第96話 契約と嘘
レースはあっけなく幕を閉じた。
シェイルはあまり迷うことなくマロンの宿にたどり着いたからだ。
リラたちはあと三十秒もすれば追いついてくるだろう。
そんな位置関係だ。
覆ることの無い距離だが、止まってしまえば話は別だ。
しかし、シェイルは宿の上空で立ち止まった。
ピスタは驚いた顔でシェイルを見上げた。
彼女にも立ち止まれば追いつかれるということはわかっていたからだ。
屋根伝いに暗殺者たちが近づいてくるのが見えていた。
「どうして立ち止まっているんですか!?
早くしないと、追いつかれてしまいますよ!?」
「わかってるけど、関係ない人の部屋に入るわけにはいかないだろ」
「部屋がわからないのですか!?」
ピスタはややヒステリック気味に叫んだ。
マロンがどの部屋にいるかなんて、わずかな時間でわかるはずがないとピスタは思った。
ゴールまであと一歩なのにそのゴールが見えていなかったのだ。
ピスタは抱きかかえられながら頭を抱えたが、シェイルは全く動じていなかった。
もちろんそれは精神的な話だ。
物理的にはむしろピスタが頭を動かしまくるせいでかなり揺れていた。
「どうしてそんなに落ち着いていられるんですか!?」
「落ち着きなよ。大丈夫だ。部屋くらいすぐにわかる」
「すぐにって……」
「俺がどうやって盗賊のアジトを見つけたと思ってるんだよ」
シェイルはそう言うと、ピスタから手を離した。
ピスタは落ちるかと思い、ヒヤッとしたがそれは杞憂だった。
シェイルが立っている障壁の上に足がついて立つことができた。
しかし、ギョッとしたことに変わりはない。
なぜ足場につかう障壁をわざわざ透明にしたのだろうか?
ピスタは文句を言おうとしたが、シェイルが真剣な表情をしていたので怒るに怒れなくなってしまった。
「静かにしてくれよ……? これ、神経を使うんだから……」
「わ、わかりました」
シェイルはピスタから少し距離を取ると、やや両手を広げた。
そしてパンと大きな音を出して手を叩いた。
音自体は大したことは無かったが、それを聞いたピスタはなんだか妙な感覚を覚えた。
それはまるで目の前で大きな太鼓を叩かれたような衝撃だった。身体の奥に響くような……。
ピスタが今の衝撃について考えを巡らせていると、シェイルが言った。
「どの部屋かわかった。行くぞ」
「え、今ので―――」
「わかったのですか?」と言うまでシェイルは待たなかった。
再びピスタを抱えると、マロンのいるらしき部屋の窓めがけて一気に飛び降りた。
「ひいいいいい!」と声にならない悲鳴をあげているピスタを無視して窓のすぐ手前で障壁を出して停止すると、魔法で窓のカギをこじ開けて中に入った。
マロンは起きていた。
シェイル達が侵入した窓に向けて背を向けて、ワイン片手にソファに座っていた。
物音に気づいて後ろを振り返り、シェイル達を見つけて驚いて目を見開いた。
「王女!?
それに貴様も、な、なぜ生きてっ……!?」
「生きてるかって? そりゃアンタのお友達より俺の方が強かったからに決まってるだろ?」
「こ、殺したのか?」
「さあな」
シェイルはピスタを下ろすと指の骨をボキボキと鳴らして悪そうな笑みを浮かべながら近づいた。
「それより自分の心配をした方がいいんじゃないか?」
***
「これでよし、と」
シェイルはパンパンと手を払うと満足げにニヤッと笑った。
部屋の隅には気絶して目を回しているマロンがいる。
ピスタはマロンを脅してサインさせた魔法契約書を握ったまま、シェイルを呆れたような目で見ている。
「……楽しそうですね」
「ああ、久しぶりに色々と丸く収まったからな」
「はあ……、まあいいですけど」
「なにが不満なんだよ。あんたが言った通りになっただろ?」
「それはそうですけど……」
ピスタはシェイルをじろりと上目遣いに見た。少しにらんでいるようにも見える。
「誰も殺さずに済んだのは良かったと思いますけれど、あなたが楽しそうにしているのは違和感があります。
勧善懲悪に酔いしれるのはわかりますが、そうやって調子に乗るのは―――」
「あーもういい。やめてくれ。なんか急に気分が下がって来た……」
シェイルは渋い顔をして返事をした。
ピスタがクソ真面目な奴だということを失念していた。
ここまで真面目だとは……。
「別にちょっと喜ぶくらいいいだろ」
「うーん……。ちょっとだけですよ?」
「厳しいなあ。さてと……」
