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勇気の儀

 

 「……なるほど。勇気の儀ね。これは、たしかに」


 一団に案内されたテンシーは、村を見下ろす台地の、その天辺に立っていた。

 両足には油を沁み込ませた強弾性のツタのロープが括られている。もう片方のロープの先端は、岩壁に垂直に突き刺さっている石柱――メトトにしっかりと結びつけられていた。

  

 「準備は済んだ。掟は承知しているな?」


 間近で聞く男の声は気張らずとも明朗で、どこか人を聞き入らせる響きがあった。


 「承知している――けど! 一応確認しておこう、かな! 人生の大舞台だから!」


 無知丸出し。からの知ったかぶり。を経て、テンシーの交渉術は今や、知らないということに意識を置きつつ、きわめて自然な流れで相手から答えを引きだす領域まで成長していた。

 人の世ではこれを小細工と呼ぶことを、真面目なテンシーは知る由もない。


 「ふん、良かろう。今からそなたはそのメトトの先端に立ち、我々が打ち上げる”夜の陽”の合図と共に一気に飛び降りる。このロープは地面すれすれで止まるよう、予め長さを決めて編まれているから、通常ならば死ぬことはないだろう。だがこのロープが最後に新調されてからもうすでに十年ほどしまい込まれたままとなっていたから、経年劣化でロープが途中で切れる可能性がないわけではない。どのみち、これが己が命を懸けた危険な試みであることに変わりはないが、もし生きて還れば、そなたは正真正銘、勇気ある者として称えられることとなる。我らもそなたが”渡り鳥”の末裔であると認めようではないか!」


 「ふん……良かろう、ではないか!」


 長く仰々しい説明は半分も頭に入ってこなかったので、とりあえず覚えていた最初と最後の言葉をオウム返しして応えてしまう。

 とはいえ、レルルの憔悴ぶりを見て一抹の不安を覚えていたものの、説明を聞く限り杞憂だったのかもしれない。

 少なくとも、テンシーにとって高いところは恐ろしいところではなかったのだから。


 テンシーは縛られた両足でぴょんぴょん飛びながら、崖っぷちまで移動し、そこからはかかとを起点にして器用によちよちと、幅のせまい石柱を進んでいく。


 「器用ですね。一歩間違えば真っ逆さまなのに」


 「うむ、どちらかと云えば、恐れていないのだろう」


 「果たして、機智か蛮勇か……」


 密かに感心されているなどとは露とも思わぬテンシーは、先端までたどり着いてから、下を覗いてみた。

 広場の篝火は豆粒大に見え、そこで固唾をのんで見守っているであろう村人たちもまた、小さな点の集りにしか見えなかった。

 台地の岩壁は弓なりに弧を描いており、変に迫り出している箇所も見当たらない。これならば飛び降りても岩盤に衝突することはないだろう。


 好条件である。

 基本的に楽観主事のテンシーは、今の状況をそう結論付けた。


 だが、飛ぶ前に一度目を閉じて深呼吸をしていた、ちょうどその時。


「待って! 待ってくださいテンさん! そんなことしないで!」


「おおふっ。れ、レルル?」


 広場で待っているものと思っていたレルルの声に驚き、テンシーは思わず狭い足場の上で腰砕けになってしまった。恐怖したわけではないにしろ、股から尾てい骨にかけてぞわっとした感覚が走る。


 見れば、肩で息をするジジの背から降りたレルルが、危なっかしい足取りでこちらに歩いてくるどころだった。


「辞退してくださいっ。こんなことしなくたって、テンさんはもう私たち家族の一員なんですっ。お願いだから、戻ってください!」


「心配させてごめんねレルルーっ。でも大丈夫だから。ボク高いとこ平気なんだ」


「そういうことじゃないんですっ、いいから一度話を!」


「……あの、ア=ルエゴ様、火の準備、整いましたが、いかがいたしますか」


「うむ。テンとやら! 我らが打ち上げる”夜の陽”が合図だ。用意はよいな!」


「え? あ、やっぱり君があるえご――あ、いや、うむ!」


 やはり先ほどから話していた男がア=ルエゴであるらしい。

 テンシーと同じように体の線が出ないほどたっぷりした長衣を纏い、ほかの男たちよりも頭一つ背が高い。香油を塗った艶やかな髪も綺麗に結われており、眉毛も薄く整えらえている。よく言えば素朴、悪く言えば粗野とも云える村人たちとは確実に一線を画す人物であるらしいことが、容姿からだけでもわかる。


 だからこそ考える。聞いていた話との、決定的な差異を。

 今までの言動を見る限り、一団の先導者はこの美丈夫で間違いない。

 

