第101話 国王と王女
「ダメだダメだ! お前のような怪しい奴を城にいれるわけないだろう!」
「言われてるぞ」シェイルは背中の後ろに隠れているピスタに声をかけた。「蝉のマネなんかしてるからだ」
「なにを言っている! 怪しいのはお前だ!!」
「……え?」
城下町を抜けてたどりついた城を前にしてシェイルは門兵に止められてしまった。
心外だ。目に穴でも空いているにちがいない。
「どこが怪しい? 俺は善良な一般市民だが」
「頬に黒い火傷! 背中の大剣! どう見ても怪しいだろうが!」
「人を見かけで判断するな。非常時だぞ、さっさといれてくれ」
「城にそんな格好ではいれるわけないだろ! 非常時だからこそいれられるか!」
「あの~……」
シェイルの後ろからピスタがそろーっと顔を出した。
門兵はびっくりして気をつけの姿勢になった。
「ピ、ピスタ王女!?」
「こほん、久しぶりですね、エドウィン。
この方は怪しい方ではありません。私が保証します」
「え? さ、左様でしたか……。
それは……し、失礼いたしました」
「ああ。わかればいいんだ」
シェイルはそう言って尊大そうに片手をあげたが、ピスタがシェイルに向ける視線は冷たかった。
「……気にしないでちょうだい。
この人が『俺は怪しい奴じゃないから堂々と入る。口を出さないでくれ』って聞かなかっただけだから。
あなたはちゃんと責務を果たしていました。誇りなさい」
「はっ! 光栄です!
……ピスタ王女殿下のお戻りだ! 開門!!」
門兵は敬礼すると門を開けるように号令を出した。
ゆっくりと大きな門が開いて行く。
号令を聞いた兵士たちがわらわらと集まってきた。
門が開ききると、集まった兵たちは一斉に敬礼した。
「「「おかえりなさいませ、ピスタ王女殿下!!!」」」
「ありがとう。ただいま戻りました」
ピスタは優雅にスカートの裾をつまんでお辞儀をする仕草をしてみせた。
もっとも、今はドレスは着ていない。庶民の履いているようなズボンだから形だけのものだ。
しかし、兵士たちにはそんなことは関係ないらしかった。
ただピスタが戻ったことが嬉しいのだ。
兵士たちの歓声を聞けばそれがわかった。
「うおおおおおお! ピスタ王女様だ! 王女様が戻られた!」
「よくぞご無事で!」
「ピスタ様……! 相変わらず可憐でお美しい……!」
「隣のヤツ! 誰だ貴様!?」
歓声の中に変なのが混じっているような気がするが……気のせいだろう。
シェイルとピスタは兵士たちの歓声の中、門をくぐって城に入った。
教会の大聖堂のようなロビーには誰もいなかった。
門が閉じるとさっきまでの歓声が嘘だったように静かになる。
大理石を踏む足音が響きわたる。
「誰もいないな」
「非常時ですからね。皆、奥の広間にいるのでしょう」
ロビーを抜けて廊下を進んでいく。
赤いカーペット、漆喰の壁、壁には絵画が飾られている。
しかし、よく見ればそれぞれ少しずれていたり、汚れていた。
掃除などしている場合ではない、ということだろうか。
突き当りの扉を開けるとそこは大広間だった。
執事やメイド、近衛兵たちがずらりと並んでいた。
彼らは口々にピスタを歓迎した。
「おかえりなさいませ、ピスタ様」
「よくぞご無事で」
「おかえりなさいませ、王女殿下」
「元気そうで何よりです、殿下」
「ありがとう、皆」
ピスタは彼らの名前を呼び、感謝の言葉を述べていく。
背筋はすっと伸び、いつの間にか王族らしい凛とした雰囲気が出ていた。
それを見た臣下たちはどこかホッとしたような表情を見せた。
(これが王族なんだな……)
たとえ自分がどれだけ不安でも臣下の前では姿勢を正して立つ。
そのブレない姿が彼らの心を支えているのだ……。
臣下たちが立ち並ぶ廊下を進んでいくと、ひときわ大きな扉があった。
大柄な近衛兵二人が扉を開けた。
扉の奥は玉座の間だった。
奥に国王らしき人物が腰掛けている。
部屋の脇に立っているのは王族や大臣などの高官たちだろう。