シェイルは部屋のドアを開けて突っ立っているリラたちを見た。
彼らはずっといた。
マロンに魔法契約書にサインを書かせ始めた辺りから。
一部始終をずっと見ていた。
シェイルは一歩進み出て言った。
「見ての通りだ。お前たちの主人とはもう契約を済ませた。
こいつが俺たちに逆らうことは無い。
お前たちが追ってくることは敵対行為だ。こいつにペナルティを受けさせたくなきゃあ、やめとけ」
「……わかった」
「わかればいい」
シェイルは踵を返し、ピスタを抱え上げ、窓枠に足をかけた。
「じゃあな。二度と会わないことを願ってるぜ」
「それは私も同じだ」
リラの返事を聞くとシェイルは窓からジャンプして宿に戻って行った。
それを見届けると、リラはマロンに近づいた。
「……マロン様」
リラが呼びかけるとマロンはゆっくりと目を開けた。
どうやら少し前から起きていたらしい。
「生きていたか」
「はい、どうにか」
「……してやられたな」
「申し訳ありません」
「お前を責めたのではない。あそこまで強いと知らずに依頼した私の失態だ」
マロンはリラに肩を借りて立ち上がり、ソファに座った。
「これからどうなさるのですか? 王女は……」
「こうなっては仕方ない。急ぎ国に戻るとしよう」
「よろしいのですか? もし王女が竜の心臓を手に入れてしまえば……」
「仕方ない。契約してしまったからな。
王女を追うことはできん以上、先回りをするしかあるまい」
「先回り……ですか?」
「そうだ。王女はどのみち最後には王国へ帰って来る。
そこで手を打てばよいのだ」
***
シェイルとピスタは馬車の停留所で始発の馬車を待っていた。
東の空が白くなってきていて、そろそろ夜が明けそうだった。
空気が冷たい。
ピスタは少し眠そうで、吐く息が白くなっていた。
マロンの宿から戻ったシェイル達はすぐに荷物をまとめてここに来ていた。
シェイルは一刻も早く竜の所へ向かいたかったからだ。
暗殺者が来なくとも元々この早朝の馬車には乗る予定だった。
「……ありがとうございました」
「ん?」
ピスタの眠そうな声が聞こえたので隣を向くと、案の定眠そうな目でこちらを見ていた。
「何が?」
「伯爵から自由になれました。あなたのおかげです」
「伯爵ってマロンのこと?」
「はい、マロン伯爵です。
我が王国の領土の四分の一を収める大貴族で―――」
「あいつのことなんかどうでもいいよ。多分もう会うことないし」
「私はまた会うのですが……」
「大変だね」
「えーっと……。
とにかく、ありがとうございました。どれだけ感謝してもし足りません」
「大したことはしてないよ。
ただ人様の品物を横取りしただけじゃないか」
「私のことを品物呼ばわりしましたか?」
「ごめん」
シェイルはピスタの口調がきつくなったので反射的にあやまった。
ピスタは一瞬だけシェイルをにらんだが、すぐにふっと笑った。
「まあ、いいです。命の恩人ですからね。多少の軽口は聞き流しましょう」
「助かるよ。……あ、いや、助かります」
「なんですか、急に敬語なんて」
「いや、その、マロンに引き渡すつもりだったからタメ口だったけど、王女様なんだから敬語にしないと、と思いまして……」
「構いません。ためぐちですか……。そちらの方が慣れました。
それにあなたの敬語は……どこか変です」
「え?」
シェイルは急に不安になった。
どのあたりが変だったのだろう……。
「私のことは友人と思ってくださるとうれしいです。
今後の旅のこともありますし」
「? どういうこと?」
「私は王女ですよ? それがバレればきっとおかしな目に遭うこともあるでしょう。
できるだけ隠した方がよいかと」
「なるほど」
「ですから、ためぐち?で結構です」
「あんたがそう言うならまあいいけど」
「それです! それも!」
「うん?」
ピスタは非難するようにシェイルを指さして大きな声を出した。
「なんか変だった?」
「その呼び方! あんたっていう呼び方は乱暴すぎますし、距離を感じます!」
「そんなことないだろ」
シェイルはローアのことを思い出しながら言った。
ローアにはたまに「アンタ」と呼ばれていたが特に何か思ったことは無い。
まあ確かに怒っているときにしかそう呼ばれなかったような気はするが……。
「とにかく変えましょう。そうですね……。
わ、私のことはピスタとお呼びください」
「わかった。よろしく、ピスタ」
「そんなあっさりと……」
「でもいいのか?
