第11話 秘密
ルイーズが腹部に刺さったナイフに気づくと、遅れてズキリと痛みが襲ってきた。微かに血の匂いがする。背筋に悪寒が走る。
エルダは無言でルイーズのみぞおちに刺しこんだナイフを引き抜き、ルイーズを蹴とばした。ルイーズは後ろの本棚にぶつかり、倒れた。持っていた燭台を落とし、火が消える。明かりが階段の上の聖堂からわずかに刺しこむ光だけになり、部屋全体が薄暗くなる。
「彼の者の傷を癒せ」
エルダがナイフを刺した場所に手のひらを押し当てて癒しの呪文を唱ると、ルイーズの傷口から流れ出す血が止まった。それを見てルイーズが困惑して問いかける。
「…! エルダ、貴様、どういうつもりだ!?」
「…すみません、ルイーズ様。まさかあなたが来るとは思いませんでした」
「こんなことをしてタダで済むと思っているのか!?」
「まさか。…それにしても…今まで色々と準備をして来たのですが…。はあ…。全然うまくいきませんでした。変なのは紛れ込むし、連中は言うことを聞かないし…。計画はもうグチャグチャです。慣れないことはするものではありませんね。…最後に帳尻が合うことを祈るばかりです」
エルダがぼそぼそとルイーズに、というよりも半分は独り言のようなことを言っている。その間にルイーズは立ち上がり腰に帯びた剣を抜こうとしたが上手くいかなかった。立ち上がれない。力が入らなかった。
ルイーズの様子に気づいてエルダがぼそぼそと言う。
「…無駄ですよ。ナイフには麻痺毒を塗っておきました。二日か三日は身動きが取れないでしょう」
傷を癒したのはそのためか、とルイーズは唇を噛んだ。血と一緒に毒が流れないようにしたのか。
「…なぜさっさと殺さない?」
「あなたは殺しません。エリスの糸で死んだことがバレてしまいますからね…。あなたにはここで大人しくしていてもらいます」
「馬鹿め! 糸を揺らせば助けが…」
そう啖呵を切りかけたルイーズだが、不意に口をつぐみ、また唇を噛んだ。今度は深く噛み過ぎて顎に血が滴った。
「馬鹿は、私だったか…」
「ええ。この部屋では魔法は使えませんよ。よほど慣れていない限りはね」
ルイーズは観念したように力を抜いて、後ろの本棚にもたれかかった。やる気をなくしたような目でさきほど部屋の隅の床に落ちていた剣に目をやる。
「…あれがアドルモルタなのか?」
「はい、そうです」
エルダは懐から布きれを一枚取り出すとルイーズの目に巻き付けて目隠しにした。さらにルイーズを剣の近くに引きずっていくと、手を大きく動かして魔法で石を操ってルイーズの全身を床に縛り付けていく。ルイーズは首から下が全て石に覆われるまで無抵抗でそれを受け入れた。
「お前が封印を解いたのか。どうやって…?」
「解いたのは私じゃないですよ。さっきの彼です」
「あの子が…? あのやたらまずい紅茶を淹れた彼がか?」
「ええ。あのやたらまずい紅茶を淹れた彼が、です。それでは私は急ぎます。彼が戻る前に紅茶を流しに捨てなければ…。飲まなくてはならなくなってしまいますので」
エルダは最後にポケットからハンカチを取り出すと、ルイーズの口に巻いてさるぐつわにした。
「それでは」
エルダは彼女をにらみつけているルイーズにそう言って地下の隠し部屋を後にした。
***
エルダは地下室から出て来ると呪文を唱え、隠し部屋への通路をふさいだ。さっと視線を入口の方にやると、ブブとボボが見ていた。
「ブブ、ボボ、こちらへいらっしゃい」
ブブ、ボボは顔を見合わせ、困惑した表情を浮かべて聖堂に入り、近づいてきた。エルダの目の前に立つと、エルダに自らの影を落とすほどの身長差があった。それでも、むしろ二人はエルダに圧倒されていた。
「ルイーズ様は帰られました」
二人はさらに困惑した。二人はずっと入口で見張りをしていたのだから、当然ルイーズが帰ったのを見ていない。というか、隠し部屋に入って行って出てきていないのを知っていた。エルダは続ける。
