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勇者・隷属・アドルモルタ  作者: 甲斐柄ほたて
第5章 王女・呪い・水晶竜
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第110話 一つの旅が終わるとき

 ローアはゆっくりと起き上がった。

 めまいがするらしく、少し頭を振りながらシェイルに近づいた。

 シェイルの口元に耳を近づけ、顔を上げてエリスに尋ねた。


「エリス、あとどれくらい持つの?」

「もう一時間もない」

「そう」


 エリスの返事を聞くと、ローアは腕まくりをした。


「じゃあ、急がなきゃね。……キュアリス」

「なに?」

「治癒魔法お願いね」

「いいけど……、効かないんだよ。この怪我は魂の損傷が―――」

「何言ってるのよ、まだかけなくていいわ」

「……え?」


 ローアは困惑しているキュアリスをよそに、魔法で鋭いナイフを作りだした。

 そして、作ったナイフをシェイルの左わき腹に立てた。

 すぅ、と深呼吸し、ゆっくりと線を引くようにシェイルの腹を切る。


 エリスを除いた全員がぎょっとした。

 あまりにも突飛な行動だったため、言葉を発する者もいなかった。

 ローアは難しい顔でシェイルの腹をさばいていく。

 時間が経つにつれ、キュアリス達も我に返った。


「え、ローア、何してるの……?」

「見ればわかるでしょ。お腹切ってるのよ」

「そ、そりゃわかるけど、でもなんで……」

「ダメだ。上手く切れない……。あばら骨が邪魔だわ。ノコギリにするか……」


 ローアは手を血まみれにしながら、さらにシェイルのあばら骨ものこぎりのようなナイフを作って切断し始めた。

 シェイルは小さな声で呻いている。

 キュアリスは困惑した表情でローアのやることをただ見ていた。


 ピスタは顔を真っ青にしながらも近づいてきた。

 強い血の匂いに酔ったのか、今にも吐きそうに口を押えながら。

 しかし、途中でバンディロンに止められた。


「どいて……、どいてください……。とめ、止めないと……」

「ダメだ。貴殿は耐えられまい。

 それに、おそらく止めるべきではない」

「ど、どうしてですか?

