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勇者・隷属・アドルモルタ  作者: 甲斐柄ほたて
第5章 王女・呪い・水晶竜
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第99話 影が差す

 秘密基地に思いをはせながらシェイルは踵を返した。

 今夜泊まれるような町や村はこの近くには無い。

 野宿になる。そのときにでも作ってみよう。ピスタもきっと喜んでくれるだろう。


 よし。さっさと村に戻って報酬を受け取って先ヘ進もう。

 しかし、ピスタの足音が聞こえない。

 振り返るとピスタは立ち止まっていた。

 シェイルを見つめたまま、歩こうとしない。


「……シェイルさん」

「あー、でも俺は秘密基地に興味出てきたなー。

 野宿するときに作ってみようかなー……」

「秘密基地はもういいです! シェイルさん!」


 ピスタの声色はさっきまでと完全に違っていた。

 ぴんと張りつめた糸のような緊迫感をはらんでいた。

 シェイルはピスタが見ているのは自分ではないことに気づいた。

 背後だ。シェイルの背後を凝視している。

 金剛狼が倒れているあたり。

 シェイルはゆっくりと振り返った。

 魔力の反応は無い。魔力の『音』は聞こえない。

 何もいないはずだ。


「シェイルさん、あれはなんですか!?

 あの黒い影は? 魔物ですか!?」

「は……?」


 そこにいたのはまさに影だった。

 黒い絵の具で塗りつぶしたような影のカタマリがそこにあった。

 金剛狼の首から、その口から、にょろんと出てきている。

 まるで出来の悪い巨大シャボン玉のようだ。


 かつて巡礼者の森で見た墓標の亡霊に似ている。

 あの墓標が何だったのか、結局エリスからハッキリとしたことは聞いていない。

 トリビューラを倒したら教えてくれると言っていたはずだが、あの健忘症の神様のことだ。忘れているに違いない。

 察するにあれはトゥルモレスの墓だったのだろう。

 あそこにあの邪神が封印されていたのだ。


 そして目の前にいるコイツからはトゥルモレスの泥と似た気配を感じる。

 これは、敵だ。



 魔力をほとんど感じない。

 こうして目で見て、「いる」と確信してようやく感じ取れるレベルの微弱な魔力だ。

 気のせいだと言われればそうかもしれないくらいの……。


「ピスタ、逃げろ。村まで一直線だ。行け」


 シェイルは影から視線をそらさずにピスタに命令した。

 影は微動だにしない。

 シェイルはそれでも瞬きすらせずに影を凝視し続けた。


「えっ、でっ、でも……」

「早く!」

「でもあなたを置いては―――」

「今度こそ足手まといだ! 集中できない!」

「……っ!」


 背後でピスタが息をのんだ気配がする。

 きっと傷つけてしまっただろう。

 しかし残念ながらピスタの心に配慮しているような余裕はない。

 シェイルは目の前の影に対処する方法に思考の大半を割いていたからだ。


(コイツが墓標の亡霊と同じなら……。

 ココに匹敵するスピードで動くはずだ……。

 それを捕まえて……、

 アドルモルタの炎レベルの火力で処理する必要がある……)


 スピードは問題ないだろう。

 おそらく、スピードはもうココに追いつけているはずだ。

 小回りは自信ないが、魔力の燃費を度外視してスピードを制御すればなんとかなるだろう。

 アドルモルタは……使うしかない。

 残念だが、ここで抜かないわけにはいかない。

 魔力切れは……まだ大丈夫だろう。


 問題は捕まえる方法が無いことだ。


 以前はエリスが謎の虫取り網を渡してくれたが……。

 修練を積んでもう一度影と相対した今ならわかる。

 あれはきっととんでもなく高度な魔法がかかった虫取り網だったのだ。

 影を捕まえるなんてとてもじゃないが、無理だ。


 つまり、ココ並みのスピードで走りながら、アドルモルタの炎で影を焼き切る。


 ……これしかない。

 二つ同時に出来たことは無いが、やるしかない。


(ぶっつけ本番の技を強敵相手に披露して、成功する確率か……。考えたくないな)



