第18話 氷解
「なんとかなるって…どうやって…」
「ローア、隷属魔法をかけて俺に戦うように命令してくれ。それで戦えるだろ」
「…。それは…そうだけど…」
ローアは口ごもった。その代わりのようにルイーズが口を開く。
「ボボ、お前は戦えるんだな?」
「戦う」
「死ぬかもしれん。わかっているか?」
「わかっている、戦う」
「なら、私とボボで時間を稼ごう。いいな、二人とも」
「はい」
「…はい」
「頼んだ」
ルイーズはそう言うとエルダの方に歩いて行った。ボボも付いていく。
「ずいぶん親切だな。どうして待っていてくれたんだ?」
「……私は、半端者ですから」
「? どういう意味だ?」
「深い意味はありません。…では再開しましょうか」
エルダが剣を上段に構える。聖堂の温度がスゥッと下がっていく。ルイーズとボボが並んで前に出る。
「死ななきゃ怪我は私が治してやる! 突っ込め!」
「おおおおお!」
ボボが雄叫びを上げながらエルダに突進し、拳を振り回す。エルダはそんなボボから距離を取って腕を浅く斬りつけた。ボボは痛みにひるみつつも、再度エルダに殴りかかる。ルイーズがボボの腕に治癒魔法をかけ、エルダの回避先に火炎魔法を放つ。エルダはボボの攻撃をかわしつつ、魔法で障壁を展開する。そこにルイーズが斬りかかってくる。エルダは後退して対処する。
ルイーズとボボの連携はお世辞にも上手くいっているとは言えない。たどたどしいものだった。テンポが悪い。エルダに攻撃する隙すら与えている。
しかし、それは逆にエルダにとっても攻撃を予測しづらい、ということでもある。エルダにとって一番の脅威はいまだルイーズなのだ。彼女から不意の一撃をもらえば形勢が変わりかねない。
エルダは確実な隙を狙っていた。ルイーズかボボのどちらかを崩さなければならない。一方が倒れればもう片方を倒すのは簡単だ。普段ならともかく、毒で身体が自由に動かせないルイーズを相手にするのはそれほど難しいことではない。魔法にさえ気を使っていればいいのだから。
だが早くしなければローアがシェイルに隷属魔法をかけてしまう。そうなったらさすがに厳しい。ローアの火力はそれほどでもない。問題はシェイルだ。あの魔剣の攻撃は致命的だ。ルイーズとシェイルの攻撃に同時に注意を払わなければならなくなると、ボボとローアの攻撃に割く集中力が足りなくなるだろう。ジリ貧になって負ける。だが、焦ってはダメだ。焦らず、罠をいくつも仕掛けて相手のミスを誘おう…。
ボボの足元に水をまき、時間差で凍らせる。氷片をルイーズに飛ばす。ルイーズの射線をボボで遮る。足元の崩れかけの瓦礫を凍らせて隠す…。
最後の罠が実を結んだ。ボボは踏み込んだ足元が崩れてわずかにバランスを崩し、拳を空振りさせた。ボボの攻撃が失敗したのを見た時には、ルイーズは既に魔法を撃った後だった。エルダは二つの攻撃を見切り、動かなかった。
エルダの前に空を泳いでいる、隙だらけなボボの身体があった。
エルダはボボのわき腹に触れ、一呼吸分の集中力で氷の魔法を発動した。一瞬にしてボボは凍り付き、全身が霜が覆いつくされる。ボボの身体がゆっくりと床に倒れた。それを見守ることなく、ルイーズの方に振り返りながら、攻撃を確認せずに障壁を展開する。ボボを攻撃した隙にルイーズが攻撃を仕掛けているはずだと予想したからだ。
しかし、ルイーズの攻撃は確かに来たが、予想よりもずっと弱く、散発的なものだった。的が定まっていない。むしろエルダの周囲にばらまいていると言った方が正しい。
嫌な予感がしてローアたちの方に視線をやる。ローアはまだ作戦を立てていた場所に座っている。こちらを見ている。しかし、シェイルがいなかった。
気づいた瞬間、エルダはしゃがみ、上を見上げながら頭上に障壁を展開した。ルイーズの近くにも、ローアの近くにもいなかった。回り込むだけの時間も無かったはずだ。だったらもう、上しかない!
