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芽生え


 「つかれたー」


 気怠げな。気怠すぎて若干幼児退行気味ですらあるテンシーの声が、ひんやりとした岩壁と板の間に消えていく。


 「お務め、ご苦労様でした。テンさん。もう完全に村に馴染んじゃいましたね」


 板の間にむしろを広げて座るレルルはどこか嬉しそうだった。彼女の腿は今、疲れてへろへろになったテンシーの枕替わりになっている。

 

 テンシーが村の客人として歓迎されて、はや一か月。


 初めは鳥人間の風貌をしたテンシーの素性を怪しむ者が大半を占めていたが、彼女はレルルが想像していたよりもずっと早く、村の人々の暮らしに順応してみせた。

 彼らにとってメトトが定める掟というのは精神的にも大きなものらしい。テンシーの奇怪な恰好も、メトトの掟なのだとでっち上げればすんなり受け入れられたほどだ。

 

 ところで、初日のひと騒ぎのあと、テンシーは岩壁高くに造られた宮家にあるレルルの自室で、いくつかの疑問を解消していた。


 「ねえレルル、どうしてあんな嘘をついたの? ボクは自分の、なんだっけ、メトト? なんて君に教えてないし、そもそもボク、そんなの持ってないのに」


 「……本当にごめんなさい。私、おあばちゃん苦手で、問いただされそうになると殆ど反射的に応えてしまう癖があって」


 羞恥なのか、後悔なのか。レルルは板の間の隅に蹲って小さく震えながら応えた。


 「でも! ”渡り鳥”のメトトの名を借りることはジジの考えだったんです。古の時、自分たちの領域を持たず、この天涯の地を駆け舞い人々に平和をもたらした、おとぎ話の一族。私は眼が見えないので分かりませんけど、ジジはあなたがそのメトトの末裔じゃないかって思ってるみたいで」


 「そんなに似ているの、その”渡り鳥”さんたちとボクって」


 「少なくとも、ジジはそう思ってる見たいです。そうよね、ジジ?」


 部屋の外で見張りをしているはずのジジイの影が陽気にポーズをとるのが月明りでわかった。テンシーはため息をついた。


 「わかった、それはもういいや。ボクもこの村にしばらく滞在できたらと思っていたし。じゃあ次、”厄災”っていうのは何? どうしてみんなあの時驚いたの? ジジイまでびっくりした様子だった。何か、良くないものっていうのは分かるけど」


 「”厄災”を、知らない? あなたは、いったい……?」


 目元の見えないレルルの表情に困惑と、かすかに怯えの気色が浮かぶ。

 またしても、テンシーは選択を誤ったことを悟った。レルルたちにとって、”厄災”というものはそれこそメトトと同じように広く共有されているものらしい。


 自分の出自を偽る理由はないが、無闇に明かしてしまうことでシレイにどんな影響が出るか分からない以上、語らなければそれに越したことはない。それが、テンシーの考えだった。


 だから、テンシーはそれ以上の追求をせず曖昧に話を逸らし、一瞬おびえた表情を見せたレルルも、敢えて訊き返したりはしなかった。


 そんなこんなで一か月、というわけである。


 テンシーはテンシーで。城で雑学程度に修めていた土木や農法などの幅広い知識をこねくり回すことで人々から何かと重宝され、なんとか村での居場所を確保できたという自負があった。

 なにより、困っている誰かの役に立ち、あまつさえ感謝されることなど今まで無かったものだから、「ありがとう」などと屈託のない笑顔で云われた日には背筋がむずむずするくらいである。どんな顔をしてよいものか分からないものだから、こういう時にお面で顔が隠れていたのは都合がよかった。


 とにかく、この一か月はテンシー、レルル双方にとって、それほど悪い期間ではなかったことだけは間違いない。


 ただ、同時にテンシーの頭の中を常に占めていたのは、達成すべきアイからのシレイのことだった。

 いまだに手がかりは、この村のメトト――この一月でテンシーはこれがある種のトーテムであると定義した――として刻まれている”天秤”の象徴のみ。


 むろん、のんびり屋のテンシーとて、何もこの一月遊び惚けていたわけではない。だが、一族の象徴、などという抽象的な話をいくら村人から聞こうとも、返ってくるのはせいぜい数代前の先祖の話くらいのものだった。


 唯一可能性があるとすれば、聞き出すべき相手はレルルや彼女の祖母、そして彼女たちの世話係であるジジイたち――”宮家”と呼ばれる者たちだった。

 だが、レルルとジジイ以外のものたちはみな何処か陰鬱で接しがたく、交流を図ることは村人たち以上に難航していた。

 

 だが、少なくとも村人たちや、レルルからは信頼を得ることができた。

 初対面なら聞き出すことのできない問いかけでも、今なら応えてくれるかもしれない。


 別行動中のエーナインのことも気になりだしていたテンシーは、いよいよシレイの究明に本腰を入れることにした。 


「レルルー」


「眠そうなお声ですね、テンさん」


 クスクスと笑うレルルの声に、警戒の色はない。

 聞けば応えてくれるはず。


「もうお休みになりますか?」


「うーん」


 でも、


「テンさん、聞こえてます?」


「うーん」


 今は、ねむいし。


「……今夜、一緒に寝ても、良いですか?」


「うーん」


 ここは居心地がよい、ので。


「れるる」


「はい?」


「んー……あし、た」


「……はい、また明日。おやすみなさい」


 すうっと力の抜けたテンシーの顔に、レルルの指がそっと触れる。

 もう一月も日の目を見ていない薄氷色の髪の毛が、部屋に差し込む月明りに映える。


 その美しさを、目の見えぬ彼女は知ることはできない。

 だが、識こそ違えど感じ入る。指で触れるだけで心に浮かぶ、そのかんばせの美しさを。


 同時に思い起こされる。

 あどけなく無防備な、かつて膝に乗せた違う相手のことを。


「お姉ちゃん、私、好きな人ができたよ」


 誰に言うでもない、消え入るようなか細い声。


 ジジイの影が一瞬、手で目頭を抑えたように見えた。


 余計な音はない。 


 静かな夜が、更けていく。



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