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勇者・隷属・アドルモルタ  作者: 甲斐柄ほたて
最終章 これまでの千年・決戦・これからの千年
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第113話 箱庭の王

 転移先は私とアダムが住んでいる家にした。

 場所は最上階の屋内庭園。

 ろくな準備も無しに転移魔法を使ったせいで私たちは庭園に放り出された。

 真ん中に白い大理石の石畳がしかれ、その両脇にアダムの花壇が置かれている。

 出かけた先で見つけた植物を片っ端から植えるものだから、レパートリーはゴチャゴチャだ。

 季節感も無い。

 食べる食べられないの分類も無い。

 アダムは食べられそうかな、で食べているけど。

 お腹が痛いと言うこともしばしば。

 ここが屋上だが、雨に濡れることは無い。

 金属のフレームにガラスの屋根が張られているからだ。

 今は夜だったが、あいにく曇っていたので星は見えなかった。


 アダムは静かな暮らしを望んでいたから、この家は強力な結界でおおわれている。

 フリーパスで中に入れるのは私とアダムだけだ。

 トゥルモレスが転移魔法の痕跡をたどり、追いかけて来たとしてもそう易々とここまでは来れない。


 しかし……、


「さっきあいつが言ってたのってどういう意味かな。

 命令だ、殺せって……」


 クェータが不安そうな声で言った。

 私たちはお互いを見た。

 誰が人形なのか?

 それともトゥルモレスのただのハッタリなのか?

 クリスが人形だったのなら、誰が人形でもおかしくはないが……。


 いや、違う。

 もっと決定的に疑わしい人がいる。

 私は恐る恐る彼に目を向けた。


 アダムは立ち上がっていた。


「……っ!」


 アダムはまるで生きていることを呪うかのような、暗く沈んだ表情を浮かべていた。

 一度も見たことのない表情だ。

 見たくなかった表情だった。


 セミやバッタのような顔の魔王「鳴響のウィオラ」がカチカチと前あごを鳴らした。

 キーキーと甲高い声で「まさかアダム様が人形になり果てるとは……」とぼやいた。


 アダムの手にふっ、と先ほどの白い剣が現れる。

 私たちへの敵意を示すかのように剣が白い炎に包まれる。

 パチパチと音を立てて火花が散る。

 アダムはゆっくりと剣を横薙ぎに構えていく。



 私はアダムの前に飛び出して両手を広げた。


 怖かった。

 アダムが本気で殺意を私たちに、私に向けているのがわかる。

 痛いほどに。

 次の瞬間にはへその上と下が永遠の別れをむかえるかもしれない。

 いや、首かも。

 怖すぎて目を開けられない。

 めらめらと炎が空気を揺らす音が聞こえる。

 顔が熱い。

 死ぬのが怖い。


 でも、アダムに誰かを殺させたくない。

 この優しい人にそんなことをさせたくない。

 魔法では誰も彼にかなわない。

 誰も彼を止められない。

 もしも彼を止められるとしたら、それは私しかいないだろう。


 滑稽な話だ。

 私は彼の心にうったえようとしている。

 まだ人形になりきったわけではないと信じて。

 どこかにアダムが残っていることに賭けて。

 人間を嫌って、人間の心を嫌って生きてきた私が彼の心にうったえようとしているのだから。

 皮肉な話だ。


 でも、私がどれだけ自分のことをロクでもない奴だと思っていても、彼は私をそばに置いてくれた。

 私を拒絶しなかった。

 私が拒絶する私を、

 私が大嫌いな私を、

 認めてくれた、

 許してくれた。


 だから、私は……。


「あなたが好きです、アダム」


 どうか戻ってきてほしい。

 人形になんてならないでほしい。

 また微笑みを浮かべながら月を見ていて欲しい。

 そのためなら、別に死ぬのなんて大したことじゃない。

 もしかしたら久しぶりに感じる肉体の痛みは耐えがたいものかもしれない。

 つらいかもしれない。

 けれど、きっとすぐに終わる。

 そう思えば、百年間アダムにもらったものとは比べようもない。


 あなたを元に戻せる可能性があるなら、死んだっていい。



 しかし、アダムの剣は止まらなかった。

 ああ、上半身と下半身が両断されてしまう。

 白く輝く炎をまとった剣が細い線を引くように動く。

 私にはその動きがまるでスローモーションのように―――。


「声が小さいぞ!!」


 と、ミストが私と剣の間に割って入って障壁を展開した。

 次々に他の魔王たちもそれに加わる。

 彼らはミストにならって、口々に私への文句を言い始めた。


「@%#※#!!!」とウィオラ。

「あなたの想いは一言で言えるようなものなのですか?」とインメレータ。

「聞こえなかったんじゃないの?」とクェータ。

「あ、あなた達……」


 私は驚くよりも呆れた。

 四人の魔王の障壁でアダムの剣はほぼ止まっている。

 しかし、あくまでも「ほぼ」だ。

 四人がかりでも押し負けている。

 いずれは全員斬られるのだ。


「あなた達……、死にたいの?

