第十三話 街の灯
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正午の陽が山の稜線を白く照らし、冷たい風が頬を撫でる。岩場を抜けると、視界が一気に開けた。
眼下に広がるのは、瓦屋根が連なる街並み。煙突から白い煙が立ち上り、遠くで鐘の音が響いている。
(……ゲームの街っぽい。でも、これは現実だ)
胸の奥がわずかに高鳴る。昨日まで焚き火の炎しかなかった世界に、生活の匂いが漂っていた。
「見えてきたね、あれが最初の街だ」
エルさんが穏やかに言う。
萬子さんは目を輝かせて笑った。
「やっと文明に戻れるって感じ!」
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街の門は高く、厚い木の扉が開いていた。門番が槍を手に立っている。
「身分を証明できるものは?」
低い声に、俺は一瞬固まった。
エルさんが一歩前に出る。本を開き、指先で刻印をなぞる。
「――土よ、紋章を描け」
淡い光が走り、土の粒が宙に舞う。やがて帝国の紋章が空中に浮かび上がった。
「私は中央帝国に仕える学者、宮廷刻印士エルネストだ」
その声は静かだが、重みがあった。
門番の目が見開かれる。
「宮廷刻印士様とは……失礼しました!」
態度が一変し、深々と頭を下げる。
俺と萬子さんは顔を見合わせた。
(……エルさんって、すごい人なんだ)
言葉にできない驚きが胸に広がる。
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街に入ると、賑わいが押し寄せてきた。石畳の通りに露店が並び、香辛料の匂いが鼻をくすぐる。鉄鍋で肉を焼く音、果物を切る包丁の音、商人の声が交錯していた。
赤や緑の果実が山のように積まれ、刻印模様の入った陶器が陽光を反射して輝いている。
「ねえ、あれ食べてみたい!」
萬子さんが指差したのは、鉄板で肉を焼く屋台。香ばしい煙が立ち上っていた。
エルさんが笑う。
「異界の味を知るのも学びだね」
俺たちは並んで串を受け取る。一口かじった瞬間、肉汁と香辛料の刺激が舌を打った。
「……うまっ! これ、やばい!」
思わず声が出る。萬子さんも頬をほころばせ、エルさんは満足げに頷いた。
食べ歩きながら、ふと目に留まったのは、複雑な模様が刻まれた金属片や、透明な結晶を嵌め込んだ杖の露店だった。
「これ、何に使うんだ?」俺が指差すと、エルさんが本を抱えたまま説明を始める。
「刻印道具だよ。刻印の力を安定させるための補助具だ。例えば、この結晶は魔力の流れを整える。刻印を刻むとき、イメージが乱れると暴発することがあるからね」
彼は指先で金属片を示す。
「これは『符板』と呼ばれるもの。簡易刻印を刻んで、戦闘中に即座に発動できる。兵士や商人がよく使うんだ」
萬子さんが興味津々で覗き込む。
「へえ、便利そうじゃん。私でも使える?」
「理論上はね。属性が違っても発動できるが、その場合は効果が落ちる。火の刻印で水を操ろうとすれば、せいぜい水を溜める程度だ」
エルさんは肩をすくめて笑った。
「だから、庶民は生活の知恵として使う。火を起こしたり、水を貯めたりね」
彼は少し声を落として続ける。
「刻印道具の中には、帝国の修練場で見た結界のように、魔力や衝撃を遮断するものもある。防御用の高級品だが、貴族や軍で重宝されている」
俺は符板を手に取り、刻まれた模様をじっと見つめる。
(……攻撃だけじゃなく、防御まで。奥が深い)
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夕暮れ、宿の食堂は木の温もりに包まれていた。長いテーブルに並ぶ料理から、香ばしい匂いが漂う。
主人が笑顔で声をかける。
「お前さんたち、どこに行くんだい?」
萬子さんが答える。
「シンジュクってところ」
主人は眉を上げた。
「辺鄙なところに行くんだねぇ」
「どんなところなの?」
「異世界から来たって人が作ったって言われてる街だ。あそこはヤマダとかサイトウとか、変な名前のやつが住んでるのがその名残らしい」
(……ますます日本人っぽいじゃん)
胸の奥に小さな驚きが広がる。偶然じゃないのかもしれない――そんな考えが頭をよぎる。
「どれくらいで着くんですか?」
「大人の足で10日以上じゃないかね」
主人の答えに、俺は思わず息を呑んだ。
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食事を終えると、エルネストが穏やかに言った。
「出発は早いから、今夜はゆっくり休もう」
その声に、胸の緊張が少しだけほどける。
窓の外、街の灯りが揺れていた。
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