第6話 神官
「エルダ様…」
ローアが呆然とした様子で声を絞り出す。まさか、こんなに早く帰ってくるとは。シェイルを見られてしまった。こんなとんでもないミスまで招いてしまった。ローアは唇を噛んだ。
エルダは微笑んだままローアから視線を外した。
「この惨状の説明でしたね。そうですね…。どこから話したものでしょうか。ああ、まずはこの聖堂を直してしまいましょう」
エルダはそう言って聖堂の壊れた個所に向かって腕を二、三度振ると、地面に落ちていた瓦礫がひとりでに元の位置に戻っていった。「ああ、それとローア」と言ってエルダは塞がっていく穴の下、隠し部屋にいるローアを振り返った。
「彼は…私の部屋にでも連れて行ってベッドに寝かせておきなさい。それと…その剣には決して触れないように。そのままにしておきなさい」
「!? それは、どういう―――」
「頼んだわね」
エルダはローアの質問を遮って微笑み、穴は閉じた。ローアは足元に転がっている剣を見て怪訝そうに眉をひそめた。
***
シェイルが目を覚ますと、ローアがしゅんとした顔でリンゴを向いていた。
「…その顔、どうしたんだ? 虫歯でも痛むのか?」
シェイルが軽口を叩くとローアはハッと顔を上げて反射的ににらまれたが、すぐに目をそらされてしまった。
…何かしただろうか?
ああ、聖堂をぶっ壊したんだった…。素直に謝ろう。
「えーと、聖堂を壊して、ゴメンナサイ…」
「…何で片言なの?」
「わざとやったわけじゃないから、デスネ…」
「…あなたのミスじゃないわ。あれは私のミスよ。あなたに危険な魔導書があるって言い忘れた私が悪いの」
「危険な魔導書? どんな? 灰が無限に出てくる本ならあったけど…」
「そんなの全然危険でも何でもないわ。ヤバいのは、そうね、火を噴くやつとか本の中の世界に吸い込まれる本があるのは知ってるわ」
ローアは向き終わったリンゴの皿を手渡してきた。リンゴのウサギをかじる。やや酸っぱかった。
「火は確かにヤバそうだけど、本の中の世界に吸い込まれるのって危険なのか? なんだか楽しそうに聞こえるけど…」
「危険な動植物で満ちあふれた立体的に入り組んだ森の中に着の身着のままの状態で放り込まれて、サバイバルを強制されるんだけど…。楽しそうに聞こえる?」
「それは楽しくなさそうだな。もう少しイージーな冒険がいい」
「そうでしょう? だから…、その、ごめんなさい」
「…まあでも剣を引き抜いて振ったからああなったわけだし…。本のせいじゃないよ」
ちょっと苦しいかな。ローアは基本的にはシャッキリしていたから調子が狂うので、なんとか元気づけてあげたいけれど、いい励ましの言葉が浮かばない…。
「でも、本を読むなって言ってたら読まなかったでしょう?」
「それは…」
「そうでしょう? 私のせいよ」
「聖堂は魔法で直せないのか?」
「ああ…。あなたは気絶していたっけ。エルダ様が帰ってきたのよ。神官の。その時に聖堂も直したの。魔法で」
「えっ、すご…。でも、じゃあ、いいんじゃないか? 俺も怪我とか無かったんだろ?」
「でも…」
「もし何か負い目を感じてるなら、…そうだなあ。次の食事のときは肉が食べたいな」
「肉?」
「あ。ここ教会だっけ? 肉を食べるのはまずいの?」
「いえ、大丈夫よ。別に問題ないわ。エリス教はそういう戒律は無いもの」
「そう。じゃあ、肉が食べたい」
「わかったわ。…一番いいお肉を買っておくわね」
「いや、普通のでいいよ」
「…いい加減、遠慮しないでほしいのだけれど?」
「わかったよ」
「…ま、元気そうでよかったわ」
ローアはようやく笑って立ち上がり、部屋の外に出ていこうとした。しかし扉を開けると、そこには黒い服の女性が立っていた。
「あ、エルダ様…」
ローアと同じようなデザインのローブを着ている。ただ、色が違う。ローアの服は白地に青い線が走っているのだが、エルダのローブは黒地に白い線が走っている。やや目じりが下がっていて、口元に微かに笑みを浮かべている。シェイルは「図書室にいたやや年配の司書の先生がこんな感じだったっけ」と思った。
…この人がローアが言っていた神官のエルダか。
「エルダ様、彼らにはなんと説明したのですか?」
「説明はしていません」
エルダがすっ、と部屋に一歩入ってきた。ローアは逆に一歩後ろに下がる。
「それはどういう…?」
「彼らの記憶を書き換えておきました」
エルダは平然とそう言った。その様にシェイルはかなり衝撃を受けた。そもそもそんな魔法が存在していて、使える人間がいるのか、という驚きもあったが、何よりも平然と「他人の記憶を書き換えた」と言える目の前の女性に驚いた。
「えっ、で、でもそれでも…、その、麓の村の人の中にも見た人がいるはずです。その人たちには―――」
「同じことです。後で村に行って見た人間の記憶を消しておきます。最悪の場合、全員の記憶を消すことになるでしょう」
「…」
ローアは絶句した。エルダは全てを無かったことにするつもりなのだ。確かにそれなら全て丸く収まる。収まるが…。
「ローア、心情的に拒絶したくなる気持ちは理解できますが、あんなに危険な物を我々が隠していたことは秘密にしなければなりません。村と教会の間に禍根を残さずに解決する方法はこれだけです」
