終わり始まり(3)
浴室を出たところで保管庫から服を取り出し、お互いいつもの装備に戻った。
湯上がりの気の抜けたような気持ちはなく、むしろいつでも来いという心持ちだ。
しかし現状は浴室から出ても誰かが迎えに来ることもない。黙ってここで待つというのも他の人が使えなくなるので、トゥーリアに請われて城の中を案内する事にした。
誰もいなかったが騎士団の訓練場や王族専用の小さな庭がこっそり覗けるポイント、騎士団の宿直所を経由して城の中へ戻り、厨房や商人達の出入り口を通っておそらくトゥーリアが案内されるだろう客間を通り、城の中央へとやってきた。
「兄様!」
「プル!」
王の間に続く道からプルが手を大きく振って向かってきた。
駆ける勢いそのままに俺へ飛び込んでくると、その身体を受け止めながら自分の身体を回転させながら勢いを殺し、プルの身体をそっと降ろした。
赤の国で会ってからそう長い時間は経ってないはずだが、少し背は伸びて髪も手入れを欠かさずに行い伸ばしているようだ。抱きしめた時に首筋からほんのりと香ったのは、この国の夏にのみ採れる白く小さな花弁の花を使った香水だろう。
「……少し、雰囲気が変わったな」
「そうですか?」
同い年とはいえ、俺よりかは社交的な装いに見えるプルの姿に、俺は大人びたものを感じる。
身に付けているのも白を基調としたひらひらとした服で、夏場であれば着心地はいいかもしれないが、夏以外はどうするんだと思う。
「なんというか、淑女になった」
「兄様にはこの巫女服は見せてませんでしたからね」
綺麗なカーテシーをしてみせると、くるりと回って全身を見せてくれた。化粧らしい化粧はないものの身体に香りづけしたり、身に纏う服が巫女らしく光を反射する素材が使われていて、人の目につきやすい衣装を望んで着ているのはやはり成長したと思わされる。
「そういうものか?」
「そういうものですよ」
そう言うと俺と繋がっていた手を話し、トゥーリアへと向き直って軽やかに一礼した。
「お待たせしました、トゥーリアさん」
「仲睦まじいねぇ」
口の端を上げながら、手で仰ぐような仕草で俺を見る。からかっているのはわかるが、妹の前で怒る気にはなれず、眉間に少し皺が寄っただけで抑えた。
「ところでプル」
「わかってます。私はその為に兄様を迎えに来たんです」
俺の手を取って前を歩き始めた。俺も自然と引かれるままに歩き出し、トゥーリアがその後ろを付いてくる。
向かう先は王の間ではなく、大広間の方へと向かっていた。てっきりルース様と国王様辺りに対面するだけだと思っていたのだが、どうやら関係者全員を集めているのかもしれない。
全員が全員知っているわけではないし、そこで報告と俺の希望を伝える事になると、少し尻尾がへなるのを感じた。
しかし、俺は俺の目的を叶える為にここまで来たんだ。歩きながら呼吸を整え、手に入れるまではまだ終わってないというその言葉を反芻し、胸の鼓動を落ち着かせる。
やがて大広間と通路を隔てる壁が現れる。普段は開け放たれていて使われていないやつだ。
「さて、祝賀を始めようか」
扉の向こうからでも威厳のある、そして幼い頃から馴染みのある声が響いてきた。
「……ルース様」
ゆっくりと深く息を吸って吐き出すと、壁が光の粒子となって消えていく。
全てが取り払われた向こう側の大広間は、玉座まで赤絨毯が敷かれていた。片方には少人数で囲めるテーブルがいくつもあり、その上には銀の器に盛られた数々の料理や酒が並んでいて、貴族らしい身なりの整った連中はそこで歓談していたようだが俺たちの登場で動きを止めて迎えている。もう片側は騎士団の連中が儀礼用の剣と鎧を身に付け、それぞれ思い思いに俺に帰宅を喜ぶサインを送っていた。
奥にいたサヌス様すら普段の格好ではなく、騎士団の者とは意匠が凝らされた鎧姿でルース様から二つ低い位置に立ち、孫に見せるような穏やかな笑みで俺を見つめている。
俺の手をそっと離して騎士団側へと歩いていくプルと、その様子を流し見した連中の小さなざわめきがサヌス様の柏手で静まると、ルース様は玉座の上で立ってその口を開いた。
