第128話 君がまだそこにいるのなら
走馬灯はそこまでだった。
イメージの本流から得た情報と感情で混乱したが、すぐに気を取り直した。
トゥルモレスの魂は砕いた。
しかし、油断してはならない。
相手はトゥルモレスだ。
最後の最後にとんでもない切り札を隠し持っているなんてこともありうる。
アドルモルタの火の熱気が引き、トゥルモレスの泥の雨がやんで、ようやく視界が晴れてきた。
トゥルモレスはまだそこにいた。
正確には肉体の、胸から下だけだが、原型をとどめてはいた。
他の魔王たちの姿は見えない。
魔力の気配も感じとれない。
仲間はすでに死んでいる。
さっきの激突で死んだのだ。
フォクス・ミクスも、
トリビューラも、
サフラも、
レドモアも、
ドミナトスも、
キュアリスも。
全員、気配がない。
その中で、トゥルモレスだけは肉体を留めている……。
まずい、と思った。
魂はたしかに砕いた。
だが、魂を砕くと同時にアドルモルタも砕け、砕いた魂は霧散した。
アドルモルタで吸収したわけじゃない。
ちょっと触れた俺でさえ、無秩序なノイズではなく意味のある情報を得られたんだ。
トゥルモレスなら再構築できてもおかしくない。
とにかく、トゥルモレスに近づこう。
魔力はもうほとんど残っていないが、まだこの両腕が……。
……。
右手がまあまあグロい感じに半分になっていた。
……。
まだ左手がある。
……。
ローアの声がしない。
呼びかけても返事がない。
彼女も死んだのだろうか……。
たぶん、トゥルモレスの攻撃ではないだろう。
それほど食らわなかったはずだ。
おそらく、アドルモルタに飲み込まれたのだろう。
さっきまで一緒に戦っていた、動いていた魔王たちの亡骸が転がっている。
黒焦げになって燃えているか、
泥の塊になって沈んでいる。
ただ、トゥルモレスと俺だけが人の身体を保っていた。
近くまで来て、わかった。
トゥルモレスの身体はやはりと言うべきか、再生していた。
もちろん、スピードは遅い。
うぞうぞと筋肉や神経が動いている。
はっきりとはわからないが、何時間もかかるだろう。
まだ、生きている。
このままだと、復活するのか……。
魂すら取り戻すのか?
あたりを見回して、武器になりそうなものを探す。
見つけて、一分ほどかけて小石をひろいあげる。
石は少し溶けかかっていた。
手が焼けて嫌な臭いがしたが、痛みも臭いも気にならなかった。
振り上げ、トゥルモレスに振り下ろす。
しかし、十も打ち付けないうちに俺の手の方が先に参ってしまった。
トゥルモレスの身体はゆっくりと回復を続けている。
俺の傷つけたぶん、時間はかかるだろうが、それこそ時間の問題だ。
……いつか復活してしまう。
「ダ、ダレカ……、ダレカ……、イナイノカ……?」
縋るような思いで呼びかける。
どうやら喉も壊れたらしい。
自分のものとは思えないほどひどい声だった。
返事はなかった。
ぎりぎりと音がする。
自分が歯ぎしりしている音だと気づくまでしばらくかかった。
***
どれくらい経っただろうか。
十時間くらい経ったような気がする。
いや、一時間も経っていないとしても不思議じゃない。
ひょっとしたら十分くらいかも。
素手で殴り、溶けていない石を探して殴り、蹴り、トゥルモレスの身体を破壊し続けた。
しかし、もはや魔力もなく、肉体的にも限界だ。
物理的に動かなくなってきた。
ダメだ。
倒せない。
みんな、死んで、俺だけ生き残って、ローアも、なのに、奴は生きてて、俺は、それを、見てるだけ? なぜ? 殺せない? 殺せない、殺せない!
