第15話 百ノ駒
「ご、ごめんなさい…」
「…まあ、わざとじゃないなら、ゆる、ゆる…。~っ」
ローアは顔をしかめてめちゃくちゃ屈辱的なことを言わされているような表情になった。
「ロ、ローアさん…?」
「許さん…なくもないわ」
今、「許さん」って言いかけませんでしたか? ローアさん…。
「アタマ痛い…」
ローアは頭を抱えている。さきほど激しく動いていたが、彼女は数時間前に散々酒を飲んでつぶれている。(この場にいる誰も知らないが)エルダの魔法で眠らされる前から、ただただ純粋に酔いつぶれていたのだ。酔いも冷め切っていないうちに暴れて平気でいられるはずが無かった。
「うぅ…気持ち悪い…」
「水を飲みなよ…」
「…。そうするわ…」
ローアはまだ恨めしそうにシェイルをにらんだが、助言には素直に従った。ローアは詠唱無しで水を生成しようとして上手くいかなかったので、仕方なく詠唱して水魔法を使った。ルイーズがさきほど作っていたような小さな水の球を作り、手のひらに水をボトボト落として、溜めて、飲んだ。何度か繰り返すうちに少しずつ気分が楽になってきたようにローアは感じた。
「うぅ…。で、ええと…、ルイーズさん…でしたっけ? ずっと聖堂の隠し部屋にいたんですか?」
「そうだ」
「で、天井が崩れて、隠し部屋の魔剣が天井のその穴に吸い込まれて行って、穴が塞がって、嫌な感じがしたから、横に掘ってみたらここに出た…でしたっけ?」
「そうだ。一度聞いただけでよくわかったな」
「覚えはしましたけど、理解はしていません。穴が…何?どうなったんですか?」
「うむ。大体は伝わっている。細かいことはいいだろう!」
「え…? 大体? 全然わかんないんですけど…。え?」
「よし、では行こうじゃないか」
「えっ、ちょっ、嘘でしょ…! 話を聞いてくれない…?」
「行くぞ!」
***
「準備はいいかね?」
「はい」
「それでは始めようではないか」
トリビューラが指を鳴らすとテーブルの上に一冊の分厚い本、5つの盤、3つのカードの束が出現した。盤はいずれも縦横10マスである。5つの盤が左から森、砂漠、都市、平野、海を表しており、それぞれ緑、黄色、黒、白、青に色分けされている。
トリビューラの手元にはただの駒。エルダの手元には先ほどトリビューラが作った生きた駒があった。
エルダは駒を一つつまんだ。駒は木製でやや温かく、微かに動き、呻くような音を出していた。彼女は眉をひそめると駒を置いた。
「…お気に召さなかったようだね」
「いえ…。その…、はい。この駒は少々…」
「くっくっく…、不愉快そうで何より。そのように作ったのだからな」
トリビューラはカードの束を指さす。
ここで引いたカードによってこのゲーム「百ノ駒」のエルダの勝利条件が決まる。
「さあ、引くがいい。君の運命を」
エルダはカードを二つの束から1枚ずつ引いた。指が震えていた。
カードは「傲慢」と「騎士」だった。
つまり、「傲慢なる騎士」の勝利条件を満たせばトリビューラに勝つことができる。その内容は、確か「傲慢なる騎士を倒されずに、その盤にいる兵士系の敵の半数を倒す」だったか…。
「ルールブックを見てもよろしいですか?」
「構わない」
「ありがとうございます」
エルダがルールブックに手を伸ばしている間に彼もカードを二枚引き、そのままパサリと開いて置いた。
