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勇者・隷属・アドルモルタ  作者: 甲斐柄ほたて
第1章 放浪者・魔剣・巫女
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第14話 三角形

「…え?」

「早くしなさい」


 ならず者たちは顔を見合わせて、誰も前に出ようとしなかった。やがて一人が「じゃ、じゃんけんで、決めよう…」と言い出した。他の者は怯えた目で拒否感を訴えていたが、声に出して反対する者はいなかった。

 リーダーは参加しなかったが、誰も咎められなかった。


 じゃんけんで負けた1人がエルダの前に立った。


「あなた、こっちに…。ああ、少し邪魔ね…」


 エルダは祭壇の前に立ち、足元で寝ている男たちを見てそう言うと、魔法で雑に移動させた。祭壇の前に人も物もなくなって広いスペースができる。


「ここに立って」


 じゃんけんに負けた男はエルダの指示で、祭壇の前のスペースに立った。


「あの…何を…?」

「…」


 エルダは無言で彼の後ろに回り、懐から取り出したナイフで彼の首を刺した。血がぼとぼとと傷口から零れる。彼は目を驚愕と恐怖に見開き、手をばたつかせてエルダを押しのけようとした。だが、彼の手も足もリーダーと同じようにねじれてつぶれる。悲鳴を上げる間もなく、口も閉じさせられた。彼は涙を流しながら声も出せずに静かに絶命した。

 エルダはまるでティーカップで紅茶を注ぐように彼の身体を傾けて床に血を垂らした。


「…まあ、これだけあれば足りますかね…」


 エルダは彼の亡骸をそっと置くと、床にこぼれた彼の血で、なにやら奇妙な模様のようなものを描き始めた。いびつで、文字と曲線的な図形が入り混じったような大きく、緻密な模様だった。


 ならず者たちは絶望した。今すぐこの場から逃げなければ全員死ぬと直感した。エルダは彼らの命を何とも思っていない。まだ死んでいないのは、まだ何か役割があるからだ。それだけだ。それが無くなれば殺されるに違いない。全員がそう感じた。

 しかし、誰も逃げ出すために足を動かすことができた者はいなかった。エルダは余りにも穏やかすぎた。

 もしもエルダが大声を上げたり、わかりやすくナイフを大振りして仲間を殺したのなら、反射的に逃げることもできただろう。しかし、実際のそれは大きな音も無く、激しい動きも無く、ただの淡々とした作業だった。


 ならず者たちは身じろぎも、声を発することもできずにただ、エルダが模様を描いていくのを見ていた。


 エルダは模様を描き終わると、呪文を唱え始めた。呪文が進むにつれて禍々しい気配が濃くなっていくのをならず者たちは感じていた。悪寒と吐き気が止まらない。


 気づけば彼女が描いた模様の上に一枚のドアが浮かんでいた。呪文の詠唱も止まっている。木製の、古く、黒いドアだった。ところどころ傷ついているが、決してみすぼらしくはない立派なものだった。

 ならず者たちはますます恐怖に慄き、エルダは唇を真一文字に結んだ。


 エルダは服に付いたホコリを払うと、ドアノッカーをつかみ、震える手でゆっくりと数回叩いた。


「どうぞ」


 ドアの向こうから返事が聞こえた。エルダがドアノブをつかんでガチャリと回す。目の前に現れたのは立派な洋館の廊下だった。花や鳥の絵が描かれた壁紙、赤い絨毯、何点かの静物画が見える。そして、ドアのすぐそばにタキシードを来た巨大なウサギが立っていた。エルダは真っ黒な瞳に見つめられて内心たじろいだが、努めて平静を装った。ウサギがエルダに質問する。


「ご用件は?」

「偉大なる大三角たるトリビューラ様にお目通りいたしたく参上しました」

「恐縮ですが、アポイントメントはお取りですか?」

「は…、はい」

「お名前をお伺いします」

「エルダ・ディエル・ローエルン、です」

「照会します。…ああ、エルダ様ですね。取り次ぎますので、少々お待ちください」


 ウサギはすぐそばにあった小さな机の上に置かれた黒電話のダイヤルを回し、受話器を手に取って何やら話し始めた。エルダにはウサギが何をしているのかも、話している内容も、言語さえも理解できなかった。その言葉はならず者たちにも聞こえていたが、誰も聞き取ることはできなかった。


