第129話 決着B。あるいは、静かな結末
「マ、マジで、戦り合うつもりなのか? 嘘だろ?」
「……」
ドミナトスは無表情で黙っている。
その表情が真実であることを物語っている。
「シェイル、ぼけっとしないの! 早く構えて!」
「んん……!」
俺はとりあえずエリスにもらった魔力を使って石の剣を作った。
アドルモルタの次に手になじんだ武器だ。
しかし、普段は魔力残量に気を使って戦ったことなどほとんどない。
正直、そっちの方が心配だった。
いや、それよりも……。
ドミナトスの方に気を回した方がいい。
どれくらい魔力が残っているのかわからない。
どんな魔法を使ってくる……?
俺の剣を見てドミナトスはせせら笑った。
「ふん……、ずいぶんと余力があるようじゃないか。
そんなことでよくトゥルモレスに勝てたものだ」
そう言って顔の前で拳を構えた。
ぎこちない。見よう見まねのボクシングスタイルだ。
俺だってボクシングなんか素人だが、そんな俺でもわかる。
ドミナトスは素手での殴り合いはド素人だ。
この様子ではおそらく、魔力もほとんど残っていないだろう。
勝機はある……のだろうか。
いや、相手は魔王だ。
いくらなんでも……。
……。
いや、違うな。そうじゃない。
勝ち負けは問題じゃない。
仲間と戦わないようにするにはどうするかが、問題なんだ。
「ドミナトス、やめてくれないか」
「……」
「俺は戦いたくない」
「そうか」
ドミナトスは構えていた両腕にぐっと力をこめると右足を前に踏み出した。
「俺もだ」
大ぶりな右ストレートが俺の頭の十センチは隣を通り過ぎていく。
……。
全然、大したことない。
石の剣なんか必要なかった。
素手の殴り合いでも勝てるかもしれない。
……だからなんだ?
ローアが後ろで言う。
「シェイル、私が―――」
「ダメだ!」
「……。まだ何も言ってないのに……」
ローアはぶすっと不機嫌そうな声で言った。
そのまま「勝手にどうぞ」と遠ざかっていく。
「おい、待て……」
「まずは目の前にいる俺に一発当ててからにしろよ」
俺は石の剣を投げ捨て、ドミナトスに殴りかかった。
ドミナトスは魔力をなくしてるからか、動きがおそい。
石の剣なんて無くていい。
無い方が戦いやすい……。
しかし、ローアの鋭い声が飛んできた。
「なにしてるのよ、バカ!」
「?」
俺の拳はドミナトスにあっさりかわされた。
さっきのドミナトスのようにそもそも狙いが外れていたわけじゃない。
ドミナトスが急に速くなったのだ。
「えっ」
「バカめ」
カウンター気味にドミナトスの左アッパーが軽く俺のあごに入る。
身体がぐらつく。
斜めになった地面が重い。
「お前は仮にも剣士だ。剣を持ったお前に隙など無い。
自分で剣を捨ててくれて助かったぞ」
……そうか。
下手くそなボクシングスタイル。あれは演技だったのか。
「ああもう、まったく……。
それで、ドミナトス。
どっちが魔王だと思ってるの? 私? それともシェイル?」
「お前だ」
身体と頭が重い……。
ドミナトスは俺が捨てた石の剣を拾っている。
ローアが斜めになった地面の上に立っていて、腕組みしている。
極めて不機嫌そうに顔をしかめ、落ち着かない様子で足踏みをしている。
「ちょっとくらい話をしようって気はないわけ?
たったいま世界を救ったばっかりなのに?」
「無い。今しかないとわかっているからだ」
ドミナトスは足を引きずりながら、できるだけ早く歩いている。
ローアは腕組みをして仁王立ちをしている。
足踏みしているのは、本当は怖いからかもしれない……。
「ローア、逃げろ!」
「うるさい! あんたがヘマするからでしょ!」
「仲がいいな」
「いましがた、愛想がつきたわよ!」
「お人好しすぎるのも考えものだな」
「お人好し? 違うわね。
あれはね、人のことをなめてるって言うのよ! そうでしょ!?」
「……」
ドミナトスはそれを聞いて足を止めた。
こちらから彼の表情は見えない。
見えるのは背中だけだ。
「わかってるんだな」
「私はあんたの覚悟だけは買ってるもの。
何百年も魔王たちと戦いつづけてきたあんたの無謀な覚悟は。
でもね、あんたを召喚した連中との……、とっくに死んでる連中との約束を信じるっていうのは、おかしいと思ってる」
「どこが」
「全部。あんたのそれは、信用でも信頼でもなくて、ただの逃避でしょ」
「……」
「他にすがるものが無いから、信じてるフリをしてるだけ。
元の世界に帰りたい、っていう願いを信じ切れないから。その裏返しでしょうが」
「……黙れ」
「まあ別にいいわ。絶望でも後悔でもなんでもすればいい。
私を殺すなら好きにすればいいわ」
「ああ、そのつもりだ」
「あらあら気張っちゃって。
でもいいの? 私はあなたの唯一の希望だと思うけど。
あなたを元の世界に帰せる唯一の、ね」
ローアはそういって空を指さした。
聞き返すドミナトスの声はかすかに震えていた。
「……いま、なんと言った」
