第106話 食い荒らす
シェイルとバンディロン達は天幕を出て、戦いやすい場所を探した。
バンディロンが先頭を切ってずんずんと進んでいく。
シェイルはなんとなく彼と並んで歩きたくなくて、他の兵士たちの後ろを歩いていた。
ふと隣を見ると、天幕にいた伝令兵が気まずそうについて来ていた。
シェイルは気になっていたことがあったので彼に聞いてみることにした。
「なあ」
「はい!? すみません! 目障りでしたか!? すぐに消えます!」
「いや……、別に目障りじゃない……。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「な、なんでしょうか?」
「今さら何聞いてるんだって思うかもしれないけど……。
あんた達は何のために戦ってるんだ?
反乱軍なんだろう? 何が不満で戦ってるんだ?」
「へ?」
伝令兵は一瞬だけ「何言ってるんだこいつ」と言わんばかりの目でシェイルを見たが、すぐに取り繕うように笑みを浮かべた。
「ええと……、炎の悪魔さんは―――」
「炎の悪魔さん!? なにそれ!? 俺のこと!?」
「はい。恐れと敬意をこめてそう呼ばせてもらっています」
シェイルは思わず顔を手で覆った。
恥ずかしかったのだ。
「あ、あのー……、どうかされましたか?」
「い、いや……、なんでもない」シェイルはどうにか立ち直り手を下ろした。
「続けてくれ」
「悪魔さんはここにはついさっき来たばかりでしたっけ?
この戦闘の経緯については聞いていないんですか?」
「ああ。聞く前に味方するって決めたからな。
で、いま暇だから聞きたいんだ」
「なるほど。では私の目線からの話ですが。それでもよろしければ」
「頼む」
「まず、マロン様は……国王の座を狙っているんだと思います。
言葉の端々にそういった雰囲気を感じます。ずっと準備してきたんじゃないでしょうか。
我々の大半はマロン様の領民です。ですので、中には嫌々戦っているものもおりますよ。半分くらいはそうじゃないかな」
「じゃあ、もう半分は自分の意志で戦っているのか?」
「そうですね。
そこまで強い意志があるかはわかりませんが、中には不満を抱く者もいるでしょう。
元々この国には様々な不満の種はあったのです。私は現国王のおかげでずいぶん減ったと思っていますが……。
しかし、呪いへの対応ができなかったことが引き金となって不満を爆発させたのではないかと」
「呪い? 国民も呪われてるのか?」
「ええ。国王陛下だけではありません。
一部の農村にも呪いが広まっているのです」
「じゃあ、どうしようもないってのはわかるだろ?
国王も呪われてて、治せてないんだから。
そんなに強い不満になるのか?」
「呪いが進行すると、狂ってしまうんですよ。
私の知り合いにも一人そうなった奴がいました。
口調は変わりません。
ですから、少し話したくらいでは違いはわからなかったのですが……。
よくよく話を聞くと、その人なら絶対に言わないようなことを言うんですよ。
……そして夜な夜な人を襲うようになります。
隣村に出かけ、次の日帰ったら村が無くなっていた……。
そういうことがあちこちであったそうです。
私の友人も故郷を失くしていました。
茫然としていましたよ。前触れなんてなかったと」
「……」
「話がそれてしまいましたね。呪われた人は狂う。
だから、一刻も早く新しい王を立てなければならない、というのがおおよそ我々の言いたいことなんです」
なるほど。
狂っても知性は保っているということか……。
本人の記憶とかは引き継いだまま、中身だけ入れ替わったようになってしまう……。
確かに王が狂っていればその影響は甚大だ。
村が滅ぶどころではないだろう。
それこそ国が滅ぶかもしれない。
国民の何割かが死ぬ……といったような事態が起きるかもしれない。
だからそうなる前に王を殺し、マロンを新しい王にしよう。
そういうことなのか。
シェイルは振り返って後ろを歩いていたマロンに声をかけた。
「どうして王になりたいんだ?」
「えっ!? いたのですか!?」
「いたぞ。ずっとな。好き勝手言いおって……」
「ひっ……。そ、その、あくまでも私の予想ではなくて、皆の噂と言うか……」
「ふん」
マロンは言いつくろおうとする伝令兵を見て鼻を鳴らした。
「よい。どのみち私の道はここで終わりだ。
お前たちにどう思われていたか知ったところで大したことは無い」
「で? どうして王になりたかったんだよ」
「私は王になりたいなどと思ったことはない。
ただ……仕方なかっただけだ」
「え?」
「二十年近く前に家を出て行った娘が……。
子供が呪いにかかったなどという手紙を書いてよこして来たのだ。
助けてくれとな。
政略結婚させるためと散々手間をかけて育ててやったのに……。
どこの馬の骨ともわからん奴と家を出て行っておいて……。
見たことも無い孫を救ってくれと言う……。
顔も見せず、手紙一つで、だ。信じられるか?