「ふむ。余は『無垢なる魔術師』だ。つまり…『無垢なる魔術師で敵を倒さず、かつ倒されずに、その盤で勝利する』だな。まあまあだな。良くもなく、悪くもない」
「勝利条件は全て開示するのでしたか?」
「いや、二枚開いて見せたのは余のハンデだ」
「お心遣い痛み入ります」
「よいよい」
トリビューラはエルダの礼にどうでもよさそうに手をひらひらさせて返事をした。
エルダはルールブックのページをめくり、勝利条件を確認した。「傲慢なる騎士」の勝利条件は「傲慢なる騎士を倒されずに、その盤にいる兵士系の敵の半数を倒す」だった。合っている。しかし…。
エルダは生唾を飲み込みたい衝動を必死で押し殺した。まだ難易度が計れない。駒はある程度自由に配置できる。まだわからない…。
エルダは二枚のカードの内どちらを開くか、一分近く悩んだ後、「傲慢」のカードをさらして見せた。
「ふむ、傲慢か…。場が荒れそうなカードを引いてきたな…。面白いゲームになりそうだ」
二人は交互に5つの盤上に駒を配置していった。駒は手前の3列であれば自由な位置に自由に配置してかまわない。
駒には10の属性と10の職業があり、全く同じ駒は一つとしてない。ゲームの名前の通りに百種の駒がある。
最初の駒の配置は極めて重要である。まずこの配置の時点で勝負は始まってこで大事なのは「相手に自分の勝負盤をなるべく長く知られないこと」だ。自然に駒を並べること。重要な駒を隠すこと。緊張するな、緊張するな…。
配置の先手はトリビューラだった。トリビューラはまず、無垢なる魔術師を中央の「都市の盤」に置いた。最初に勝負の要となる駒を配置した。試されている、とエルダは感じた。エルダがどのように反応するのか、それ自体を楽しんでいる。
エルダにとっては楽しむどころではない。復讐のために村人の命を賭けて勝負を挑んでいるのだ。勝たねばならない。絶対に。
エルダは序盤、それほど重要ではない駒を順当に並べて行った。相手に意図を読まれないように平均的に…。数もまばらになるようにした。トリビューラも似たような作戦を取っているようで、5つの盤にばらばらに駒を置いて行く。
違和感はあった。トリビューラは森と都市と海の盤に駒をほとんど置かなかったのだ。しかし、エルダは「後半になってから置くつもりなのだろう」とあまり考慮しなかった。それよりもいかに自分の「傲慢なる騎士」をバレずに置くかに心血を注いでいた。どの盤に置くかは決めていた。問題はいつ置くのかだ。相手の駒の流れに神経を集中させる…。
明確に異変に気付いたのは駒の半数を置き終わった後だった。トリビューラは森、都市、海の盤に駒を全く置かなくなった。まだ2、3個置いてあるだけだ。駒は全部で100あるから、5つの盤で平均すれば20だ。だから通常、10前後は置いているはずなのだ。逆に砂漠と平野の盤はほとんど埋まっている。もう20個以上置いている。ほとんど基本形は見えていると言っていい。
現時点での駒の数は
トリビューラが、
2、18、3、25、2。
エルダが、
7、15、10、12、6。
エルダはここまで極端な配置を行う相手とまともな勝負をしたことが無かった。確かに配置は自由だ。ルールは無い。しかし、ここまで極端にすると例えば砂漠と平野の盤はもう基本形が見えているように情報を出し過ぎてしまっている。この状態からなら有利な駒を多く配置することもできる。
どういうつもりなのか。何が狙いだ?
