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勇者・隷属・アドルモルタ  作者: 甲斐柄ほたて
最終章 これまでの千年・決戦・これからの千年
131/134

第127話 生きとし生けるものに、呪いと死を

 トゥルモレスの魂を斬った瞬間に見た走馬灯。

 いくつかの断片的なイメージ。感情。

 たぶんあれはアドルモルタの魂を焼いたり、魔力を吸収する性質とか、

 キュアリスのように「砕くことで本質を理解する」というものだったのだと思う。


 根拠はない。

 俺の願望が大いに混ざっている。

 もはや元々のイメージがなんだったのかは思い出せない。

 イメージに意味を与える過程で混ざり合い癒着してしまったから。


 しかし、なんとなく間違っていないような気がするのだ。



 ***



 私は貴族の息子だった。

 我が家はかなり広大な地方の有力な領主だった。

 来客はひっきりなしで、私もたくさんの貴族や商人たちと会わされた。

 彼らは領主である父上や母上に会いに来ていたわけだが、目的は二人に会うためではなかった。

 二人に会うことで「箔がつく」とか、我が家や他の来客との商売の話につながるとか……。

 要するに二人に会うことで得られる利益が目的だったのだ。

 私はそれがなんとなくわかっていたから彼らと会うのは嫌だった。

 しかし、それを言葉にするだけの理性も度胸も私には無かった。

 だから仕方なく来客の席にでておかしなことにならないようにニコニコしていた。

 不機嫌な顔をしていれば怒られるが、笑っている分には褒められるからだ。


 私には姉がいた。

 しかし姉はめったにそういった場に出なかった。

 素行が悪かったのではない。

 身体が悪かったのだ。

 物心ついたときには姉はすでに寝室で寝たきりだった。

 私は庭で遊ぶのが好きだったが、姉と庭で遊んだ記憶は無い。

 日当たりのいい部屋を割り当てられていたが、カーテンはいつも閉じられていた。

 陰気な人だった。

 日を好まないから陰気になったのか、陰気だったから日を好まなかったのかしれないが、ともかく陰気だった。

 声は小さく、穏やかだった。

 私がなにか粗相をして怒ってもやはり声は小さくて、目を伏せながらとても聞き取れないような声でなにかをブツブツと言うのだ。

 聞こえないのだから怖くはない。

 しかし、そのぶん姉の怒りは長引いた。

 長引くくせにいつの間にか機嫌は直っている。

 要するに気分屋なのだ。


 私はよく姉の部屋に遊びに行った。

 来客とわかると本を持って姉の部屋に忍び込んだ。

 大体の場合、姉は眠っていたがたまに起きていて、廊下から差した明かりで私に気づくと、冷たい目でじろりとにらみ、ふっと小馬鹿にしたように微笑んだ。

「またお客様から逃げてきたの?」

 そう言いながら小枝のような指でベッドの横の机を指さすのだ。

 そこが私の定位置だった。

 メイドが私を探しにこの部屋に近づいても、すぐに机の下に隠れられるし、机の下はベッドの死角になっている。めったなことでは探しに来ただけのメイドはベッドの近くまで来ないし、そもそもこの部屋に入ることさえまずなかった。

 姉は陰気で、一緒にいて楽しい人間ではなかったが、少なくとも自分と私に嘘をつくような人ではなかった。


 姉の部屋へ逃げこむのが私の常套じょうとう手段だとばれ、そもそも逃げるなどという手が笑って許されなくなるほどに私も大きくなって、私はあまり姉の部屋へ行かなくなった。

