6話 キラリエの意外な想い
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講義の終わりを告げる鐘の音が、講義棟全体に響いている。
あれからいくつかの講義を受けて昼休みも挟み、午後の講義も残すところあと一つだ。
今日の講義はすべて必修のものであり、講師はすべて僕たちの学年を担当するソーク教授だ。教壇には朝からずっとソーク教授が立っており、今もまた鐘が鳴るのを聞いて手にした教科書をぱたりと閉じた。教卓にあるケースにチョークを収めた後、ソーク教授は僕たちに告げる。
「――では、これで今日の呪文学の講義は終了する。次の講義は魔法実技演習だ。各自、開始の時間までに演習棟まで来るように」
それだけ言うと、ソーク教授はさっさと講義室を去っていく。なんだか普段よりいっそう疲れた表情だったのが印象的だった。
教授が去った後の講義室に、講義中とは違って喧騒が満ちる。みんな移動の準備をしながら、今の講義で気になった点を議論したり、他の学生に分からないところを教えてもらったり、あるいは全然関係のない話で盛り上がったりしていた。しかし全員に共通しているのは、それぞれ別々のことをしながらもみんなが後列に座る僕やアーリィへ意識を向けていることだ。
「アーリィはいまの講義の内容分かった?」
「ぜんぜん分かんなかった」
「だよね。アーリィまだ生後一週間だもんね」
ほら、今もまた。僕たちが中身のない会話を始めた瞬間、みんなが聞き耳を立てているのが分かる。しかし、こちらから声かけてみるとみんな焦ったような顔で誤魔化して逃げていくのだ。まあ、それは今日に限らずなのだが。
僕はみんな――特に女の子と――仲良くなりたいんだけど、今日に限らずどうも避けられてる気がするんだよね。別に虐められているとかではないと思うんだけど、なんか話しかけづらいと思われている節がある。同じ学生なんだからばんばん話しかけてくれていいのに。
眉を寄せて小首をかしげていると、アーリィにつんつんと眉間をつつかれる。こら、と怒ったふりをするとアーリィは楽しそうに悲鳴を上げた。
と、気づけばこちらにこっそり注目していたみんなも、そろそろと演習棟に向けて講義室を去り始める。僕たちも遅れないよう、扉をくぐって出ていく学生の列に加わる。そのままぞろぞろとみんなで講義棟を出て、すぐ横にある演習棟に向かった。
演習棟は、講義棟よりは小さいがかなりの大きさをもつ建物だ。見た目は石造りの四角い箱といった無骨な感じだが、中に入るときれいで、ロッカールームや更衣室などが並ぶ廊下の先に演習場がある。
俺とアーリィはみんなに続いて演習場に足を踏み入れる。その瞬間、アーリィが眉をひそめた。
「なんか、ちょっと気持ち悪い感じになった……?」
「あ、気づいた? たぶん演習場に備わってる結界を越えたからだね」
「結界?」
「そう、結界。演習場では当然みんな魔法を使うんだけど、建物自体が壊れないように魔法を減衰させる結界が用意されてるんだ。精霊は生きた魔法なんて言われるくらいだから、何かしら影響を受けるのかもね」
「……なんか、これ、いや」
「じゃあ外で待ってる?」
「それはもっとヤダ」
アーリィは不快そうな顔で、壁や床など随所に刻まれている魔法陣に近寄らないよう、ふらふらと蛇行しながら後を付いてくる。
講義の開始まであと少しあるが、すでに準備ができた僕たちは演習場の入口から少し中に入ったところで固まる。教授が来るまで、みんな思い思いに雑談などを始めた。僕もちょっと気分が悪そうなアーリィに気分転換になるかと話しかける。
しばらく話を続けていると、やがてタイミングを見計らっていたのか、今朝と同じようにキラリエさんとクロエさんが近寄ってきた。
そういえば、朝の講義前に後で詳しい話を聞かせろとか言ってたな……。
彼女たちの意図を察した僕は、両拳を体の前に構えてキラリエさんたちを出迎える。
「なにそれ。別に取って食おうなんてことはないわ。私たちはね。ただ、本国の魔法士に伝えたら、たぶん貴方たちを放っておかないでしょうけれど」
キラリエさんは呆れた様子で僕を見てため息をついた。とりあえず、半分ふざけて構えていた拳を解いて見せる。
しかし、今のキラリエさんの発言はさすがに気になる。この一週間で魔法王国の魔法士から色々言われたりされそうになったことを思えば予想はできたが、やっぱりレイデュークも同じような感じか。
僕もレイデュークに対しては魔法王国より立場が弱いので、どうするか考えないと。
我ながら珍しく、難しい顔をして考え込む。しばらく黙っていると、キラリエさんが気づけば僕の後ろに隠れるアーリィを覗きこんでいた。
「私、精霊って初めて会ったわ」
キラリエさんはほう、と感嘆の息を漏らした。
「体から零れる魔力の粒子は、体を構成してる魔力なの? その全身を構成する莫大な魔力はいったいどこから来ているのかしら。世界中に満ちる魔素を常時取り込んでいる……? きっと人間が行うそれとはまるで規模が違うのね。魔法だって、きっと凄まじい規模で自在に扱えるんでしょうね」