相手が見えない。捕らえられない。
エルダは手に持っていた「傲慢なる騎士」をぎゅっと握りしめた。
***
「これで配置は完了か。いよいよであるな」
「…」
「ん? 何か言いたげであるな?」
「あの…、閣下、これはどういうことなのでしょうか?」
「これ、とは?」
「森と海の駒の数が少ないようですが…」
「うむ」
「その…、これもハンデ…なのでしょうか?」
駒の配置が終わってもまだエルダはトリビューラの狙いが見えていなかった。
駒の数は
トリビューラが、
6、30、30、27、7。
エルダが、
13、30、30、12、15。
だった。
「ああ、失敬。正確に言うべきであったか」
「?」
「余がハンデを付けたのはカードを開いて見せたあの時だけだ。これでハンデは終わりと考えてよいぞ」
「ハンデ、じゃない…」
「余は勝つつもりで挑んでおるぞ。まあ、楽しんで指していると言った方が正しいかもしれんがな」
そう言ってトリビューラは喉の奥で笑った。
後半、トリビューラはほとんどの駒を都市の盤に連続で置いて行った。まあ、勝負の盤だから当然だが、解せなかったのは支えの盤の森と海だ。駒数はそれぞれ6と7。他の盤と比べても3~5倍の開きがある。トリビューラが駒を置かないのでエルダは平野を捨てて森と海を確実に抑えることにした。
勝負盤の駒の数が30になるのはいい。よくあることだ。
支えの盤でエルダが駒数で有利なのは森と海の2つ。逆に平野は不利だ。上手くいけば、支えの盤でカードを獲得して勝負盤で使うという原則通りの展開に運べそうではある…。
しかし、トリビューラによれば、これはハンデではない。
トリビューラは勝つつもりでこの配置にしたのだ。この不利としか思えない配置に。
要するに何かあるのだ。
「解せぬのはわからんでもない…。まあ、手を進めれば自ずとそなたにもわかるであろう」
「…手玉に取られないように心します」
「クックック…。そうだな、最善を尽くすがよい」
エルダは砂漠の盤にちらりと目をやった。不気味な様相だった。トリビューラは前半までは18配置した駒の中に兵士駒をほぼ置かなかったが、後半になって残り12の枠を全て強力な兵士駒で埋めてきた。明らかに勝利条件が「傲慢なる騎士」であることを見抜かれている。砂の盤では兵士駒は十全に力を発揮できないからだ。砂には兵士ゴマは置かずに他の「少年」、「盗人」や「奴隷」、「魔術師」を配置していくのがセオリーだ。
どうして勝利条件を見抜かれたのだろうか…。「傲慢なる騎士」を置くときも指は特に震えていなかったはずだ。不自然な動作も無かったはずだし、それほど不自然な駒の配置をした覚えもない…。
「まだ、解せぬことがあるという顔だな。砂漠が気になるか?」
「…まあ、閣下が勝負盤以外で駒を30配置していますから…」
「余は砂漠がそなたの勝負盤であると見ておる」
トリビューラは指で砂漠の盤を指した。
やはりか…。エルダは目の前が少し暗くなったように感じた。
「肯定も否定も必要ない。余の思考の流れを知るチャンスと思って黙って聞いているがよかろう。
そなたの駒の配置には規則性がある。基本的に、配置の際にその駒が『盤と相性が良いか』、『他の駒との相性が良いか』を考えながら配置しておる。しかし、砂漠においては話が変わる」
トリビューラが砂漠の盤の上の駒のいくつかを順に指していく。
「そなたが5つ目の駒として『愚かな魔術師』を置いたときに最初の違和感があった。確かに砂漠に魔術師を置くのはセオリーではあるが、中段に置いている。これは変だ。上段で攻めるでもなく、下段で守りに置くでもなく、中段。つまり補助だ。これは砂漠における魔術師の良さが半減する。これは何かの布石だと感じた。
次に23手目の『狂信の王』だ。そなたが最初に置いた王の駒なわけだが…、狂信も王も砂漠との相性は悪くない。しかし、なぜもっと相性の良い都市ではないのか? その説明ができない。これも違和感のある駒だ。
この時点で余はここが勝負盤であると読んだ。他の盤には違和感を感じることが無かったからだ。駒の配分を傾けることにした。勝利条件カードの一枚は『傲慢』だ。もう一枚が『騎士』、『狩人』、…薄い線ではあるが『老人』のカモフラージュあたりならこういった配置になるのではないかと予想した。
そして53手目で『傲慢なる騎士』が置かれたとき、余はこれが勝負駒だと直感し、それに従った。
…余の説明は以上だ。質問はあるかね?」
「…ありません」
エルダは膝の上で手をぎゅっと握った。手汗がにじんでいた。