第123話 オセロ
「よっ……と」
シェイルは空中で回転して着地した。
またローアが叫びながら落ちてきたのでキャッチする。
キュアリスは普通に着地し、ドミナトス、レドモアはふわふわと浮遊しながら降りてきた。
「なんで!?
なんで一日に何度も落ちなきゃいけないわけ!?」
「さあ?」
怒りのおさまらないローアをあしらいながらシェイルは周囲の状況を確認した。
遠くの方にトリビューラとサフラが立っている。
ドミナトスとレドモアはゆっくりとそちらを目指しているようだ。
他には何もなさそうだった。
だだっ広い平原が続いているだけだ。
隕石でも降り注いだようにクレーターがあちこちにあるくらい。
じっとしていても仕方ないのでシェイル達もトリビューラ達のところへと向かった。
「よくやったのう」
「助かった。礼を言う」
サフラは口の端を持ち上げて笑い、トリビューラは憮然とした態度で腕組みしながら礼を言った。
「それが人に感謝する態度なのか?」
「素直に礼を言いあう間柄でもあるまい」
「言い合う? 俺があんたに礼を言う必要があるのかな?」
「貴様らが現れた際にフォクス・ミクスが無防備な姿だったのは、余があれに一矢報いた結果だ。
さもなければ貴様など扉をくぐった瞬間に死んでおる。
命の恩人に礼の一つでも言ってはどうだ?」
「……そうなんですか?」
むっとした表情でトリビューラの嫌みったらしいセリフを聞き終えたシェイルはわざとトリビューラから視線を切ってサフラに尋ねた。
サフラはじろりとトリビューラをにらんでから言った。
「合っておる」
サフラの言葉にトリビューラは得意げに上体をそらし、
「半分だけじゃが」
すぐに不服そうにサフラの方に身体をむけた。
「半分とはなんだ、半分とは」
「半分は半分じゃ。おぬし一人の手柄のように言いおって。
トドメを刺したのはわらわじゃろうが」
「えっ……、かっこわる……」
ぼそりとローアがつぶやく。
「手柄を独り占めしようとしたの……?」
「聞こえておるぞ、小娘」
「そりゃ、聞こえるように言いましたから」
ローアは素知らぬ顔で言い返した。
「ええと、話がわからなくなってきたんだけど」
キュアリスが手を水平にはらいながら割りこんだ。
「つまり……、どういうこと?」
「お前の出る幕ではない。ひっこんでおれ単細胞」
「誰が単細胞よ! ……単細胞ってなに?」
「なぜ知らぬのに怒ったのじゃ……?」
「おい、どこまで話をややこしくするつもりだ。まさかワガハイにツッコミさせるつもりではあるまいな!」
レドモアが呆れたようにがなり立てた。
「構わんのか!? 構わんならやってやるぞ。後悔しても知らんがな!」
「「「やめてくれ」」」
シェイル、トリビューラ、サフラが同時に返事をした。
レドモアが魔法で剣を取り出しかけていたからだ。
お互いにムッとした表情で顔を見合わせてから、シェイルが続けた。
「あなたのツッコミには興味あるけど、今は後悔している場合ではないので……。
もうこの話は無しにしましょう。収集つかないし。……いいだろ?」
「……ああ」
憮然とした態度だがトリビューラはうなずいた。
「わらわは最初から異存ない」
サフラはひょいと両手をあげて見せた。
「つっかかったのはそいつじゃ」
「なんだと貴様……」
「やるか、小童……?」
「そこまでね、二人とも」
シェイルは二人の魔王の肩をぽんぽんと叩いてなだめつつ、ローアを振り返った。
「次の扉は?」
「必要ないわ」
「? それってどういう―――」
シェイルがそういった瞬間、ローアは無表情で足元を指さした。
途端、地面が「バキッ」と音を立てて割れた。
