第32話 孤独
『悪いが君を行かせるわけにはいかないな』
聞いたことのない声とその言葉に背筋がゾッとする。
振り向くが誰もいない。
ミルとアルタがいるだけだ。
二人とも少し距離があるし、そもそも声が違う。
奇妙な声だった。
耳元で囁かれているような低い声。
他者に対する興味の失せた声。
ミルとアルタはキョトンとした顔で俺のことを見ている。
彼らには聞こえなかったのだ。
早く来なさいと俺を呼んでいるローアの声がする。
皆にも聞こえなかったのか。
俺だけだ。
俺だけに聞こえたんだ。
……幻聴だったのか?
『君はもう蜘蛛の巣にかかった獲物だ。観念することだな』
その言葉が聞こえた矢先、巡礼者の森を何かが動いているのが見えた。
影だ。
黒い影が走って来る。
あらゆるものが音もなく黒い影に飲み込まれていく。
石碑が。木々が。街道が。
影に落ちていく。
とっさに恐怖で声が出なかった。
この世界に来てから何度目だろうか?
ダメだダメだ、ダメだ! 叫べ! 叫べ!! 叫べ!!!
全力で叫べ!
皆に危険を知らせるんだ!!
ここで声が出ないくらいなら、そんな喉は潰れちまえ!!!
「~ッ! 影だ! 影が来てる!」
俺は指をさして叫んだ。
でも遅かった。
ミルとアルタが振り向いた瞬間、影は俺達の足元にとどいた。
フッと地面の感触が消えた。
影の中に落ちた。
身体と共に意識も闇の中へ落ちていった。
***
気づけば地面の上に一人で倒れていた。
起き上がって周囲を見渡す。
誰もいない。
暗い森の中に一人きりだった。
背の高い木々が生えている。
地面は柔らかい。
虫の鳴く声がしない。
静かすぎる。
昼間だったはずなのに夜になっていた。
夜ではあるが、月明かりのせいか遠くまではっきりと見える。
ここは巡礼者の森なのだろうか?
わからない。
影の中に落ちたらここにいた。
考えるだけ無駄かもしれないが……ここがどこなのか、可能性を挙げてみよう。
①巡礼者の森。転移の魔法か何かで飛ばされた。
②全然関係ない場所。どっか遠くの森に転移の魔法で飛ばされた。
③未知の世界。影の中に構築された空間的な場所。ダンジョン的な。
……わからないことが多すぎて可能性が全然しぼれてないな。
ルイーズに魔王は自分の世界を作ってその中に引きこもっているとか、聞いた気がするけど……。
やることは①でも②でも③でも一緒だな。
皆を探して森から出よう。
皆はどこにいるんだろうか……。
目の前にいたミルとアルタが影の中に一緒に落ちるのは見たけど、後ろにいたローアたちがどうなったのかは見えなかった。
まあ、俺が無事なんだから他の皆も無事だろう。
……そう信じるしかない。
とにかく移動しよう。
じっとしていても仕方ない。
一歩目を踏み出す時、やたらとドキドキした。
理由を考えてみたら簡単にわかった。
今までずっと誰かに進む道を決めてもらっていたからだ。
自分で決めて歩くことがこんなに勇気のいることだったとは……。
登山して遭難したときなんかはできるだけ動かない方がいいって聞いたことあるけど、今はそれには当てはまらないはずだ。
それは捜索隊が来てくれる、自分の位置が追える手がかりも残っている場合だけだろう。
そもそも捜索隊が来るかどうかわからないし、手がかりは皆無だ。
影に落ちたらここにいたんだから。
敵や魔物がいるかもしれない。
可能な限り足音を殺して歩き始めた。
***
二十分ほど歩いただろうか。
当然だけど一向に出口は見えない。
ついでに言えば真っすぐ進めているのかどうかも怪しい。
漫画とかでは「同じところをぐるぐる回ってたみたいだ……」なーんて展開がよくあったけど、そうなっているかもしれない。
一応、木に剣で傷をつけながら進んでいるけど、どれくらい役に立つかはわからない。
少し、お腹空いたな……。
水は魔法でいくらでも出せるけど、食料は一切ない。
たしか、この森は三日で横断できるんだったっけ。
それくらいなら運が良ければ出られそうだ。
でも迂回すると二週間近くかかるらしいから、方向が間違っていたら森の中で野垂れ死にだな……。
そんなことを考えながらふと横を見た。
特に何か予感があったわけじゃない。物音を聞いたとかそういうのではない。
まあもしかしたら無意識に何かを感じ取ったのかもしれないが……。
そこには熊がいた。
距離はある。三十メートルくらいか。
こちらに背を向けて地面を掘っているようだ。
もぞもぞと動いていたので見ればすぐにわかった。
ギョッとしてとっさに身を伏せて藪の影に隠れた。
隠れてしまった。
足音を立ててしまっただろうか。
何の音もしない。
息を殺してじっと待った。
……進んでも大丈夫だろうか?