「でも、私はっ―――!」

「おい、くどいぞ! 意地を張るのもいい加減に―――!」


 つい、頭に血が上ってしまった。

 一瞬……、ほんの一瞬だけ、影から目をそらしてしまったのだ。

 そしてまさにその瞬間に影は動いた。


「……っ!」


 影がぐにゃりと伸び、足元はそのまま動かずに風に吹かれるように上体だけが流れてきた。

 そのままシェイルの隣を素通りしてピスタの方へ向かおうとする。

 シェイルは反射的にアドルモルタを抜いて叩きつけた。

 アドルモルタの炎で地面の雪がシュッと音を立てて蒸発する。


 しかし、影には効果が無かったようだ。

 アドルモルタで斬られそうになった部分を薄くして分裂した。

 シャボン玉が二つに分かれるように。

 声を上げる暇も無かった。

 ただ、振り下ろした剣の重さを感じながら分かれた影を目で追うことしかできなかった。


 ピスタに近い方の影が大きくなる。

 クリオネが獲物を捕食するように。

 ピスタはただ目を丸くすることしかできなかった。

 悲鳴を上げる暇さえなかった。

 瞬きするほどの時間でピスタは影に飲み込まれた。


「クソッ!!」


 シェイルは分かれたもう一方の影が今度は自分を飲み込もうとしていたのに気づいて素早く身をかわした。

 影をひっつかんで地面に叩きつけたい衝動に駆られたが、どうにか抑えた。

 触ることはできないとわかっていたからだ。

 できたのはすれ違いざまにアドルモルタで斬りつけるくらいだった

 燃やせたのはほんの少しだけ。

 影はシェイルには想像すらできない高度な魔法で作られている。

 火力のゴリ押しで破壊することはできても、解析したり干渉することはできない。


 それでもこの攻防で影のおおよそのスペックがわかった。

 影そのものは脅威ではない。

 たしかに素早いがヒットアンドアウェイに徹すればいずれは勝てるだろう。

 油断しなければ問題ない。

 ……問題は、ピスタだ。


 シェイルはピスタと影が視界に収まるようにゆっくりと移動した。

 ピスタは地面に倒れこみ、暴れていたようだった。

 今はもう落ち着いている。

 ピスタを飲み込んだ影はいつの間にか消えていた。


 影がピスタを離れた気配は無かった。

 おそらく金剛狼ダイアモンドウルフと同じだろう。

 中に入ったのだ。寄生虫のように。

 認めたくないが、ごくごくかすかに魔力の気配がある。間違いないだろう。


「……うぅ……」


 奇妙な音が聞こえた。

 シェイルは思考を放棄したかったが、すぐにそれがピスタの口から発せられた声だと認めた。

 ピスタがゆっくりと振り返った。


 だらりと開いた口からはよだれが垂れ、目は生気なくあいまいに開いている。

 まるで死人が立っているようだった。

 シェイルは言い知れない怒りで腸が煮えくり返りそうになった。

 ピスタに腹が立った。足手まといだと言ったのについてきたことが腹立たしい。

 影が憎かった。寄生なんて薄気味悪くて卑怯な手段を取る敵を八つ裂きにしてやりたかった。


 けれど誰よりなにより自分に腹が立った。ピスタを守れないふがいない自分を殺してやりたかった。

 また繰り返すのか?

 落ち着け、自棄ヤケになるな。落ち着け。

 自分をなだめようと必死で深呼吸を繰り返した。

 ……。

 …………。

 よし。

 まず何をするべきか?

