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第12話 俺を一人にしないで。もう一人ぼっちは嫌だ

 側に来てくれた。が、隣に座ってくれない。

 ソファーに座っている俺を無表情の仁王立ちで見下ろす桑野さん。


「……なんか不思議な感覚ですね」


 これ以上付き合わせるのは駄目だろうな……


「三井さん、今度は私が膝枕をします」

「えっ!?」


 想定外の言葉に驚く。


「結婚したらするという約束でしたが、昨日の私の醜態により、逆にさせてしまうという失態を犯してしまいました。次は私の番です」


 なんて律儀な。嬉しいけど、それだとちょっと意味合いが違う。


「ありがとうございます。ですが、無理はしないで下さい。お気持ちだけで充分ですから」

「無理ではありません」


 桑野さんは決意を込めたように宣言し、ソファーに座って膝をポンポンと叩く。その目は本気だ。


「さぁ、どうぞ!」

「……どうも」


 桑野さんの意気込みに俺がたじろいでしまう。しかし、なんだかんだ言っても千載一遇のチャンス。ここはお言葉に甘えて……。


 俺は桑野さんの膝の上に頭を乗せて横たわる。桑野さんの羞恥心を煽るといけない為、桑野さんの顔が見えない様に体を背にして横を向く。


「柔らかい……」


 ゴツゴツしていない膝。何だか泣きそうになるほど、その柔らかさが尊い。しかし泣くわけにはいかない。俺は目を閉じて、心を無にする。


「よしよし。良い子良い子」


 完璧に子供扱いを受けながら、頭を撫でられる。

 幼少期に戻ったような感覚に陥る。あぁ、母親に甘えられる子供ってこんな感じかな。


 このまま少し、甘えてみようと思う。


「……俺、昨日仕事頑張った」

「え?あ、うん。そうだね。いつも頑張ってて偉いね」


 桑野さんは俺の幼児返りに付き合ってくれた。


「社長からまた怒られた。俺、悪くないのに」

「ま! うちの結仁くんを怒るなんて!」

「今日までずーっと、必死に働いた。一度も弱音を吐いたことなんかない」

「……お利口さんだね」

「嘘。仏壇に弱音吐いてた。しかも毎日」

「それは弱音を吐いたって言わないよ。面と向かって言った訳じゃないから……」

「そう、誰にも見せない。俺が弱ってたら弟達が心配するから」

「……そうだね。だから私には見せて欲しいよ」

「……うん」


 34歳になる男が、彼女に膝枕をしてもらいながら幼児返りをするという俺の醜態を、桑野さんは嫌悪する事なく受け止めてくれる。


「バイト三昧……きつかった……。肉体労働なんかした事なかったし。だけど、誰にも言えなかった。弟を手放したくなくて、いつも虚勢を張ってた」

「……そっか」

「嫌な事もいっぱい言われた。職場だけじゃない。だけど、耐えた。弟を守りたくて……」

「よく頑張ったね」

「……貴ちゃんが友達にケガさせて、謝りに言った時に言われたんだ。母親がいないからこうなるんだって。凄く……言われて苦しかった。遺体を見てない貴将はいつ帰って来るんだよって毎日聞いて来て……」

「うん……」

「もう……帰って来ないよって……。泣く貴将を抱きしめて伝えたけど、俺だって泣きたかった。直くんも貴ちゃんも思う存分泣けるだけ、羨ましいよ。……歳が違うけどさ」

「親が亡くなって泣くことに、歳は関係ないよ」

「貴将が言うんだ。皆お母さんが授業参観に来るのに、どうしてうちはお兄ちゃんなんだって。直くんも俺が行くと恥ずかしそうにしてて……」


 当時を思い出してしまった。仕事を何とか切り上げて必ず行っていた弟達の行事。お父さんとお母さんがしていた事、俺は全部代わりにやる、その決意だった。大事な預かり物だから。


 ……今なら単純に弟達を見たいから行くけど。


「貴ちゃんには優しいお父さんとお母さんがいるよって伝えた。お空で見てるよって。忘れたらお父さんとお母さんが悲しむよって…受け売りの言葉をそのまま……。心の中では、優しい両親が記憶にあるだけで幸せだろって……思ってた」

「うん……」

「いつからか貴ちゃんは俺が行事に行くととても喜ぶようになって、嬉しかった……」

「貴ちゃんの自慢のお兄ちゃんだからだよ」

「……昔は弟が羨ましくて仕方無かった。泣いただけで心配されて、笑っただけで喜んで貰えて、何をしても褒められて……。俺は内心、たかがそれぐらいでって思ってた」

「……うん」

「俺は邪魔者扱いされるし、お目汚しになるし……。不必要なんだ……」


 これは遠い記憶。幼少期の事は中々忘れられない。


「ここでも、お母さんに褒められないと俺の必要性が無いと思って、一生懸命頑張った。何をしても褒められる弟を見ては存在価値の違いを見せつけられた気がして……」

「寂しかったね」


 桑野さんが続く言葉を先回りして言ってくれた。

 俺に良くしてくれたお母さんを悪く言うような気がしてずっと言えなかった〝寂しい〟という言葉を桑野さんは代わりに言ってくれた。


「うん……。……寂しかった……」


 駄目だ。やっぱり俺の涙腺が緩む。桑野さんはずっと俺の頭を撫でてくれている。


「寂しいって言えなくて……。そう思う事すらおこがましくて……」

「……」

「本当は俺だって褒められたかった。褒められて手放しに喜んで、甘えたかった」

「これからは私が沢山褒めるよ」


 少し、泣いて、若干冷静になる。


「……愛ちゃんはテレ屋だから中々褒めてくれないよ」

「……言ったな」


 桑野さんが母親モードから、いつもの調子に戻る。


「愛されている実感が欲しい……」


 素直な感想。いつも一人よがりだ。


「……」


 桑野さんからの返事は無い。……怒らせたかな?