人の声のようにあっけらかんとした音があちこちで鳴っている。
ローアは揺れる地面の上を無表情で、シェイルに向かって歩いてきた。
「すぐに地面が崩れてなくなるわ」
「どゆこと!?」
「これが最後の扉だから」
「意味わかんないんだけど!?」
ローアは説明しながら、シェイルの腕をとってお姫様だっこするようにジェスチャーで指示した。
シェイルは多少困惑しながらも上の空で従った。
地面が崩れていく方がずっと気になっていたからだ。
他の魔王たちは呆れたような表情で立っている。
エリスの気まぐれには慣れっこなのだ。
「意味は、終わればわかるわよ」
ローアがそう言った途端、支えを失った地面がダルマ落としのように落下した。
***
「ようやくか」
トゥルモレスは空を見上げて言った。
空に浮かんだ扉が壊れ、中から大量の土とシェイルたちが降ってきた。
トゥルモレスは彼らに向かって歩き始めた。
鼻歌を歌いながら。
機嫌よく軽やかに。
シェイルたちは瓦礫の山の中から立ち上がり、トゥルモレスをにらんだ。
異様な魔力が近づいてくるのがわかったからだ。
「エリスとフォクス・ミクスは?」
「答えのわかっている問いに何の意味がある?」
「ただの確認だ。答えろ」
「やれやれ、これだから馬鹿は……」
トゥルモレスはおおげさに肩をすくめ首を振ってみせた。
しかし、シェイル達が挑発に乗らず、顔色も変えないとみるとつまらなさそうに指を鳴らした。
その瞬間、トゥルモレスの後ろに人形が二体立っていることに気づいた。
指を鳴らした瞬間に現れたのか、それともそこにずっといたのかわからないほど静かに立っている。
白髪で小柄な人形と、青い肌の巨人の人形だった。
「まったく……。世話の焼ける神様だな」
シェイルは変わり果てて虚ろな目をこちらに向けている神様と魔王を見てため息をついた。
「いま、元に戻してやるから……」
「元に戻す? なにを言っているのだ、お前は?
私の呪いがそんな甘いものだと? こいつらの魂など残っちゃいない。
寸断してぐちゃぐちゃにしたのだよ」
「魔法に不可能はない……。そうだろ?」
シェイルの言葉にトゥルモレスはじろりと冷たい目を向けた。
「不愉快だな……。
エリスが……、いや、あの男が言うならともかく、貴様のような火を手に入れて飛びはねているだけの猿が言っていいセリフではないぞ」
「火が怖い猿が言うじゃないか」
「ちっ……。身の程知らずのガキが……。
決めたぞ。貴様は私が千年かけてすりつぶす。覚悟するがいい」
「しねえよ、バーカ。やえうもんなははっへひほ」
シェイルは頬を指でひっぱってあっかんべーしてみせた。
トゥルモレスの眉間に青筋が走る。
「……殺せ!」
トゥルモレスは二人の人形に合図を出した。
***
戦況が不利なことはシェイルも重々承知していた。
トリビューラと口喧嘩こそしていたものの、その魔王としての実力を疑ってはいない。なにせ死力を尽くして戦った相手なのだから。
もちろんサフラのことも疑っていない。
フォクス・ミクスを相手にして、二人がかりでギリギリ持ちこたえていたというのは真実だろう。
フォクス・ミクスだけでそれだ。
しかも今回は本人が人形になっている。泥の人形ではないのだ。
それだけではない。エリスもいるのだ。
この世界の神様だ。
性格はともかく、能力は本物というか抜群だ。
いや、評価することさえできない。
彼女が戦うところを見たことがないからだ。
フォクス・ミクスには、トリビューラとサフラが大体釣り合うということがわかっている。
ではエリスには、レドモアとドミナトスとキュアリスとシェイルとローアで力を合わせれば釣り合うのか?