「で、ですが…」
「…わかりますね?」
「……。…はい。理解できます。ただ、恐ろしいのです」
「生きていくというのはそういうことだと私は理解しています。経験したことの無い世界に足を踏み入れる。それだけのことです」
エルダは口元に笑みを浮かべたまま、そう言い切った。
「この件についてはもういいでしょうか? 私の方こそ知りたいのですよ。彼は誰ですか?」
エルダはじっとローアの目を見て尋ねた。穏やかな目だった。
「か、彼は…一昨日、隠し部屋に突然出現しました。本人は記憶が無いと言っていることから、おそらくは放浪者ではないかと」
「確かめたのですか?」
「確かめるすべが…ありませんでした」
「相変わらず嘘が下手ね」
エルダはローアの返答をフッと鼻で笑うと、シェイルに向かって手をかざした。
「汝、真実の言葉を述べよ」
その言葉を聞いた途端、シェイルは強く首を締め付けられたように感じた。
「あなたの名前は?」
「シェイル・ホールーア」
自分の声が意図せずに口から出るのを聞いた。
「鍾乳洞の主…。面白い名前ね、ローア。地下牢に閉じ込めていたのかしら?」
「はい、エルダ様…」
「…さて、シェイル。あなたはどうやって聖堂の地下室に侵入したのかしら?」
「覚えていない」
「あなたには記憶が無いのかしら?」
「ある。ただし、自分の名前は憶えていない」
「名前以外の前世の記憶はある、ということかしら?」
「そうだ」
「そう。…放浪者の伝承通りね。後は何を聞こうかしら…?」
「あ、あの! エルダ様…」
ローアはシェイルが次々と質問に答えている様が恐ろしくて思わず割り込んだ。
「なにかしら、ローア?」
「その、エルダ様はあの剣のことを…ご存じだったんですよね?」
エルダはローアの質問を聞いて、驚いたように口をわずかに開き、手をそっと口元にやってくすくすと笑った。
「ローア、あなたずっとそれを聞きたかったの?」
「わ、笑わないでください! エルダ様!」
「ふふふ、ごめんなさい」
それでもエルダはくすくすと笑うのを止められずにしばらく笑っていた。
「ふふふ…。ふぅ。さて、そうね、あの剣のことは知っていたわ」
「いつから…?」
「最初から。あなたが来るずっと前から」
「で、ですが私にはあの部屋には危険な魔導書しか無いと…」
「そりゃあ、教えないわよ。あんな危ないものがあるなんて。私が聞いたのだって、先代から神官の座を継いだ時だもの」
「どうしてあんな剣が…」
「ちょっと待ってね。彼の魔法を解いてあげないと…。苦しそうだもの」
「あ…」
ローアはずっと魔法をかけられたままで、喉を締め付けられたようになっていたシェイルを「すっかり忘れてた」と言わんばかりの目で見た。
「ずいぶんと楽しそうだったじゃないか…!」
「ごめん、すっかり忘れていたわ」
「さっき、あんなにしおらしかったのに! 全然反省してないじゃん!」
「反省はしてるわよ。ただ忘れていただけじゃない。誰にでもミスはあるわ」
「自分で言っちゃダメだろ、そのセリフは!」
「まあまあ、二人とも落ち着いてちょうだい」
エルダが軽く手を叩くとシェイルもローアも口をつぐんだ。シェイルは「アンタが言うな」と言わんばかりの目でエルダを見たが怖かったので何も言えなかった。その代わりに質問を投げた。
「あの剣はなんだったんですか? なんかすごいのが出たんですけど」
「あの剣は魔剣だと聞いているわ。魔力を吸いつくす剣。あの時、あなたは剣に魔力を吸わせ、それを斬撃に込めてはなったのよ」
「魔力…?」
「えーとね、魔力は魔法の源になるエネルギーよ。自然の中にも人間の中にも巡っていて、魔法使いはそのエネルギーを利用して魔法を使うの」
「ありがとう、ローア。…わかってもらえたかしら?」
「うーん、わかったような…」
「エルダ様、剣はどうするのですか? 元あった場所に戻した方が…。今のままだと床に置きっぱなしですし…」
「いえ、剣はあのままで構いません。封印を解いた以上元には戻せませんから…。ところで、剣はどこにあったのかしら?」
「本です。本の中にありました。絵の中に隠されてて…」
「どんな絵?」
「えーと…精霊とかユニコーンが湖で遊んでる絵があったと思うんだけど、その挿絵の中に」
「…ああ、あれが…。そうだったの…」
「エルダ様?」
「…何かしら?」
「なんだか、お顔がすぐれないようですが…?」
「ええ、まあ、十年以上探していたものをこうもあっさりと見つけられてはね…。正直ショックだわ」
「…ええと、なんかスミマセン…」
「いいのよ…。それにしても危なかったわね」
「え? 何がですか?」
「あの本は隠し部屋の本の中でもけっこう危ないものだったのよ。本当に運がいいのね」
「え…。危ないって、何が起こるかもしれなかったんですか?」
「他のお話の中には、頭がパーになる呪いとかがかけられていたページもあったのよ」
「え?」
「本当に幸運だったわね」
「は、はは…。どうも…」
「それとも実はもうパーになっていたりするのかしらね?」
エルダはにっこりと笑ってそう言った。