 だとすれば、この先導者をして傅かせる、あの神輿の座の主は何者なのか。

 テンシーの中で疑問はまだ尽きない。


 だが、今はそれを尋ねている時間はなさそうだった。


 「そなたは宮家の。なんのつもりか知らぬがもうすぐに”夜の陽”が上がる。儀式を冒涜するつもりでないなら、大人しくしていてもらおう。両目が利かぬ宮家の後継が心根までそのようでは、先代も立つ瀬がないというものだ」


 ア=ルエゴの言葉――もっと云えば”先代”という言葉を聞いた瞬間、レルルとジジの肩がびくりと震えたのが、離れた場所から見ているテンシーにもわかった。


「ふざけないで……ふざけないで! よりにもよってあなたが、あなたがそれを云うの!? 自分が男だからって、選ばれることがないからって! 変わらぬ栄誉? 永遠の尊敬? そんなもの、生きていてもらえることに代えられるわけないじゃない!!」


「埒が明かんな。おい、しばしの間抑えておけ。これ以上儀式の邪魔をされても困る」


「なに、やっ、いや、はなしてっ」


 ア=ルエゴの護衛たちが両脇からレルルの腕を掴む。嫌がるレルルの声があがったその瞬間、片方の護衛が膝から崩れ落ちる。音もなく距離を詰めたジジの手刀が延髄を打ったのだ。

 仲間が一人倒れて、護衛たちは本気になったらしい。複数人でジジを取り囲み、当身も投げも駆使して暴れるジジを数の暴力で押し包む。その隙にレルルは半ば強引にジジと引きはがされ、ア=ルエゴの傍まで連れてこられてきた。


「レルルっ」


「動くなテンとやら! すぐに”夜の陽”があがる。こちらは気にするな。抵抗したから抑えたまでのことだ。これ以上手荒なことはせぬ。この二人は落ち着かせてから下に連れていくから、そなたは――」


「うわああああっ!!」


 叫び声にみんなが振り返る。見れば、何人もの護衛に身体ごと押さえつけられていたジジが、持ち前の馬鹿力で全員を千切って投げたところだった。


 そのうち一人が特に遠くまで吹き飛び、”夜の陽”の打上げ役とぶつかってもみくちゃになる。

 暗がりでもよく見えるテンシーの眼は、上空に向けられていた”夜の陽”の発射筒が、こちら向きに倒れるのを見た。さらに悪いことに、導火線の火はもう……。


 次の瞬間。台地の上は突如として閃いた真っ白な光でいっぱいになり、何も見えなくなった。

 もっとも、テンシーは光が閃く直前、とっさに目を閉じていたが、それでも瞼の上からでも目が染みるほどの光量だ。

 この地の人間には間違いなく馴染みがないであろう、”夜の陽”と呼ばれたその光の別名をテンシーは知識として知っている。


 「う、この色、この光……鎂と硝石の照明弾?……まさかこれが、”昼と夜のはざま”?」


 「ぐっ、ばかものめ、打ち上げるべきものをこんなところで!!」


 「うわああっ、眼が、眼があああっ」


 レルルをおさえていたせいで閃光をもろに浴びた護衛が、苦悶の声をあげる。

 よろめいた男とぶつかったレルルが、もとより見えぬ眼でさらによろめく。


 一歩、二歩。


 そして三歩目は、空を切った。


 「あ――」


 「レルルっ!」


 光でぼやける視界の中で、滑落したレルルを追うようにテンシーがメトトから飛び降りた。

 閃光の中で、彼女と初めて会ったときのことがフラッシュバックする。


 同じ場所から落ちた分、距離がある。テンシーは泳ぐように空をかき、レルルは空をつかむようにもがくことで、二人は距離を縮めていく。


 空中で、二人の指が触れる。絡まる。引き寄せ、抱きしめる。

 ロープの束が崖下へ吸い込まれていく。みるみる短くなる。ピンと張る。張り詰める。


 そして、二人分の重さに耐えきれず――切れた。


 「いやあああああああっ!!」


 抱き合った二人の身体は風と一つになり、その風がテンシーの鳥頭面をさらっていく。

 取り乱し叫び出すレルルの頭を胸にかき抱き、夜気に素顔を晒したテンシーは意識を集中する。

 思考を言葉に変え、心の中で云い聞かせる。


 レルル、大丈夫。今度は、うまくやれるから。

 

 「――え、テンさん?」


 「やっぱり。レルル、君は触れ合っている人の心が読めるんだね」


 <大丈夫、ボクを信じて>


 二人の落下速度が、急速に低減する。

 テンシーの背には、広く大きな翼が展開されていた。宵闇に良く映える、青白く幾何学的な力場の翼が。

 

 引力に抗う力が身体に負荷をかけ、レルルの意識が遠のく。

 だが、まるで眠りに落ちるかのようだった。子守歌のように心に響いてくるテンシーの声が、レルルの中で過去の記憶と結びつく。


 かつて大好きだった人に抱かれ、安心して夢に落ちるように。

 レルルの意識はそこで途絶えた。




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