行動開始
剣……天秤……正義……力……法。
力なきルールにも、ルールなき力にも明日はない。
人間が敷き、人間が傾けた天秤が、人界に黄昏を齎したのと同じように。
裁定……生贄……自己犠牲。
固く順守されていようとも、ルールそのものが誤っていれば導かれる結論もまた然り。
ではルールそのものに間違いはなく、固く順守されてさえいれば正しいのか?
そうではない。
事物には常に、本質である”性”と、現象としての”相”の二面があるゆえに。
愛……抗い……贖い……掛違いの果て……特異点。
では何処で掛け違えた?
外形だけは形を変えず、ことの本質だけがすり替わったのだとしたら?
石……丹……。
石は形を変えず残り続ける。
変わるのはいつも、それを見つめる人の方だ。
岩の面でも。子供の心であっても。
ひとたび刻まれたものはみな等しく傷。
ゆえに形を成したのちもそのまま跡になって残る。残り続けていく。
良いことなのか、悪いことなのか。
何にとって? 誰にとって?
裁定する者が消えたなら、いつまでたっても答えは出ない。
過去も未来も関係なく。
生きている以上、答えはつねに、生者のためにあるならば……
導かれる答えは、自ずと一つに洞察される。
※
テンシーは目を開けた。
時間の感覚がない。いつからこうしていたか分からない。
だが。
なぜか、いつもの気怠さがないことだけは確かだった。
「……その顔、何か思いついたわね?」
むに、とテンシーの頬を突っついて、エーナインが尋ねる。
「まあね。もし、解決策があるって云ったら、ノる?」
「当たり前でしょっ。なんのために膝痺れさせてまで枕になってあげたと思ってんの」
「むふふ、ところでさエーナイン。どっちがシレイを達成するかの勝負って、まだ継続中だよね?」
「そ、それがなによ」
「じゃあ解決できたらこの勝負、僕の勝ちってことで良いよね?」
「うぐっ」
「あ、別に嫌ならいいんだよ、気高く神聖な生贄のお仕事どうぞ頑張って女神様」
「こんぬ、さんざん人の膝に甘えておいて……わーった!わかったわよ!」
エーナインは不承不承だが負けを認めた。それでも膝の上の小憎たらしい顔を、せめてもの意趣返しとばかりに手で挟んで揺する。
顔をされるがままもみくちゃにされながらも、テンシーは勝利の笑みを浮かべる。
そんな二人の戯れる姿を見ていたおきなさんが「嗚呼、善き哉」とこぼす。
彼と同じく影のように佇んでいたジジもまた、目を閉じ深く頷いていた。
「じゃ、さっそく聞かせてもらおうじゃない。云っておくけど、私の脚を痺れさせるほどの値打ちのないようなプランだったら、こうだからね」
エーナインは両手を中指一本拳へを変え、目の前でぐりぐりして見せる。
子供っぽいが、武姫である彼女がやると存外に恐ろしい仕草を見て、テンシーは珍しく固唾を飲んだ。城で何度かやられたことがあったからだ。
「そのまえに確認。エーナインは”厄災”を自分で退治しようとは思わなかったの?」
「は? なに云ってんの、やろうと思ったわよもちろん。でもア=ルエゴたちから情報を集めて、諦めざるを得なかった。だから恥を忍んであんたの考えに乗ってあげようって……」
「ふーん、ちなみに、どうして諦めたの?」
「だってっ! あいつらみんな”厄災”のこと、鬼霊とか悪霊とか云うんだもん! いくら私でもオバケは退治できないわよっ」
「……忘れてた。エーナイン、オバケ嫌いだったね。図書館でボクが見つけた怪談の本読んで、怖くて眠れなくなって、それでボクのベッドで一緒に……ねえ覚えてる? 人界では夜明け前が一番暗くって、そこにはいつも末路わぬ者たちの慟哭が」
「あー聞こえない聞こえない」
おきなさんで顔を隠し、手で耳を覆って赤毛を振り乱すエーナインを呆れたように見ながら、テンシーはボソッとひとりごちる。
「……忍ぶ恥さえ間違わなければ、本当に最短だったかもしれないけど」
ポンコツな挙動から戻ってこないエーナインに一旦見切りをつけ、テンシーの視線はジジの方へ向く。
「ねえジジイ。これからボクたちがレルルに何をしても、ボクのこと、信じてくれる?」
ジジはじっとテンシーを見つめたまま動かなかった。
齢を重ねた物言わぬ眼は波一つない湖面のように、板の間にちょこんと座るテンシーの姿を映し出している。
しばしの、沈黙。
そののちに、答えは出た。
正しく胡坐をかき直したジジは深々と頭を下げ、板の間に額をつけて見せた。
テンシーがそっと、ジジの前まで歩み寄って膝を折る。
ふと顔をあげたジジの前には、天使の微笑みがあった。
「ありがとう。信じてくれて。あの子を今日まで、支えてくれて」
――今日まで、生きていてくれて。
「ア”……」
老人の頭を、テンシーが胸に抱く。幼子をあやす慈母のように。
切り裂かれ、つぶされた喉から、声とも云えぬ音が漏れる。
「あの子の、レルルの力とジジイの記憶が必要なんだ。もう一度、正しい法を敷くために」