第26話 稽古
空がうっすらと白み始めた頃にドットは目を覚ました。あくびを噛み殺しながら、頭を抱え、「迎え酒、迎え酒……」と呟きながら酒瓶を取り出して少し口に含んだ。そんなドットに物陰から声が飛ぶ。
「……もう飲むのか?」
「おう、俺は一日中飲むぜ」
ドットはにやっと笑うと、少しだけ飛んだり跳ねたり、伸びをしたりして身体をほぐした後、寝ているシェイルの頬を叩いた。
「おい、朝だぞ。起きろー……」
「……」
「ええい、全く、面倒な……。起きろ!」
「うわっ」
肩を激しく揺さぶりながら耳元で叫ぶとシェイルは目を覚ました。眠そうに目をこすっている。
「おはよう……。寒っ……、どうしたの、こんな朝早くに?」
「『どうしたの?』じゃねえよ。お前、昨日弟子になるって言ったろうが。立て」
「い、言ったけど……。あ、おはようございます、ルイーズさん」
「ああ、おはよう」
シェイルは目をぱちくりしながら、言われるがままに立ち、ルイーズに気づいて挨拶した。
「何をするの?」
「修行だよ、修業。強くなりてえんだろう?」
「何もこんな朝早くからやらなくても……」
シェイルがあくび交じりにぼやく。ルイーズはそれを見てこっそり笑い、ドットはぴしゃりと言った。
「お前は今旅してるんだろうが。だったらまともに稽古できる時間はそんなに無えんだよ」
「はーい……。何をするの?」
「素振りだ」
「えっ?」
「素振りだよ」
「素振り……」
シェイルはかなりガッカリした。シェイル的にはファンタジー感、ゼロの響きだった。まあ、仕方ないかどこの世界でも剣術は素振りからなのだろう。ファンタジー感は諦めよう。
「……なんだよ、その目は。いいから行くぞ」
「はーい……。木刀とかどっかにあるの?」
「何、寝ぼけたことを言ってるんだ? 剣なら持ってるだろうが」
「へ?」
「アドルモルタを振れよ」
「え……? な、何回……?」
「ローアたちが起きてメシを作ってくれるまでだな」
「え、いや、こ、これ……!」
「うん?」
「めっっっっちゃ、めっっっっっっちゃくちゃ重いんですよ!?」
「ああ、そうだな。かなり長いし、肉も厚いからな。それで?」
「手! 手がイカレますよ! 大体、昨日振り回しちゃったからすでにまあまあ痛いし!」
「そうか。だったら……」
ドットはボサボサのあごひげに手をやり、考えを巡らせているように目を閉じた。髭を三回ほど丁寧になでた後、目を開いてこう言った。
「これ以上ケガをしないように、気を付けて、振れ」
「ちくしょう!」
シェイルは観念してアドルモルタを抜いて素振りを始めた。こんな重い剣の素振りなんて初めてなので正しい振り方がよくわからない。とにかく振り上げて振り下ろそう……。数回振って、頭の血管がちぎれ飛びそうになった。振り上げた瞬間に後ろに倒れそうになる。腰が折れる!
