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勇者・隷属・アドルモルタ  作者: 甲斐柄ほたて
第1章 放浪者・魔剣・巫女
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第3話 焦り

 ローアは厨房まで戻って水を汲んで、ばしゃばしゃと顔を洗って頭を冷やした。深く息を吸い込んで呼吸を整える。


 どうして失敗したのか、既に彼女にはおおよその見当がついていた。おそらくは名前がまだ本人になじんでいないのだ。ほんのついさっき付けた名前では隷属させるほどの繋がりが作れないのだ。


 ローアは顔からぽたぽたと垂れる水を見つめた。

 …しばらくの間、シェイルをこのまま牢屋に入れておこう。名前がなじんだら魔法をかけて、隷属させる。そうしたら牢から出そう。問題は…。


「エルダ様が帰ってくるのがいつなのか、わからないってところね…」


 エルダは外出すると大体一週間か二週間は帰ってこない。出かけたのが一週間前だ。四日後には祝祭も控えている。普通は余裕を持って帰ってくるだろうが、あの人のことだ。ギリギリまで帰ってこないかもしれない。というか、その方が私にも都合がいいし。


 それまでにシェイルに名前をなじませる。エルダ様が帰ってくるまでに魔法をかけないと。帰ってきた後では当然、そんなことはできなくなるだろう。そもそも、エルダ様にシェイルのことが知れたらどうなるのだろうか…。あまり良い想像ができない。おそらく、エリス教の本部のある聖都に送られることになるだろう。その後は…きっと権力闘争の道具にされてしまうのだろう。きっとエルダ様は聖都やもっと重要な教会に栄転することになる。


 …そんなことはさせない。彼を利用するのは私だ。エルダ様に先を越されてたまるか。こんな場所、私は早く抜け出したいのだ。



 ***



 ローアが牢屋から出て行った後、シェイルはしばらくの間、ローアが作った岩の壁にもたれかかっていたが、もう彼女が戻らないのだとわかると横になった。


 どうしたのだろうか。魔法が効かなかったようだが、そんなに気に障ったのだろうか…。…ひょっとして、俺のせいなのだろうか。アニメとか漫画とかだと、転生者は魔法が効かないとかよくあったような気がするけれど。


 俺のせいなのだとしたら、謝りたいな。あんなにお世話になったんだから…。

 明日になったら、謝ってお礼を言わないと。さっきは言えなかったから…。


 横になってしばらくすると、シェイルは眠りに落ちた。



 ***



 翌日。祝祭まで残り三日。


 ローアは鶏の鳴く声で目が覚めた。あくび交じりに階段を下りて顔を洗う。教会の裏口を出た。今日も霧が濃い。教会の壁伝いに鶏小屋に向かう。教会では四羽飼っていた。

 ローアは手早くエサ皿を交換して、卵を取った。今日は四羽とも卵を産んでいた。ここのところ産んでいないのがいたから少し心配していたが大丈夫そうだ。


 ローアは卵を鞄に入れると、坂を下って村に下りて行った。


 教会は切り立った崖の上に立っていた。この辺りには巨大な谷がある。谷ははるか彼方の北東から南西に走っていて、教会はその谷の内側に面している。上は崖、下は谷底だ。もしも足元をよく見ずにふらふらと歩けば谷底に落ちてしまうだろう。


 教会からは村に向かって下り坂が伸びている。教会は谷の内側にあるが、村は谷の外側にあり、外界に繋がっている。教会と村は巨大な谷に対してほぼ垂直に走った裂け目、そこにかかる吊り橋によって道がつながっていた。


 霧で視界は悪かったが、20分ほど歩くと村に着いた。最初は怖くて2時間くらいかかったものだが、もう慣れたものだ。

 いつもお世話になっている農家の扉を控えめにノックする。


「ああ、おはよう。ローアちゃん。いつも時間通りね」

「おはようございます。テレサさん」

「ミルクね。はい、どうぞ。搾りたてだよ」

「ありがとうございます」


 ローアはテレサから受け取ったミルク瓶の代わりに銅貨をいくつか渡した。


「祝祭ももうすぐだね。準備の方は忙しいのかい?」

「ええ。でもエルダ様に振り回されるのはいつものことですから」

「ははは。何か困ったことがあったらいつでもいいな」

「はい。ありがとうございます」

「うん。じゃあ、また明日ね」

「はい、それでは」


 ローアは扉を閉めるとミルク瓶を鞄に詰めて持って元来た道を戻っていった。


 教会に戻ると、厨房に入り食事を作り始めた。といっても作るのは目玉焼きだけだ。今日は卵が四個だから…二個食べちゃおうかな…。ああ、いや、シェイルがいるんだったな。一人一個か、と計算して作り始めた。

 卵を焼き始めたタイミングでベルを鳴らした。来客用とは別のものだ。その音を聞いてブブとボボが使用人用の部屋から起きてくる。二人は寝起きが悪いので卵が焼きあがる頃に丁度来る。

 卵の焼ける音を聞きながらテーブルに人数分の皿を用意し、ミルクを注ぐ。用意し終わったところで、二人がやってきた。


「おはよう。ブブ、ボボ」

「おはよう」「おはよう」


 二人は挨拶を終えて席に着く。彼らの目の前の皿にローアは目玉焼きを順に入れた。

 ローアも席に着き、エリス神への祈りの言葉を捧げ始めた


「エリス様、今日のお恵みに感謝します。…さあ、頂きましょう」


 三人が食事を終えると、ローアはまた卵を焼き始めた。シェイルの分だ。


「ブブ、今日は入口の見張りをお願いね。誰か来たら教えてちょうだい。ボボは、この後地下牢に行くからシェイルを起こしてきてちょうだい」

「わかった」「わかった」


 ボボは厨房を出て、シェイルのいる地下牢へと向かった。廊下の扉を開け、のしのしと地下牢への階段を下りていく。明かりが消えていたので、ランプに火をつけて持って行った。シェイルのいる牢の窓から中の様子を伺うと、まだシェイルは寝ていた。