 姉のところへ行くのは来客を避けるためだ。

 そうでないならわざわざ行く意味など無かった。


 姉には婚約者がいた。

 どこか遠くの地方の貴族の息子だったと思う。

 我が家と比べるとパッとしない家だった。

 姉は美人だったが、病弱であり陰気だったから、格下の貴族にあてがわれたのだろう。

 私は興味が無かった。

 ただ何かの拍子で両親かメイドが言っていたのを聞いたのだろう。

 その遠方の地が北方であると聞いて「ああ、姉はますます陰気になるのだろうな」と思ったのを覚えている。


 ひどく寒い冬に姉は嫁いでいった。

 その冬、相手方の領主……つまり結婚相手の父親が死んだのだ。

 それで婚約者は領主の座につくならこの機に、と結婚が決まったらしい。

 おかしなものだ。

 元々政略的な意味での婚約だったのだろうが、ますます象徴的、道具的なものとなったのだ。

 人間は人間らしく生きるために生きていると思うのだが、これでは全く逆じゃないか。

 しかしすぐに私は思い直した。

 今だって姉はこの家で息をひそめるようにして暮らしているのだ。

 それなら大した落差は無い。

 そもそも人目につかないように生きることこそ姉の望む道なのかもしれない……。


 確認はしなかった。

 したところで意味が無いからだ。

 姉の望む望まないにかかわらず姉が嫁ぐことは決まっていた。

 仮にそれを止めたとして、嫁ぐよりマシな将来が待っているとも思えない。

 だったら確認などしない方がいい。

 心の傷は少ない方がいい。

 誰の傷か?

 もちろん私の傷だ。



 ***



 十年ほど経った。

 父は死に、私も姉の時と同じような顛末をたどった。

 つまり、私も婚約者を領主の椅子として道具にしたのだ。

 婚約者はそれはそれは綺麗な笑顔をうかべていた。

 果たしてあの陰気な姉が同じように笑えただろうか。


 領主としての生活は思ったよりも忙しくなかった。

 父がなぜあんなにも忙しくしていたのか疑問に思うほどの時間があった。

 まあ、原因はハッキリしている。

 来客を減らしたのだ。

 おかげで我が領土はすっかり斜陽が差している。

 それを嘆く者も多い。

 魔法の研究にばかりかまけていると。

 しかし、そんなことは私の知ったことではない。

 そんなに儲けたいなら自分で勝手に金を稼げばいい。

 自らの無能を棚に上げて私のせいにしないでもらいたい。


 ただ妻と娘たちが私を見る目が年々冷たくなっていくことは気がかりではある……。

 いい加減に手を打たないと我が家も北国のように冷え切ってしまうかもしれない。

 あるいはもはや手遅れなのか?


 姉からの便りは年に一度届くか届かないか、という頻度だった。

 来ても、「今年も寒いです」だの「リスがいました」だのと平和なものだった。

 一年目からほとんど変わり映えしない。

 一度だけ姉に会ったことがある。

 私が領主になった際に夫ともども会いに来たのだ。


 真っ白だった。


 顔色が悪いなどと言うものではない。

 死んでいるのではないかと思うほどだった。

 私はどうにか口実を作って姉と二人きりになった。


「姉上、大丈夫か?」

「なにが?」

「顔色が優れないようだが……」

「平気」

「本当か?」

「ええ」


 姉は相変わらず陰気だった。

 予想通りますます拍車がかかったと言っていい。

 たしかに顔色は悪かったが、それ以外はどこも悪くなさそうだった。

 結局、姉とはそれきり会っていない。

 手紙を見る限り大事は無いのだから、大丈夫なのだろう。



 ***



 どうやら私の人生において、良くないことは冬に起こるらしい。

 ある年の冬に、かなり悪い内容の知らせが届いた。


 姉の住む北方の領土で反乱がおきたらしい。

 以前から状況が良くないことは知っていたが、直前に届いた姉の手紙は相変わらずの穏やかさで、心配するほどではないと思ったのだ。

 私は家臣たちの静止を振り切って北方へむかった。

 途中でさらに悪い噂を耳にした。

 反乱に臆した領主が何もかも捨てて逃げたというのだ。

 姉がそれについていった、という話は奇妙なほど聞かなかった。


 領主の館についた。

 今は反乱の首謀者が居座って行政の真似事をしているらしい。

 私が馬に乗って身一つで館の前にやって来たのをみて彼らは困惑していたが、丸腰だったので安心したのだろう。

 すんなりと中に入れてくれた。

 現れた反乱首謀者は以前の領主の悪口を聞いてもないのに次から次へとまくし立てた。

 私のことを反乱に賛同した貴族、とでも誤解したのだろう。

 館の中が騒がしい。

 王国騎士団も動いているという。長くはもつまい。

 破綻のにおいがする。


 要件は早く済ませて帰った方がいい。

 私は単刀直入に聞くことにした。


「私がここに来たのは人を探しているからです」

「ほう。どなたをお探しで?」

「姉を」

「姉君を? そうおっしゃられましても、どなたのことか私には……」

「元領主の、妻です」

「……」


 途端に相手の目が細くなった。

 元領主の話をしていた時と同じ目。

 邪魔者を見る目だ。

 それを見て私は大体のところを察した。


 彼らは姉の所在を知っている。

 いや、姉を捕えている(・・・・・)

