第2話 食事
牢に光が差す。少年は目覚めると同時に、自分が寝ていたことに気づいた。ローアが何かを持って目の前に立っていた。
「食事を持って来たわ。食べられる?」
「た、食べる! 食べられる!」
元気よく返事をしたものの、上手く起き上がれなかった。手が滑って、頬を床に打ってしまう。もう一度体を起こそうとしたとき、ローアが近づいてきて手伝ってくれた。おかげで身体を起こすことはできたが、今度は背中から後ろに倒れそうになった。またローアに支えられた。
「仕方ないわね…。岩よ、せり上がり壁となれ」
ローアはため息交じりに、呪文のようなものを唱えた。すると地面が震えるような感覚があった。ローアがゆっくりと俺の背中を後ろにもたれさせる。壁があった。さっきまでは無かったはずの壁が。
意味が分からない。まるで魔法だ。
手品か何かだろうか?
ローアは何でもない顔で俺の正面にしゃがみこんだ。不思議なことなんて何も起こっていないかのような顔だ。男たちは入口のあたりでじっと立っている。微動だにしない。
ローアがパンを手に取って差し出した。
「パンよ。手は動く?」
右手で受け取ろうとしたが、パンを落としてしまった。手が震えてまともにうごかない。
「…口を開けて」
ローアはパンを一口大につまんでちぎると、乱暴に俺の口に突っ込んだ。ただでさえ、水分が足りていない口の中からさらに水分がなくなり、のどに詰まりそうだ。
「ああ、水がいるのね」
俺が苦しんでいるのがわかったのか、ローアは水の入ったコップを俺の口に傾けた。水が口の中に広がり、パンが崩れていく。ついでに俺の服もびしょびしょになった。口から水がぼたぼた垂れたのだ。
「…後で服を替えましょう。次はスープね」
ローアはスープを木製のスプーンでくるくるとかき混ぜ、すくって、息を吹きかけて温度を下げてくれた。しかし、スプーンをいきなり口に突っ込まれた。まだ少し熱くて、舌をやけどしそうだった。
熱さに苦しみながらもスープをどうにか食べていると、ローアは匙でスープの具をつぶしていた。俺の噛む力が弱っているのを見てつぶしてくれていたのだと思う。
ローアは俺が食べ終わるまで食事の世話をしてくれた。少々乱暴だったけれど涙が出るほど嬉しかった。
***
食事を終えるとローアは少年の服を持ってきた。彼女の着ているのと同じような白と青のローブだ。彼女は着替え終わった彼の格好を見て「やっぱり小さかったわね」と言った。
隷属魔法を成功させるうえで重要なことは三つある。
対象の意思、魔法の媒体、そして対象の名前だ。
いずれも必須ではない。実力のある魔法使いなら、一つも満たしていなくても強力な隷属魔法を相手にかけることができる。しかし、ローアはこの魔法を覚えたての中級者だ。意思は望めないだろうが、せめて名前はクリアしたい…。
「ありがとう、ごちそうさま」
「美味しかった?」
「うん、美味しかった」
「そう。食べたいものがあったら言ってくれていいわよ。…あ、そうだ」
「何?」
「名前、無いと不便でしょ? つけてあげましょうか、名前を」
「いや、もしかしたらそのうち記憶が戻るかもしれないから…。まだいいかな」
「そ、そう…。あ! でも、名無しだと呼びにくいから…」
「…そうか。それなら、しょうがないか。じゃあ、お言葉に甘えてお願いしようかな」
「わかったわ」
ローアはにっこりと微笑んだ。しかし…少年はその笑顔がどうにも嘘くさく感じた。が、「こんなに良くしてくれている人になんて失礼なことを」と疑うのをやめた。
「名前、名前…。そうね。それじゃあ、『シェイル・ホールーア』なんてどうかしら?」
「いいんじゃないかな。何か意味はあるの?」
「古スマリラ語で鍾乳洞の主、って意味よ」
「鍾乳洞?」
「ここのことよ」
「ああ、そうだったのか…」
