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勇者・隷属・アドルモルタ  作者: 甲斐柄ほたて
最終章 これまでの千年・決戦・これからの千年
129/134

第125話 かつて神を殺した者

 ローアがシェイルの治療を終えるよりも、トリビューラの方がずっと早く復活した。

 ローアが見積もりを誤ったのか、それともトリビューラが意地でも張ったのだろうか。

 トリビューラは立ち上がると、ローアに顔を向け、無言でトゥルモレスとの戦いに加勢に行った。

 ローアにはその顔がどうにも勝ち誇っていたように見えたが、「ふん」と鼻を鳴らしただけだった。

 すぐにシェイルへ目を落とす。


 どちらが早いかなどどうでもよかった。

 ただ、シェイルを元通りに戻すこと。

 それだけが大事だった。

 肉体の修復は難しくない。

 魔力さえあればローアにはもはや造作もない。

 魔力はシェイルが持っている。だから何の問題もない。

 問題は魂だ。

 これは魔力はもちろんだが、集中力が必要だった。

 途方もない集中力。

 十トンの藁の山から針を探しだすような。

 百メートル先の麦粒を弓で射抜くような。

 千枚重ねた薄いガラス板の一番下の一枚だけを割るような。


 そんな集中力が必要だった。

 迅速に、微細に、大胆に。

 心をこめた魔法の糸で、破れた魂を縫い合わせていく。

 こぼれた綿は元通りにつめ直して……。



 あれ? 元通りってどんなのだっけ?


 ま、いっか。

 わかんない、わかんない……。



 ***



「うぅ……、気持ち悪い……」

「なによ、私が助けた人はみんなそう言うのね」


 吐き気をもよおして顔をそむけたシェイルの背中をローアがさすっている。


「やり方が荒っぽいんじゃないの?」

「……へえ、じゃあ次はもっと時間がかかってもいいかしら?

 脳みそ腐っちゃうと思うけど」

「今のままでいいです。どうか、ぜひ、今のままで」

「うむ。わかればよい」


 ローアはレドモアの真似をして胸を反らし、尊大に腕組みをした。

 しかし……、かの魔王と比べると圧倒的に足りないものがある。

 どこがどうとは言わないが、主に胸のあたりが足りない。


「どっ、どこ見てるのよ」

「え、えーと……、見てないよ」


 ローアは顔を赤くしている。

 どうやら胸に見とれていたと勘違いしたらしい。

 こういうところは可愛い。

 バレなくてよかった。

 真実を知ればきっと烈火のごとく、などという表現が優しく感じられるような勢いで怒るだろう。

 慣れることは無い。

 罪悪感など無い。

 バレなくてよかった、という安堵感だけだ。


「じゃあ、俺達も行こうか」

「そうね」


 振り向くとローアが手を伸ばしてくれていた。

 手をとって、立ち上がる。

 生きててよかった、と思う。

 この後の結果なんて、どっちでもいい。

 俺たちがトゥルモレスに勝とうが、負けようが、どっちでも。

 この手は俺を認めてくれている。

 ここにいていい、と言っている。

 目の前のこの人はそう思ってくれていると確信できる。

 俺がこれまで生きてきた意味なんて、それで十分だ。


 手に少し力をこめて握ると、ローアが首をかしげた。


「なに?」

「ううん、なんでもない」


 十分だけど、十分じゃない。

 彼女に恩返しをするのがまだだ。

 生きて帰らなければならないし、生きて返さなければならない。


「生きるって大変だなって思って」

「?」



 ***



 私は、いつの間にか劣勢だった。

 やろうとすることをエリスや魔王たちが次々につぶしていく。

 文字通り手も足も出ないような状態だ。

 エリスとフォクス・ミクスだけでは実現できなかった手数の多さで私を圧倒している。


 しかし、まだ焦る必要はない。

 アドルモルタが無ければ、本当の意味でのダメージは通らない。

 死なないとわかっているから、どれだけ劣勢でもかまわない。

 アドルモルタの所有者はつぶしたのだから後はじっくり攻略するだけ。

 エリスや魔王たちがろくにあの剣を扱えないことも知っている。


 だが、焦りは無いが、機嫌は悪い。

 思うように戦えないからだ。

 それは連中に攻撃を阻止されている、という話とは違う。

 各地に配置したはずの人形と連絡が取れなかったからだ。


 事前に広めておいた人形を大量に召喚して蹂躙する。

 そのつもりだった。

 しかしどういうわけか、人形たちを召喚できなかった。

 緊急用に魔力だけ転送させることもできるはずだが、それすら応答がない。


 なぜだ?

 エリスがなにかしたのか?