「…いいですか? あなた達が何を見ようとも、何を見ていなくとも、ルイーズ様は帰られました」
「…? しかし、」
「言い方を変えましょう」
エルダは反論しかけたボボの言葉を遮った。
「もしも、シェイルとローアにルイーズ様がどこに行ったのか聞かれたら、ルイーズ様は帰ったと言いなさい。…間違っても、まだ地下室にいるなどという『嘘』は言わないように。…私は嘘つきは嫌いですから」
そこでようやく、二人は何かに気づいたようだった。ぎょっとした表情を浮かべ、エルダと地下室への隠し通路を見ている。その様子にエルダは微笑みを浮かべた。
「わかったようですね。では、見張りに戻りなさい」
***
シェイルは一人でとぼとぼと教会に戻り、こっそりと扉を開けてブブとボボを探した。
結局、ローアは仕事が終わっていないから、と帰っては来なかった(「聖騎士様にお会いできるチャンスだけど…!」と未練たらたらではあった)。そのため、シェイルはエルダに怒られるんじゃないのかな、と思ってびくびくしながら戻ってきた。
が、いつもなら入口にいるブブとボボがいない。変だな、と思っていると二人が聖堂の方から戻ってきた。シェイルの顔を見て、いやに驚いた顔をしている。シェイルは「ただいま」と声をかけた。
「おかえり」「おかえり」
「なんかあったのか?」
「何も」「無い」
「ルイーズさんは? まだエルダさんと話してるのか?」
と、シェイルがブブとボボに質問した時、二人の肩にエルダがぽんと優しく手を乗せた。二人が大きく目を見張るほど驚いてエルダの方を振り向いた。
「ルイーズ様はお帰りになりましたよ」
「えっ? あ、ああそうですか…」
「ローアは? 随分遅かったですが…」
シェイルは「そんなに遅かったか?」と内心むっとした気分になった。
「ローアはまだ仕事中だからって来ませんでした。まあ、どのみちルイーズさんが帰ったんなら一緒でしたね」
「そうですね」
「それにしてもすぐに帰ったんですね。何しに来たんですか?本がどうとか言ってましたが…」
シェイルがそう尋ねると、エルダはこれ見よがしにため息をついてみせた。
「そうです。あなたが剣を取り出したあの本です。あなたがあの本を動かしたせいで彼女が来たのです」
「動かしただけで!? …っていうか、剣が落ちてのは大丈夫なんですか!?」
「ああ…、あれは私が一昨日の夜にこっそり直しておきました」
「こっそり…? でも触ったら危ないって…」
「それはあなたやローアの話です。私はそれなりに修練を積んだ魔法使いですから、触るくらいなら問題ありません」
「そう…そうなのか…」
「ええ。ですから、あなたは昨日言った通り聖堂の掃除を続けてください」
「わかりました…」
シェイルはなんとなく釈然としない気分のまま掃除に戻った。エルダにとって上の空で聖堂の掃除をしているシェイルの目を盗んで、こっそりと紅茶を流しに捨てるのはそれほど難しくなかった。
***
シェイルが聖堂の掃除を全てやり終えてのんびりしていると、ローアが帰ってきた。端に寄せた椅子の一つにだらけて座っていたシェイルが顔を上げると、ローアが入口の方のドアから聖堂に入ってきていた。
「ずいぶん綺麗に掃除してるわね。感心感心。よくできました」
「めっちゃ大変だったんだぞ…。これ…」
シェイルは力なく、聖堂の端に寄せた全ての椅子を手で示した。ローアはぐるりと見渡して、わざとらしくうんうんとうなずいている。
「すごいすごい。…あ、ねえ、ルイーズ様は? 何かあったの?」
「何も無かったんだと思うな」
「…思う?」
「俺が戻った時にはもう、帰ってた」
「ええ? …ひょっとして、途中で道草食ったの?」
「食ってねえよ」
「じゃあ、崖から落ちたとか」
「死ぬじゃん、それ。…別に何もなかったよ。あの後すぐ戻ったらもういなかった」
