第126話 斬命閃
ローアはチッと舌打ちし、叫んだ。
「シェイル!」
シェイルは呼ばれるまでもなく、ローアを見ていた。
ローアは瞳に狂気的な光を宿し、かすかに口元をにやりと歪めた。
そして自分の胸に手を当て、何かをつかみだす仕草をした。
子供の頃、心臓をつかむ真似事をしたことがあるけど、それに近い。
もちろんローアも心臓をえぐり出したりはしていない。
しかし、何かは握られているように思えた。
ローアはそれを持って高く振りかぶった。
「落とさないでよ!?」
ローアは投げた。
シェイルはトゥルモレスに完全に背を向けてそれを受けとることに専念した。
こちらの方が大事だ。
トゥルモレスは他の仲間たちがなんとかしてくれるはずだ。
いやむしろ、してくれないと困る。
なにかを投げたローアは意識を失ったようにそのまま地面に倒れた。
ように、ではないか。そのままだ。
ローアが投げたのは魂そのものなのだから。
意識がなくなるのは当然だ。
それにしても、泥の雨の降る中でむき出しの魂を投げるなんて、むちゃくちゃだ。
自殺行為そのもの。
こちらまで来るのを待っていてはいけない。
急いで取らなくてはならない。
さて、今、ローアの魂はどこにある……?
魔力の気配はうっすらと感じる。
しかし、見えない。正確な位置はわからない。
おまけに、背後では強大な魔力のぶつかり合いが起きている。
飛行機の爆音のもとでコオロギの声を探るようなものだ。
ひどい例えだ。わかっている。
それだけ頭が回っていない、切羽詰まってるということ。
魔力で探していてはダメだ。
目にも見えない。
でも、ローアは信じて投げた。
俺ならできると。
できるはずだ。
どうすればいい。どうすれば……。
ローアは何を考えた?
ローアはどういう奴だ?
俺がこの世界に来て一番長く一緒にいたのがローアだ。
わがままでむちゃくちゃだけど、今までずっと俺の味方でいてくれた。
誰よりも信頼できる。
ずっと一緒にいて、たくさんのことを共有して―――。
……共有?
ああ、そうか。共有か。
そういやそうだった。
俺とローアは共有されてたんだった。
目をつぶり、ローアにかけられた隷属魔法の糸を探す。
見つかった。糸はいつもすぐそこにある。
糸に触れると、かすかに振動していた。
魂だけになったローアが魔法で揺らしているのだろう。
糸電話の要領で声が伝わってくる。
(まだか! 早く気づけ! このばか!)
見えた。
魂だけになっても元気そうだ。
こちらも糸電話で応答する。
(ごめん、確認した。どうキャッチすればいい?)
(! 普通にキャッチでいいわ! あとはこっちでやるから)
(わかった)
(落とさないでよ!)
(わかってる)
ローアに言われた通り、キャッチを試みる。
糸で場所を確認して、そこに手を置く。
ふわっと綿あめのようなものに触れたような気がした。
途端、手から体の中を通って何かが侵入してくる。
そのまま心臓のあたりに到着すると、動かなくなった。
(気づくのが遅かったけど、まあいいわ。及第点ね)
(どうも。身体はどうする? 野ざらしだけど……)
(ほっときなさい。それどころじゃないわ)
(わかった)
シェイルは振り返った。
目を離したのは一瞬だったが、ひどい有様だった。
エリス達はボロ雑巾のようだった。
シェイル達を守るために暴れるトゥルモレスの攻撃を防いでいてくれていた。
トゥルモレスにはまだまだ余力がある。
魔力は減っているが、底はまだまだ見えない。
シェイルはアドルモルタを握り直した。
アドルモルタの魔力と自分の魔力の残量を確認する。
そしてさっきの攻撃で確かめたトゥルモレスの魂の強度を思い出す。
斬れるだろうか?
計算する。
どれだけの魔力を火力に回すか。
泥の雨に相殺されるエネルギーはどれだけか。
この一太刀にかかる時間はどれくらいか。
トゥルモレスが回避した際に追うための魔力にどれだけを割くか。
計算し、推測し、予測する。
俺は天才じゃないし、十分な努力を積んでいない。
ドットほどの技術は無い未熟者だ。
だから、考える。
どれだけの魔力が必要なのか。
わからない。
結局、わからなかった。
トゥルモレスの魂の強度が確定できない。
どこまで踏み込めば十分だ、というところが、無い。
答えは闇の中にある。
断崖絶壁の下にある。
答えを知るには飛び降りるしかない。
全力で、できるだけ遠くまで跳ぶしかない。
恐れてはならない。
失敗を恐れてはならない。
ためらいは集中をにぶらせる。
死を恐れてはならない。
ここでの死は避けられないものだから。
アドルモルタを構える。
それは単なる思いつきだった。
なんとなく、効果がありそうだと思っただけ。
「熱に浮かされた子供が泣いている
虚しい夢を見て鳴いている
流浪の馬を思って哭いている
眼下に迫るカモメの群れ
命を捨てよ
祈りを捧げよ
永遠に尽きぬ夢を見る者よ
現世を壊す不埒な輩よ
流浪なりし我が身なれども
亡者を斬るは易い業
怜悧なる刃にて
砂の城を断ってみせよう」
ふと、いつか一人の神官が詠んでいた呪文を思い出したのだ。
そのまま使ってろくでもないことになったら困るので後半は適当に変えた。
ちょっとおかしなことになっている気はするが、ただのゲン担ぎだ。
問題ないだろう。
効果はあった。
トゥルモレスを斬る、という決意をこめて口にしたからかアドルモルタもそれに応えてくれた。
いつもよりも炎が強い。
静かで、冷たく、鋭い。