 そこにいたら私より先に死んじゃうよ?」

「やかましい! お前がやられたらどっちみち俺たちゃ死ぬだろうが!

 いや! そんなことより!」


 ミストはくるりと振り返って私に指を突き付けた。

 眉間に深々としわを寄せている。

 ミストが障壁への力を抜いたことで着実に剣の速度は速くなった。

 他の魔王たちが「おいおいおい!」「今抜けるな今ああああ!」と叫んでいるが、そんなものはまるで気にしていない様子でミストは私に詰め寄った。


「お前! さっきのアレはなんだ!?」

「さっきのって……」

「あの告白はなんだと言っている!!

 なーにが、『あなたが好きです、アダム』。だぁ!?

 そんなつぶやきで、小さな声で、世界一の男に告白だと!?

 笑わせるな! やり直し! リテイク!」

「えっ、ええっ?」

「わかったな? ぶちかませ!

 自分こそが世界一の女なんだとわからせてやれ!」


 私は顔を上げた。

 アダムをちゃんと見た。

 目はうつろで何も映っていない。

 手に持つ剣からあふれた熱で空気が歪んでいる。

 そのせいでアダムはまるで鬼のように見えた。


 私はアダムに近づいた。

 魔王たちが必死で剣を防いで張っている障壁の横を、剣の反対側から通って彼に近づいた。

 それはつまり、剣に近づくということも意味していた。

 魔法で防いだけれど、どうしても肉体は焦げてしまう。

 死ぬほど痛いけれど、私は魔王だからこれくらいでは死なない。


 近づくほどに身体は燃えていく。

 恋に身を焦がす、という人間の表現を聞いたことがあるけれど、ひょっとしてこういうことなのだろうか?

 だとしたら、人間もなかなかやるものだ。


 私はアダムの目の前に立ち、頬に触れた。

 私は大きい声を出すのが苦手だ。

 でもこの距離なら、きっとどれだけ小さな声でも届くだろう。

 ミストはああ言ったけど、

 どれだけ燃え盛る炎がうるさくても、アダムならきっと聞き届けてくれるはずだ。

 だって神様なんだから。

 だから。


「あと千年一緒にいてください」


 私は神様に口づけをした。

 必死だったからか、どんな味だったとかどんな感触だったかは覚えていない。


 それが、本当に、残念でならない。

 本当に。


「う、ううううう……!」


 アダムは唸り声をあげ、右手を剣から離すと、空の手で横に薙ぎ払った。

 強い風が吹いて私たちは全員、遠くまで吹き飛ばされた。


 慌てて起き上がりアダムを見ると、剣を構えていた。

 その切っ先は自分自身へと向いていた。

 次の瞬間、アダムは剣で自分の胸を貫いた。

 鮮やかな赤い血が剣を濡らす。

 しかしその血が地面に落ちることは無かった。

 落ちる前に蒸発していく。

 剣から白い炎がほとばしっていた。

 百万匹の生きた蛇が何かを食い散らかしているかのようだ。

 燃えているのは間違いなくアダムだった。

 自分の魔法で自分を燃やしている。


「ア、アダム……?」

「少々……、寝坊してしまったようだね……」


 炎の音がうるさいけれど、いつものアダムの声だった。

 春風のような優しい声だった。

 胸から剣を抜き、剣を消し、炎を消す。

 胸の傷を消し、滴った血を消す。

 そうして人形の操り糸を断ち切ったアダムがそこにいた。


「やれやれ、まさか弟子に先を越されるなんてね。

 私もヤキが回ったかな」

「え、じゃあ……」


 私は顔から血の気が引くのを感じた。

 先を越される? ヤキが回った?

 ということは……どっちだ?

 返事はオーケー? それともノー?

 あの口ぶりだと良くないことのようだ。良くないということは……。

 私があれこれ考えて目を回している一方で、アダムはくるくると指を回していた。


「ええと……、その……、アレだ……。つ、つつ……」

「え……、つつ?」

「つつ……、月が、綺麗だね」

「月……ですか?」


 私は空を見上げた。

 相変わらず曇っている。

 月なんて見えない。

 アダムを見た。

 彼は目を背けていた。


「月なんて見えませんよ?」

「僕には見える」

「あなたは神様だから見えるかもしれませんが―――」

「いや」


 アダムはゆっくりと振り返った。

 いつもアダムは優しい。

 絶対的に優しい。

 仕草が、言動が、口調が、何もかもが優しい。

 振り向くことにすら、優しさがあふれている。

 けれど、今の彼は何かが少し違うように見えた。

 ……照れている?