「勇者よ、よく帰ってきた。我はまず貴殿の勇気と努力、そして見事に使命を果たして帰還せしめたその実力を褒めてつかわそう」
その言葉に周囲から大きな拍手が巻き起こり、喝采の声を浴びながらルース様は玉座を降りて一歩ずつ前へ歩いてゆき、そして俺の前で足を止めた。
「あ、あのルース様……?」
久しくこんな近くに寄られる事はなかったのと、これからどうするのか勝手が分からず、棒立ちになってしまう。
そんな俺の心情を見抜いているのか、その口元に小さな笑みが見えたかと思うと、ルース様の身体がぼんやりと光り出して体積を増していく。目に優しい光が落ち着いたそこには、俺の倍はある背丈の姿となって上から俺を見下ろしていた。
幼い頃に見た大きな姿は今見ても変わらず、どうされるのかと目を閉じて静かに待ち構えていたら、俺の身体がその大きな身体で包まれた。
「これくらいは許せ。口先だけの祝福では物足りんのでな」
そっと抱きしめた手で俺の頭をこっそりと撫でてくれている。
そう気づいた俺の目から、自然と涙が溢れた。
撫でている手がとんとんと俺の頭を叩く。もうそろそろ離れるという合図だろう。急いで目元の雫を拭い去ると、ルース様は俺から離れて騎士団側へとその身を寄せた。
「さあ、まずは皆と杯を交わしてこい! 今日の主役はお前なのだからな!」
俺は赤絨毯を一歩踏み出すと、改めて妹がグラスを持って俺の側に寄り、一つを手渡してきた。
「軽いものですから、兄様でも大丈夫ですよ」
「ありがとう」
受け取った視線の先、サヌス様が顎で俺を差す。挨拶しろという事だろう。
戸惑いながらも、俺はグラスを持って絨毯の真ん中に立った。
「何を言ったらいいのか俺もまだわからないが、まずは無事に帰ってきたことを祝して――乾杯」
大広間にいる貴族達が全員グラスを、騎士団側は剣を掲げて共に歓声を上げた。
雨霰と降る声の中を再び妹に手を引かれ、貴族側へと連れて行かれた。貴族流の挨拶など知らないが、失礼のないような作法で立ち回るくらいは出来る。
「よく帰ってきたな、ラストー」
「王様、ありがとうございます」
差し出されたグラスに僭越ながらグラスを重ね合わせて返した。
「次代の王も生まれたのなら、わしもそろそろ引退か」
穏やかな顔でそう話す王様に、俺は首を振って返した。
この国では王は世代踏襲ではなく、ルース様が決める。その選出方法に関してはよくは知らないし、王になる興味もない俺にはどうでも良かった。
実際、この会場に王子は来ているのだ。誰もが見惚れる美形だと言われる王子が、朗らかな笑顔で貴族と会話していた。王族として服装だって貴族の物と見劣りしない、それでいで目立ちすぎないよう色合いはおとなしめに、装飾は簡素なものにしている。
そんな俺の視線に気付いたのか、片手でこちらに手を振って気遣っている姿は、王族としての振る舞いは十分に出来ていると思う。
「オブセスは、まあ、なあ……」
俺の視線に気づいたか、王様もその視線を追った。
二人の視線が交差すると王様はすぐさま視線を外し、俺の肩に手を乗せて引き寄せた。
「まあ、息子とも上手くやってくれ。お前なら出来るだろう」
そう言うなり俺を優しく抱きしめた。
王様の事情はわからないが、俺がこの国を離れたとしても仲良くやってほしいという事なのか。
「出来るだけ、ご希望に添えたいと思い、ます」
そう返すと、王様は満足したのか離してくれた。
「さあ、今日は忙しいぞ」
どこか寂しげな王様にまごついている間に身体の向きを変えられ、そのまま他の元へと押し出された。
再び名の知らぬ貴族相手に挨拶する事になったが、それでもちらりと王様の様子を窺えば、先程までの雰囲気はどこにも見当たらず、精力的に貴族に声をかけて話しまわっていた。
気にはなりつつもしばらくは歓談と会食で振り回されながら、これまでにはなかった穏やかな時間が流れる。
トゥーリアは一緒には動けないからか、貴族側の卓の片隅で一人、酒を飲んでいるのがちらりと見えた。
その和やかな雰囲気を破ったのは、またサヌス様の柏手によるものだった。
「そろそろ報奨の話といこうか、ラストー」
視線を集めた中、ルース様は俺を見据えて手で玉座へと招く。
「お前は、何を望む?」