……虫がいいにも程がある」
「……」
「手紙は破り捨てた。バラバラにして暖炉に放り込んで燃やしてやった」
「……」
「……それだけだ」
「……え、終わり?」
「終わりだ」
「今の話が王になる、ならないと、どう関係があるんだよ?」
「知らん」
結局、マロンはそれ以上何も言おうとはしなかった。
***
「ここが良かろう」
反乱軍の天幕が途切れている場所に立って、バンディロンがシェイルを振り返った。
そこは王城の正面の街道だった。
広さもかなりある。
進軍用に用意されたスペースなのか、街道上に天幕は張られていなかった。
その街道の中央にバンディロンは陣取り、落ち着かない様子で後ろ足で地面を何度も蹴っていた。
武器を持たずに来たはずだが、いつの間にか破城鎚を持っている。
途中で見つけた攻城兵器からでももぎ取ったのだろう。
シェイルもバンディロンの正面に立ち、アドルモルタを抜いた。
何事かとたくさんの兵たちが集まってきた。
けれど、街道に入ろうとする者は一人もいなかった。
その最前列に特別兵たちや伝令兵、マロンとリラが立っていた。
特別兵たちはかすかに悲しそうな表情を浮かべている。
伝令兵は緊張しているらしい。しきりに唾をのんでいる。
マロンとリラはほぼ無表情だった。
シェイルはバンディロンに向かって、言った。
「……いいんだな?」
「よもや吾輩に覚悟を問うておるのか? 愚問である。
吾輩には吾輩の進む道がある。立ちはだかる者とは闘うのみよ」
「それで死んでもか?」
「これは吾輩にとって、生き死によりも大事なことだ!
貴殿こそ覚悟はよいのか? 全力で戦えるか?
貴殿が吾輩の終わりとなるなら偽りでもよい。覚悟を決めよ。これは戦だぞ!」
「くそっ……。わかったよ!」
シェイルはアドルモルタを地面に突き刺すと、頬を叩いた。
そして短く息を吐き、声高に叫んだ。
「破城のバンディロン!
我は勇者キュアリスの弟子シェイル・ホールーア!
いざ尋常なる勝負を挑まん!」
「受けて立とう、若き勇者よ!
戦いの女神に我らの死闘を捧げん。
敗者に死を! 勝者に名誉と導きのあらんことを!」
バンディロンは破城鎚を地面に叩きつけた。
地面が震える。
シェイルは震えているアドルモルタを引き抜いた。
合図は無かった。
ただ、シェイルが剣を抜いたのを見た瞬間、バンディロンは猛然と突撃の構えを取った。
後ろ足の筋肉が大きく膨らみ、凶暴なバネのように足が跳ね上がる。
足を踏み出した反動で大量の土石が後方に巻きあげられる。
巌のような巨体が一直線にこちらへ向かって突進してくる。
しかし、シェイルは慌てずにアドルモルタを正面に構えた。
刀身からめらめらと白い炎を立たせる。
バンディロンがすぐ目の前まで迫って、シェイルはアドルモルタを上段に構えた。
「斬命―――」
『ちょっと待ったあァァァアアアアアッー!!!』
いきなり聞こえたピスタの大声にシェイルは集中力を削がれた。
振り向いたりこそしなかったが、一瞬の十分の一くらいのほんのわずかな時間だけ意識がそちらへ持って行かれた。
ところでバンディロンは武術の達人である。
そんな相手にはどれだけ短い時間だろうと隙など決して見せてはいけない。
気づいたときにはシェイルはバンディロンの振るった破城鎚で思い切り殴られていた。
ホームランボールのように勢いよく吹き飛んでいく。
「……」
打ちあがったシェイルを見てバンディロンは何とも言えない表情をした。
放物線を描き、べしゃっと地面に落ちたシェイルにパカパカと足音を鳴らしながら近づいていく。
そしてシェイルを見下ろして言った。
「おい、生きているか?」
「……」
シェイルは無言で右手をよろよろと動かすと、殴られた場所に手を当てた。
ほとんど一瞬と言っていい速度でケガが再生する。
シェイルはむくりと身体を起こした。
「よっと。ああ、生きてる」
「そうか。良かった。あれで終いではあまりにも……。何があった?」