回避はできない。ルイーズの雨のような攻撃は激しさを増している。「避けるな」という牽制だったのだ。避ければ深手を負う。
視界にシェイルが入った。上から落下してきている。手には当然、アドルモルタを握っている。エルダは自分のミスを悟った。無意識にアドルモルタの一撃を怖れてとっさに障壁を展開して防御したことを。攻撃しなかったことを。
シェイルはアドルモルタに青い炎をまとわせながら落ちて来て、障壁ごとエルダを斬った。アドルモルタの刃はエルダの右肩から腹までを切り裂いた。
シェイルは地面に大きな音を立てて激突し、そのまま気絶した。エルダは激しくせき込み、血を吐いた。ルイーズは駆け寄って、シェイルが気絶しても握っているアドルモルタを蹴って遠ざけた。触れたのは一瞬だったがそれでも相当量の魔力を吸われ、危うく気絶しそうになる。しかし、ルイーズがすんでのところで踏みとどまった。ぜえぜえと荒く息を吐いている。ローアも駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!?」
「私は問題ない…。シェイルは…」
「…大丈夫です、生きてます」
ローアがシェイルに駆け寄って呼吸と脈を確かめた。
「怪我は?」
「えーっと…、多分大丈夫です」
「…本当か? まあ、今生きているなら大丈夫か。凍らされてからそれほど時間は経っていないから、ボボもすぐに手当すれば助かる。…私はまだ治療できない。魔力が戻ってない。息を整えるまでは代わりにお前がやるんだ」
「で、でも、どうすれば…」
「こういう場合は水だ。まず、表面の氷を溶かさなければならん。常温で構わないから氷が溶けるまでひたすら水をかけろ。熱い湯はダメだ」
「わかりました」
ローアがボボに魔法で水をかけると大量の白い霧が吹き出た。ローアは驚いたものの、構わずに水をかけ続けた。ルイーズはその様子を見届け、血まみれになったエルダに声をかけた。
「…さて、言い残したいことはあるか?」
エルダは壁に背をもたれさせていた。彼女は治癒魔法は使わなかった。彼女は何もせずに黙って死ぬのを待っていた。
「そう、ですね…。無念、です」
「復讐の話か?」
「ええ…。げほっ」
エルダはせき込み、血を吐き出した。神官服は血でべっとりと濡れている。
「…お前は誰の復讐をしようとしていたんだ?」
「そんなことを聞いてどうするんですか? あなたが代わりに果たしてくれるのですか?」
「さあな。もしかしたらその気になるかもしれないぞ」
「…娘と夫です」
「…お前、結婚していたのか」
「ええ…、あなたと会う前に。エリス教に入信する前に殺されました…」
「その犯人を殺そうとしたのか?」
「ええ…。自分でも散々追い…ましたが、見つかりませんでした…。諦めて心の平穏を…求めてエリス教に入ったのですが、つい最近…トリビューラ様の話を聞きました。ゲームに勝てば願いをかなえてくれるのだと…」
「それで村人の命を賭けてゲームをしたのか…」
ルイーズは嘆息しながら言った。
「身勝手もいいところだな」
「自分でもそう思います。フフフ…」
「ろくでもない奴だよ、お前は」
ルイーズはそう言い捨てると、エルダに背を向けてボボに水をかけているローアの方に歩いて行った。
ローアの肩にぽんと手を乗せて言う。
「ボボは…大丈夫そうだな。代わろう」
「もう大丈夫なんですか?」
「ああ、多少マシになった。ゆっくりなら治癒魔法をかけても平気だろう。…それより、エルダと話してくるといい。…もう、じきに死ぬ」
ルイーズはそう言うと、ローアの隣に座った。ローアはしばらくそのままじっとしていたが、やがて立ち上がり、うつむいて歩いてきた。
「…」
「ごめんなさいね」
「…何が…。何がですか?」
「お祭りが終わったら魔法を教えるって言ったの、あれは嘘でした。無理だってわかってて言ったの。少し、笑った顔が見たくなっちゃったから…。嘘をついて、ごめんね」
エルダはそう言って少し笑った。
ローアはうつむきながら、無言で思い切り顔をしかめた。
「それと、そうね…。色々と今まで迷惑をかけたわね。朝起きて下さいとか、仕事をさぼるなとか、フフ…、たくさん怒られたわね…」
「…嫌味ですか?」
「まさか」
ローアは顔をしかめたまま、顔を上げてエルダをにらみつけた。
エルダはおどけて心外そうに目を丸くして見せた。目が合って、ローアは再び目を伏せた。
「楽しかったわ。私はね。ただ…、あなたには迷惑をかけ通しだったから…。…だから…」
エルダは激しくせき込んで血を吐き出した。血をぬぐうことも無く眉を下げて微笑んだ。
「ごめんね、出来の、悪い、先生で…」
「…」
「それだけは、言っておきたくて…」
ローアが言い返そうと顔を上げた時にはエルダはもう既にこと切れていた。
ローアはその場にうずくまると呻くような声を上げて泣いた。
***
「…ーい、おーい、起きろー。…しぶといな」
「それくらいじゃ起きませんよ。もっと思いっきりやっても大丈夫です」
「お、そうか。じゃあ、遠慮なく」
バシン!
シェイルは頬を叩かれた衝撃で目を覚ました。鳩が豆鉄砲を食らったような顔で何が起こったのかを理解しようとした。目の前に呆れた目をしたルイーズとローアが立っている。シェイルはすぐに状況を理解した。ローアにたたき起こされるのはいつものことだからだ。まあ、今回はルイーズにたたき起こされたわけだが…。頬が痛い…。
「痛った…。おはよう…。どうなりました?」
「エルダは死んだ。我々は無事だ」
「そうですか…」
シェイルはエルダを探して辺りを見渡した。エルダの死体は聖堂の壁にもたれかかったままになっていた。シェイルは彼女の肩から腹にかけての傷を見て顔をしかめた。
「その…、苦しそうでしたか?」
「いや、痛みはあっただろうが、会話して笑って死ぬくらいの余裕はあったようだ」
ルイーズに言われてよく見るとエルダは口元に笑みを浮かべていた。シェイルはほんの少し気持ちが軽くなった。
しかし、トリビューラの声が聞こえて来て一気に気分が悪くなった。
「ようやくお目覚めか…、そろそろいいかね?」