 あの人はシェイルさんを傷つけてるじゃないですか……!」

「あの者は、シェイルに痛みを与えないよう苦心しながら刃を持っている。

 害を為すものではない」

「そんなのどうしてわかるんですか!?」

「見ればわかる」

「わかるって……」

「うるさい。手伝わないなら、気が散るから黙ってなさい」


 言い争っているピスタとバンディロンに、ローアが振り返らずに言った。

 バンディロンがローアに気を取られた隙にピスタが前に出る。

 そこでバンディロンの巨体に遮られて見えていなかったものが全て見えるようになった。


 虚ろな表情で何かを見つめているシェイル。

 手を血で濡らしたローア。

 あたりに散らばる肉と骨の破片。

 あまりの光景に猛烈な吐き気に襲われた。


 どうにか吐くのは我慢しているが、まともに声を出せるような状態ではなかった。

 ローアはピスタが後ろに立ったことに気づいてはいるようだったが、やはり振り向かない。

 しかし、さっきよりも少しだけ柔らかい声で話し始めた。


「……見ててもいいけど、邪魔はしないでね」

「なに……を……」

「何をしてるかって? ……そうね、説明は難しいわね。

 全然複雑なことじゃないんだけど……。

 まあ結論だけ言うと、シェイルの胃の中にいいものが入ってるのよ」

「胃……!?」

「そう。胃の中に。

 しょっちゅう自分に火をつけるから、こいつは。

 自分なりに考えた結果なんでしょう」

「な、に……が……」

「入ってるのか、かしら。それはね……」


 ローアはそっとナイフを置き、切り開いたシェイルの腹部に手を突っ込んだ。

 思い切り眉間にしわを寄せながら言う。


「これから見せてあげるわ……!」

「……ぐ……うぅ……」

「ごめん、シェイル。あとちょっとだから……」


 そしてローアは手をゆっくりと引き抜いた。

 その手は小さな箱のような物をつかんでいた。


「よし、演算機キューちゃんは返してもらったわ。キュアリス、お願い」

「ん……。はい、治したよ」


 ローアがシェイルの腹部から取り出した箱を確認すると、キュアリスはすぐにシェイルに治癒魔法をかけはじめた。

 切り開かれていたシェイルの腹部がみるみる塞がっていく。

 この切り傷はアドルモルタの炎で焼かれた火傷ではない。

 そのため、すぐに完治した。


 ローアは演算機についた血を水魔法で洗い流すと、ピスタに見せた。

 ピスタは吐き気もいくらか収まったらしく、少し話ができるようになっていた。

 まだ口元を押さえているが。


「なんですか、それは?」

「演算機よ。私が死ぬ前に作ってたやつ。ずいぶん小さくなってるけど」

「演算……? 死ぬ前……?」

「ええっと、簡単に言うと、自分の頭では処理しきれないような複雑な魔法を使えるようになる魔法の道具ね。

 私が作ったから、これを持っていれば私が使える魔法は大体使えるようになるわ」

「へえ……?」

「リアクションが薄いわね。すごいんだからね、これ……。

 今回だって、これを持ってたからトゥルモレスの分身に勝てたんだから」

「トゥル……? なんですか、それ? あの竜の名前ですか?」

「あの竜に憑りついていた悪い奴よ。

 あの竜がここに来たのは多分、トゥルモレスのせいでしょうね。

 シェイルを殺しに来たんだわ」

「???」


 ピスタはチンプンカンプンという表情で頭の上に「?」を乱立させている。

 ローアは苦笑しただけで、それ以上の説明はしなかった。


「ねえ、そうでしょ?」


 ローアは少し離れたところで見守っているエリスに問いかけた。

 エリスは「そうだろうね」とうなずいた。

 それを見てローアはピスタに向き直った。


「竜との戦いもすごかったけど、やっぱりトゥルモレスとの戦いが壮絶で―――」

「あの……」

「……なに?」


 ローアは気分よく話していたところを遮られて少し気分を害したようだった。

 やや冷たい声色で聞き返す。

 臆すまいとピスタは少し姿勢を正した。


「えーと……、話が全然分からないんですが、まあそれは置いておいて……。

 その演算機?を取り出すためにシェイルさんのお腹を切っていたんですよね?」

「そうね」

「ええっと……、私とおしゃべりしてていいんですか?」

「構わないわ。今は計算中だから」

「何を計算しているんですか?」

「決まってるじゃない」


 ローアは呆れた、とばかりにシェイルを左手で指さした。

 一方で、右手の指先では演算機がくるくると独楽こまのように回転している。


「シェイルの火傷を治す魔法を構築してるのよ」

「そんなことできるんですか!?

 あの人も、神様も無理だって言ってましたよ」

「僕は言ってないよ。……言ってないよね?」


 エリスはわざとらしく驚いた様子でキュアリスに話しかけていた。

 キュアリスはお湯でシェイルの血を洗いながら「知らないわ」と返事をしていた。

 ローアは二人のやり取りをまるで無視して話を続けた。


「確かに治癒するのは難しいわ。

 この火傷は魂の損傷が肉体に反映された結果だから。つまり―――」

「魂を治せばこの火傷も治るってことですか?」

「そういうことよ」

「魂を治すなんて、可能なんですか?」

「可能よ」


 ローアはなんでも無い調子で言い切り、にやりと笑った。


「半年もずっと魂だったから。魂がどういうものか、よーくわかったわ」

「すごい……」

「そう? あなただって、大したものよ」

「え?」

「あなたがいなかったらきっとシェイルは……つぶれてたわ。

 シェイルと一緒に旅をしてくれて、ありがとう」

「そんな……、私は足を引っ張っていただけですよ」

「そうね……」


 ローアは回り続けている演算機を指先から離して地面に置いた。

 彼女の手を離れたが、演算機は回り続けている。

 ローアはそっとピスタの手を取った。

 ピスタは驚いたが、決して手を振り払ったりはしなかった。


「でも、それがシェイルには必要だったのよ。

 ずーっと気を張りつめて旅しすぎて、目的のためなら困ってる人を見捨ててもいいなんて考えはじめてたから……。

 でもあなたが引き戻してくれたから、笑ってまた会うことができたわ。

 だから、ありがとう」


 ローアは顔を伏せて、ピスタの手に額をあててお礼を言った。

 ピスタは少し涙ぐんでローアの感謝の言葉を受け入れた。


「私……、私、あなたに会えてよかったです。

 シェイルさんが生き返らせようとしていたのが、あなたでよかった。

 あなたなら、私は……」


 ピスタはゆっくりぽつぽつと言葉をつないでいたが、その時ふと脳裏に一つの疑問が浮かんできた。


「……あの、どうして、私がシェイルさんと旅をしていたって知ってるんですか?」

「……。うーん、話せば長くなるんだけど、時間が無いから手短にまとめるわね。

 私はシェイルに隷属の呪いをかけてるのよね。魂が呪いでつながってるわけ。

 だから私が死んだときに私の魂はシェイルにぶら下がった感じになったのよね。

 で、私はずっとあなた達の旅を見てたってわけ」

「???