ピスタは臆することなく玉座の間に入っていった。
あまりにも自信満々に入るものだから、シェイルも続いていいのだと思っていた。
……が普通に扉の前の近衛兵に止められた。
左右から振り下ろされた二本の槍がガン!と音を立てて交差する。
(仕方ないな。待つか)
シェイルは抵抗の意思がないことを示すために両手を上げて一歩後ずさると、ピスタが振り返った。
一目見てわかった。怒っている顔だ。
「……やめなさい! 客人に無礼でしょう!」
「しかし……」
「通しなさい! 彼は私の命の恩人です!」
「……」
だが、近衛兵たちは手をどかさなかった。
彼らの動揺をみてシェイルは察した。
彼らの主人はピスタではない。国王なのだ。
ピスタの言葉に動揺してはいるが、彼らはしっかりとシェイルを警戒し続けている。
彼らが悩んでいるのは「通すべきかどうか」ではなく、「いかにピスタを説得するか」なのだ。
ちゃんと仕事をしている証拠だ。
ピスタに「俺はいいよ」と言おうとしたところで、さらに割り込みがあった。
彼らの主人、国王陛下だった。
「よい、通せ」
「陛下、ですが……」
「構わぬ。客人よ、入るがいい」
さすがと言うべきか、国王の言葉には有無を言わせない迫力があった。
近衛兵たちはそれ以上何も言わずに槍を引っ込めた。
シェイルは玉座の間に足を踏み入れた。
後ろで大扉が軋みながら閉じる。
窓から日の光が差している。
部屋の中に荘厳な空気が満ちているのを感じる。
王族や高官しかいないからだろうか。
いや、きっと国王がいるからだ。
彼がこの部屋を支配しているのだ。
ただ、ピスタだけは妙にキョロキョロしていたが……。
国王からは厳粛な雰囲気が漂っている。
思わず背筋を正してしまうような。
けれど、シェイルには一目見てわかった。
彼は呪われている。ピスタの言っていた通りだ。
魔力が濁っている。妙なノイズのようなものが混じっている。
何かが彼を蝕んでいる。
荘重な沈黙を破って、国王が口を開いた。
「ようこそ、ゆう―――」
「お父様!」
ピスタは駆け寄って国王、もとい父親に飛びついた。
国王はいきなりのことに目を少し見開いている。
一方で他の王族たちや高官たちは苦笑している。
驚いた様子はない。予想していたのだろう。
ピスタがやけにキョロキョロしていたのは「気を遣う必要のある臣下」がいないことを確認するためだったようだ。
この場にいる人達はそれだけ親しい間柄ということか。
国王は身体の力を抜いた。
威厳が和らいで父親の表情が垣間見える。
その大きな手でピスタの頭を不器用になでた。
「おかえり、ピスタ。無事でよかった」
「お父様もお元気そうで何よりです!」
「ああ、ありがとう」
二人が再開を喜んでいると、他の王族たち高官たちも口々にピスタの名前を呼んだ。
「おかえりなさい、ピスタ」
「おかえり、ピスタ」
「おかえりなさいませ、王女殿下」
「よくぞご無事で戻られた、ピスタ様」
「ただいま! みんな!」
ピスタは目の端に涙を浮かべながらも満面の笑みで応えた。
***
「ごほん……。さて、ではあらためて……」
数か月ぶりに再開した特別な家族の団らんはほんの束の間で終わった。
父親が咳ばらいをするとそれぞれが語らいを自然とやめて元の場所に戻ったのだ。
団らんを終えて、国王の態度はやはり先ほどよりも柔らかくなっているように思える。
かすかに微笑んでいるようにさえ見えた。
「ようこそ、勇者の弟子よ。歓迎する」
「え?」
いきなりのことでシェイルの頭は真っ白になった。
勇者の弟子って俺のことだよな?
勇者、つまりキュアリスの弟子っていう意味か。
でもなぜのことを知っているんだ?
「なぜ知っているのか、と言いたそうな顔だな」
「あ、いえ、その……」
「構わぬ。つまらぬことを気にするな、客人よ。
そなたの話は聞いておる。元老院とは知り合いでな。
復活した古の魔王と聖都で闘ったのであろう?