 やがてウサギは「バャレバャル」と言って受話器をチンと置いた。


「トリビューラ様がお会いになるそうです」

「あ、ありがとうございます!」

「では、一度ドアを閉めますから、一分後にまた開けてください。…ああ、それと」


 ウサギはドアを半分閉めてから、ちらりと聖堂に転がっている村人たちを見て付け加えた。


「駒はちゃんと既定の数を用意していますね?」

「はい」

「いいですね。善戦に期待しています」


 ウサギはドアをバタンと音を立てて閉めた。

 エルダは深呼吸をして一分間、待った。そして再びドアノッカーを叩こうとして、止まった。ならず者たちに指を一振りし、口を閉じた。眠っている村人たちも見渡し、村人を更に遠ざけた。いびきをかいている者は聖堂の一番遠くの床の上に置いた。


 エルダは再び深呼吸してドアノッカーを叩いた。


「開けるがよい」


 扉の奥から重い声が聞こえた。エルダはドアノブを回し、扉を開いた。

 滝の音が聞こえた。滝を望む宮殿のテラスに魔王はいた。偉大なる魔王トリビューラは部屋の奥に置かれた金細工の施された豪華な椅子に足を組んで座っている。宮殿の外、滝と夜空に囲まれて読書をしている。

 顔や容姿はこちらからはよく見えない。


 トリビューラはひじ掛けに手をついて立ち上がった。


「さて…、始めようか」


 気づいたときにはエルダの目の前にトリビューラが立っていた。品の良いスーツを着ている。見た目はほぼ人間だった。ブブやボボよりもよほど標準的な体格である。ただし、首から上が無かった。そこにはただ、光る正三角形とその中を泡のようにうごめく小さないくつかの円が浮かんでいた。


 エルダは絶叫したいという衝動を抑えるのに必死だった。どうにか3秒間耐え、ようやく口を開くことができた。


「お会いできて光栄の至りです。閣下」

「余を前にして叫ばなんだこと、褒めてやろう。エリスの神官よ」

「ありがとう存じます」


 トリビューラは黒い扉から下りて、聖堂に入り、周囲を見回した。そして、大声で驚きの声を上げ、エルダやならず者たちを驚かせた。


「ほう! アドルモルタではないか!」


 トリビューラが手をかざすと、魔剣アドルモルタが地下の隠し部屋から、壁を突き崩して飛び出してきた。トリビューラは宙に浮いたまま静止している剣を触れずに眺めている。崩れた壁はエルダが気づいたときには元通りになっていた。剣に目をやった一瞬のうちにトリビューラが修復したようだ。


「聞きしに勝る禍々しさだ! 素晴らしい…! これはそなたのものか、神官よ? これを賭けてはくれんか? 人の命なぞ、とうに飽きておるのだ」

「申し訳ありません、閣下。そればかりは…」

「ふむ、まあそうだろうな。残念だが仕方あるまい。聞いてみただけよ。ダメ元、というやつだ」

「左様でしたか…」

「…うん? 机と椅子は? どこにある?」

「? …あ、も、申し訳ありません! ただいま用意を―――」

「ああ、忘れていたのか。よいよい」


 トリビューラが指を鳴らすと二人の前に机と椅子が出現した。机には黒いテーブルクロスがかかっていて、青い炎の灯ったロウソク付きの銀の燭台が乗っていた。トリビューラは椅子を引いて腰掛けると、エルダにも座るように促した。エルダも一礼してから座った。


