決断(4)
「……そんなわけ、あるか」
自然と、俺の手がキツく握り締められた。
「俺は妹を助けたい。妹と世界を巡りたい。妹と死ぬまで過ごしたい。
そう思ってここまでやってきたんだぞ! それをここで止めてどうする!?」
自然と語気が強くなっていた。気づけば鼻息も荒く、喉から唸り声まで上がっている。
しかしトゥーリアは、そんな俺を静かな目で見返すだけだ。
「諦める気は、無い?」
俺から目を離さず、手元の酒にも口をつけず、いっそ怖いくらいに静穏な表情で佇んでいた。
「……何を、言っている……?」
「妹を諦めれば、アンタは自由だって言ってるのさ」
それはその通りだ。だが――
「諦められるわけないだろう!?」
どうして理解してくれないのかわからない俺は、胸から込み上げる妹への想いを喉から送り出した。
「生まれてずっと一緒の妹なんだぞ! どう言われようとも妹は俺の全てだ! 守るべき存在なんだ!
それを捨てて生きるというのは死んでいるのと変わらない!」
そう言い切った俺は、はぁはぁと息が荒くなっていた。
つい最近、俺の心臓はないと分かったのに、それならどうしてこんなに胸が痛く、激しく高鳴っているのか。
そんな俺とトゥーリアに対して、我関せずを貫く気なのか皿に頭を乗せて口を近づけ、舌を伸ばしてちょこちょこと摘んでいた。
長く続くのかと思われた静動ある睨み合いは、いつの間にか酒を飲み干したニグレオスが爪できんきんと――一般的には行儀の悪い行為ではあるのだが――催促してきて、やれやれと言った空気を醸し出しながらトゥーリアが酒を注いで折れた。
ついでに自分の分を口に流し込み、喉を鳴らして飲み込み、ふぅと一息ついたところで俺に向き直った。
「……悪かったね」
「……わかってくれれば、いい」
ようやく落ち着いた俺は、椅子に座り直して水を一口口に含む。きんと冷えた水に身震いし、今更ながら術式で中に氷を入れている事に気付かされた。
「お主らよ。どうあれ今のままでは白の国へ戻れまい」
ニグレオスのあまりに現実的な意見に、俺とトゥーリアは静かに頷いた。
「現状の位置からすると、向かうなら青の国、か?」
「そうさね。ただ、城に立ち寄る必要がないんなら、海底を探索してフェミナ様に直接会いに行く、って方法もあるさね。けど――」
トゥーリアの言いたい事はわかっている。
「――問題は外装骨格か」
もちろん、術式を駆使すれば海底洞窟まで生身で行けない事もないのだが、海底に魔物が出ないとも限らない。海というのは俺たち人間には適さない領域であり、生身で戦う事となったら圧倒的に不利だ。
「生身のまま術式保護をかけて潜っても良いけど、やっぱり《エクステリオッサ》に乗ってる方が安全度は高いさねえ」
当然、海の国で育ったトゥーリアも同じ意見だ。
「今すぐ作れぬのか?」
「アンタと対決するとき作った《エクステリオッサ》だって、最優先で作ったって四週近くはかかってるさね。しかもアンタのはそっち用の術式なんて何も組み込んでないし。だいたいアレは、個人用にカスタムされた専用品なんだ。内部に組み込みたい術式だって乗り手によって違うさね」
その通りだ。
彫印士はトゥーリアが代理で出来たとしても、《エクステリオッサ》の原型を作る整形士は専門職だ。そして装備品も乗り手に合わせて作らなければならないので、専門職ではないにしろ作れる職人は限られる。
「ふむ。金属さえあれば良いというわけでもないのだな」
小首を傾げながら爪で机をかりかりと弄りつつ、ふと思い出したように俺の方を見た。
「ならまずはラストー。お主、ちょっとこの娘と戦ってこい」
随分と唐突な話に、思わず俺はトゥーリアの顔を見た。
しかし向こうはそうくると思っていたのか、やれやれと肩をすくめただけだ。
「……なんでそうなる?」
訝しげに尋ねる俺に対し、ニグレオスは明らかに眉間に皺を寄せて俺を見る。
「お主、自分の力を失っているのに気づいてはおらんじゃろ」
「なんだと?」
「あれだけの無茶をした後遺症で、お主の身体からはルースの因子はほとんど失っておる。そして妹との繋がりも残っていないとなれば、これまで通りには戦えまい?」
そう言われ、俺は目を閉じて術式を使うために目を閉じる。
使い慣れた加速を脳内で誦じ、口にしようと意識を身体に浸透させる。
「……………………」
術式は正常に発動した。
しかし、いつもとは違うまるで手応えのない速度で、これでは使おうが使うまいが大差はないという範囲だ。
これでは戦闘どころか、探索から何から出来ないだろう。
「今のお主は、儂が融合したことで黒の術式ならば使える」
黒――融合の術式としか知られていない、俺たちからすれば未知の術式。
武器も無くし。
《エクステリオッサ》も無くし。
白の術式を使ったこれまでの戦い方も無くし。
俺は全てを無くした事を、今更ながらに思い知らされた。
「切り替えろラストー。妹を救いたいなら、儂の手を取れ」
ふんぞりかえって胸を張り、その手を俺に向けて差し出すニグレオス。
妹を取り戻したいなら、その手を取るしかない。
たとえ、ニグレオス側に俺の知らない思惑がまだあったとしても、俺が俺として戦うためには、それしかない。
「わかった」
小さすぎるその手――しかし存在としては俺などより遥かに大きい存在のそれ――を摘み、手を交わした。
まだ終われない。終わらせたくない。
俺の旅が、再び始まろうとしていた。