「ふーん…。何しに来たのかしら?」
「ああ…。本を確認しに来たんだってさ」
「本? なにそれ?」
「ほら、剣が入ってた本があっただろ? あれだよ。隠し部屋の」
「ああ、そういえば言ってたわね。じゃあ、隠し部屋も見たのかしら?」
「多分な」
「だとしたら相当急いで帰ったのね。何か急ぎの用でもあったのかしら」
「さあどうだろ。ブブとボボに聞いてみるか?」
「そうね、聞いてみましょうか」
と、二人が聖堂を出て入口で見張りをしているブブとボボに声を掛けようとしたところで、エルダが二階から降りてきた。
「おかえりなさい、ローア」
「ただいま戻りました、エルダ様」
「…ところで、夕食は何かしら? お腹が空いたわ」
「もうですか…? 仕方ないですね。今日はシチューですよ」
「ああ…! いいわね! ああ、そうだ。もし干し肉があるなら全部使いましょう。チーズも!」
「え!? いいんですか? でも、来月の分が無くなりますけど…」
「来月の分は私が出します。おごりでね。だから今日は豪勢にしましょう? 皆、明日の準備で疲れたでしょう?」
「わかりました! お肉とチーズ、使い切りますね!」
***
食事が終わると、ローアは立ち上がりまたコートを羽織った。それを見て皿洗いをしていたシェイルが驚いて尋ねた。エルダも自室に戻る足を止めた。
「あれ? どこに行くんだ?」
「ん? 言ってなかったっけ? 私まだ警備の仕事終わってないの。今から村に戻るのよ。泊りになるわね」
「ああ、そうだったんですね。気を付けていきなさい、ローア」
「はい、エルダ様」
ローアはそう言って軽く頭を下げた。エルダが厨房を出ていくと、ローアは頭を上げてシェイルを見た。にやり、と口元を歪める。
「寂しいの?」
「んなわけあるか!」
シェイルがしっしっと追い払う仕草をするとローアはわざとゆっくりと歩いて教会の扉を開けて、外へと出て行った。
***
「おい、様子はどうだ?」
「静かだ。寝てるんじゃないか?」
数人の男が明かりのついていない小屋の前でひそひそと話をしていた。彼らは手にナタを持ち、獣の毛皮で作った衣服を着ていた。
「中にいるのか?」
「ああ、いる。見た」
「よし」
闇の中を音を立てないようにして毛皮の男たちが一列になって進む。と、月明かりに照らされて少し離れた木の影に、また数人の男がいるのが見えた。彼らも毛皮の服を着ており、よく目を凝らしていなければわからない。
木陰の男たちに気づいた一人の青年が、慌てて前の男の背中を叩く。
「あれ!あれ!」
「うるさい。あれは仲間だろうが」
慌てて小さな声で焦っていた男の手を冷たく振り払うと、ロバートは何事も無かったかのように進んだ。やはりコイツにはまだ早かったか、と心の中で舌打ちすた。
***
あぁ…喉が渇いた…、とルイーズは頭の中で独り言を言った。
暗闇の中、誰もいない。誰にはばかることも無く独り言は言い放題だし、声に出して言いたいのだが、さるぐつわを噛まされているので何も言えないのだ。
大人しく、自分の唾液で湿ったさるぐつわの水分を吸うしかなかった。
エルダの目的は何だろうか?
何かを企んでいるらしいことは間違いない。準備とか連中とか計画とか言っていた。何をするつもりだったのだろう…。やはり、「剣」絡みだろうか。それが一番なんというか、しっくりくるというか納得できる。
しかし、そうならどうして「剣」を放置しているのだろうか。剣に触れることはできないとしても、剣を抜いたという彼に頼めば「本」の中に再封印することは可能だろう。「本」にすれば持ち出せる。まあ、「糸」でおおよその動きはつかめるが…。
いや、そもそも触れられないにしても「剣」に対して無頓着すぎる。剣を見る時もまるで興味がなさそうに見えた。
…剣を手に入れることが目的ではないのか?
ルイーズを縛り付ける岩の拘束がミシッという小さな音を立てた。