ダメだ、ダメだ。どうする、魔力の回復を、いや、間に合わない。
俺は、死ぬ。血が足りない。
武器を、アドルモルタは……。
「お、おはよう、シェイル……」
「ウアアア……」
足元の、黒焦げの亡骸が声を出した。
俺はそれこそ死ぬほど驚いた。
その亡骸は、生きていた。
その亡骸は、エリスだった。
「みんなは……、死んじゃったかな……。
まあ、僕も、もう無理だけど……」
エリスは寝ころんだまま、首だけを動かして、周囲の様子を見回した。
そしてゆっくりとこちらを見た。
「奴は……?」
「マダ……」
俺が指をさすと、エリスはトゥルモレスを見た。
そして、「そうか……」とつぶやいた。
「シェイル……、僕を奴の近くまで運べる……?」
「アア……」
俺はエリスを運んだ。
持ち上げるだけの力がなかったので、すっかり小さくなってしまった身体をひきずって、運んだ。
煤と血が混ざった後が地面に残る。
痛かっただろうが、エリスはかすかな声も漏らさなかった。
「ゴメン……」
「いいよ。僕の方こそ、ごめんね」
「ナニガ……」
「いろいろ、さ」
トゥルモレスの近くまで来ると、エリスは腕をかすかに動かした。
意図をくみ取り、腕を取ってトゥルモレスに触れさせる。
「コレデイイノカ……?」
「うん、ありがとう」
エリスの焦げた顔にかすかに亀裂が走る。
おそらく笑ったのだろう。
「トゥルモレス……、永い戦いだったな。
もう、いいだろ……。僕はもう疲れたよ。
もう、終わりにしよう……」
エリスはそこで一息おいた。
そして出し抜けに聞きなれない名前を呼んだ。
「クリス、」
エリスが弟の名前を呼ぶと、びくりとトゥルモレスの身体がかすかに震えた。
「今なら、声が届くかな……。届いているのかな……。
君が、まだ、そこにいるなら……、どうか、不死の魔法を解いて……」
エリスは一呼吸おいてから続けた。
「死んでほしいんだ」
エリスは寄りかかるようにトゥルモレスの身体を引っかいている。
ほとんど力が入っていない。
トゥルモレスの身体に煤の黒い線が引かれていく。
「もう、それしか、ない。
奴を殺せるのは……、もう、君しかいないんだ。
お願いだ、クリス。
どうか……」
エリスの顔がくしゃくしゃに歪んでいく。
顔にいくつも亀裂が走る。
「ごめん、ごめん……。
クリス、お前を、助けてあげられない。
ダメなお姉ちゃんで、ごめん」
パキン、と水晶が割れるような無機質な音がした。
同時にトゥルモレスの身体の断面からぼたぼたと血が流れ始めた。
トゥルモレスの身体は何かを確かめるように無い頭を動かし、それを認めるとゆっくりと倒れた。
そして二度と起き上がることは無かった。
***
「……お疲れ様、シェイル」
エリスは本当に疲れ切ったような声で言った。
千年と千のループをかけてついに達成したにしてはあっさりしている、と思った。
ちっとも嬉しそうじゃない。
しかし、それも当然かもしれない。
一緒に戦った仲間はほとんど残っておらず、自分もじきに死ぬのだから……。
「ローアは……、ああ、ローアも無事みたいだね」
「エ……? ドコニ……?」
「声が聞こえないの? ああ、魔力を全部使い切ったのか。
手を貸して。
……うわ、ひどいな、こりゃ。ついでに治してあげる。サービスね」
エリスに触れると、魔力が少し回復した。
普通の人間の魔力量の十分の一くらい、だろうか。
普段の魔力量からすれば微々たるものだったが、それでも十分だった。
半分になっていた右手も治った。
もっとも、形はかなり歪んでいたが。
「治してあげる、ねえ」
手を見てそう言ったが、声を出してようやくわかった。
喉も治してくれたらしい。
エリスは力なく鼻を鳴らした。
「不満かい? だったら元に戻すよ!」
「冗談です……。ありがとう」
「ふん、まったく……」
「じゃ、ローアが身体に戻りたいって言ってるから、戻してくる」
「待って、シェイル」
「なに?」
「手を」
エリスはぶるぶると震える手を差し出していた。
すぐに握り返した。
俺の腕を介して何かが流れ込んでくる。
それは胸にまで届いて、どこかへ消えた。
それを終えるとエリスは手を放してふーっとため息をついた。
「……今の、なに?」
「なんでもないよ」
嘘だ。声のトーンがさっきまでと明らかに違う。