 ボボは扉をガンガンと叩いた。


「おきろ」

「…」

「おい」

「…ん、んん…」


 シェイルはもぞもぞと動き、眠そうに眼をこすりながらボボの方を振り返った。


「あ、おはようございます…」

「ああ」


 ボボはそれだけ言うと帰っていった。シェイルはあっけに取られて、今のはなんだったのかと考えたが、見当もつかなかった。

 訳が分からないまま、もう一度寝ようかと横になろうとしたタイミングで、また足音が聞こえてきた。明かりもやってくる。

 鍵ががちゃりと外れる音がし、ギィと音を立てて扉が開いた。


 ニコニコと微笑んでいるローアが食事を持って立っていた。後ろにはランプを持って立っているボボがいた。


「おはよう、シェイル。食事を持って来たわ。食べられる?」



 ***



 昨日の食事と睡眠で体力が少し戻ったのか、今日はローアの手を借りることなく食事をすることができた。しかし、ローアと目を合わせようとしなかった。


「どうかしたのかしら。もしかして口に合わなかった?」

「あ、い、いや…。すごく美味しい」

「そう? でもなんだか元気が無いようだけれど?」

「ええと、昨日はごめん!」

「? …あ、もしかして」


 昨日、ローアが魔法に失敗したのを自分のせいだと思っているのだと、彼女はようやく理解し、くすくすと笑った。


「昨日、私が失敗してすぐに出て行っちゃったから、私が怒っていると思ったの?」

「ええと、その…はい…」

「まあ、確かに不機嫌にはなったけど、あれはあなたのせいじゃないわ。だからあなたには怒ってない。これは本当よ?」

「そ、そうなんですね」

「というか、むしろ謝るべきなのは何も言わずにどっか行っちゃった私よね。…ごめんなさい」

「あ!いや、いいよ!大丈夫!」

「ええと…。魔法が効かなかったのは、多分あなたに名前がなじんでなかったからだと思うわ。焦りすぎてたのね」

「えっと…、名前がなじむ…?」

「ん?ああ、わかりにくかったかしら。あなた、まだ『シェイル』って呼ばれても自分のことだってすぐにはわからないんじゃない?」

「そ、そんなことは…」


 ない、と言いかけてシェイルは口ごもった。その様子を見てローアは苦笑する。


「別に気を使わなくてもいいわよ」

「そうだな…。まだ、あまり呼ばれ慣れていない、というのはある、かな。そう…自分のことじゃないって感じはする」

「だから、できるだけあなたの名前を呼ぶようにするわ。それで早く魔法をかけられるようにするわね」

「なるほど。あ、それと…」

「ん?」

「昨日はありがとう。ご飯、おいしかった」

「昨日?」

「あ!いや、今日も美味しかったけど、昨日は食べさせてまでもらったのにお礼もできてなかったから。今日もありがとう。美味しかった」


 シェイルはそう言ってにっこりと笑った。ローアはその笑顔を見て、自分の頬がわずかに引きつるのを感じた。


「そう…。大丈夫よ、私は巫女だから。困っている人を助けるのは当然なの。本当は早くあなたをここから出してあげたいのだけれど、正体がわからないうちは出せないの。…本当にごめんなさい」


 ローアはそう言って頭を下げた。シェイルはいきなり頭を下げたローアに仰天し、しばらく経っても頭を上げない彼女の様子に手足をばたつかせた。


「いや!ええと、大丈夫! 確かにここで寝るのはつらいけど…。でも大丈夫! 多分、俺頑丈だし、仕方ないから! ね! 頭を上げて!」

「…ありがとう、…シェイル。…じゃあ、私は仕事があるから戻るわね」

「ええと…、頑張って」

「あはは、ありがとう…」


 ローアは扉を閉めようとして、牢の並ぶ廊下が妙に片付いていることに気づいた。一か月くらい前はもっと汚かったはずだ。ホコリっぽくて…そう、ほんの数日前に掃除したのだ。どうして掃除したんだっけ? シェイルを閉じ込めるために? いや、シェイルを入れる時にはもうすでに綺麗だった気がする。どうして…。


「あ…」


 思い出した。そう言えばエルダが出かける前にここを掃除するように言ったのだった。なんでも、ここを祝祭の準備に使うとか。そう、お酒をここに置くとかなんとか…。



「ま、まずい…」

「? どうかした?」

「どうしよう、どうすれば…」

「…ローアさん?」


 シェイルが心配そうにローアに声をかけるが、彼女の耳にはまるで届いていないようだ。扉を半分閉じた状態で固まっている。


 ローアはなおも考えている。お酒をここに置くということ、それはつまり、村人がここに入るっていうことか? 


「あのー…、ローアさん?」

「まずい、まずいわ…!」

「ひぃ…」


 ローアが振り返った。シェイルは彼女の目が血走っていることに気づいて、小さな悲鳴を上げた。


 その時、ボボが階段の上から降りてきた。いつの間にか上の階に行っていたらしい。


「ローア様、誰か、来る」

「ちくしょう!」


 ローアはおよそ上品からは程遠い言葉を叫ぶと、座ったままのシェイルの手を取った。


「立って! 出るわよ!」

「え? え? で、出るって、ど、どこに?」

「外よ! 牢屋を出るの!」


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