第13話 祝祭
教会に戻ると、ローアが既に起きていて宴会の用意をしていた。ブブとボボにあれこれと指示をして自分もテキパキと働いている。二人が戻ったのを見てローアはスッと目の色を変えて近づいてきて、目の前で止まった。…なんだか近い。詰め寄られている気がする。
「エルダ様、シェイル…今まで、どこに?」
気のせいではなかった。声色に微かに…ほんの微かだが、まぎれもなく怒気がにじみ出ている。
「えっと…、そのですね、ローア…」
「はい、エルダ様。なんでしょう。どこへ?」
「その…散歩です」
「は?」
「あの、その、ちょっと…散歩に行ってたんだ…けど…」
「ふぅん…? 散歩に? 祭りの? 準備も? ほったらかして? 今まで? ずっと?」
「ご、ごめんなさい、ローア」
「あの…ごめん…」
「はい。じゃあ、二人とも手伝ってください」
エルダとシェイルはローアの指示に従って走り回っていると、あっという間に日が暮れて宴会の時間になった。
村人たちがわらわらと集まってくる。奥の方、祭壇に近い側に村長をはじめとした年配の男たちが、次に若い男、女子供、というような順番だ。
聖堂の床は石材であり、椅子も取っ払っているので、そのままだと座るのにはつらい。教会でもある程度は用意していたが、村人にも古い毛布を持ってきてもらうように頼んでいたらしい。めいめいが持ってきた毛布の上に座っている。
全員集まったところで、エルダが丸めた羊皮紙を持って祭壇に近づいた。それを見て村長がエルダに歩み寄ってきてあいさつをした。
「神官殿、この度は宴の席にわしら村の衆を招いていただき、まことに感謝しとります」
「いえいえ、こちらこそ日頃の皆さんへの感謝を込めて、お招きしたのです。どうぞ肩の力を抜いて楽しんでください」
エルダと村長が話している間にローアとシェイルは村人全員にお酒を注いで回った。これがけっこう時間がかかった。なにせ百人近くいる大人全員に酒を注がなくてはならないのだから。最後には見かねて手慣れている女性たちが手伝ってくれた。
ローアとシェイルが近くを通りかかったときに、アシュリーが小さく手を振ってくれたのが、二人にはけっこう嬉しかった。
料理も人数分には遠く及ばないが、用意した。大皿に肉や野菜を焼いたものを沢山乗せて、人が固まっているあたりに置いて回った。
酒が全員にいきわたると、ローアは村長と話していたエルダの近くに行ってエルダにそれとなく合図した。
「ああ、そうだったんですね。―――ん?ああ、わかったわ、ありがとう、ローア―――。…村長さん、用意もできたようですから、そろそろ始めましょうか」
「ああ、そうですな。よろしくお願いします、神官殿」
エルダは祭壇に立った。話をしていた村人たちはエルダに注目し、すぐに聖堂は静かになった。
「お集まりいただきありがとうございます。皆さんの祝祭に主催として参加できたことを、嬉しく思います。ま、私の話はこれから長くなります。先に乾杯しておきましょうか。…皆さん、飲みたいでしょう?」
エルダが壇上でいたずらっぽく笑うと、男たちから失笑が漏れた。エルダが自分の杯を持って掲げる。それに合わせて村人も杯を掲げた。
「春の訪れに」
「春の訪れに!」
全員がぐいっと酒を飲んだ。一気に場の空気が弛緩する。所々でひそひそと話す声と笑う声が聞こえ始める。
「では、私からの日頃の感謝を込めた説話を話させていただきます。飲みながら気楽に聞いてください」
エルダはそう微笑んで説話を述べ始めた。
***
この村では酒は十歳になれば飲める。なのでシェイルもローアもアシュリーと母親がいる近くに座って、酒を飲んだ。
シェイルは酒をほんのちょっとだけ舐めた。
「うっ…」
苦い。シェイルはそれ以降飲もうとしなかったが、周りはどんどん飲んでいく。めちゃくちゃ勧められるし煽られる。飲んでいない方がしんどいという状況になったので飲むことにした。ちなみに勧めたし煽ってきたのは半分くらいはローアだ。
やはり苦い。変な味だとシェイルは思った。前の世界でも舐める程度の量は飲んだことがあるが、やっぱりこっちの世界でも酒は酒だった。むしろエグ味が強いような気がする…。
