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悪魔の問いかけ


 「すごい……本当に、すごい。これが、アク様の御力」


 かつて生贄を捧げる祭壇として使われていた石積金字塔ピラミッドの天辺。

 深い集中に身を落としているレルルの傍に立ち、ア=ルエゴは全身の皮膚を粟立たせるほどの戦慄を覚えていた。


 眼下の炎陣のうちで目まぐるしく展開しているのは、今まで誰も見たことのない“人ならざる者”同士――今や鬼神と化した戦技無双の美姫エーナインと“厄災”の一騎打ちだった。 


 一人と一匹。ただ二つの存在のみが死力を尽くし合うその場は、狩るか狩られるかで云えばなるほど確かに、狩りの巷であると云えようが、戦いのみで満たされたその空間は、もはや狩りというよりも修羅の巷という方が正しいかもしれない。


 だが、ア=ルエゴの目にも。また、今にも逃げ出したい恐怖心と必死に戦いなら、それでも互いを鼓舞し篝火を守る勇士たちの目にも。敬愛し、尊崇すべき赤髪の女神の優雅にして苛烈なる戦いぶりは、たとえそれが凄惨な殺し合いであることに変わりはないにしろ、どこか気高く、神聖なものであるように映った。


 だから、胸に抱く想いは十人十色であろうとも。最後に行きつく確信は、皆一様に帰結している。


 これが、これこそが、旧き法への抗い。

 あの日、あの夜、あの瞬間。自分たちの手で選び取った選択。

 それを促してくれた、御遣いと女神の存在に想いを馳せる。


 あの夜から始まり、今もこうして眼前に広がるこれはきっと――神話の領域なのだと。



 

 あの夜。


 ア=ルエゴの説得、懐柔を第一の壁とすれば、もう一つの壁は人々の心をどう回心させるか、であった。


 悪法とは云え先祖代々守り続けてきた神聖な教えである。 いかにエーナインが“アク様”として崇拝の対象となっているとはいえ、口でどう説明しようと全ての人々の気持ちを変えることなどできようはずもなかった。


 必要なのは、言葉ではない。

 ア=ルエゴの心の中から、人身を掌握する儀式の秘奥を学び取ることに成功したテンシーが選択したのは、“新たな神話の創造”だった。



「あのー、テンシー? これは、マジ?」


「もちろん、さっき散々云ってくれたじゃない。『一肌脱いでやる』って」


「いや、云ったわよ。云ったけどもね……」


 ねっとりとした夜気を焼き払うかのように、篝火が風と踊る。

 鎖付の燻煙器を振り回し、非日常の香りで満たされた広場で、老若男女は互いに手を取り、中央の巨大な篝火を遠巻きに囲むよう、円に座していた。


篝火に身を照らし中央に佇む、神々しいまでの美女の裸身に目をくぎ付けにして。


 「……こういう意味じゃなかったんだけど」


 甚だ不本意だが反論できない、という風なエーナインの陰鬱な声音が、おきなさんの能面の内側でこもって聞こえてくる。

 文字通り、エーナインは人々の前で一肌脱いでいた。むろん、完全に裸であるわけではない。例によっておきなさんの長白髪が、どの角度からでもギリギリ見えないくらいの絶妙な毛流れで彼女の肢体が衆目に晒されるのを防いでいた。


 「ねえ、本当にやらないとだめ?」


「……焼け落ちた鎮守の樹」


「うっ」


「千切れた注連縄」


「ううっ」


「粉々になったメトト。目覚めた“災厄”」


「ああもうっ。ごめんってば! やればいーんでしょ、やれば!」


「大丈夫、手はずどおりにできれば、きっとみんなに伝わるはずだから」


「そうじゃなかったら、ひたすらにあんたのこと恨むわ」


 ひそひそ話は終わり。エーナインは開き直ったように、裸身のまま堂々と胸を張り姿勢を正す。見るものの目を奪うむき出しの脚線、その片方を高くあげ、一瞬止まる。


 <奏でなさい>


 ――ズン、と。

 力強い素足の足踏ストンプと、皮張りの太鼓の響きが重なる。


  <上がれ>


 翼を展開したテンシーの体が、ふわりと宙に浮く。

 

