十八話 長き名の封印
* * *
苔むした石段を踏むたび、湿った感触が靴底に残った。
森の匂いは薄れ、代わりに古い石の乾いた匂いが鼻に触れる。
通路は静かで、俺たちの足音だけが淡く響いていた。
先頭を歩くネイさんが、ふと歩みを緩めた。
薄明かりに照らされた横顔がわずかに揺れ、長い耳が小さく動く。
しばらく沈黙が続いたあと、
彼女は前を向いたまま、静かに言葉を落とした。
「……一つ、聞きたいことがある」
その声は淡々としているのに、 どこか慎重に言葉を選んでいるような響きがあった。
「お前たちの“元の世界”の人間は……皆、あれほどの力を持っているのか?」
唐突ではなく、 戦いの後の静けさの中で自然に生まれた疑問だった。
萬子さんが小さく笑い、肩の力を抜く。
「強い人ばっかりじゃないよ。 むしろ――ケイタの姉の方が、あたしより強かったくらい」
通路の薄明かりが、萬子さんの横顔を柔らかく照らす。
「あの子が空手やってた小学生の時に、一回も勝てなかったし」
「えっ、そこ言う?」
反射的に言い返していた。
声が石壁に跳ね返り、少し大きく聞こえる。
萬子さんは肩をすくめ、続けた。
「だって事実でしょ。 あの子、なんか眼が良いっていうか……勘がいいっていうか…… 技がまともに当たらないんだよね」
その言葉に、体育館の匂いがふっと蘇る。
汗と木の床の匂い。
姉ちゃんの動きだけが、妙に軽くて速かった。
「でも姉ちゃん、ゴツくなるの嫌だって言って、 あっさりやめたんだよな。 先生に“もったいない”って言われてたけど」
通路の奥から冷たい風が流れ、ネイさんの髪がわずかに揺れた。
彼女は歩みを緩め、こちらを横目で見る。
「……なるほど。 だが、ケイタも相当だ。 眼の良さもそうだが、あの反応速度は尋常じゃない。 そういう家系なのか」
その声は淡々としているのに、
観察した結果を静かに積み上げていくような重さがあった。
俺は首をかしげながら答える。
「いや……どうだろ。 俺は違うと思うけど……」
言葉にしてみても、自分でもよく分からなかった。
* * *
通路の先がわずかに開け、空気が変わった。
湿り気のある風が止み、代わりに冷たい静けさが肌に触れる。
祭壇の間――そこに辿り着いた。
薄暗い空間の奥に、分厚い石の扉がそびえていた。
苔むした壁とは違い、その扉だけは異様なほど滑らかで、 まるで時間の流れから切り離されているように見えた。
扉の手前には、腰の高さほどの石の台が一つ、ぽつんと置かれている。
この距離からでは、上面の様子まではよく分からない。
「……あれが、祭壇の間の“鍵”と考えてよさそうだね」
エルさんが小さく呟き、先に歩み出る。
俺たちは少し離れた位置で足を止めた。
エルさんが台の側面をなぞり、ゆっくりと回り込む。
上面を見下ろすその背中に、緊張がじわりとにじんでいるように見えた。
「手形の窪み……そして、水晶か」
独り言のような声が、静かな間に落ちる。
ここからは、中央に何か窪みがあるらしいことと、
そこに透明なものがはめ込まれているのが、かろうじて見えた。
だが、細かい模様までは分からない。
エルさんは慎重に手を伸ばし、 窪みに埋め込まれた水晶へ、そっと魔力を流し込んだ。
しかし――何も起こらなかった。
光も揺らぎも、反応すらない。
「……反応はない、か。 この周りの模様が何なのか分かれば、手がかりになるのだが」
エルさんが小さく息を吐く。
その言葉に、萬子さんが一歩前に出た。
「ちょっと、あたしも見ていい?」
許可を待たずに、台へと歩み寄る。
俺も少し遅れて後を追った。
近づいてみると、台の上の様子がはっきり見えてくる。
中央には、人間の手の形をした窪み。
その底に透明な水晶が埋め込まれ、
周囲には細い線がびっしりと刻まれていた。
最初はこの世界の古い文字か何かだと思った。
だが、萬子さんが眉をひそめて身を乗り出す。
「……ねぇ、これ……」
低い声だった。
さっきまでの軽さが消えている。
「ケイタ、こっち来て」
促されて覗き込むと――
そこに刻まれていたのは、
英語。
そして、日本語。
喉がひゅっと鳴った。
「……これ、俺たちの世界の言葉だ」
自分の声が、少し上ずって聞こえた。
ネイさんが静かに近づき、俺を見る。
「……なんと書いてある?」
日本語の部分だけが、妙にくっきりと目に入る。
俺は息を整え、ゆっくりと読み上げた。
「――
じゅげむ じゅげむ
ごこうのすりきれ
かいじゃりすいぎょの
すいぎょうまつ
うんらいまつ
ふうらいまつ
くうねるところに
すむところ
やぶらこうじの
ぶらこうじ
パイポパイポ
パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーの
ポンポコナーの
ちょうきゅうめいのちょうすけ」
読み終えた瞬間、
祭壇の間の空気が、わずかに震えた気がした。