「さて、では始めようか。神官よ、そなたは何を賭ける? 何が欲しい? 言うがよい」

「人間の命を蘇らせることは可能ですか?」

「ふむ、それは場合によるな。いつ死んだ人間だ? あまりにも時間が経っていると難しいぞ」

「5年以上経っている場合は…」

「悪いが、魂を保管していない限りは無理だ」

「そう、ですか…」

「他に願いはあるか?」

「では、人を殺すことは可能ですか?」

「それも場合によるが…、先ほどの願いよりは可能性はずっと高いぞ。名前か特徴を言ってみろ」

「ベニシス・ヴェニス」

「ふむ、探してみよう。…興味本位で聞くのだが、先ほど言っていた生き返らせたい者の仇かね?」

「ええ、夫と娘の仇です」

「ほう、なるほどなるほど…。…ああ、いたぞ。殺せるな」

「…」

「ではそなたは百の命を。余はこやつを殺すことを賭ける。それでよいか?」

「はい、構いません」

「よろしい」


 トリビューラは嬉しそうにぱん、と音を立てて揉み手をし、キョロキョロと周囲を見渡すしぐさをした。肩は動いているが、頭の三角形は動かない。どうやら、どの角度から見ても正三角形に見えるようだ。


「周りにいる人間がそなたの駒か?」

「はい。この聖堂の中にいる者が駒となる者です」

「ふむ、ちょうど百個あるな」


 トリビューラは指を鳴らした。

 すると聖堂にいた人間……ならず者たちと眠っていた村人たちが一斉にうめき声を上げ始めた。更に見る見るうちに身体が圧縮されていく。身体が徐々に押しつぶされる痛みに彼らは断末魔の叫び声を上げながら駒へと姿を変えた。

 その様を見てエルダもさすがに顔から血の気が引くのを感じた。


 トリビューラが再び指を鳴らすと机の上にダン、と音を立てて駒が出現した。両者の前に百ずつ駒が並べられる。

 トリビューラは表情―――元々人間に読めるようなものではないが―――こそ変えなかったが、笑みを押し殺したような声の調子で言う。


「くっくっく…。安心せよ。死んではいない。そなたが勝てば元に戻してやる。…勝てば、な」


 そう言ってトリビューラは低く笑った。



 ***



 ポタポタと水滴が顔にかかる。その冷たさがうっとうしくてシェイルは目を覚ました。


「…やけに暗いな」


 シェイルは目をこすって、あくびをし、周囲を見回して明かりが無いか探したが見当たらなかった。仕方ないな、と手探りで動こうとしたとき、何か柔らかいものが手に当たった。


「…なんだこれ?」


 妙に触り心地の良い感触である。もにもにと揉みながら、寝ぼけた頭でこれはなんだろうと、ぼんやり考えていると急に答えが降って湧いた。ぎょっとして手を引っ込める。


 …しかし、その「答え」が正しかった場合に起こりうる最悪の結果はいつまでも起こらなかった。恐る恐る正体を確かめる。肩、首、あご、鼻、髪の毛、髪飾り…。


 うん。多分ローアだな。これ。よく寝てるわ。…寝てて助かった。


 落ち着いたら、床がごつごつしていることに気づいた。ここは地下牢のようだ。


 …訳が分からない。

 さっきまで皆で聖堂で飲み会をしていたはずだ。それがどうして地下牢なんかで寝ているんだ? 大人たちは?

 …ダメだ。眠る前のことがよく思い出せない。エルダの説話を聞いていた気がするけど。それだけだ。何か起こったんだろうか?


 外に出られるだろうか? ローアを踏まないように気を付けて、地下牢の扉にたどり着いた。が、扉は開かない。鍵がかかっている。一応、ガチャガチャと激しくしてみたが開かない。ローアも起きない。


「誰かいませんか?」


 自分の声が震えているのがわかった。大きな声ではなかったが、地下牢は広くないし、静かだ。もしも誰かが起きているなら間違いなく聞こえただろう。


 …返事は無かった。


 地下牢にいたならず者たちの気配も無い。どう考えてもおかしい…。連中が脱獄して俺達をこんな目に遭わせているのだろうか?


 いや、それにしてもおかしい。わざわざ地下牢に閉じ込めるだろうか?