 えーと……、見てたってことですか?」

「ええ。見てたってこと」

「どこから?」

「最初から」

「どこまで?」

「さっきまで」

「全部見たと?」

「全部見たわ」

「えーっと……」


 ピスタは同様のあまり、焦点の合っていない目をキョロキョロさせている。

 そんなピスタを見て、ローアはにっこりと微笑んだ。


「だからね、私から一つ、あなたに言っておきたいことがあったの」

「な、なんですか?」


 ピスタは得体のしれない恐怖のようなものを感じて後ずさったが、ローアはピスタの両肩をつかんでそれを止めた。

 微笑みを浮かべたままピスタの耳元でささやく。


「シェイルは私のだから。渡さないわよ」

「ひっ……!?」


 ピスタは全身に鳥肌が立ち、体がこわばるのを感じた。

 ローアは耳打ちした体勢からゆっくりと身を引いた。

 見えた表情はにこにことした笑顔だった。

 今まで見た中で一番恐怖を感じた笑顔だ、とピスタは思った。


 ちょうどローアが身を引いて座り直した瞬間、回転していた演算機がカチッと音を立てて静止した。

 ローアは「ふふん」と満足げに喉を鳴らし、演算機をひろって立ち上がった。


「シェイルががんばって生き返らせてくれたんだもの。

 私だってシェイルを助けないと」

「が……、がんばってください」

「うん、ありがと」


 ローアは座り込んでいるピスタを見下ろしながらニヤリと笑うと、シェイルの傍まで歩いて行った。

 彼女が離れると、ピスタは「はぁああぁあぁ~」という深いため息とともに全身の力を抜いた。



 ***



 シェイルの傍にはエリスとキュアリスがいた。

 ローアが近づいてくるのを見て、キュアリスが口を開いた。


「治せるの?」

「まあね。ただ……」

「ただ?」

「ちょっと魔力が足りないの」

「え、それって―――」

「ええ、魔力、もらうわね」


 ローアは言うが早いか……、いや言う前にすでにキュアリスの肩に手を触れていた。


「『奴隷の貢ぎ物(アイディードレイン)』」

「うわああああ!?」


 ローアが魔力を吸収する魔法を発動させると、キュアリスは絶叫してローアの手を振り払った。

 数歩分の距離を取って振り返り、信じられないものを見るような目でローアを見た。


「ちょっ……、えっ? 待って、ちょっと待って……。

 えーっと……、……ひょっとして、殺す気?」

「え、ごめん、そんなに驚かれるなんて思わなかったわ。

 いきなり始めて悪かったわ。だから早く戻ってきて」

「いや、そうじゃなくて。

 いきなりとかそういうことじゃなくてね、魔力を吸い出す速度が速すぎじゃない?

 ていうか、まだ終わりじゃないの?」

「そういういのいいから。

 まだ必要な魔力の十分の一も吸ってないから。

 早く。早く戻ってきて」

「怖い怖い! いや、えーっと……、し、死んじゃうよ!?」

「勇者でしょ! 死なないわよ!」

「いやいやいや!」

「いやいやいや」


 ローアが近づくと、キュアリスも同じだけ後ろに下がった。

 キュアリスが本気で嫌がっていることに気づいてローアは眉をひそめた。

 立ち止まったまま、目だけをきょときょとと動かして何かを考えている。


 しばらくしてローアはエリスに呼びかけた。


「……エリス」

「なに?」

「魔力貸してくれない?」

「無理だね」

「ルールとかそういうやつ?」

「そうかもね」

「それって要は呪いよね? 私がシェイルにかけたのと同じ……。

 誰にかけられた呪いなの?」

「さあね」

「……。誰にかけられた呪いだとか、そういう説明全ても禁じるような呪いなの?」

「さあね」

「……呪いのせい、と思っておいてあげるわ」

「それはどうも」

「でも参ったわね。魔力をどうやって調達しようかしら……」


 ローアは口をへの字に曲げ、キュアリスをちらっと見た。


「ねえ、キュアリス―――」

「いや!」

「まだ何も言ってないんだけど……」

「魔力を抜かせて、って言うんでしょう? やだ!」

「……どうして嫌なの?」

「だって……、ぎゅーって魔力吸い取ったでしょ?