頬の火傷に背中の大剣、なによりその底知れぬ魔力がそなたの素性を語っている」
「そ、そうでしたか」
……なるほど。
威風堂々としているから強いのかもしれないとは思っていたけれど、思っていたよりずっと強そうだ。
たぶん、ルイーズと同じくらいかそれ以上に強いだろう。
「本来であれば、そなたのような若き勇者の卵が王女とどのような旅をしてきたのか聞きたいところではあるが……。
生憎、今は身内のゴタゴタが片付いておらん。
単刀直入にいこうか」
国王は拳で頬杖をつき、ニヤリと笑った。
「そなた、我が息子となる気はあるか?」
「……へ?」
「お、お父様!!」
国王の言葉を聞いてピスタはほとんど飛び上がった。
シェイルは国王の発言よりもむしろピスタのリアクションに驚いたくらいだ。
しかし、ピスタが顔を真っ赤にして父親を可愛らしくにらんでも、当の父親はどこ吹く風で変わらず笑みを浮かべている。
ワンテンポ遅れてシェイルは何かに気づいて冷や汗を流し始めた。
「え、えーっと、それは……つまり……」
「どうだ? 意味が分かるか?
つまりだな、ピスタと夫婦となるつもりは―――」
「お父様ッ! いい加減にしてくださいッ!!」
国王の言葉を遮ってピスタが叫んだ。
シェイルにはピスタの表情は見えなかったが、その肩が小刻みに震えているのは見えた。
国王はギョッとしたように目を見開いていた。
シェイルは正直ほっとしていた。
本能的になんらかの不可逆的な決断をしなくて済んだことに安堵していたのだ。
と、その時パンパンと手を叩く音がした。
見れば、上品なドレスを着た若いお姉さんが手を下ろすところだった。
立ち位置的に王族のようだ。ピスタの姉か従弟だろうか?
まさか王妃ということはないだろう。若すぎる。
「陛下、お戯れが過ぎますよ」
「あ、ああ……。すまない、王妃よ」
王妃だった。
王妃は淡々と国王に返答する。
「謝る相手は私ではないでしょう?」
「ピスタ、シェイル殿、すまなかった」
「……」
「い、いえ……。お気になさらず……」
「ピスタ、あなたもあなたです。声を荒げるなんて。らしくありませんよ」
「……」
「……仕方ないわね。顔でも洗って頭を冷やしてらっしゃい」
「……」
ピスタは黙って玉座の間の横へ向かった。
そして壁を押したかと思うと、その壁が反転して隠し通路が現れ、ピスタはそこから出て行った。
最後まで表情を見ることはできなかった。
ピスタがいなくなると王妃はため息をついた。
「あの子のあんな顔、初めて見ましたよ」
「すまん……」
「まったくあなたもいい大人なんですから……。
気を悪くしないでくださいね、シェイルさん。
珍しく大声を出したりしましたが、あの子は優しい素直な子なんです」
「ええ、わかっています。大丈夫です」
「ありがとう。よければこれからもよろしくお願いしますね」
「はい……」
ここに来てシェイルは自分があまりにも無策だったと思い知った。
王都まで来ればピスタを置いて先に進める、と思っていたがとんでもないミスだった。致命的なミスだ。
原因は一つ。予想以上に扱いがよかった。
完全にピスタの恩人という扱いだ。まあ、間違ってはいないけど……。
もっとサラッとお礼とお金をもらって、あとはご自由に、みたいなイメージだったのに。
これは多分、表の反乱軍(?)と一緒に戦う流れだし、さらには水晶竜まで一緒に討伐することになるんじゃないのか?
そうなってから裏切るなんて……、完全にこの国に対する反逆じゃないか。
それだけは避けたい。厄介過ぎる。
だが、何をどうすれば上手くことが運ぶんだ……?
「して、シェイル殿、折り入って頼みがあるのだが……。
実は外にいる反乱軍に手を焼いていてな……。
どうかほんの少し手を貸してはもらえんだろうか?」
「……っ!」
来た。もう来た。
どうすればいい?
……。
くそっ、頭が回らない。
少し考える時間がほしいな。
とりあえず、そう伝えるか。
あまり時間を取り過ぎるのもまずい気はするけど……。
「すみません、少し考える時間を―――」
「お待ちください、シェイルさん、お父様」
いつの間にかピスタが戻って来ていた。
すっかり頭は冷えたらしい。
いつもの真面目な表情に戻っていた。
「お父様、それはいけません」
「どういうことだ、ピスタよ?」
「シェイルさんにはやるべきことがあるのです。
ここで私たちのために足を止めていただくわけには参りません」
ピスタはシェイルに向かって深々と頭を下げた。
「シェイルさん、ありがとうございました。
私をここまで連れて来ていただいたこと、心から感謝しています。
もう十分です。十分助けていただきました。
あなた様はあなた様の旅路にお戻りください」