 そうして、テンシーの洞察が生み出した新たな儀式――巫舞の儀が、幕を開けた。


 エーナインの言霊に背を押され、楽隊は一心不乱に妙なる音楽を奏で始めた。心臓の鼓動にも似た皮張り太鼓、琴線を震わせる金無垢の鈴の音。エーナインの動きに巧みに合わせつま弾かれる弦と、ステップに合わせて連続するラタンの木琴。それらすべてが主旋律となる骨削笛の音色と渾然一体となり、たちまち広場を別世界へと変えていく。

 エーナインは儀式用の剣を抜いて舞い始めた。はじめはゆっくりと、それから徐々に動きを速めて。地面を踏みしだき、髪を振り、腕を上げ、剣を突く。それら一挙手一投足すべてが、不思議なほど音楽と融けあい、見るものの心を刺激する。


 テンシーもまた、宵闇に幻想的なまでに映える青白い力場の翼を大きく広げ、篝火の生み出す上昇気流に身を任せていく。

 闇の中、右回りにゆったりと旋回していく光を見上げるものは、目だけでなく自然と顔までぐるぐると回して、天使の円舞に魅入られ始めた。


 やがて、音楽と舞に美しいハミングが加わった。何度も繰り返される音楽に寄り添うように、広場の中に溶けていく一つのメロディが。

 口ずさんでいたのはエーナインとテンシー。二人ともよく知っている。けれど元の歌の名も知らない、アイの旋律。

 音楽に寄り添うように奏でられていたハミングに、いつしか音楽の方が合わせるようになっていく。そこから円座になった人々がひとり、またひとりと旋律に加わっていく。



 が、人々の心に差しかけていた。


 

 いつの間にか声も心も一つにして、歌と踊りとが広場を満していく。それ以外は全て雑念へと変換され、取るに足りない些事として心の中から吹き飛ばされていく。

 不要なものを取り去って、一時的に空になった人々の心に去来するのは、非日常の中に浸かることでしか味わうことのできぬ、深い深い陶酔。

 まどろみの中にいるようで、その実心は冷めやらぬ興奮が発露できぬままに渦を巻く。


 それは、非日常下における変性無意識の共有。

 深い集中の中。けれど考える力は解きほぐれ、真っ白にとろけていく。

 虚ろな瞳には揺らぐ炎、旋回を続ける光の尾、舞い踊る裸身の女神の姿が、焼き付いていく。


 空を見上げていた人々には、体が浮かび上がるような感覚が。

 舞を見つめていた人々には、体が揺れ動くような感覚が。


 だんだん、だんだんと深く、深く。

 回り、巡り、堕ちていく。


 頭が揺れ、心が揺れ、意識が揺れていく。

 じきに、凡てが揺れていく。思考も崩れていく。

 無意識が形作っていた“当たり前”すらも、揺れていく。


 エーナインとテンシー。二人は回転の速度をどんどん増していく。巻き起こる風と土埃で足元はぼんやりとかすみ、エーナインの赤と白の髪は扇のように広がり、汗の膜に覆われた裸身は篝火にあぶられて妖しの艶を放つ。


 ついに舞は超人的な速度に達し、連なる無意識のハミングは音楽と共に最高潮を迎える。


 その時を、レルルは待っていた。

 隣合うジジの手を握る手を強める。ジジも隣に倣い、隣はまた隣に倣い……そうして円座全てに力が伝播したとき。


(そなたら人の子を哀しき血の贖いから解き放つために、御遣いと女神は舞い降りた)


 深く、そして渋い。高貴と威厳に満ちた老爺の声が、レルルの心を介して人々の心へ鳴り響く。


 一気に全身を駆け巡る心の負担に、レルルの肩が大きく跳ねる。ジジが力を送るように、より強く手を握りしめた。

 ほかの人々の何人かも、まっさらになった心に直接語り掛けられたことで、半ば引き付けを起こしたようになっている。


(問おう。汝ら、敵するものにその血をもって贖い続けるか? はたまた御遣いと女神を信じ、その血を以て敵するものに抗うか?)


 頭で如何に判っていようとも抗えぬ。心の底に閉じ込めていた本当の願いを後押しする問いかけ。

 その発露を妨げるものは、すでに取り払われている。


 人身を惑わし、頑なに守り続けてきた法すらも、人自身の手により破らせる魔性の力。


 (――こたえは?)


 それは言うなれば――悪魔の誘惑であった



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