藪の枝の間から様子をうかがう。
首だけをこちらに回している。
最悪だ。
……と思っていたらこちらに向かって歩き始めた。
最悪だ!
足取りはゆっくりだが、こちらに向かってきている。
どうしよう。
……どうしよう?
走って逃げるのはダメだろう。
熊は走ると人間より速いって聞いたことがある。きっとこの世界でも同じだろう。
死んだふりか?
ダメだ。迷信だって聞いた。
……ちくしょう。正しい対処方法も調べておけばよかった!
いやいや、落ち着け。落ち着け。
何事も落ち着きが肝心だ。
ドットが言っていた。こういう場合はまず落ち着くことが大事だって。
二回、静かに深呼吸しよう。
それから考えよう。まずは落ち着こう。
……。
……。
無理だ。目の前にクマがいて落ち着けるか。
でもまあ、とりあえず今の精神状態でどうにかするしかないということはわかった。
さて、どうしよう。
もう一度確認すると、熊は少し足を止めていた。
しかし臭いをかいでいる様子だ。また近づいてくるかもしれない。
もたもたしているうちに十五メートルの所まで来てしまった。
……アドルモルタで斬るか?
聖堂を壊したりトリビューラを攻撃したときのアレを出せば確実に倒せるだろう。
でも……まだ敵対していない相手を一方的に攻撃するのはどうだろうか?
(トリビューラは悪意がある奴だったからノーカン!)
あと、山火事になるかもしれないし。
追い払うか、俺がここから立ち去れればそれでいい。
できるだろうか?
……水の球を魔法で作って向こうへそれを飛ばすのはどうだろうか?
興味を持ってどっか行ってくれるかもしれない。
まあ、出どころであるこっちに突っ込んでくるかもしれないけど……。
その時は仕方ない。アドルモルタの一閃で吹き飛ばそう。
両手を上にして大小さまざまな水の球を作り出す。
直径十~五十センチメートル程度の水の球を大体十個くらい用意した。
コントロールを左手で行い、右手はアドルモルタの柄にかけた。
念のためだ。突っ込まれたら抜いてそのまま攻撃するくらいでないと間に合わないだろうし……。
水の球を上昇させる。
藪の上に。
ゆっくりと。
熊は水の球に気づいた様子だ。
驚いて足を止めた。
いいぞ。ここまではいい。
問題はこの後だ。
水の球を熊に向けて進めた。
ゆっくりと。
あくまでもゆっくりと。
刺激しないように。
熊は足を止めている。
どっか行ってくれ。水の球と一緒にどこかへ……。
その願いもむなしく、熊は水の球をただ見送った。
後ろを振り返って水の球を見つめている。
気は取られているが、追いかけはしなかった。
しょうがない……。
なら、次だ。
左手を地面につけた。
遠くで水の球が落ちる。
熊は少しビクッとしたが、再びこちらに近づき始めた。
熊の目の前に土の壁を出現させた。
高さは二メートル、幅は十メートルくらい。
実は土魔法は火の次に得意だ。
まだ土を操って壁を作ったり穴を掘ったりすることしかできないが、速さと大きさには自信があった。
精度と強度には問題があるけど……。
剣を抜いて構える。
壁の幅は十メートル。決して長くない。
どちらかから出てくるかもしれない。
出てきても新しい壁を作ればいいだろう。
少しずつ後ろに下がった。
もう足音もへったくれもない。
バレているのだから静かにする必要は無い。
多分走って逃げたりさえしなければ―――。
熊と目が合った。
壁の上から俺を見下ろしている。
要するに立ち上がると壁の倍くらいの高さになった。
……そんなにデカかったのか、お前。
熊―――いや、ここからはグリズリーと呼ぼう。
グリズリーはグオオオと叫びながら土の壁をぶち壊して突進してきた。
ヤバいヤバいヤバい!!!