ローアは口元をゆがめて笑い、床をポンポンと叩いた。床を撫でてみるとやけにでこぼこしているし、壁や天井の影をよく見れば鍾乳洞っぽかった。
「いいでしょ?」
「なるほどね。ピッタリだ」
「ね?」
「ところで、僕はどうしてこんなところに閉じ込められているんだ?」
「話してなかったかしら?」
「まだ話してもらってないね。残念ながら」
「そうね…」
ローアは顎に手をやって考え込んだ。彼を牢屋に閉じ込めているのは隠し部屋の中で彼が倒れていたからだ。盗人かもしれないという疑っているからだ。彼に隠し部屋のことを話すべきだろうか? …まあ話してもいいか。
「この場所はね、教会なの。エリス神に祈りをささげる神聖な場所なのよ。中には私ですら易々とは入ることを許されない部屋もあるわ。あなたはその中で倒れていたの。だから正体がわかるまではここにいてもらうわ」
「あ…、そうなのか…。それは申し訳ない…」
「わかってもらえたかしら」
「ああ。それなら仕方ないな。ここに閉じ込められるのも仕方ない。でも信じて欲しいんだが、本当に知らないんだ。何も覚えていなくて…」
ローアは少年の―――シェイルの様子を見ていてなんだかモヤモヤした気分になった。まるで自分は今どんな顔をしているのか無性に気になった。…おかしな気分だ。
「…安心して。私もあなたのことを信じたいと思っているわ。私は、あなたが放浪者と呼ばれる存在かもしれないと思っています」
「…放浪者?」
「放浪者って言うのは…。あ、いや、待ってちょうだい。先にあなたの話を聞かせて欲しいわ」
「俺の話? 起きた時にはここにいたっていうことくらいしか無いけど…」
「ここに来る前の話よ。ただの雑談だと思ってもらっていいわ」
「ふうん…? それじゃあ…」
シェイルは腑に落ちない、という顔をしながらも自分の話を始めた。
「俺は普通の高校生だよ。昨日も朝起きて学校行って、授業受けて、友達と話して、弁当食べて、家に帰って、ご飯食べてテレビ見て、風呂入って、宿題してゲームして寝たんだ…。大体毎日そんな感じ。これでいいか?」
「…いいわ。放浪者の話に戻るわね。放浪者というのは、別の世界から来た人たちのことよ」
「…アニメの話? 転生物とか、そういうやつ?」
「アニメってのがなんなのか知らないけど、違うわ。多分」
「別の世界? えっ? なんっ…、えっ?」
「多分、あなたは放浪者だと思うわ。私も見たことは無いのだけれど、あなたのように突然現れるそうだから」
「そ、そうなのか…。あ! もしかしてこの世界って魔法が使える世界なんですか?」
ローアの眉が微かに動いた。
「…ええ。魔法はこの世界ではそれなりに一般的な技術よ。そうね、正確にはわからないけれど十人に一人くらいは多少なら使えるんじゃないかしら」
「へえ…! じゃ、じゃあ、さっきのこの壁って魔法で作ったんですか!?」
「そうよ」
「うおお…! すごい! ローアさんは魔法が使えるんですね!」
「そ、そうよ」
「すごいです! やっぱり物凄い訓練が必要なんですか!?」
「もちろん。でもまあ、私の場合は―――」
その時、来客を告げるベルの音が鳴った。やや鼻高々になっていたローアの肩がびくっと反応し、ほとんど飛び上がりかけた。一瞬入口の方を振り返り、早口でシェイルに告げる。
「ごめんなさい。誰か来たみたい。行くわ」
「えっ、あっ…」
「ブブ! ボボ! 来なさい!」
「おお」「ああ」
シェイルの返事を待たずにローアは牢屋から出て、ガチャンと乱暴に扉を閉めた。
***
教会の入り口でベルを鳴らしたのはレコル村の村長だった。ベルの置かれた机のそばで立っていた。レコル村は教会から一番近い村だ。
ローアは小走りで村長の元に駆け寄る。ブブとボボは地下牢への扉の前で待たせた。
「お待たせして申し訳ありません、村長。どうかなさいましたか」
「四日後の祝祭の件でお訪ねしたのだが…、巫女殿、神官殿はまだ戻られていないのか?」