 決まっている。


 まず俺の周りをウロウロしてる邪魔な影を斬る。


 シェイルは決めるが早いか、右手でアドルモルタを高く構え、左手で影の真下から土魔法で槍を突き出した。

 しかし、影はその槍をするりと避けてみせた。

 これ見よがしに。

 槍に巻き付くように。

 間髪入れずにアドルモルタで追撃を加えた。


 それもかわされるが、そこまでは想定内だ。

 影がさっきと同じ行動を取るなら……。


「俺を乗っ取ろうとするよなあ!」


 シェイルは自分に向かってくる影にきっちりと斬撃を合わせ、今度こそ切り伏せた。

 アドルモルタの炎で欠片も残さず焼き切る。



 ……これでよし。

 分裂した影の片方は片付いた。

 あとはもう片方……。ピスタに憑りついた影をどうするかだけだ。



 ***



 選択肢は三つだ。

 一、ピスタごと影を斬る。

 最も確実に影を処理できる方法だが……。

 全く気が進まない。というか、やりたくない。

 短い間とはいえ、一緒に旅をした仲間を殺したくなんかない。


 二、ピスタを放置して逃げる。

 対処をあきらめて逃げる方法。

 無責任極まりないし、ピスタ本人からも激怒されそうだが……。

 正直、一を選ぶくらいならこっちの方がマシだ。


 三、ピスタから影だけを分離する魔法を編み出してなんとかする。

 ほぼ奇跡に近い。

 現実的ではないし、それを試すのは危険過ぎる。

 俺自身が乗っ取られるリスクがあるからだ。



 ……きつい選択肢だ。

 一は無い。捨てていい。

 二か三のどちらか、あるいは「逃げながら魔法を編み出す」という折衷案になるが……。

 そもそも二は成り立つのか?

 こんな雪山の真っただ中に放置して無事で済むのか?

 何より、こいつはピスタを乗っ取ってどうするつもりなんだ……?