アドルモルタで攻撃しないと!!
慌てて振り上げ、剣に魔力を思い切り込める。
剣に青い炎が灯り、周囲が少し明るくなった。
グリズリーは驚いてわずかに勢いを殺したように見える。
しかし、足は止めていない。以前、突っ込んでくる。
剣を思い切り振り下ろした。
ドットに言われて付けた技の名前を叫ぶ。
「蒼炎閃!!」
森を青い炎が一直線に切り開いていく。
しかし、肝心のグリズリーには当たらなかった。
剣を振り下ろした瞬間、信じられないほど軽い身のこなしで左側に飛びのいた。
グリズリーは左半身を軽く炎に焼かれながらも突っ込んできた。
嘘だろ!?
避けるのかよ!
今度はこっちが避けなきゃ、死ぬ!
剣が重い。持ったままでは動けない。
剣を手放して、右前方へ飛んだ。
さっきまでいた場所にグリズリーが突進してくるのを感じた。
受け身を取って前転し、振り返る。
ちょうどこちらを振り返ったグリズリーと目が合った。
瞳が赤い。明らかに殺意がこもっている。
魔物なのだ。
ローアによれば、魔物というのは魔力を過剰に取り込んでしまった動物がなるものらしい。
賢い種族の場合、魔法を使う個体もいるとのこと。
総じて身体が大きく、獰猛。
そして赤い瞳を持つ。
魔力を多く含む物を好んで食べる。
……まあ、つまりは人間だ。
魔物にとって人間は格好のエサなのだ。
特に俺は魔力量が多いらしいからそれはもう美味しく見えるのだろう。
……なんて考えている場合じゃない。
本当に考える暇もなく、グリズリーが近づいてくる。
さっきよりも少し遅いが、近づいてくる。
巨体をうねるように揺らしながら。
動きが読めない。反撃のタイミングがつかめない。
「うわああぁっ!!」
無我夢中だった。
とっさに右手を前に出して、魔力をムリヤリひねり出す。
一瞬で直径1メートルほどの赤い火の玉が膨れ上がり、
次の瞬間、爆ぜた。
後ろに吹っ飛びながら顔面を炎が舐めたのを感じた。
めちゃくちゃ熱い!
けど、まだ生きてる!
グリズリーは?
向こうもまだ生きていた。
ただ、俺よりもモロに食らってくれたらしい。
頭を抱えてうなっている。
ここだ!
もう一度火の玉を作った。今度は数秒かけて。
コントロールできる早さで。サイズで。
普段よりもやや大きめのサイズまで膨らませたところで、
一気に圧縮し、投げつける。
ドット監修。お墨付きまでもらった必殺技だ。
名前も付けてある。
「爆発球!!!」
火球がグリズリーの眉間にヒットして爆発した。
今度はちゃんと直撃したし、全身が燃えている。
ドットにもローアにも「名前が安直過ぎる」とダメ出しを食らったが、ルイーズは「いいじゃないか!」と言っていた。どうやら彼女とはセンスが近いらしい。
俺も脳筋ということだろうか。
少し嫌だ。
「……どうだ……?」
グリズリーはメラメラと燃えている。
妙に静かだ。
もう死んでいるのか?
直撃したときに死んだのだろうか……?
嫌な臭いが辺りに立ち込めている。
グリズリーが顔を上げた。
まだ生きている。
やれやれもう一発か……。
などと考えている余裕はもうなかった。
グリズリーはまた動きの読めない突進をしてきたのだ。
顔が焼けたときはうずくまったのに!
死に物狂いで突っ込んできた、ということだろうか。
それはよくない。俺まで道連れになってしまう。
油断していた。
さっきよりも距離が近い。
とっさに火の玉を出すような時間は―――
「雷の槍!!」
遠くで誰かが叫ぶ声が聞こえた。
それと同時に目の前を閃光が走ったかと思うと、空気がぐわっと揺れた。
耳をつんざくような轟音。
気づいたときには目の前の地面は真横に一直線を描いてえぐれていた。
グリズリーもいない。
なんだか身体がビリビリする。
「おーい、大丈夫ですかー?」
遠くからミルとアルタが駆け寄ってくるのが見えた。