十回と振らずにシェイルはぜえぜえと息を切らしてへたりこんだ。それを見てドットは苦笑いしている。シェイルの目の前で、石の上に腰掛けた。
「ちょっ、タイム……。タイム……」
「……先が思いやられるな」
「無理でしょ……。こんなの……」
「そうでもない。確かにその剣は重いだろうが、お前の振り方がまずいのもある」
「えっ。じゃあ、どう振ればいいの?」
「……そんなものは自分で考えろ」
「教えてくれるんじゃないの!?」
「甘ったれんじゃねえ」
ドットは真顔になって言う。
「いいか、よく覚えておけ。
俺はお前にあれこれ、手取り足取り教えたりはしない。
俺がお前に教えるのは強くなるための道なんだ。歩き方じゃない。
それをよく覚えておけ」
「……?」
シェイルにはドットが何を言っているのか、よくわからなかった。
……というよりも……なんだか胡散臭い自己啓発本にでも乗っていそうな言葉だと思ってしまった。
きょとん、としているシェイルの顔を見てドットがフッと力を抜いて笑う。
「まあ、わからんだろうな。転べ。悩め。自分の頭で考える癖をつけろ。お前のケツは俺が叩いてやる。……さあ、わかったら剣を振れ!」
***
ローアは小鳥のさえずる声で目を覚ました。起き上がり、伸びをして、立ち上がる。魔法で水の球を作って顔を洗って、しっかりと目を覚ました。ローアが起きたのを見てルイーズが声をかける。
「おはよう、ローア」
「おはようございます、ルイーズさん。見張り、お疲れ様です。今からお湯を沸かしますね。少し寝ますか?」
「いや、いい。昨日はあの男がいたから少し眠れたからな」
「わかりました。よし、朝ごはん作るぞ~ふぁあ……」
伸びとあくびを同時にしたローアをルイーズがクスクスと笑う。ローアは少し恥ずかしそうに頬を赤くすると支度を始めた。
まず、馬に水とエサをやった。エサはいくつか買っておいたポニルの実だ。迷子になったシェイルを探すときについでに買っておいたものだ。
鍋を引っ張って水を入れる。昨日の薪の残りをかき集めて火をつけ、鍋をかけた。朝食はパンとフィコだ。
ふと、シェイルとドットが寝ている方に目をやると、二人はいなかった。
「えっ?」
ローアは少しぎょっとした。また迷子にでもなったのではないかと不安な気持ちがよぎる。が、ローアの様子を見てルイーズが言った。
「シェイルならドットが連れて言ったぞ。多分、稽古でもつけているんだろう」
……そう言えば弟子入りしたから、何かしているのかもしれないわね。
……。
「……気になるなら見に行ってくるといい」
「そんなこと、無いです」
「鍋なら私が見ているぞ?」
「いや、大丈夫です」
「……そうか」
「……」
「……」
「あの……。やっぱり、見て来てもいいですか?」
「ああ」
ローアが少し悔しそうに口をへの字にして言ったので、ルイーズは少し笑ってしまった。ルイーズがローアの後ろを指さして言う。
「向こうの方へ歩いて行ったぞ」
「……わかりました」
ローアが木々の合間を縫ってシェイル達の声がした方へ向かうと、
えあっ、ブンッ、ザクッ。
えあっ、ブンッ、ザクッ。
徐々に奇怪な物音が聞こえるようになってきた。嗚咽と掛け声の中間のような声と、風切り音、そして土を耕すような音が聞こえてきた。進むにつれて段々と何をしているのかもわかるようになってきた。
素振りだ。おそらく素振りをしている。
シェイルがぜえぜえと息を切らしながらアドルモルタを振り上げ、全身で振り下ろし、地面にアドルモルタをめり込ませている。そしてまた振り上げる……。それを延々と繰り返している。ドットは傍で切り株の上に座って退屈そうにあくびを噛み殺している。
「……それは、素振り?」
ローアが木々の中から姿を現して声を掛けると、シェイルはアドルモルタを取り落とした。ローアがそれに驚いているうちにシェイルはフラフラと近づいてきてローアの肩をつかんだ。
「なっ、なによ―――」
「ごはん!? ご飯できたの!?」
「えっ!? まっ、まだよ!」
ローアがそう返事をすると、シェイルは「そんなっ……!」と言って膝から崩れ落ちた。ローアが訳も分からないまま、呆然としているシェイルを見下ろしていると、ドットが近づいてきた。ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら。
「くっくっくっ……。コイツにはメシができるまでずっと素振りだって言ってあったんだよ。どうも心が折れちまったようだな」
