ぎ澄まされる。矢の軌道、肩の動き、爪の軌跡――すべてが線となり、未来へと伸びていく。
(……見える。次にどこを狙うか、どこに動くか)
俺は水壁を展開し、萬子さんの背後に滑り込ませる。熊の怪物の爪が水壁を裂き、飛沫が散る。
「助かった!」
「まだ終わってない!」
俺は土を操り、足元をぬかるみに変える。熊の怪物が足を取られ、動きが鈍る。
「今だ、押しかえせ!」
エルさんが土壁を展開し、熊の怪物の進路を塞ぐ。
「キャソ君、左を頼む!」
「グルルガン!」
キャソさんが火斧を振り抜き、刻印を砕く。萬子さんが渾身の拳を顎に打ち込み、ネイさんの矢が風を切って熊の怪物の脚を止める。
最後の一体が咆哮し、痩せこけた腹を震わせた瞬間――キャソさんが跳んだ。
「グオオオオオオオオッ!」
炎が斧を包み、空気が爆ぜる。熱風が森を焼き、木々が軋む。キャソさんの声が森を震わせた。
「――ジュウオウムジンザンッ!!」
斧が赤い軌跡を描き、熊の怪物の頭上から肩へと一閃。轟音とともに火花が散り、巨体が地面に沈む。刻印が砕け、光が消えた。焦げた匂いが濃くなり、煙が立ち上る。
静寂。熱気が残り、森の影が揺れる中、キャソさんが斧を肩に担ぎ、鼻息を荒くして立っていた。
俺と萬子さんは、ぽかんと口を開けたまま、同時に呟いた。
「……しゃべれるんだ」
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