 こう、身体がきゅってなって、クラッときて―――」

「わかったわ。とりあえずそこに座って?」

「やだ! 吸い取るつもりでしょ!?」

「そうよ!」

「うわああああ!?」


 キュアリスは子供のように取り乱している。

 この時点でローアは完全に理解した。

 キュアリスは魔力を吸われるのが単純に嫌いなのだ。

 嫌いなだけ(・・・・・)なのだ。


 ローアはいらいらして立ったまま貧乏ゆすりを始めた。

 すぐそばにはシェイルが今にも死にそうになって這いつくばっている。

 きっとキュアリスはいよいよとなれば魔力を吸うことをしぶしぶ認めるだろう。

 その程度の良心はあるはずだ。


 しかし、ローアはそんなのを待つ気はさらさら無かった。

 さっさとシェイルを復活させたかったのだ。

 半年待ってようやく自分が復活できたと思ったら、今度はシェイルが死にそうになっている。

 がっかりしたし、拍子抜けもいいところだ。

 早くシェイルを治したい。

 ずっと見ていたことを伝えたい。

 何を感じたのか伝えたかった。


 なのに、キュアリスのわがままでそれが遅れていく……。

 ローアは短気だった。


「ちょっと、キュアリス。いい加減に―――」

「あの、ローアさん!」

「うぇ? ピスタ? え、なに?」


 キュアリスを怒鳴りつけようとしたローアの前にピスタが立っていた。

 ローアはキュアリスをかばうつもりか、と身構えた。

 一方でキュアリスは救いの女神を見るような目でピスタを見た。


「ローアさん、魔力が必要なんですか?」

「そうよ。魔力がたくさん必要なの」

「じゃあ、私たちの魔力を使ってください!」


 ピスタは真剣な目でローアに懇願した。

 ローアはそのあまりの真剣さに面食らって目を丸くした。

 そして、内心でにやりと悪い笑みを浮かべた。

 キュアリスの味方だなんてとんでもない誤解だった。

 風向きが変わった、と確信した。


「ええ、もちろんいいわよ。

 でも、あなた一人の魔力では足りないかも……。

 死ぬ一歩手前までもらうけど、いい?」

「かまいません!」


 ピスタは一切の躊躇なく言いきった。

 ローアは「しめた」と思った。

 キュアリスは絶望の表情を浮かべている。


「そう。ありがとう。あなた、勇気がある(・・・・・)のね」

「そんなことないです……。私なんて、何の役にも立てなくて……」

「いいえ。そんなことはないわ。現に今、役に立ったもの」

「立った……? まだ何もしてないですけど……」

「あらそう? まあ、知らなくてもいいとは思うわ」

「はあ、そうですか……?」

「ローア……」


 二人の後ろでキュアリスが死にそうな声を出した。

 苦悶の表情を浮かべながら幽霊のようにふらふらと立っている。


「ローア……、私も……いいよ。魔力を抜いてもらっても……」

「いいの? ありがとう。勇者様」


 ローアはニヤッと勝ち誇った笑みを見せた。



 ***



「ううううう……」

「うええええ……」

「おおおおお……」

「うん、これだけあれば十分ね。みんな、ありがと」


 ローアは吸収した魔力の量に満足して微笑んだ。

 足元には魔力を吸収されてノビているキュアリス、ピスタ、そしてなぜかバンディロンがいた。

 人の好い彼はローアが「ちょっと魔力足りないなあ……。チラッ」とつぶやいているのに気づいてため息をついて魔力を絞り取られてくれたのだった。


 ローアはシェイルの隣で膝をつき、手をそっと彼の額に当てた。


「みんなの魔力であなたの魂を修復します。

 こぼれた酒は瓶の中には戻せない。

 けれど、絡まった糸をほどくことはできる。

 あなたの魂も絡まっているだけ。

 あなたの魂は酒じゃない。

 だから、もう一度笑ってちょうだい。

強制的七転八起エクセシブ・ブレシング』」


 ローアが魔法をかけ始めた。

 花のような匂いが満ちていく。

 星々の青い光が瞬くように明滅する。

 世界が海に沈んだように静かになっていく。


 シェイルの身体を覆っていた黒い火傷がゆっくりとほどけていく。

 うろこのように少しずつ、爪の先ほどの欠片がふつふつと消えていく。

 月が空に昇るような速度でシェイルの身体と魂は徐々に癒えていった。