「聞こえなかったのか?」
「む……。何か聞こえたのか?」
シェイルは周囲の兵士たちを見た。
半数がシェイル達を見て、もう半数は城の方を見ている。
城の方に目をやると、正門が開いていた。
騎馬兵が十人ほどこちらへ向かってきている。
そのうちの先頭の騎馬にピスタが乗せられていた。
どうやらさっきの声はシェイルにだけ聞こえた幻聴などではなく、現実のものだったらしい。
バンディロンに聞こえなかったのはそれほど集中していたということだろう。
「うちの姫様が待ったってさ。悪いけど、待ってくれないか?」
「是非も無し」
「……それって待ってくれるって意味?」
「シェイルさん!」
起き上がったシェイルのところへピスタと騎馬兵たちが近づいてきた。
周囲の反乱軍の兵士たちは困惑している者が半分、もう半分は騒いでいるようだ。
多分、「敵の王女が目の前にいるぞ!」「捕まえろ!」「いや、殺すべきだ!」とかそんなところだろう。
騎馬兵たちは周囲を警戒している。少し怯えているようだ。
一方でピスタは「無事ですか? 良かった!」と勝手に納得していた。
どうやら襲われるかもしれないとかは考えていないらしい。
いや、それどころではないのか。
なにか焦っているような表情だ。
「シェイルさん! 大変です! 非常事態! 非常事態です!」
「落ち着けよ。何があったんだ?」
「竜! 竜が!」
「竜? 水晶竜か?」
「水晶竜がここへ来ます!」
「……え?」
「竜が! ここへ! 来るんです!」
「……」
「ですから、竜が―――」
「違う。もう、来てる」
「え?」
その瞬間、
ドオオオオオン……!
という地響きと共に城をはさんだ反対側に水晶竜が降り立った。
岩山のような匂いのする風が吹いてくる。
振動がかすかに足の裏に伝わってくる。
透き通るような青色の竜が城の向こうにいた。
長い首をゆっくりと回して周囲を見渡している。
遠近法的に城の塔と頭部が並んで見える。
瞳だけで城の塔の幅くらいあるだろうか。
首が回り、塔でその瞳が見えなくなる。
再び瞳が見えるようになる。
目が合った。
そう感じた者たちは言い知れぬ恐怖を覚えた。
水晶竜はゆっくりと瞬きを終えると、天に向かって吠えた。
グァアアアアアアアアッ!!
城の向こうで水晶竜の尾がムチのように振り上げられた。
十秒ほどかけてゆっくりと。
尾の先端が軽々と塔の高さを超える。
今度は三秒ほどかけて振り下ろされた。
地面をなでるように斜めに。
えぐれた地面、天幕や兵士たちが舞い上がり、こちら側まで飛んできた。
それが当たったのか、それとも尾がかすめたのか、城の塔が積み木を壊すように崩れた。
それをピスタ達は声も出せずに見つめていた。
それほど水晶竜は美しかった。
滑らかで、淀みがなく、純粋で、残酷だった。
最初に正気に戻ったのはシェイルだった。
目を大きく見開いて竜を見つめている。
飛んでくる土も、兵士たちも見えてはいなかった。
「ピスタ、あれは水晶竜なのか?」
「は、はい……。その通りです」
「やっと見つけた……」
シェイルは身をかがめた。
魔力をゆっくりと身体を巡らせ、力に変換していく。
すぐに駆け出すことができるように。
バンディロンを振り返って言った。
「ピスタを頼めるか?」
「む? 吾輩にか?」
「あ、そういえば敵だったっけ……」
「まあよい。構わん。任せろ」
「ありがとう」
シェイルはバンディロンに頭を下げた。
顔を上げると、ピスタが心配そうにのぞきこんでいた。
「行くのですか?」
「ああ。行く。心臓をえぐり取ってやる」
「気を付けてください。あれは何かおかしいです。どこかで感じたような―――」
「気にするな。ただの竜だよ」
「ただの竜って……。竜と戦ったことがあるのですか?」
「無い」
そう言うとシェイルは溜めた魔力を解放して突撃していった。
シェイルの起こした突風がやむとピスタは乱れた髪をはらった。
「相変わらずですね。……ご武運を」