 ダメだ。考えていても仕方がない。ローアを起こそう。酒を飲んでつぶれていたけど、揺さぶれば起きるだろう。


 と、ごりごりという聞きなれない小さな変な音がシェイルの耳に聞こえ始めた。徐々に大きく、近くなっていく。ローアをさらに強く揺さぶるが起きない。仕方ないので諦めて、音が聞こえる方に一歩近づいて身構える。


 がらがらと地下牢の壁が崩れる音がした。今自分たちがいる房の中に何かがいる。


 シェイルは固まったまま、動けなかった。

 緊張してつばを飲み込む。闇の中、あまりにも静かなので聞こえてしまうんじゃないかと思った。


 がら、ごろ、と石を軽く蹴りながらこちらへ近づいてくる足音が聞こえる。


「誰かいるのか?」


 聞き覚えのある、凛とした声だった。

 ぼっ、と音がして小さな火と手が見えた。火は徐々に強くなり、彼女の顔を照らし出した。

 三日前に教会を訪れていた聖騎士ルイーズだった。


 シェイルはルイーズの顔を見て安堵した。もしかしたら敵かもしれないと思ったのだ。手から力を抜く。


「ああ、君か…。ここは、地下牢だったろう。どうしてここにいる? エルダに入れられたのか?」

「いえ、違い…。…多分違うと思います…。覚えてはいませんが…」


 シェイルはどうしてエルダの名前を出すのか不思議に思った。同時に「ルイーズは帰った」とエルダが言っていたのを思い出した。ルイーズが出てきた方向には隠し部屋がある。そう言えば今朝も何か物音がしていた。


 ひょっとしてエルダがルイーズを閉じ込めたのか?

 と、ルイーズが足元に寝ているローアに気づいた。


「ん? 誰だ? 巫女か?」

「ええ、ローアです」

「ふむ…。起こすか」


 ルイーズはそう言うと、ローアの身体をやや強めに揺さぶった。しかし起きない。ルイーズは気分を害したように少し目を細めると魔法で水の球を作るとローアの顔にぶつけた。ばしゃん、と音を立ててローアの顔面がびしゃびしゃになる。


 ローアは飛び起きた。


「うわっ!? …えっ? なに!?」

「おはよう、ローア。私は―――」

「え? 暗っ」

「聖騎士のルイーズだ。今から―――」

「えっ? 誰?」

「外に出る。付いてくるといい」

「えっ? えっ? どこここ? シェイル? エルダ様?」

「俺はいるよ、エルダさんは―――」

「シェイル!」


 ローアはいきなり真っ暗闇の中で起きて、かつ、知らない人にまくしたてられて混乱したようだ。シェイルが声を掛けるとぱあっと表情を明るくした。それを見てシェイルも少し嬉しくなった。


「何ここ? 誰この人? 何でこんなとこにいるの?」

「ここは地下牢で、この人は聖騎士のルイーズさん。ここにいる理由は俺達にもわからない」

「せいきし…。聖騎士様? えっ、あっ、しっ、失礼しましたっ…!」

「構わない。私の説明がいささか性急だったようだな」

「最初は混乱するよなー。わかるよ。俺も最初、暗くて何も見えなかったから、うっかり胸をもん…」


 …。しまった。口が滑った。

 ルイーズとローアが不思議そうな顔をしている。


「胸をもん? なんだ、それは」

「なにそれ? 気を揉むとでも言いたかっ―――」


 不意にローアが口をつぐんだ。彼女の目つきが徐々に険しくなっていく。

 シェイルは背中と額に冷や汗が流れていくのを感じた。


「…触ったのね?」


 ローアの口から出てきたのは言葉ではなかった。怒りだった。純粋な。


「え!? いや、その、違う! いや! 違わないけど、でもわざとじゃあ―――」

「このぉ!」

「うげっ!」

「すけべがああぁっ!!」


 腹部に重いジャブ、からの顔面への右ストレートが完全に決まった。シェイルは後ろに吹き飛び、牢屋の鉄格子に当たって前のめりに倒れた。


 見事なまでの連携にルイーズも思わずパチパチと手を叩いた。


「おぉ…! 素晴らしい。君も聖騎士にならないか?」

「…結構です」

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