アドルモルタを高くかかげる。
炎が白い蛇のようにくっきりとした形をもって刃にまとわりつく。
トゥルモレスがこちらを振り向いた。
その目には恐怖が浮かんでいる。
両手が動いた。
トゥルモレスよ。
世界の命運をかけて。
いざ、勝負だ。
***
「斬命閃」
『死泥葬棺』
斬命閃を振った瞬間、トゥルモレスもそれに合わせるように黒い泥を撃ちだしてきた。
大量の泥を直線的に吐き出し続けている。
おそらく本気で死を確信したのだろう。
この反撃もノーリスクではないはずだ。
魂を削るようにして魔力をひねり出しているはず。
それほどの出力であり、それだけの覚悟で放たれた魔法だということ。
まあ、それはこちらも同じだが。
白い炎と黒い泥が中間地点で激突する。
かたや、魂まで焼き尽くす炎。
かたや、あらゆる生命に死をもたらす泥。
尋常ではない重さが両腕にかかる。
反発して飛び散った炎と泥が、目にも止まらない速度で飛んでいく。
情けないことに、勢いは向こうの方が上だった。
完全に不意をついたはずなのに、
アドルモルタを使ったのに、
ドットよりも魔力は多いのに……。
それでも押し負けそうだった。
魔力は全て絞りつくす勢いだった。
すでに俺の魔力はほとんど全てアドルモルタに捧げた。
いま放出されているのはアドルモルタの中に蓄積してきた魔力から生み出された炎だ。
俺の力ではすべての魔力を一度に変換し、放出できなかった。
それができれば勝てただろうが……。
いや、よそう。
できないことができるようにはならない。
アドルモルタが手の中から吹き飛ばないよう、細心の注意を払って全力で支える。
激しい死の泥と炎の奔流の中にかすかにエリス達の魔力の気配を感じる。
手を貸してくれている。
すぐそこにいる。
フォクス・ミクスが。
サフラが。
トリビューラが。
レドモアが。
ドミナトスが。
キュアリスが。
そして、エリスが。
見えないけれど、命を捨てる覚悟で一緒に抗ってくれている。
「仕方ないな」と苦笑しながら手を貸してくれる彼らの姿が見える。
それでも、まだ足りない。
この暴力的な嵐に抗って進むだけの力が、俺には……。
(シェイル)
胸の奥でローアの声がした。
魂だけの。
トゥルモレスを罠にはめ、目算を大いに狂わせた天才の声が。
もう戦えないはずの彼女の声がした。
(私も手を貸すわ。少し横にずれて)
(でもそんなことしたらローアまでアドルモルタに食われて……)
(今更だわ。それにやらなきゃトゥルモレスに負けちゃうじゃない。
そんなの嫌だわ。私はアンタに勝ってほしい)
(わかった。一緒にいこう)
(当然よ)
ローアの手が横から伸びてアドルモルタの柄を握ったような……そんな錯覚を覚えた。
情けない話だ。
結局一人では敵わなかった。
神様にも勇者にも魔王にも味方してもらって。
挙句の果てに、魂だけになったローアにまで手を貸してもらって。
ようやく刃が届いたのだから。
アドルモルタを振り下ろし、トゥルモレスの魂を砕いた。
死を振りまく災厄を倒した。
そして、アドルモルタの中にトゥルモレスの魂が流れ込んでくるのがわかった。
トゥルモレスの魂が砕けるのと同時に、アドルモルタの刀身も砕けた。
刀身からアドルモルタが飲み込んできたたくさんの魂の残滓があふれ出た。
その多くはほとんど何の意思も残していなかった。
それほどまでに細かくすりきれている。
それらは空中にただよい、うつろった後でゆっくりと消えた。
彼らがどうなったのかはわからない。
俺はいつかローアが解き明かしてくれる日を待っている。
ドットがそこにいたのか。
彼の魂がどうなったのか、知りたい。
さて……。
解放された魂の中にはトゥルモレスの魂もあった。
アドルモルタの炎に焼かれ砕けた魂。
すでに壊れたそれに俺は触れた。
これまでのことを考えると、極めて危険な行為だ。
一応弁解しておくと、それは意図したものじゃなかった。
アドルモルタが目の前で砕けて、真っ先に飛び出してきた魂の破片にぶつかった。
つまりは、不可抗力だった。
それは、ひょっとしたらただの白昼夢だったのかもしれない。
それくらい一瞬の、あいまいなイメージだった。
今から話すことはただの想像だ。
一部分だけ真実、なんてこともない。
全てがただの想像だ。
あの時に見たイメージを後から思い出して解釈したものだ。
俺はずっと疑問だった。
トゥルモレスがどうしてあれほど生命を嫌悪していたのか……。
ただ嫌いだというだけで自分よりも格上の神や魔王たちを相手に戦争をしかけるだろうか。
たった一人で。
何百年もかけて。
ひょっとしたら、俺が知りたかったトゥルモレスの理由、みたいなものを勝手に想像しただけなのかもしれない。
ローアは「お人好しすぎるのよ」と言っているけど……。
実のところ、俺だって半信半疑だ(お人好しすぎる、ということも含めて)。
ただ「本当だったらいいな」と思っている。
俺達が戦った敵が「理解できない敵対者」ではなかったということになるから。
彼は「敵」じゃなかった。
彼は一人の人間だった。
そう思い返せるようになるから。
俺はそう思っている。
虫のいい話だろうか?
間違いなくそうだろう。
わかっているけれど。あいつは確かにたくさんの人たちを無惨にも死に至らしめたクソ野郎だったけれど。
せめてトドメを刺した俺くらいは思い返してやりたい。
奴のことを。
奴は人間だったと。
俺が殺したのは人間だったと。
そう思い返してやりたいのだ。