「なあ、このお酒…まず―――」
「なぁに?」
「え?」
気づいたときにはローアはすでにちょっと酔っぱらっていた。左手の杯は空で、しかも右手にはお代わり用の小さい樽を持っている。と、目の前で二杯目を注ぎ始めた。
「美味しいわねぇ。これぇ? もう三杯目よぉ!」
訂正。三杯目だった。
「…ちょっと、飲み過ぎじゃないか?」
「あははは! 何言ってんのー! 全然よぉ!」
「痛っ、痛っ!」
笑いながらローアに背中をバシバシ叩かれた。力加減まで馬鹿になっている。なんて面倒な酔い方をするんだろうか。
…とりあえず、お代わり用の小樽は取り上げて…、離さないな。ずっと持ってやがる。
「あんたももっと飲みなさいよ~」
そしてローアは自分の杯にドンドン注いで、ついでにシェイルの杯にも注いで、ドンドン上機嫌になっていった。…アシュリーが「どうしたの?」と言わんばかりの目でローアとシェイルを見ている。アシュリーの母親が冷たい目をしている。
まずい。これはまずい。
もうローアは止まらない。俺が止めるべきなのだ。
シェイルは杯を置いて立ち上がり、ローアの手から小樽をもぎ取って、遠くに置きに行こうとした。
「あぁ~、何すんのよぉ~」
「…」
普段は聞けない甘い声を出されてズボンのすそをつかまれたが、シェイルはローアの手を引っぺがした。
既に十分に厄介な酔っ払いなのに、これ以上飲ませてたまるか。
酒樽を男衆に献上して戻ると、ローアは仰向けになって眠っていた。アシュリーに頬を突かれている。
シェイルはどっと疲れて、座って自分の酒をちびちび飲みながら周囲のおしゃべりや、騒がしくなったにもかかわらず壇上で淡々と説話を話し続けているエルダを見た。すごい。こんなに酒飲みたちにあふれていて、うるさいのにそれでも話し続ける胆力もそうだが、それに聞き入っている村人が少なからずいる。何を話しているのだろうと気になって耳を傾けた。
どうやらエリス神の話のようだった。
聞いていると、ぼんやりとだが話の輪郭が見えてきた。
なにか、魔神だか邪神だかと戦争しているシーンの話をしているらしい。
神々が戦争するって言うと…ギリシャ神話かな? ゼウスとかのなんか人間っぽい神様がたくさんいた気がする…。あれ?ラグナロクっていうのが神々の戦争だったと思うけど、ギリシャ神話だっけ?それとも北欧神話か?…わかんないな。
まあ、いーかー。大体そんな感じじゃないかなぁ? うろ覚えでしかないけれどぉ…。
エリス神は昼の世界?を守るために戦っていて、対する魔神―――トゥルモレスと発音していたと思う―――は世界を夜が支配する世界に変えようとしている、ということ…のようだ。
段々と周囲のおしゃべりの声が小さくなっていく。話に集中できるようになってきた…。
三日三晩に及ぶ死闘の末にトゥルモレスの軍勢は撤退した。エリス神の軍勢が一斉にトゥルモレスの軍勢に突撃をしかける。ここで一気に勝負を決めるつもりのようだ。
しかし、追撃していたエリス軍の全体が谷に入ると、トゥルモレス軍は反転した。驚いてエリス軍はおかしいと思いながらも止まれない。停止を命令するラッパの音が鳴り響く。
エリス軍に「罠か?」という冷たい戦慄が走りぬける。
しかし、トゥルモレス軍は動かない。
静寂。
遠くから歌声が響いてくる。谷の上。エリス軍は崖の上を見上げる。
トゥルモレスが立っていた。夜の歌を歌っている。朗々と響き渡る声で。
熱に浮かされた子供が泣いている
虚しい夢を見て鳴いている
流浪の馬を思って哭いている
眼下に迫るカモメの群れ
命を捨てよ
祈りを捧げよ
孤独の中で死ぬがいい
毒にまみれて尽きるがいい
物言わぬ人形のように朽ちるがいい
手綱の切れた馬が啼く
散るは花のみにあらず
夜の訪れを祝いなさい
罠にはめられたと気づいたときにはエリスの軍勢は一人残らず眠りに落ちていた。
三日三晩戦いに明け暮れ、もう一歩で勝てると熱くさせ、一気に冷やした心の隙を、魔神の歌が突き崩した。
…そして。
聖堂にいた人間も、眠りの世界に誘われた。
ただ一人、エルダを除いて。