アーリィを矯めつ眇めつ見聞するキラリエさんは、興味深そうに独りごつ。アーリィはじっと観察されて居心地が悪そうだ。
いつも仏頂面のキラリエさんにしては珍しい反応だった。しかしアーリィがかわいそうだからそろそろ助け舟を出そうかと思っていると、キラリエさんの後ろからクロエさんが前に出てくる。
「キラリエ様、それくらいにしてください。アーリィ様も困っていますよ」
「……あ。ごめんなさいね、ほとんど伝説みたいな存在に会えて、すこし舞い上がっちゃったわ」
クロエさんにたしなめられたキラリエさんは、素直に身を引いて謝罪を口にする。この人、王族なのにこういうところちゃんとしてるよね。
「……大丈夫、です」
そして謝られた当のアーリィは、いいから早く去ってとばかりに、形だけ謝罪を受け入れて僕の後ろにまた隠れる。キラリエさんはそれを残念そうに見つめた。
クロエさんは、そんなキラリエさんに横から声をかける。
「キラリエ様、ロード様と話しに来たのは目的はいいのですか? アーリィ様がここにいる経緯は教授が語ってくれましたし、あとはレイデュークの王女としてお伝えすることがあったのでは?」
「……そうだったわね。ありがとうクロエ」
クロエさんに言われて、キラリエさんは居住まいを正す。今度は視線を僕にまっすぐ向け、どこか固い調子で言った。
「ロード。あなたにレイデュークを代表して伝えておくことがあるわ。アーリィちゃんのことよ」
言いづらいことなのか、キラリエさんは視線をそらして言い淀む。しばらくなにも言わず待っていると、やがてキラリエさんはため息を吐いてから口を開いた。
「さっきも少し言ったけれど、本国の人間がアーリィちゃんのことを知ったら、まず間違いなく貴方から引き離して国で管理しようとするわ。非常に珍しい精霊という存在を、まあ……研究したりしたいと思うはずよ」
キラリエさんはアーリィに気を遣うように言う。
言いたいことは分かる。精霊の研究のためなら非道な実験だってやるだろうということだ。
キラリエさんの言う通り、きっとそうなるのだろう。どこの国も、現代では魔法を国力維持に必須の技術ととらえていて、アーリィはそのための極めて重要な資料になりうるということだ。
しかし僕はアーリィをこの世に呼んだ者として、彼女を非道な魔の手から守るつもりだ。国にいる僕の家族のことを思えばあまり強硬な手段もとれないが、それでも頭を絞って方法を考えてみせる。
僕がまたどうしようかと考え込む。正直実力行使が難しいとなれば、他にできることは限られている。国という権力に立ち向かえるのは、同じく権力を持つ者だと考えると……。
ふと浮かんだ考えに、ちらりとキラリエさんの方を見る。ダメもとで聞いてみるかと思ったその時、キラリエさんは驚くことを口にした。
「アーリィちゃんのことが知れるのは時間の問題だと思うけど……ただその時は、私もできることをするわ。まずは動こうとした者に圧力をかけて、強引な手段に出られないようにすることかしらね。これでも第一王女だからそれなりに信用していいわよ。もちろん私が動くからといって、貴方たち自身が自衛を怠っていいことにはならないけれどね」
キラリエさんはそれだけ言うと、つんと顎を上げて腕を組む。僕とアーリィがぽかんとした顔をしていると、後ろに控えるクロエさんがそばまでやってきて、内緒話をするように耳打ちしてくれる。
「ちょっと分かりにくいかもしれませんが、キラリエ様はお二人を極力守ってくれるはずです。……素直ではないですが、学園でも唯一の同郷で萎縮せずに接してくれるロード様を、キラリエ様はとても大切に想って……えっと、ご学友と思っていらっしゃるんです」
そう言って微笑んだクロエさんに、僕は目をぱちぱちと瞬かせる。次いでキラリエさんに目を向けると、ぷいっとそっぽを向いてはいるが、きれいな髪の隙間から赤く染まった耳が覗いている。
思わず笑ってしまった僕は、キラリエさんに鋭い視線を向けられる。
「ああ、いや、ごめんね。ただ僕、ちょっとキラリエさんのこと誤解してたかもって思って」
「なにを勘違いしているかわからないけれど、私はただ自分の国民を理不尽から守ろうというだけよ。変な勘ぐりはやめてほしいわ」
「はいはい分かってるよ、素直じゃないなあ」
「――な!」
うっかり失言した僕に、キラリエさんは烈火のごとく言い募る。しかしクロエさんの話を聞いた後では、それもどこかかわいく見えてしまった。笑いながら謝るとキラリエさんはさらに怒り、クロエさんと二人がかりで必死に宥めることになってしまった。
――これまで気づいていなかっただけで、キラリエさんは僕の味方でいてくれたのかもしれない。少し当たりが強いから、勝手によく思われていないと考え、それが自分の交友関係を狭めてしまっていた。
僕は過去の行動を後悔するが、それでも今は新しい友人ができたことを素直に嬉しく思う。
実は僕、かわいい彼女の次に欲しかったのが、お互いを理解し合える友だったのだ――。
きゃんきゃん吠えるキラリエさんを見て、やっぱりどこかほっこりした気持ちになる。将来キラリエさんと心からの友人になれることを期待しながら、僕は両手を合わせて誠心誠意謝罪を続けるのであった。