 そして彼らは私が姉を連れて帰るのをよしとしないだろう。


「……あなたの姉君はこちらにはおられませんよ」

「そうですか。何階にいるのでしょう。聞いた話では二階だそうですが」

「おられません」

「一階ですか」

「ですから……」

「地下ですか」

「……」

「趣味が悪いですね。あの病人を地下などに……」

「領主の居場所を吐かせるためだっ!」


 首謀者は唾を飛ばして激高した。

 領主の名前を叫び、口汚く罵った。


「あいつ、あいつは……。わ、私の妻を手籠めにしたんだ……!

 他にも同じ目に遭ったやつがいる。何人も!

 奴を、奴を、八つ裂きにしないと気が済まない……!

 だから、私もあいつと同じことをしたっていいはずだ!

 あいつに同じ痛みを味わわせるために! 違うか!?」

「それを私に問いますか」


 私がカップを置くと相手はハッとして我に返った。

 しかし、その次にとった行動は理性的とは程遠いものだった。

 ナイフを取り出したのだ。

 口止めということだろう。

 まあ、論理的ではあるかもしれない。


「やれやれ……。

 あなたの過去も、復讐も、私には興味がない。

 領主を相手に勝手にやっていればいい。

 姉を巻き込まないでいただきたい。

 姉は連れて帰ります」

「か、帰れると思っているのか?

 こんな話を聞いた後で?」

「話したのはそちらの落ち度でしょう」

「黙れっ! 殺すぞっ!」

「いずれ騎士団が来ます。余罪は少ないほうがいいと思いますが」

「ううううう……! うるさい!」


 首謀者はナイフを振り上げた。

 正直なところ、姉が地下にいるとわかった時点で私にはこうなる未来が見えていた。

 むしろ誘導したと言ってもいい。

 だから反撃には手心を加えてやった。


 魔法で床の石タイルを操ってあごを強打した。

 首謀者は目を回して失神した。

 私は何食わぬ顔で部屋を出て地下へと続く道を探した。

 大体の見当はついた。

 こういった屋敷はいくつか見たことがあるし、姉の気配もおおよそわかっていたからだ。


 地下は古い地下牢で、不潔きわまりなかった。

 何年も掃除された気配がなく、クモの巣だらけでネズミの糞がそこら中に落ちていた。

 地下の有様は「ひどい」の一言に尽きた。

 捕らえられていたのは姉だけではなかった。

 使用人もおおぜい捕まっていた。

 大きな鉄枷と鎖につながれているものが多いが、そうでないものもいた。

 つながれていないのは一見して「逃げられない」とわかるような者たちだった。

 明らかに死んでいる者も混じっている。


 姉は、繋がれていなかった。

 目を閉じるでも開けるでもなく、虚ろな表情を浮かべたまま横になっていた。

 近くには誰もいない。

 一人だけ別の房が用意されていた。

 姉はここでも一人ぼっちだった。


「姉上」


 私が姉の頬に手をやると、姉はほんの少し首と目を動かしてこちらを見た。「ああ……」とかなにかをつぶやいて微笑んだ。


「来たのね」

「ああ、来たよ」

「わざわざ来てもらって、悪いんだけど……。私もうすぐ死ぬわ」

「ああ」


 それはわかっていた。

 最初見たとき、もうすでに死んでいるのではないかと思ったくらいなのだから。

 姉はぽつぽつと声を出し続けている。


「ねえ、私、なんのために生まれてきたのかしら」

「さあね」

「部屋の中で閉じこもって……生きてきたけど。

 ずっとそんな調子だったわ。

 楽しいと思えるようなこともなく、ただ窓の外を眺め続けて……。

 誰かの迷惑にならないように息を殺して……」

「本を読めばよかったんだよ」

「私、目も悪いのよ」


 姉は心底可笑しそうにくすくすと笑った。


「そんなことも知らなかったの?」

「ごめん」

「……。

 あなた、こんなところまで来てよかったの?