 一心不乱に祈りを捧げるようにして魔法をかけるローアの邪魔にならないよう、キュアリス達は離れてそっと見守ることにした。


 エリスもキュアリス達と一緒に満足げな表情でローアを見ていた。

 しかし、しばらくすると別の方へ歩き出した。

 そしてもう一つの魂の無い肉体(ミケルマ)の前で立ち止まると、指を鳴らした。


「む……? なんだ?」

「やあ、ドミナトス。武器は見つかった?」

「!? あ、ああ……、エリスか。驚いた……。まだだ。もう一歩と言ったところ―――」


 そこでドミナトスは言葉を切った。

 目の前に横たわっているミケルマに気づいたからだ。


「ミケルマ」


 ドミナトスは周囲を見回し、向こうにいるシェイルとローア、キュアリスを見つけた。

 かすかに口元を震わせ、視線をエリスに戻し、自分の懐から空っぽの小瓶を取り出すと、エリスに差し出した。


「あいつの魂だ」

「たしかに」


 エリスは小瓶を受け取ると、ガラス越しに中身を見てうなずいた。

 コルクを抜いて中身を手のひらに出し、ローアの時と同じように両手で包んだ。

 そのままミケルマの肉体にそっと魂を入れる。


 エリスがしゃがんだままミケルマの目覚めを待っていると、ドミナトスが言った。


「エリス、俺を元の場所に戻してくれ」

「え、彼はどうするの?」

「置いて行く」


 エリスが振り返ると、ドミナトスは少しだけ眉間にしわを寄せていた。


「早くしてくれ、ミケルマが起きてしまう」

「理由を聞きたいんだけど」

「……。そいつは俺といるべきではないからだ」

「ふーん、まあいいか。じゃあ、戻すよ」

「ああ……。あ! ミケルマをココに会わせてやってくれないだろうか」

「それくらいわかってるよ……」

「感謝する」

「じゃあね、また半年後に」


 エリスが指をパチンと鳴らすと、ドミナトスはいなくなった。

 ミケルマが目を開けたのはそれとほぼ同時だった。


「おや、起きたの。おはよう」

「……私は、足手まといだったのだろうか」

「本気で言ってるの、それ?」


 エリスは呆れたように鼻を鳴らした。

 ミケルマはむっとしたように横目でエリスをにらんだ。

 エリスは「おーこわいこわい」と両手を上げてみせた。


「一番近くでずっと彼と一緒にいたんだから、わかるでしょ、彼のこと。

 神様ボクなんかよりずっと」

「ああ、当然だ」

「じゃあ、駄々こねないの」

「エリス……様、私をドミナトス様のところへ送ってくれないだろうか」

「ごめんだね」

「なぜだ」

「様をつけるのをためらったから」

「……クソ野郎」


 ミケルマのつぶやきを聞いてエリスはにやーっと笑った。


「ココの所にも連れてってあげないよ?」

「悪かった。……エリス、様」

「まあ、いいでしょう。及第点」


 エリスは立ち上がると、ミケルマに手を差し出した。

 ミケルマはエリスの手を取って立ち上がった。

 少しふらついたがすぐに慣れ、安定して立って歩けるようになった。


「向こうへ行こうか。シェイルが大変なんだ」

「死ぬのか?」

「峠は越したよ」

「なら大して興味ないな。さっさとココのところへ送ってくれないか?」

「素っ気ないねえ。……キュアリス!」


 エリスが大きな声で呼ぶと、ローアの治療の様子を眺めていたキュアリスは慌てて近づいてきた。


「大きな声を出さないでよ……。頭が痛いんだから……」

「ああ、魔力を抜かれたんだっけ」

「そうだよ、他人事だと思って……。ああ、ミケルマ、復活したの。やあ」

「ああ、どうも」

「で、何の用、エリス……?」

「もうシェイルは大丈夫だろうから、君たちを戻そうかと思って。

 もう少しここにいたい?」

「ああ……、そっか、まあいいか、戻っても……。

 ミケルマも来るの……? ドミナトスは?」

「ドミナトス様は私を置いてった」

「なるほどね……。意外と優しいね……」

「……どういう意味だ?」

「私はいいよ、戻っても……。

 ローアは復活したし、シェイルの顔は見たし……。

 黒焦げだったけど……。まあ、問題ないよ……」

「そう。じゃあ、戻すね」

「うん……」

「おい、さっきのはどういう意味―――」


 エリスはミケルマの言葉を遮って指を鳴らした。