「エリスが果たせなかった約束を、私が代わりに引き継ぐわ」
「可能なのか?」
「百年待ってくれたら」
「百年……」
ドミナトスはローアの指さした空を見た。
白っぽい空に細い雲が流れていく。
「長いかしら?」
「……私は魔王だぞ」
ドミナトスは石の剣を捨てた。
ゴン、と音を立てて剣が地面に落ちる。
彼は降参し両手を挙げた。
「待とう。百年でも、二百年でも。いくらでも」
「悪いわね。できるだけ急ぐわ」
「……頼む」
ドミナトスはローアに頭を下げ、再び顔を上げるとため息をついた。
「お前たちを手にかけずに済んで、よかった」
「そうね、せっかく勝ったのにね」
「え、俺、殴られたんだけど……」
「……」
「……」
俺が砂にまみれながら地面に横たわりながら言うと、二人ともそれはそれは冷ややかな目をむけてくれた。
俺を無視し、何事もなかったかのように会話を続ける。
「……これからどうするの?」
「ミケルマ達のところへ行こうと思う。
今さらどの面下げてって、思うかもしれないが―――」
「思わないわよ」
「そうか」
ドミナトスはゆっくりと、俺たちから遠ざかる方へ歩いていった。
「では、私は行く」
「もう少しゆっくりしてけばいいのに」
「私たちはもう敵ではない。仲間でもな」
「そう。わかったわ。今度お茶でも飲みましょう」
「ふ……。それではな。魔女殿と、勇者殿」
ドミナトスは舞台役者のように大げさに礼をすると、影の中に消えた。
***
ドミナトスが消えるとローアはため息をついて近づいてきた。
地面にへたりこんでいる俺に手を差し出す。
「もう起きれるでしょ」
「まあね」ローアの手をつかむ。「ありがとう」
「ん……。無駄に重いわね」
「無駄にとか言うなよ」
「意味もなく重いわね」
「なにか違いある?」
「無駄と無意味の違い? あるわよ」
「あるんだ……」
口では勝てないと悟って、俺は首をふった。
無駄と無意味の違いなんて興味なかった。
「これからどうする?」
「どうしよっか」
「これ、聖都はもう全滅だよな……」
「そうね。誰も残ってないわ」
「避難とか―――」
「過ぎたことよ」
ローアがぴしゃりと言った。
「エリスが必要だと判断して、私たちは見て見ぬふりを……」
不意にローアは口をつぐんだ。普段通りのすまし顔だったが、やや目線が泳いでいるように見えた。
「見て見ぬふり……?」
「だから……、薄々気づいてたでしょって言う話よ」
「……」
「……」
察するに……、エリスは相談に来たのだ。
トゥルモレスは聖都で復活するだろうと。
そのときに住人たちを避難させずに囮にするけど、いいかって。
確認というよりは、もっといいアイデアが無いか知りたかったのだろう。
それでローアのところに来た。
当然俺もいただろう。
ずっとローアと一緒に旅をしていたから。
ただ、その時に俺は席を外していた。
トイレか、寝ていたのか、それ以外か……。
まあ、そんなことはなんでもいい。
ローアは黙っていたのだ。
エリスから聞かされたことを。
黙って自分の胸にしまった。
俺が余計な気を揉まないように、罪悪感に苦しまないように……。
たぶんそんなところだろう。
で、そんなことすっかり忘れてボロを出してしまった、と。
俺は小さくため息をついた。
ローアのいった通りだ。過ぎたことなのだ。
今さらここで何を話したって何かが変わるわけでもない。
正当性も、結果も、何も。
「そうだな。過ぎたことだ。
ところでこのままだと俺達、飢え死にする?」
「……。
可能性はあるわね。まあ、一日休んだら魔力もある程度戻るから、それから移動するでもいいけど」
「空きっ腹で回復するかな」
「……」
「……。たしか、あっちの方にフェリクス達の家がなかったかしら?」
「一週間かかる距離じゃなかったっけ。馬で」
「……」
「……」
「もしかして、私たち、けっこうやばい?」
「やばいね。全然やばい」
「どうしましょ」
俺達は視界に入ったカフェテラスの席の一つに腰掛けた。
疲れ切っているせいで、一日中歩き回った観光客のようにぐったりと椅子にもたれかかる。
朝日が目にまぶしい。
ローアなど、深く座り過ぎてほとんど真上をむいている。
「ねえ、食べるもの、中にあるかしら」
「どうかなあ。あったとしても、トゥルモレスの魔法で汚染されてるんじゃないの?」
「あいつもう死んだんだから無害よ」
「ホント?」
「きっと」
「毒見は?」
ローアは椅子にもたれかかり、真上をむいたまま俺を指さした。
「シェイル」
「こういうのって、言い出しっぺがやるもんじゃない?」
「私、動きたくない」
「しょうがないなあ……」
「やった」
カフェの奥、厨房に行くと食器と食材が残っていた。
おそらくこの周辺一帯はトゥルモレスの攻撃を受けたはずだが、ぱっと見は特に悪いことなどなさそうに見える。
そもそも食材には無害なのかもしれない。
とりあえず生で食べても問題なさそうな食材をかじってみた。
人参のような根菜だ。
一口、二口……。
大丈夫……か?