 いや、違う。エリスではない。


 私はループの記憶を持っているわけじゃない。

 ただ、前回の「私」からほんの一握りの情報を受けとったに過ぎない。

 エリスの世界を書き換える魔法の穴を突き、持ち越したかすかな情報。

 それを頼りに「私」たちは奴と戦い、少しずつ情報を増やしてきた。

 ついに奴のループを破壊するまでこぎつけた。


 だからエリスではない。

 奴は今まで「私」の人形をどうこうできたことはない。

 人形に変えられた者は元に戻せず、殺すしか無力化する手段はなかった。

 今回のループでできるようになった可能性も無くはないが、考えにくい。


 そうだ。そもそもエリスが人形から戻ったのがおかしい。

 それで今こんなことになっている。

 なぜだ?

 どこで狂った?

 私は……追い詰められているのか?

 私が……?

 誰が私を追い詰めている?


 ……私は、誰と戦っている?



 エリスではない。

 他の魔王たちではない。

 勇者でもない。


 どいつもこいつも「私」の残した情報どおりだった。

 それに基づく予想を超えるような動きはしていない。

 今こうして圧倒されているが、挽回は可能だ。

 ……可能なはずだった。人形さえ、応答したならば。


 残っているのは……、アドルモルタの所有者と、ただの人間の女だ。

 こいつらは今までのループにいなかった。

 アドルモルタの所有者は違う。

 これは雑魚だ。

 たしかに魔力は多い。剣を使いこなしている。治癒魔法は使える。

 だが雑魚だ。

 少し手をひねれば殺せる雑魚だ。

 そして、こいつではない……。

 こいつをもてあそんでいた時に、エリスは蘇った。

 こいつではない。


 ただの人間の女……?

 私はこいつの名前すら知らない。

 聞いたこともない。

 アドルモルタの、所有者の、付属品だ。

 なんだ、こいつの価値は? 役割は?

 なぜここにいる?

 魔力は無い、戦えるようには見えない。

 アドルモルタの所有者の手を借り、魔力を借りて、ようやくそこに立っているような存在。

 一度は踏み潰した……。雑魚とすら呼べないような存在……。



 こいつが、私の敵なのか?

 こいつが私を絡めとっているのか?

 こいつが……?

 馬鹿な……。



 金属のこすれる音がした。


「待たせたな、エリス! みんな!」

「遅いよ、シェイル!」


 遅い遅いと魔王や勇者たちから文句の声が上っている。

 弛緩した空気。

 この場にいる全員が勝利を確信している。

 私を、除いて……。


『なぜ、お前が……』

「直したの。私が」


 ただの人間の女が言った。

 口元に笑みをうかべている。

 忌々しい、どこかで見たような微笑みだ。

 悪寒が止まらない。


 こいつだ。

 こいつが、こいつこそが、私の敵だ。


『女……』



 ***



「……誰のことを言っているのかしら」

『貴様のことだ、女』


 トゥルモレスは「ただの人間の女」を指さした。

 指をさされても彼女は眉一つ動かさなかった。


「私になにか用?」

『名前を教えろ』

「お生憎様。あなたのような外道げどうに教える名前なんて私は持ってないわ」


 ローアはすました顔で髪をはらった。

 毛先をつまんで「そろそろ切った方がいいかしら……」などとつぶやいている。

 トゥルモレスはこめかみに青筋を立てた。

 他の魔王たちの攻撃を一身にあびながら、それらには全く意に介さず、唾を飛ばして叫んだ。


『貴様、何をした! 私に何をしたんだ!』

「何も? あなたには何もしてないわ」

『じゃあ、一体何をしたんだ!』

「あなたって思ってたよりずっと馬鹿ね。

 あなたのような敵に、外道に、恐ろしい魔王に、手の内をさらす?