王女なんだろ? 名前なんてそれこそバレるんじゃないのか?」
「い、いいんです! よくある名前です!
きっと大丈夫ですよ!」
「ふーん……。そんなもんか……?」
「ええ! はい! いいんですよ、……シェ、シェイルさん」
「ふーん」
「ノーリアクションですって……?」
「? なんか言った?」
「いえ、なんでも……」
「そう言えば、俺のことばかり言ってるけど、ピスタは敬語のままでいいのか?」
「え?」
「俺が敬語なのはダメで、ピスタが敬語なのはいいのか?
それはおかしくないか?」
「……私はこの言葉づかいしか知らないのです。
ですから私のことはあきらめて下さい」
「ふーん……」
そんなものだろうか?
たしかに、王族は周囲に敬語を使う人間しかいないから敬語しか話せないとかいう話を聞いたことがある気がする。
……やっぱり俺が敬語じゃないのは相当まずいのでは?
後でバレて首とかはねられたりしないだろうな……。
それからしばらくの間、二人は黙って座っていた。
ピスタは眠気に耐え切れなかったのか、こくこくと首を上下に揺らしていた。
だしぬけにシェイルが言った。
大切なことを確認していないと気づいたからだ。
「そう言えばまだ聞いてなかったな」
「……? 何かおっしゃいましたか?」
「ピスタはどうして水晶竜を探してるんだ?
やっぱり村を襲ったりするからか?」
「ふわぁ……。ええと……、違います。
まあ、それもあるのですが……それだけではありません。
一番の理由は父上……国王です」
「国王?」
ピスタの表情を見てシェイルは嫌な予感がした。
国王に何か悪いことが起こったことはわかった。
しかし、シェイルが不安に感じたのはその「悪いこと」に対してではなかった。
ピスタが何を求めているのか。
そこに不安を感じたのだ。
「はい。国王が呪いにかかってしまい、その治療のために水晶竜を探しているのです」
「……」
「宮廷魔術師が言うには竜の心臓は非常に強力な魔法の媒介なので、それがあればどのような病でも癒せるそうです。きっと呪いも治せるだろうと……。
それで私は自分の魔法で探せる水晶竜を探しているのです」
「他の方法では治せないのか?」
「ええ、見つかっていません」
「そうか」
悪い予感が当たった。
シェイルの求めているものも水晶竜の心臓。
ピスタの求めているものと同じだ。
バッティングしている。
まさか水晶竜に心臓が二つあるわけもないから、どちらかは心臓をあきらめなければならない。
半分にしてどうにかなるものでもないだろうし。
「シェイルはどうして水晶竜を探しているのですか?
討伐してお金を稼ぐとか?」
「それは―――」
「あ! そう言えば素材集めっておっしゃっていましたね!
どこが必要なのですか?」
「……」
ピスタが上目遣いでシェイルの目を見ながら尋ねた。
シェイルはどこまでも純粋なピスタの瞳から目をそらした。
「目……。目だ。竜の瞳が必要なんだ」
とっさに嘘をついた。
ピスタに心臓を譲るつもりは無かった。
最後に心臓を手に入れるのは自分だ。
そのためには嘘をついた方が有利だと感じた。
ピスタには水晶竜を探す魔法がある。
心臓を手に入れるには彼女の協力が不可欠だ。
この半年間、当てもなく竜を探し続けたシェイルにはそれが痛いほどわかっていた。
もしも、シェイルも心臓が必要なのだと言えばどうなるだろう?
ピスタはなんというか真面目だから、協力はしてくれるかもしれない。
しかし、最後に心臓を快く譲ってくれるようなことにはならないだろう。
シェイル自身がそうなのだから。
頼まれたくらいで諦められるなら、危険な旅に出てまで手に入れようとはしないはずだ。
「竜の瞳ですか……。……よかった。
実は、あなたも心臓を……欲しがって……いるのではないかと、心配していたのです。
いやあ……、よかったです……」
ピスタは心底ホッとしたように笑った。
今までの王女らしい余裕のある笑みではない。
年相応の少女のような屈託のない自然な笑顔だった。
どうやら完全に電池が切れたらしい。
寝息を立ててすっかり眠ってしまった。
シェイルは荷物の中から毛布をひっぱり出してピスタにかけてやった。
彼女の満足そうな寝顔を見てシェイルは胸がしめつけられたように痛んだ。
「……ごめんな」