***
「…さすがに魔王の呪文はすごいわね。私でも、酒に酔っているとはいえ百人近くも眠らせられるなんて」
誰一人として起きている者のいない聖堂を見渡してエルダが独り言をつぶやく。もはや声をひそめていない。誰かに話しかけているかのような声の大きさでの独り言だった。
エルダはちらりと隠し部屋への扉に目をやったが、「いや、ダメだ。彼女は生かしておかないと…」と言い、ローアとシェイルの名前を呼んだ。
「宙に浮け。不可視の揺りかごに乗りて、我に追従せよ」
ローアとシェイルがフワリと宙に浮いて、エルダの方に漂っていく。エルダは二人が壁に当たらないように軽く触れたり、風の魔法で誘導しながら二人を引きつれて、聖堂を出て地下牢へと向かった。
「ああ、そうだ。忘れてた」
と、慌てて聖堂に戻り、床に敷かれた古毛布を2枚引っぺがした。その上で寝ていた大人たちが何人か石の床に放り出されるが、エルダは気にせずに毛布を持って地下牢へと歩いて行った。石の床に身体をうちつけた大人にも起きる気配は無い。かわらずいびきをかいたままだ。
エルダは指の先に火をともし、二人が壁に当たらないように3回ほど後ろを振り返りつつ階段を下りて行った。地下牢まで下りると、牢の中に閉じ込められたならず者の目が自分に向いているのを感じた。
しかし、エルダは無言のまま、ならず者たちに視線をくれることなく、シェイルが前にいた空の牢を開けて中に毛布を丁寧に敷いた。そして二人にかけていた浮遊の魔法を少しずつ弱めて、ゆっくりとローアとシェイルを毛布の上に寝かせた。
エルダは牢を出ると、一瞬だけためらったが鍵を閉めた。
そして、ならず者たちの牢のカギを開けた。
「さあ、出番ですよ。付いて来てください」
「やっとかよ…」
ならず者たちはエルダをにらんで非常に気怠そうに立ち上がった。
「もっと早く出してくれも良かったんじゃないのか?」
「…」
エルダはならず者のリーダーらしき男の問いかけを無視した。それが気に入らなかったリーダーが怒鳴り声を上げる。
「おい! 聞いてんのか!」
「…」
「おい! …っあぁ!?」
なおも無視するエルダにリーダーは再び大声で抗議すると、突然、リーダーの左腕がねじ曲がった。関節を極めて動けなくするとかそういう類のねじれ方ではない。地下牢にぼきぼきと骨の折れる音が響いた。
リーダーが痛みのあまり、腹の底から絞り出すような声で悲鳴を上げ、うずくまった。他のならず者たちは身動き一つできずにリーダーとエルダをただ見つめていた。
「ああぁぁ…ああぁあぁ…!」
「黙れ」
エルダがそう静かに呟くと、リーダーの口は縫い付けられたようにピタリと閉じた。
リーダーは声を上げることもできず、涙を流して閉じた口を無事な右手で必死に開けようとしている。
エルダはそれを無視してならず者たちに淡々と言う。
「その件については今朝話したはずです。私は無駄なことを言うのが嫌いです。そもそも捕まったこと自体、あなた達の落ち度でしょう。いいから来なさい。…ああ、そいつも連れてきなさい」
エルダはうずくまっているリーダを指さしてそう言うと、来る時と同じように指先に火をともして階段をさっさと上っていった。残されたならず者たちは明かりがなくなっていくので慌てて階段をつまずきながらも上った。もはや自分では身動きも取れないリーダーは三人がかりでどうにか上に連れて行った。
リーダーはエルダにもう近づきたくないのか、それとも痛みのためか、激しく抵抗したが、ならず者たちはリーダーを置いて行って今度は自分たちが恐ろしい目に遭うのが怖かったため、無理矢理連れて行った。
地下牢からの階段を上った先にはエルダはいなかった。聖堂の扉が開いていたので、顔をのぞかせるとエルダをはじめたくさんの村人がいた。ならず者たちはたくさんの村人がいることにぎょっとしたが、眠っていることに気づいて聖堂におずおずと入ってきた。
エルダは祭壇に手を掛けて待っていた。一切の表情が無い目をならず者たちに向けている。
ならず者の内の一人がへりくだった様子でエルダに声をかけた。
「…私たちは、何をすれば…いいんでしょうか…?」
「あなた達の中から誰か1人、選びなさい」