「どれくらいやってたんですか?」
「……一時間くらいかな?」
ローアはシェイルを見た。息は荒く目の焦点は合っていない。
「……ドットさん、指導方法を考え直した方がいいんじゃないですか? シェイル、そのうち死んじゃいますよ?」
「問題ない。対策は考えてある」
「え……? 対策って何ですか? こうなってからできることってあるんですか?」
「ああ、おそらくはとっくに手首の関節が悲鳴を上げているはずだ。慣れないことを長時間やっていたんだからな」
「そりゃ、そうですね……」
「だから、嬢ちゃん。お前が……、いやまあ、ルイーズでもいいんだが……、こいつに治癒魔法をかけてやれ」
「ちょっと待ってください」
ローアはドットの提案に真剣な表情で顔をしかめた。
「ドットさん、いくらなんでもやりすぎですよ」
「何がだ?」
「治癒魔法を前提として身体を壊すまで稽古するなんてやり過ぎです! 身体が治っても心がもちませんよ!」
「お前はコイツの母親か。大丈夫だよ。これくらいでコイツは折れない。最後の方はともかく、前半はそれなりに楽しんでいたようだからな」
「……そうなの?」
「……楽しい、と思った瞬間もあったけど……。でも、しんどい! めっちゃくちゃしんどい!」
「………………。ドットさん」
「なんだ?」
「大丈夫そうですね」
「だろ?」
「ローアさん……? しんどいんですけど……」
「はいはい。じゃ、治癒魔法かけるわよ。手首だけでいい?」
「手の皮も治してください……。マメが潰れて痛い……」
「はいはい」
ローアが「彼の者の傷を、摩耗を癒せ」と唱えてシェイルのケガを治癒する。シェイルは手のひらと手首をくすぐられているように感じた。
「ハイ、おしまい。じゃ、がんばって」
「はい……。ありがと……」
「サンキュー、嬢ちゃん。美味い飯、期待してるぜー」
ローアはルイーズの所に戻ると、カバンの中身を漁り始めた。
「どうした? もうすぐ湯が沸きそうだぞ?」
「目玉焼きとベーコンも追加しようと思いまして……」
「そうか。わかった。……何か手伝うか?」
「いえ、大丈夫です」
「ふむ。なら、私は少し眠る。出来たら起こしてくれ」
「わかりました」
「……」
ローアが目を向けるともうすでにルイーズは横になって目を閉じ、静かに寝息を立て始めていた。ルイーズはいつも横になってから寝るまで本当が早い。ローアは静かに朝食の準備を続けた。
***
朝食後、シェイル達はイルアという次の町まで馬に乗って進んだ。ローアは昨日と同じようにルイーズの馬に乗った。ただし、今日はあまり速度を出さずに進んでいる。
ドットは馬に乗りながら、今日は酒を飲んでいた。時々口に含んでは「ぶはーっ」と酔った息を吐いている。
「おい……、落ちるなよ……?」
「だーいじょうぶだって! 俺、馬に乗るときは基本的にいつも飲んでんだからよう!」
「昨日は飲んでなかっただろ」
「昨日はほら、シェイルを乗せてたからな。今日は乗せてないからいいだろ。シェイルには悪いが、昨日と今朝と、ずーっと酒飲んでなかったから、限界でなあ」
「飲んだくれめ……」
「飲んだくれでーす。はっはっはっ!」
「……」
ルイーズはついに黙って前を向いた。後ろに乗っているローアに「何か……あの酔っ払いを忘れられるような楽しい話は無いか?」と聞いている。ローアは丸々十秒ほど黙った後で「無いですね」と答えた。
ルイーズ、ローア、ドットの三人が馬に乗ってパッカパッカと進んでいる、その遙か後ろの方にシェイルはいた。
日は高く登っていて暖かい。いい天気だ。そんな陽気な森の中をシェイルはまたもやぜえぜえと息も絶え絶えになっていた。要するに一人だけ走らされているのだ。
馬の速度を抑えていたのは、もうアニルスの町から十分離れたから、急ぐ必要がなくなったため、というよりもシェイルのスピードに合わせていると言った方が正しい。もっとも、それでもなおシェイルは遅れているのだが。
大体一時間ごとに馬を止めてシェイルを待ち、シェイルが追いついたら十分程度休憩。休憩が済めば嫌がるシェイルを置いて馬に乗り、のんびりと進んでいく。ルイーズはあくび交じりに。ローアは本を読みながら。ドットは酒を飲みながら。馬の脚は決して速くない。軽いジョギング程度の速度だ。
しかし、元々運動不足だったシェイルには何時間もずっとジョギングし続けることはできなかった。最初は馬よりも速く走って行くが、すぐにバテて、追い抜かれては遙か後方に置き去られていく。