 すると、目の前に影が迫ってきた。


 ――チュッ


 ……おでこに柔らかーい感触。驚いて視線を動かすと真っ赤な桑野さんと目が合う。


「……実感、湧いた?」

「湧かない。気づかなかった。もう一回」


 俺は驚きながらも即座に首を振って否定し催促する。



 今、おでこにキスされた。



 桑野さんから……キスしてくれた!


「〜〜! 出来るか!!」

 ――ペチッ

「いっ!」


 今度はおでこを叩かれてしまった。……だけど、全然痛くない。猟奇的な彼女の照れ隠しだ。


「わっ!」

 ――ギューッ!


 俺は腹筋を使って身体を起こし、桑野さんを抱きしめる。

 ……髪を撫でて、甘えるように顔を擦り寄せる。


「……」


 おずおずと……。桑野さんは、俺の背中に手を回して俺の服を掴む。

 ……初めての相思相愛の、ハグ。


 ――ギューウゥ


「……ずっと……俺の側にいてね」

「は……い」

「俺から離れていかないで……」

「うん……」

「俺を……、一人にしないで……」


 本当はずっと一人になるのが恐かった。それが恐くて恐くて……俺は一生一人と言い聞かせて、寂しさを紛らわしていた。



 桑野さんに出会って、その事実を実感した。



「もう、一人ぼっちは嫌だよ……」


 桑野さんにしがみついて、俺の中の虚無感を潤す。もう、一生一人の俺には戻れない。


「一人にしないよ。私がついてるから」

「……うん」


 目を閉じて、桑野さんの体温を感じて……このまま、時が止まれば良いとさえ、思う。


「……好きだよ」


 何回言っても足りない。言い尽くせない。


 誰にも言えなかった事を言える、唯一の人。

 唯一、俺が甘える事のできる人。弱音を吐ける人。



 桑野さんは……俺の唯一の人だ。





 ✽✽✽


「お昼、何食べたい?」


 ずっと桑野さんに縋りついていたけど、ようやく冷静さを取り戻した。もう少しこのまま甘えたい所だけど、目を開けた時に見えた壁掛け時計の針は11時55分。


 ここは一旦平常通りで。


「食べに出るか、出前を取るか……桑野さん?」

「あ……」


 ようやく身体を離して桑野さんの顔を覗き込む。

 真っ赤に照れた可愛い顔にいじらしさを滲まして、俺の衝動が刺激される。


「……俺の忍耐もそろそろ限界です」

「? ……バッ!!」


 桑野さんは慌ててソファーから降りて部屋の隅に行ってうずくまる。


「これまた可愛い態度を取りますね」

「……可愛いって言わないで下さい」


 俺に背中を向けたまま、恨めしそうに言う。


「綺麗です」

「!!」


 よく思い返せば、お父さんはお母さんを綺麗だと褒めていた。ホームステイ先の姉からも、「私綺麗でしょ? YESは?」と美しさを褒めるように教育された。

 女性を褒める形容詞は可愛いより、綺麗。……忘れていた。


「事実ですよ。自信を持って下さい」

「女性を綺麗と褒める男性を初めて見ました……」


 俺に背中を向けて丸まってしゃがんでいるままの桑野さん。


 直くんや貴ちゃんの同級生の子達との接触が多くなって、可愛いばかりを多様していた。桑野さんは綺麗。……そして可愛い。


「お父様はなんと言って褒めてます?」

「冷やかし半分で褒められる位ですから……」


 俺は直くんも貴ちゃんも〝偉い、凄い、かっこいい〟と言って育ててきた。……九州男児は寡黙だな。


「最近何か褒められたりした事は?」

「……良いのを捕まえた。でかした。……です」

「……俺の事ですか?」

「強欲な親子です」

「桑野さんはお父様似でしたね」


 一ヶ月前の挨拶を思い出す。


「……名前」

「はい?」

「名前呼びです。もう少し……待ってて下さい」


 〝愛子って呼んでいい?〟


「三井さんに呼ばれると、腰が砕けて立てなくなります。腰を強化しておきますので」

「……マニュアル本ですか?」

「……? こんなおばあちゃんみたいな理由、載ってるわけ無いですよ」

「無意識だとしたら更に問題です」

「地雷踏みました?」

「桑野さんは俺を煽りすぎです」

「……おばあちゃんが?」

「〝愛子〟」

「ひゃあぁ〜!」


 桑野さんは俺にずっと背中を向けてしゃがんでいる。足を抱えて。そして更に丸まっていく。


「……駄目です。もう俺以外の男と話すの禁止です」

「話す機会無いですよ……」

「それなら良かった。俺だけのものですからね」

「……」

「お昼にしましょうか、〝桑野さん〟」

「……何が食べたいですか?」

「俺の希望を通せば、俺は桑野さんの握ったおにぎりが食べたいですけど、殿下の召し上がりたい物は何ですか?」

「……じゃあ、私の分のおにぎりは三井さんが握って下さい」

「……食べられるものが出来るとは言えません」

「握れば出来ます」

「やってみます。教えて下さい」


 本日のお昼はおにぎり。二人で料理。新婚さんごっこは継続中。

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