シェイルの頭の中で天秤が振り切れる。
比べるまでもない。無理だ。
トゥルモレスまでいるのだ。
もはや、勝敗は決していると言ってもよかった。
そんなことはトゥルモレス相手に啖呵を切っている前から、エリスとフォクス・ミクスの人形を見る前から、扉をくぐった瞬間に二人の姿が見えなかった時点でわかっていたことだ。
それでもシェイルがまだ剣を握っているのは、勝敗は決した、と誰も言っていないからだ。
「フォクス・ミクスはトリビューラ! それ以外はエリスだ!」
シェイルが叫ぶのと、エリスとフォクス・ミクス、さらにトゥルモレスが動いたのはほとんど同時だった。
気づけばシェイルの目の前にトゥルモレスが立っていた。
にやーっと見下したような薄気味悪い笑みをうかべている。
「それで? 私の相手は誰かな?」
トゥルモレスが死の泥にまみれた手をシェイルに振り下ろすのと、シェイルがアドルモルタを斬り上げるのはほぼ同時だった。
トゥルモレスの腕の振りそのものは速くない。
シェイルにとって腕を斬り落とすのはそれほど難しくなかった。
ただ、腕から飛び散った泥は防げなかった。
「ぐぁっ……」
ほんの数滴。
命に関わるようなダメージではない。
しかし、決して無視できるダメージでもない。
ドロドロになって溶けた鉄を浴びせられるよりもずっと深刻だ。
息をするように治癒魔法が使えるようになったシェイルにとって、肉体的なダメージは無視してよいが、この泥はそうではない。
肉体どころか魂まで蝕む毒だ。
治癒はできず、浴び続ければ死に至る。
「くそっ」
アドルモルタに火をともして振り回し、トゥルモレスを追い払う。
トゥルモレスは影のように音もなく飛び退った。
斬り落としたはずの腕はすでに回復している。
口元には相変わらずの薄ら笑い。
「おやおやどうした? 肉が腐っているようだぞ? 大丈夫か?」
「これはこれはご丁寧にどうも」
シェイルは痛みに顔を思い切りゆがめながら返事をした。
本当はポーカーフェイスを貫きたかったが、人間無理なものは無理だ。
どう考えても遊ばれている。
あいつにとっての脅威はもはや存在しない。
エリスも、その次に実力のあるフォクス・ミクスも片付けた後なのだ。
負けることなど万に一つもない。
そう思っているに違いない。
そして、それは正しい。
俺はそれに甘え、つけこむしかない。
悟られてはならない。
興味を引き、痛みに耐え、
イラつかせ、増長させ、
できるだけ長く遊んでもらうしかない。
時間を稼ぐのだ。
誰かが奇跡がおこすまで……。
***
初手はトリビューラだった。
消失する3つの彼岸でフォクス・ミクスを遠ざけようとしたが、失敗した。
フォクス・ミクスは視界の中に入っていた。
他のものは全て正しく魔法のルールにしたがったが、一番効いて欲しかった相手に効かなかった。
フォクス・ミクスは何事も無かったかのようにその場に留まり、四つの剛腕をふりあげ魔法を発動した。
『第三十七さそり座流星群』
ノイズ交じりのフォクス・ミクスの声が響く。
重力魔法を内包した奇妙な形状の「星」がいくつも作られる。
よく見ればそれはハサミの形をしていた。
「ハサミ」はその形状通りちょきちょきと空中の何かを切りながら等速直線運動をはじめた。
それほど速くはないが、完全に無視していいほど遅いわけではなく、障害物として邪魔になる程度には遅い。
おまけに。
『すべて夢の彼方に』
神様がノイズ交じりの声でつぶやいた。
ローアをはじめ、それを聞いた面々は死を覚悟した。
極めて高度で抽象的な魔法が使用された気配がしたからだ。
それはつまり、抗うことができないということ。
知らない魔法を防ぐ術はない。
しかし、その魔法は恐ろしいものではなかった。
まるで夢を見ているかのような気持ちになった。
空気が生温かい。
目に映るものがゆらぐ。
聞こえないものが聞こえる。
思考がほどけていく。
さきほどまでの腹の底から湧き上がるような恐怖すらも、今はもう失われている。
『あなたの望みはなに? 最後に叶えてあげる』
エリスらしからぬ穏やかで慈愛に満ちた声だった。
気づけばローアは一人だった。
ここがどこかはわからない。気にもならない。
にこりと優しい微笑みをうかべている。
ああ、やはり人形なんだな、とローアは思った。
こんなに優しく心の無い存在は見たことが無かった。
これが人形になるということなのか。
死ぬのかな。
ここで。人形になったエリスに殺されるのだろうか。
悪くないかもしれない。
きっと痛みは無いだろう。
いつかのときとは大違いで、いつの間にか終わっているに違いない。
本物よりも優しい微笑みを見ていると、そう思える。
望みは一つあった。
しかし、誰かに叶えてもらうようなものではなかった。
他の誰かが触れるとばらばらに壊れて台無しになるような。
そんな望み。
とはいえ、自力で叶えられる保証はない。
それこそ全て台無しになってしまうかもしれない。
エリスなら……。
完全ではなくとも、満足できる結果をもたらしてくれるだろうか?
ローアは一瞬の逡巡の後、「望み」を口にした。
「目を覚ましなさい、私の下僕。それが私の望みよ」