 キュアリスとミケルマの姿が消え、少し静かになった。



 ***



 月が真上に来るまでの数時間、ローアは魔法をかけ続けた。

 竜の身体の上から眺めた限りだと、内乱は終わったようだ。

 シェイルとローアは後で知ったことだが、マロン伯爵は国王軍に捕らえられていた。

 竜が来た時に逃げようとしたマロンをバンディロンが捕まえたらしい。


 眼下ではたくさんの人たちが夜中にもかかわらず作業を続けていた。

 竜に破壊された施設の修復、避難用の住居の建設、散乱した物資の回収、撤退の準備……。

 やることは山のようにあった。

 すでにピスタとバンディロンの姿も無い。

 魔力を吸い取られてふらふらになって地上へと戻っていった。


 ピスタはシェイルの復活を見たい様子だったが、肝心の復活が数時間後となると、王女としての責任感が見守り続けることを許さなかった。

 というか、下から彼女を呼び続ける声に背をむけられなかったのだろう。

 ローアに「下りればいいのに……」という目で見られ、バンディロンに「下りてはどうか?」と勧められ、エリスにすら「残るって王女としてどうなの?」とまで言われたことも大きい。

 最後はちょっと泣いていた。


 だからここにいるのはシェイルと、ローア、それとエリスだけだ。

 もうシェイルの火傷も半分以上治っている。

 具合もだいぶよくなって、少し辛そうではあったが普通に会話できるようになっていた。

 シェイルは目をつぶって真剣な表情で自分を治しているローアの顔や、ちょっと離れたところで微笑んでいるエリス、そして静かで遠い星空を眺めていた。


 と、エリスが立ち上がって膝についたホコリを払い始めた。

 もっとも、そもそもホコリなんてついていない。ただの茶番だろう。


「さて、そろそろ僕も帰ろうかな」

「待ってくれ……、エリス……」

「なんだい?」

「やっぱり、トゥルモレスは復活するのか?」

「するよ。まさか今日ので倒せたんじゃないかって期待してたの?」

「まあ、な」

「残念だけど、あれはただの分身だよ。

 他の魔王みんなの所にもちょくちょく行ってるみたい。

 半年後までは気を付けておいてね」

「半年後はどこに行けばいい?」

「どこにいてもいいよ。勝手に呼ぶから。心の準備だけしておいて」

「わかった」

「もういいかな?」

「最後に一つ……」

「なに?」


 シェイルは小首をかしげているエリスから視線を一度切って、ローアを見た。

 目が合った。

 さっきまで目を閉じていたはずなのに。

 たぶん同じことを考えているんだな、とシェイルは思った。

 ローアが祈りを中断して手を差し出した。

 シェイルはその手を取って身体を起こした。

 二人そろってエリスを見た。


「エリス、ローアを生き返らせてくれて、ありがとう」

「私からも……、シェイルとまた会わせてくれて、感謝しています。ありがとう」

「ふふ……。いいよ、お礼なんて……。

 実はさ……」


 エリスは照れたように、困ったように笑った。


「僕は君たちのファンなんだよ。ちょっとした依怙贔屓えこひいきさ。

 神様だけどね。むしろ、神様だからいいでしょ?

 ……。

 ……。

 ……えーっと、そういうことだから! じゃ、またね!」


 エリスはシェイル達の驚いた顔が恥ずかしかったのか、一方的に別れを言うと、指を鳴らして姿を消した。


 シェイルとローアは少しの間、エリスのいたところをきょとんとした表情で見つめていたが、やがてゆっくりと元の体勢に戻った。

 つまり、シェイルは横になり、ローアはそのすぐ隣に座った。

 シェイルは空を見て、ローアは祈っている。


 もうローアは目を閉じていなかった。

 魔法には時間がかかる。

 目を閉じた方が集中できるし、早く終わらせられるだろう。

 しかし、もう待っている者はいない。

 早く終わらせる意味は無かった。


「……みんな、行っちゃったな」

「そうね」

「……」

「……」

「……」

「なにか、言ってよ」

「……おかえり」

「ただいま」


 むしろ長引いた方がいいのかもしれない。

次回から最終章です。

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