第141話 船の洗濯の選択
太陽が隠れるよりも先に、明らかに異常を感じたのかヤマイルカの群れはどこかへ行ってしまった。
さんざんヤマイルカが叩きつけられた甲板は血糊と体液がべったりと張り付き、乾いたところとまだ湿っている所が点在している。
「そろそろ終わりか・・・。ふうぅ、まあこれだけ獲れれば明日が楽しみになるな」
額の汗を拭いながらオフィーリア姫が呟いた、あれだけ長時間、長くて重い竿とその先の川豚を回し続けてたにも関わらず姫様の顔はどこか涼しげだった。
王子君たちは最後のヤマイルカを船内に運び込み、そのまま調理の手伝いに向かって行った、
「明日は釣りですか」
疲れているだろうと冷水に晒したタオルを姫様に渡した時に、姫様がにこりとしてくれたので思わず尋ねてしまった。
「これだけ大好物のヤマイルカの匂いを嗅がせたから、明日は新記録が釣れるかも知れん」
そう言いながら水平線の彼方を見つめる姫様の目は、幼い子供の様な澄んだ瞳をしていた。
「そうだ、いい機会だから今日は甲板で肉を焼こう。星空の下で食べるヤマイルカは格別だ。匂いに釣られて寄って来た間抜けも焼いてしまえば良いし」
何かとんでもない事も言っている気がしないでも無いけれど、確かに夜空の下で食べると更に料理がおいしくなるのは間違いが無い、しかも今日はヤマイルカの肉を焼くのだ、そんな物が美味しくないわけが無いが、そんなわけが無い筈なんだが、靴の裏に張り付いて粘り気を持ってきた血糊の上でだとどうなるのかわからない。
「姫様、僕はここに残って甲板の掃除をしています」
にこにこと喜び勇んで船内に戻ろうとする姫に僕はそう言った、なんでそんな事をするんだろうと言う様な怪訝な表情を見せた姫様に、僕は更に言葉を付け加えた、
「せっかくの美味しい料理なので、この辺の汚れを取って綺麗にしておこうと思います」
なんだそう言う事かと驚いたような表情に変わった姫様は、
「それならば良い手段が有る、着いて来い」
そう言うと姫様はすたすたと船内へ歩いて行く、僕は急いでそれに着いて行くと姫様は艦橋へ上がって行き、
「船内に居る者に告ぐ、何が有っても転ばない様に丈夫な物にしがみついている事」
姫様はそう伝声管で船内に伝えると、僕に操船席に座るように促して来た、
「魔力炉を動かして、それから船首から水の中へ入れ」
「え、船って水の中に潜れるのですか」
「ほとんどの狩竜人船なら、な。出来ない船も有るかもしれないから全部とは言えないが」
そんな細かい事を気にするなんて、それでも水の中へ潜れると言うのは初耳だった、だけどわざわざ水の中へ潜る必要性を考えると、知らなくても当然かもしれない。
「では魔力炉を動かします」
「ほう、そこを触れば良いんだな」
「はい、これが出力を上げるレバーなのでこうして、船首を沈めるんでしたね」
「沈むと言う言葉は使うな、潜らせると言え」
「は、はい、すいませんでした」
怒っている訳では無いが姫様の言葉に全身から冷や汗が止まらない、確かに船が沈むと言うのは縁起が悪すぎる。
僕は隣の席の角度調節のダイアルを操作して船を前傾姿勢にするために少しだけ出力を上げると、船首
から大きな泡を出しながら水中に潜り始めた。
「ようし、そこで船を左右に振れ」
姫様の言葉に従い僕は船を左右に傾けた、ダバンダバンと大波が巻き起こり、そのたびに甲板の上が綺麗になって行くのが見えた、
「それぐらいで良い、どうだ、簡単に綺麗になっただろう。お前が一人で掃除していたら明日になっていたぞ」
豪快な洗浄方法に楽しくなっていたが、確かに僕が同じだけの事をしようと思ったらどれだけの労力が必要だったのか、僕は全く考えが及ばなかった。
姫様は綺麗になった甲板にバーベキュー用の大きなコンロを引っ張り出し、鼻歌交じりに炭を熾し始めた、
「あ、僕は肉を取ってきます」
炭熾しを邪魔する訳にはいかないので、僕はその場を離れて厨房へ向かった。