安堵感のようなものが感じられた。
何かをやり終えたような。
重責から解放されたような。
「もう行っていいよ」
「あ、ああ……」
「あ、シェイル」
「何度も呼び止めてなんだよ?」
ちょっとイライラしながら振り返った。
エリスは痛々しく、くすくすと笑った。
「もう、なんなんだよ」
「悪いね。いや……、なんでもないんだよ。ただ……」
「ただ?」
「君、クリスに似てたな、って思ってね」
「……そうなの?」
「うん」
「へ、へえ……」
言葉につまった。
なんと返せばいいのか、よくわからなかった。
ただ、嫌じゃなかった。少しだけ嬉しかった。
「そうか……。まあ、クリスの気持ちはわかるかもね」
「へえ、どんな気持ち?」
「いい加減にしてくれ、ってさ」
「ハハハ……、覚えてなよ……?」
「やだね」
ローアの身体にむけて何歩か歩いたところで、立ち止まった。
「エリス」
「うん?」
「ローアが、『ありがとう』ってさ」
「うん……」
「エリス」
「なんだい?」
「今までありがとう。これは俺から」
「ふっ……。ああ、こちらこそ。
いつか、また会えたらいいね」
再び、ローアの身体にむけて歩いていく。
後ろで何かが割れたような音がした。
日が昇る。
あたたかくて柔らかい光が誰もいない町を貫いていく。
仲間たちの亡骸も、トゥルモレスの亡骸さえも優しく抱いてくれている。
彼らの旅立ちがこの光くらいあたたかいものだったらいいと思う。
***
ローアの身体はちゃんとそこにあった。
ローアに触れる。
また俺の腕を介して何かが、ローアの魂が、流れてゆく。
「ん……。げほっ、げほっ!」
「大丈夫か!?」
ローアは目覚めるなりせき込んだ。
まさかどこか怪我をしてるんじゃないかと心配したが、ローアは苦しそうに顔をゆがめつつも「大丈夫」と手を挙げた。
「げほげほ……。
口の中がちょっと砂っぽくて……。口が空いてたんでしょうね」
「元に戻れてよかった」
「そうね。エリスは……」
「ああ……」
振り返って確認する。
いや、振り返る必要など無かったのだが……。
もうすでにエリスは死んでいた。
あの能天気で無神経な声はもう聞けないのだ。
「望みは叶えたんだから、満足してるわよ。きっと」
「そうだな。……体は大丈夫か?」
「大丈夫だと思う。まあ、細かいところは後で治すとして……」
「まだ何かあるのか?」
「どうかしらね。それは本人に聞いてみないと」
「え、本人……?」
他に誰かいるのか?
まさか……!
「トゥルモレスが!? どこに!」
「そんなわけないでしょ。
まあでも、今の私たちにとっての危険度はそれくらいはあるかもしれないわね」
「?」
「ドミナトス、いるんでしょう?」
「……」
少し離れたところでズルズルと引きずるような足音がした。
見れば、黒ずくめの格好をした男が不景気そうな顔をして立っていた。
「ドミナトス! 生きてたのか!」
「ああ……、どうもそのようだな」
「よかった! みんな死んじゃったから……、あんたみたいなのでも生きててくれて嬉しいよ!」
「お前……、言っていい冗談と悪い冗談があるぞ……」
「? なんのこと?」
「冗談じゃないのか! 余計タチが悪い!」
「どうして生きてたんだ?」
「ああ……」
ドミナトスは自分の首を指さした。
「お前とトゥルモレスが最後の撃ち合いやってるときに、首が飛んでったんだ。
拾いに行くわけにもいかないしな。
残った胴体だけで他の魔王たちと一緒にトゥルモレスに抵抗したんだが、首が無かったからか、気づいたら生き残っていた」
「まあ、とにかくよかったよ!」
「……それはどうだろうな」
「? どういう意味?」
「そっちのお嬢さんはわかってるようだが」
「ええ、そうね」
ローアは冷ややかな声と目で応えた。
二人はさっきまで同じ敵と戦う仲間だったとは思えないような冷たい目でにらみあっている。
「あなたの考えてることが私には手に取るようにわかるわ」
「……」
「なんだよ、二人して見つめあって。俺にも教えてくれよ」
「ドミナトスは、私たちを殺すつもりなのよ」
「……は?」
「……」
冗談だと思った。
しかし、ドミナトスは表情をほとんど変えなかった。
そして黙ったまま、こちらへ一歩近づいた。
「え、マジ?」