「ええ、神官様はまだ私用で外出中です」
「やはり連絡は…」
「取れません」
「ううむ」
村長は立派に蓄えたあごひげを神経質そうに撫でていたが、妙案は浮かばなかったようで浮かない顔で手を後ろに回した。
「ではまたあらためて伺うとしよう」
「申し訳ありません」
「構わない。そなたの落ち度ではないのだから」
「ありがとうございます」
「ところで…」
帰りかけて背中を向けていた村長が横目でじろりとにらんできた。ローアはすぅっと背筋が寒くなるのを感じた。
「あの扉の向こうの部屋には何があったかのう…? わしの記憶では地下牢くらいしかなかったかと思うのじゃが…?」
ローアは生唾を飲み込みたい衝動に駆られたが必死で抑えた。
「実はお恥ずかしい話ですが、ネズミが出まして…」
「なんと!」
「ブブとボボと共に処理していたのです…」
ローアは唇を真一文字に結び、顔を伏せて見せた。
「巫女として本当に恥ずかしいです…」
「いやいや、ネズミはどこの家にも出る。ここはいつ見てもきれいに掃除されておる。大方、どこぞの家に巣を持つネズミが迷い込んできたのであろう」
「ネズミが吊り橋を渡ると?」
「あー…、まあ、気を落とすでない。そなたはようやっておる」
「勿体ないお言葉です」
「…ではな、エリス様のご加護を」
「エリス様のご加護を」
ローアが教会の扉を開けると村長は去っていった。カツカツと杖の音が響く。扉を閉めた後、ローアは再び唇を真一文字に結んだ。今度は演技ではない。
もう村長に怪しまれてしまった。
***
ローアは急ぎ足で地下牢に戻った。今度はブブだけを連れてきた。また来客があったときに二人とも入り口近くにいないのはあまりにも不自然過ぎる。シェイルはなんというか、人畜無害そう(というかどちらかというと間抜けそう)な顔をしている。大丈夫だろう。…まあ、もしも悪人だったなら人相なんてあてにならないが…。
ローアが戻ると、シェイルの表情はぱっと明るくなった。まだ土壁にもたれかかった姿勢のままでいる。ローアは牢のカギを開けて中に入った。
「お客さんは大丈夫だった?」
「ええ、大丈夫よ」
ローアは少々乱暴に返事をした。今からこの人の良さそうな少年に隷属魔法をかけるつもりなのだ。罪悪感が頭をもたげて来ていた。
しかし、彼女は迷いを振り切るように頭を振ってシェイルの前に立った。シェイルはなんだかローアの表情を怖いな、と感じた。
「…ローア?」
「今からあなたに魔法をかけるわ。大丈夫。怪我をさせるようなものじゃないから」
「ど、どういう魔法なんですか?」
「説明はできない。でも心配ないわ。あなたが本当に放浪者なのかどうかを確認するためのものだから」
嘘ではなかった。成功すれば放浪者かどうかは聞けばすぐにわかるのだから。
ローアはシェイルには詠唱の内容が悟られないように古スマリラ語で詠唱を始めた。
「汝、我が傀儡となれ、シェイル・ホールーア」
シェイルは、ローアの手から紫色の光を放つ煙が出て自分の方に向かうのを見た。その煙は彼の首にまとわりつき、しばらく漂っていた。なんとなく、嫌な気配を感じてローアの表情を見ると、眉間に思い切りしわを寄せていた。真剣な表情で、脂汗が額ににじんでいる。シェイルは思わず口をつぐんだ。
ローアの格闘は三十秒ほど続いたが、唐突に終わった。煙が霧散したのだ。
「ああっ…!」
ローアは悲痛な叫びとも嗚咽ともとれるような声を出すと膝から崩れ落ちた。シェイルは手を差し出して支えようとしたが全く間に合わなかった。体力は全く回復していない。自分自身が床に突っ伏してしまい、その体勢を戻すので精いっぱいだった。その頃にはローアは自力で立ち上がっていた。
荒い息を整えながら、ローアは絞り出すように言った。
「…ごめんなさい。失敗、したわ」
ローアは歯を食いしばって牢屋を出て行った。
扉にガチャンと鍵をかける音が大きく響いた。