「君にも見えるはずだ。僕と同じものが」


 アダムはそう言って私に手を差し出した。

 その手はかすかに震えていた。

 私は気づかなかったふりをして彼の手を取った。

 アダムの言っていることは何一つとして理解できなかった。

 でも彼が普段通りではないということはわかっていた。


「そうですね、見えるかもしれません。ところで、アダム?」

「なにかな」

「私のこと好きですか?」

「んっ……!?」


 アダムはむせた。

 私はアダムに詰め寄ってさらに質問を重ねた。


「好き? 好きじゃない? どうなんですか?」

「き、嫌いではないけれど……」

「答えになってません」

「意地が悪いね」

「知らなかったんですか?」

「もちろん、知っていたよ」

「それで答えは?」

「……もう伝えた。それが答えだよ」

「え?」

「君にもすぐにわかる。

 そうだな……、僕の言ったことを忘れないで。

 そうすれば、あと百年くらいしたら見つけられると思う。

 僕はそこにいられないのが残念だ」

「へ……?」


 私は彼の言っていることが理解できなかった。

 ただ、悪いことを言っていること、

 私の願いは叶わないのだということはわかった。


「魔王諸君」


 アダムは振り返り、庭園の隅でひそひそ話をしていた魔王たちに呼びかけた。

 彼らはいきなりアダムに声をかけられて驚いたものの、平静を装っていた。

 散々私をあおったミストが前に出て恭しく礼をする。


「これはこれは我らが神よ、夫婦喧嘩は終わりですかな?」

「っ!? ……そんなものはしていないよ、ミスト。

 君たちに頼みがある」

「なんでしょう」

「僕と一緒に死んでくれ」

「……」


 ミストは黙った。

 後ろの魔王たちも息をのんで困惑した表情を浮かべている。

 しかし、ミストはさらに深く礼をして応えた。


「あなた様が命ぜられることであれば、私は喜んで死にます」

「ごめん。僕のわがままに付き合ってくれてありがとう」

「気になさいますな。ただ恩を返すだけです。

 あの不逞の輩に思い知らせてやりましょう」

「そうだね、僕の庭を荒らすと言うのなら。

 やめる気が無いのなら、仕方ない。

 彼には申し訳ないが、剣を持つとしよう」


 アダムは庭の隅にいる魔王たちに背を向けた。


「無理強いはしない。

 ただ、ここで倒せないと彼がこの世界の主になってしまう可能性が―――」

「少々お待ちください、我らが神よ」

「うん?」


 ミストはアダムの言葉を遮ると、魔王たちの方を振り向いた。

 そしてあらん限りの声を張り上げた。


「貴様らァ! ここで立ち上がらない者はァ!

 私がァ! 後で殺してやるからなァ!! 覚悟しておくがいいィ!」

「立ち上がったら、こ、殺さないの……?」

「ああ、殺さん!」

「でも多分、トゥルモレスに殺されちゃうけどね」とアダム。

「えっと……、アダム様はミストを止めてくれたりしないんですか……?」

「ふふふ……、どうしようかな?」


 アダムは楽しそうに、にこにこと微笑んでいる。

 決めかねていた魔王たちは「ええ……?」と呆れたようにため息をついている。

 息巻いていたミストすら毒気を抜かれてしまったようだ。

 口をへの字に曲げている。


 アダムは少しだけ笑みを引っ込めた。

 少しだけ息を深く吸い、話し始めた。

 それは彼なりの決意表明だった。


「無理強いはしない。

 彼を殺すことは正義である、なんて僕は思わない。

 彼はたまたま世界が嫌いで世界を壊そうとしているだけだ。

 ただそれだけだ。

 でも、僕はこの世界を壊されたくないんだ。

 この世界に芽吹いた奇跡を守りたい。

 だからこそ、彼を殺すことは正義じゃない。

 どうしようもなく矛盾している。

 彼も生きているから。

 これはただのわがままだ。

 だから無理強いはしない。

 少しでも長く生きたいというのなら、来ないことを勧める。

 まあ、本当に『少しでも』になるとは思うけど。

 さて……」


 アダムは魔王たちの返事を待たず、くるりと私を振り向いた。

 いつもと変わらない穏やかな目が私を見る。


「君はついて来な―――」

「私も行きます!」


 私はアダムの言葉を遮って叫んだ。

 アダムは驚いたように目を丸くした。


 アダムは私をここに置いていきたかったのだろう。

 それは嬉しい。

 彼は私に生きていて欲しいと思ってくれたのだから。

 でも私は彼と一緒に死んでも良かった。

 むしろ死にたかった。


「私も行きます」

「……わかった」


 アダムは少しだけ悲しそうに笑って私に手を差し伸べた。


「君がそばにいてくれると心強いよ、エリス」

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