「食べられそう?」
「うわっ!」
いつの間にかローアが後ろに立っていた。
俺のリアクションを見て満足そうに微笑んでいる。
「まだまだね。索敵を魔力にたよってるからよ」
「自分のこと敵って言った?」
言い返しはしたものの、たしかにそのとおりだ。要反省。
ローアが腕まくりしながら厨房に入って来た。
「思ったより残ってるわね。何を作ろうかしら」
「まだ毒がないかわからないぞ。そんなに時間経ってないし……」
「トゥルモレスの呪いの解析ならあらかた終わってるわ。
あれは魂に作用するものであって物理的なものじゃないから、食べ物には作用しない。
だから大丈夫よ」
「大丈夫なの?」
「ええ」
「大丈夫なのに、毒見なんて言ったのか?」
「ええ」
「……性格、悪すぎないか?」
「ふふふ……。ご飯抜き?」
「理不尽すぎる! ごめんなさい!」
「わかればいいのよ」
ローアはぎらりと光る包丁をもって微笑んだ。
***
食事の後、しばらく手分けして街を探索した。
観光していたわけじゃない。
食糧や装備を確保していた。
どこか人のいる街を目指すために。
「それでどこに行こうか。やっぱりシクアイール卿の家に行くのか?
フェリクス達がいるかもしれないし」
「いないと思うわ。たぶん、キュアリスに遠くに置き去りにされたんじゃないかしら」
「ああ……」
ありそうな話だ。
キュアリスならそれくらいのことは平気でする。何も考えずにする。
エリスから聖都で決戦があると聞かされたなら、なおさらだ。
「ま、いつかまた会えるわよ。今はとにかく人のいるところへ行きましょ。食料優先」
「世知辛いな……」
「飢え死にしたくないもの」
「場所は? 見当つくのか? 魔法で探せる?」
「バカねえ。食材が残ってたのよ?」
ローアは笑って見つけてきた荷物の中から一枚の紙を取り出した。
地図だった。
「魔法に頼らなくても地図があるじゃない」
「魔王が地図を読むかな?」
「うん?」
ローアは怪訝そうな表情で俺を見た。
「魔王なら地図なんかに頼らないかなって思ったんだけど」
「いや、そうじゃなくて……。魔王? 私が?」
「そうだろ? ドミナトスにそう聞いてたじゃないか」
「正確には違うわ。私は魔王じゃない」
ローアは苦笑して首をふった。
その拍子に髪が少しゆれる。
そして、やや遠い目をしてふーっと長い息を吐いた。
「魔王にはしばらく前になってたの。
いつくらいかな……。たぶん、生き返ってから、二か月目くらいだったかしら」
「嘘だろ!?」
「ホント」ローアは俺の表情をみながらニヤニヤしている。
「私とあんたで命を共有してるの。
私が死んでも、あんたが生きてれば復活できるし、逆もそう。
まあ、魔王って呼べるのか微妙だけどね。
半魔王ってとこかしら」
「えぇ……。なんか知らないうちにシステムの一部にされてたんだけど……」
「二人羽織の魔王、とかどうかしら」
ローアがドヤ顔で聞いてきた。
けれど、俺にはどういう意味かよくわからなかった。
「なにが?」
「二つ名。私たちの」
「ダサい。致命的に」
「……。
エリスから何か受け取ったんじゃないかって言ったわね。
そのとおりよ。受け取ったわ。何だと思う?」
「うーん……。魔王の能力じゃないなら……」
「なら?」
「わかった! お淑やかになる魔法を教わったんだ!」
「……どういう意味?」
「ごめんなさい」
「私、神様になったの」
「え?
神様?
神様って言った、いま?
「神様って言った、いま?」
「うん。神様になったの」
信じられなかった。
俺がローアを見つめていると、彼女は恥ずかしそうに笑った。
ローアにしては珍しいはにかんだ笑顔だった。
まるでテストで満点を取った子供が親に自慢するように笑っていた。
もっとも、自慢しているものはテストなんかとは比べ物にならない。
「どーよ、すごいでしょ」
「ああ! すごい!」
俺も嬉しかった。
でもどちらかと言うとローアが神様になったこと、選ばれたことなんかどうでもよかった。
そんなことより、こんな風に笑うローアの表情が見られたことの方がずっと嬉しかった。
俺は神様に気になっていたことを聞いてみた。
「ところで、神様、教えてほしいんだけど……」
「なあに、人間?」
「俺達、どっちに行けば人が住んでる町にたどりつけるのかな?」
「魔力がないからわからないわね」