 領主の仕事があるでしょう?」

「さあ……」

「さあって、あなたそればっかりね」


 姉はまた笑った。

 笑って、苦しそうにせき込んだ。

 むこうを向いて口から驚くほどの量の血を吐き出した。

 どうりでやけに口元が汚れていたわけだ。


「ここに来てから、私の人生はますます下り坂だったわ。

 ゆるやかにどんどん不幸になっていった。

 最後には、」


 姉は口元に自虐的な笑みをうかべて手を少しあげてみせた。


「このザマ。笑うしかないわよ」

「……」

「ずっと生きてても仕方ない、死にたいと思ってきたけど……。

 ここ最近はそんなの比べ物にならなかったわね。

 生まれてきたことを後悔するって、ああいうことを言うのね」

「……」


 何も言えなかった。

 ただ姉の手を握っていることしかできなかった。

 冷たい手だった。


「……痛い」

「ごめん」

「ねえ、お願いしてもいい?」

「なにを?」

「私をこんな目に遭わせた奴を……、地獄送りにしてくれないかしら」

「わかった」

「即答? 本気なの?」

「ああ。本気だ。上にいる奴らと……、旦那は? 旦那はどうする」

「決まってるでしょ」

「わかった」


 姉は可笑しそうにくすくす笑った。


「ああ……、少しだけ気分が晴れたわ。ありがとう」

「いいよ」

「ああもう、本当に……、なんだったのかしら」

「……?」

「私は、なにが……、どうして……」


 姉はゆっくりとおかしくなっていった。

 復讐の依頼をはたしたからだろうか。

 急に私のことを忘れてしまったようにぶつぶつと聞き取れない声で話している。


「姉上?」

「ああ……、そうね。いたわね……」

「いるよ」

「そうね、お前は、いつも私のところに……。ほら……」


 姉は横をむいて壁を指さした。


「そこでしょ?」

「ああ……。ありがとう、寝てていいよ」

「うん、そうする。眠いから……」

「……」

「ああ……」


 姉は燃え尽きた後のろうそくの煙のようなため息をついた。

 次の一言が姉の最後の言葉だと、わかった。


「みんな、みんな、死ねばいいのに……」


 姉は目を薄く開けたまま死んだ。

 私はその瞳を閉じてもう少しだけ手を握って待っていた。

 しかしどれだけ待っても、もう姉は目を覚まさなかった。


 私は立ち上がり、姉に頼まれたことをやり遂げに行った。

 囚われの使用人たちが縋るような目で見てきたが無視した。

 地下から出ると、首謀者が起きたらしく、入り口が囲まれていた。

 大勢いる。

 助かった。探す手間が省ける。

 怒号と悲鳴をひとしきり聞いて、私は屋敷を出た。


 姉の夫……義兄を探しに行った。

 探し当てる頃には何年か経っていた。

 義兄はさらに北方の奥地にある村に住んでいた。

 呆れたことにすでに妻子をもうけていた。

 私が目の前に立っても、義兄はすぐに私のことに気づかなかった。

 私がナイフを取り出してようやく気付いた。

 驚愕、恐怖、反抗、憎悪、諦念、喪失。

 だいたいこんな感じの表情の変化を見せた。

 見せたところで結果は変わらないが。


 私は義兄の妻子の前で彼を切り刻み、村を後にした。

 雪を踏みしめながら、姉のことを思い出していた。

 これで姉の頼みは全て終わった。

 いや、全てではないか。

 あれは、どうなのだろうか……。


「みんな、みんな、死ねばいいのに……」


 姉の真似をしてつぶやく。

 あれは、依頼に含まれていたのだろうか。

 私はいましがた去った村を振り返った。

 雪の音にまじってかすかに怒号と悲鳴が聞こえる。

 村に戻るべきだろうか……。


 結局、私はそのまま故郷へ、自分の領地へと戻っていった。

 領主としてなにごともなく元の生活に戻れることを期待していたわけではない。

 昔住んでいた家はどうなったのかな、というその程度の感慨を満たすために戻った。

 すでに別の領主が住んでいた。

 父の代から出入りしていた商人で、大金を払って領主の座を買いとったようだ。

 妻と娘は新しい領主の元で暮らしていると、風のうわさで聞いた。


 私は元自分の屋敷を小高い丘の上に座って眺めた。


 さて、どうしたものか……。

 やるべきことが無くなった。

 やりたいことも無い。

 残ったものは……。


「そうだな。改めて考えてみると、悪くない。

 なにも悪くない。

 いずれ、みんな死ぬ。その終わりの時期を早めるだけだ。

 いずれつぶれていくものを、一度につぶしてしまうだけだ。

 どこまで行けるか試してみるのも、悪くない……」


 私は立ちあがり、伸びをして、屋敷に背を向けた。

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