 そう考えた瞬間、ピスタが顔を上げた。


『久しいな、虫けら。私を知っているか?』


 ピスタの喉から発せられるノイズ交じりの耳障りな声。

 その声は以前よりずっと高く、そして夢のようにあいまいな記憶ではあったが、シェイルはその声に聞き覚えがあった。


「トゥルモレス……!」

『正解だ、虫けら。褒めてやろう。何が欲しい?』


 ピスタが邪悪な笑みを浮かべるが、瞳には相変わらず生気が無い。

 シェイルは怒りで震える声でどうにか返事をした。


「お前の死が欲しい」

『はっはっは! それは私の死か? それとも……』


 ピスタは大口を開けて笑うと、急に怯えた顔になった。

 瞳に光が灯る。

 そして自分の右手の人差し指を自分のこめかみに突き付けた。

 その手の形はちょうど手で作ったピストルのようだった。

 怯えた表情のピスタの口が歪んだ声をひねり出す。


『こいつの死か?』


 シェイルはぎょっとしてピスタの右手をつかんで頭から離した。

 バン!と凶悪な音がしてその指先から魔力がほとばしり、空中へ消えていった。

 つかんだ右手からにゅるりと影が染み出して、シェイルの左腕を素早く這い上がり耳元で囁いた。


『気に入らなかったか? じゃあ、これならどうかな?』


 そして耳から頭の中に入ってきた。


「ぎっ……!?」


 シェイルはとっさに頭を燃やした。

 困惑しているピスタの胸倉をつかんで遠くへ投げた。


「逃げろ! 燃やされたくなかったらな!」


 ピスタが無事に着地したかどうかとか、返事を聞く余裕は無かった。

 影はすでに頭の中に入っている。

 一刻も早く手を打たなければならない。

 しかも、選択肢もほとんどない。

 イチかバチか、だ。



 左手で耳のあたりをえぐり取った。

 同時に影の気配を探る。

 いる。

 まだ頭に残っている。

 しかし、幸いなことにえぐり取った断面のあたりだ。

 炎に焼かれながら、中に入ろうとしてもがいている。


 シェイルは頭にアドルモルタを添えた。

 一瞬だけ心の準備をするとアドルモルタに火を灯した。


 ぐわん、と空気が大きく揺れる。

 血が凝固する。

 皮膚が焼けてめくれあがって炭化する。

 あまりの熱量に脳漿のうしょうが干からびていく。


 燃えることで影を殺す。

 燃えることで魔力のタガを外し、尋常ではない出力の治癒魔法をかけつづける。

 燃えながら影の魔力を探り続ける。


 虫が這いずり回るような忌々しい魔力が消えた……ような気がした。

 なにせ燃えながら小さな羽虫の音を探っているようなものなのだ。

 とてもじゃないが、正確には判断なんてできなかった。


 いずれにせよ、これ以上は無理だと思った。

 思考が濁ってきていたからだ。

 熱と怒りと痛みで正気を失いそうだった。

 キュアリスがいたら頭を半分くらい焼いても大丈夫だったろうが(治癒にしても暴走したら正気に戻してくれるという意味でも)、今はピスタしかいない。

 暴走したら殺してしまう。


「……げほっ、げほっ」


 燃焼を止めた。

 アドルモルタを地面に突き刺し、もたれかかってせき込む。

 焼けた肺を一気に治癒したからだ。

 治癒は急速にやればやるほど違和感が大きくなってしまう。

 まあ、ちょっとした副作用といったところだ。

 手術とか薬に比べればかわいいものだ。


 と、顔に雪のかたまりがぶつけられた。


「ぶっ……? なんだ……?」


 雪をぬぐって正面をよく見た。

 ピントが合うまで少し時間がかかったが、どうやらピスタが雪を集めてそれを投げていたらしかった。

 なんのいたずらかと思ったが、よく見ればぼろぼろに泣きながら雪を集めていた。


「あっ……、消えてる……?」


 ピスタはようやくシェイルが燃えていないことに気づいたらしかった。

 目をこすっている。

 シェイルはゆっくりと周囲の状況を確認した。


 シェイルの足元の雪は熱で全部溶けていた。

 それどころか雪の下に埋もれていた落ち葉は煙を出しながらじりじりと燃えている。

 周囲の木々にも少し燃え移っていた。

 まだ本格的な山火事ではないが……、もしも魔法が使えなかったとしたら走って逃げだす程度には大ごとになっていた。


 次にピスタを見た。

 顔が真っ赤になっていた。軽いやけどになっている。

 手も真っ赤だった。これは逆にしもやけだろう。素手で雪をかき集めたせいだ。


 要するに、ピスタは山火事になりそうな状況の中、燃えているシェイルに必死で雪をかき集めて投げていたのだ。

 火を消そうとして。

 シェイルがいきなり燃え出した意味も分からず。

 とにかくシェイルを助けようとして、必死で。


「……」

「だ、大丈夫ですか?」

「ああ、ありがとう」


 シェイルは何を言えばいいかわからなかった。

 だから黙って彼女の頭にぽんと手を置いてなでた。

 ついでに治癒魔法でケガを治した。


「なっ、なにするんですか!?」

「治癒」

「あっ、ああ、それはどうも……。じゃなくて!

 だったらどうして頭なでたんですか!」

「……なんとなく」

「なんとなく!?

 私の方がお姉さんなんですよ!?」

「いいじゃん」

「ぐぐぐ……! この人は……!」


 ピスタはしばらくの間、拳を握りしめて何かを言おうとしていたが、結局何も言わなかった。

 代わりにシェイルの手を振り払って一歩距離を取り、そっぽを向いた。

 シェイルは肩をすくめると周りの木々に燃え移った炎に水をかけて一気に消化した。

 もう一度あたりを見渡して他に消し忘れた火がないことを確認する。


「じゃあ、行こうか」

「……」


 ピスタが無言だったのでシェイルは彼女を担いだ。


「えっ」

「捕まってろ、村まで飛ばすぞ」

「えええ!?」


 シェイルは村まで超特急で帰った。

 ピスタが村に着くなり吐いたことは言うまでもない。


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