 そんなことをするほど、私は愚かではないわ」


 ローアは冷たい目をトゥルモレスにむけた。


「そのまま大人しく死になさい。お前が私の手の内を知ることは無いわ」

『……ふ、ふふっ……。く、くくくくく、はははははっ』


 トゥルモレスは哄笑した。

 身体を切り刻まれ、貫かれ、削られながら。

 そしてそれを元に戻しながら。

 無限に続くであろうその工程を終わらせるべく、シェイルがゆっくりと近づいていく。

 アドルモルタに火を灯して。


 不意にトゥルモレスは笑うのをやめた。


詰み(チェックメイト)というわけか?』

「そうよ」


 ローアは即答した。


「だから潔く―――」

『お断りだ。死は醜いものだ。

 そう、お前たちは思っている。

 そうあることを、望んでいる。

 だから私は、期待に応えてやる。

 譜面の最後をけがしてやろう』


 トゥルモレスは憎恨のこもった目でローアをにらみ、口元を悪意をこめて歪めた。


『さあ、駒の清算だ。

 せめて多くを道連れに。

 この世に忌まわしき死の爪痕を。

 さて、果たして貴様の計算は合っているかな?』



 トゥルモレスの身体から黒い泥がほとばしる。

 それはおよそまともな魔法ではなかった。

 死と呪いがこもっているから、ではない。

 効率をまるで無視しているからだ。

 放たれた泥のほとんどが空中や地面にあたって砕けている。

 無為に消えていく。

 それらは、あるいははるか遠い未来に芽吹く魔法なのかもしれないが、少なくとも今は花開くことは無い。


 それでもしかし、放たれた泥は魔王や勇者たちを直撃し、さらには雨のように放物線を描いて降り注いだ。

 致命傷にはならない。

 小さな針が降り注いでいるのと状況的には大差ない。

 ただ、その針は肉体だけではなく魂にも小さな傷をつける。

 そしてその傷はローアにしか直せない。


 そしてローアはこの中で最も弱い存在だ。

 トゥルモレスが笑う。


『貴様が死ねば、すべてご破算だろう!』

「死ねば、ね」


 ローアとトゥルモレスを結ぶ直線状にはシェイルがいた。

 アドルモルタの斬撃で降ってくる泥は斬った。

 泥の直撃はほとんどシェイルが肩代わりした。

 ローアが受けたのはかすかなしぶきだけ。

 かなりのダメージだが、我慢できる。


「私にはつよーい騎士ナイトがついてるの。

 あなたはどう? お人形さんでも出したらいかが?」


 トゥルモレスの返事はなかった。

 返事をする前にシェイルがアドルモルタを構えたからだ。


 極大の魔力を、迸らせながら。


「斬命閃」


 生命いのちあるものを断ち切る火の斬撃が戦場を走る。

 エリス達はトゥルモレスを釘付けにしつつ、精一杯距離をとった。

 実際にはかすりさえしない。

 しかし、巨大な物体が高速で目の前を走り抜けていくような本能的な恐怖があった。


「ちょっ、シェイル、いきなり―――」


 そのときトゥルモレスの一番近くにいたキュアリスが抗議の声をあげる。

 シェイルはそれにとりあわず、すぐさま剣を振り上げた。

 その顔には焦りが浮かんでいた。


「シェイル?」

「くそっ、まだだ。もう一度やれば……!」



 その瞬間、悲鳴にも似た音が周囲を満たした。

 ダイアモンドをこすり合わせるような。

 発狂した牡鹿のような。

 鉄でできた塔が倒れるような。


 それはおそらく笑い声だった。

 不意に声がやむ。


『もう一度やれば?

 もう一度やれば上手くいくと?

 そう言っているのか?』


 ノイズ交じりの声がする。

 再び、泥の雨が降り始める。

 より激しさを増している。

 トゥルモレスの魔力がみるみる減っているのがわかる。

 その狂気じみた減少速度と裏腹に声はじつに静かだった。


『爪で石が削れるか?

 ろうそくの火で鉄が溶けるか?

 いやいや……。

 お前には無理だよ、木偶でくの棒』


 雨が降りそそぐ。

 死をもたらす黒い雨が。

 一秒で一年分の時間が過ぎていくような焦燥感を覚える。

 きっとあまり時間は無い。


『買いかぶっていた……。

 ああ、驚いたとも。恐怖したとも……。

 あいつの剣を持っていた。

 あいつと同程度の炎を出せる奴もいた! 剣術も! 斬られもした!

 ……しかしそれはお前じゃない。

 お前はあいつじゃない。

 ああ、怖かった怖かった……』


『ああ……、そう、そうだな……』


『今はもう、怖くない』



 ***



 素手の人間が何人いようと熊一頭を取り押さえられないように、

 魔王や勇者が何人いようとトゥルモレスは止められない。

 ローアが上手く罠にはめた。穴に落とした。

 魔王と勇者が穴から出ないように食い止めていた。

 上手くいきそうだった。


 しかし、相手ははるかに強大な存在だ。

 死に物狂いで抗われて、こちらの体勢が崩れたら、そのまま簡単に形勢が逆転する。

 俺は、しくじった。

 この中でただ一人武器を持っていたのに。

 硬かった。

 芯を捕えきれていなかった。

 奴の魂を砕けなかった。

 絶好の好機を逃した。


 いや、まだだ。

 ローアの罠は生きている。

 今度こそ、次の一刀で、奴を仕留めて―――。


『次など、無い』


 トゥルモレスが右手をあげ、何かをつかむ仕草をした。

 その手に何かが握られている。

 なにか光るものが、細い光の線が、見えた。


 糸だ。

 泥の糸。

 トゥルモレスの手元に糸が見える。

 その光の線が一本、すーっと伸びていく。

 ローアに向かって……。

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