第9話 少し勇気を出す。少し進歩し、彼が喜んでくれた
近くのホテルのラウンジに場所を移した。
三井さんはコーヒー、私は紅茶を頼んでどこから話そうかと運ばれて来た紅茶を見つめ考える。
「で、なんですか。嘘とは」
なーんか、機嫌悪い。そりゃそうだ。状況によっては婚約に対する重大な事件だ。経歴詐称は。どうしよう、怖くなってきた。
「すみませんでした……」
「内容を聞いています。謝罪はそれからにして下さい」
「……」
一刀両断。この男は敵に回すと恐い。
……いけ、愛子。女は度胸よ!
「三井さん、私望診の健康相談を仕事としていません」
「はい」
「あの時の名刺は浜田さんが私の為にわざわざ考えて作って下さったもので、あの時だけ使ったものです」
「はい。……俺は今もあの名刺は大事に持っています」
「私も三井さんの名刺は大切に持っています」
「ありがとうございます。……で?」
「実は無職です」
「はい」
「……経歴詐称です」
「はい」
三井さんは淡々と相槌を打つ。私は俯き緊張状態が続く。
「……すみませんでした」
「まだ謝罪は結構です。それで?」
「……経歴詐称です」
「それは先程聞きました。それで、嘘とはなんですか?」
……ですからね。
「経歴詐称です」
「ですから、それは聞きましたよ。前置きは分かりましたから」
まだ足りませんか?
「私は自立していません。私は社会的地位も収入もありません」
なんか恥ずかしくなってきた。三井さんと真逆な世界の住人だ。都会のハイスペックさんの彼女は同じくハイスペックと決まっているのに……。
「……で、嘘とは?」
……おーい、スパダリさんよ。話は聞いてましたか?
「かっこいい男性の彼女は同じく社会的地位も収入もある人でなくてはいけません。私は経歴詐称して、あたかも志高く自立した女性と見せかけました」
「はあ……」
「私は三井さんを騙しました。……三井さんを手に入れたくて」
いくら私が健康オタクでもそれでお金を頂いていない以上、それは仕事では無い。趣味の範囲。
それなのに肩書きに利用して、あたかも稼いでる風を装って、仕事してます感を出してきた。有利に婚活を進める為に。サイテー、私。
そしたら、三井さんが罠に引っかかってくれて、なし崩し的に婚約まで引きずり下ろした。好きな人にする行為じゃない。
「えっと……結局嘘というのは、仕事の事ですか?」
ようやく伝わった。後になればなるほど言いにくかった事を、ちゃんと伝えた。よくやった、愛子。
「経歴詐称は詐欺です。それを今の今になって……本当に申し訳ございませんでした……」
深々と頭を下げる。
三井さんなら許してくれる。そう思って、ずっと黙ってた。好きなら、一番に言わないといけないことだったのに。
「ああ、はは……そうですか。なんだ……良かった」
三井さんは拍子抜けした様にから笑いをしてホッとしたようだった。
「桑野さん、頭をあげて下さい。僕は安心しました」
「?」
おずおずと頭をあげて、恐る恐る三井さんを見る。
「てっきり男関係かと思っていたので」
「……それこそなんでそうなるんですか?」
話が飛躍しすぎじゃない?なんか緊張感が無くなってしまった。
「浜田さんとは距離が近くて、普通にスキンシップを取って、そして嘘をついていたと言われると」
「それと男性は全く結びつきません」
「桑野さんはそれはそれはモテただろうと思って」
「三井さんだけですよ。そう言ってくれるのは」
「俺を手に入れたかったんですよね?」
「……最悪」
「俺は最高に幸せです」
重い空気はどこに行ったのよ。なんかお花畑になってる。
「俺はかっこ良かったですか?」
「……」
「愛されてますね、俺は」
「……」
「俺を甘やかしたいほど、好きで好きで仕方ないと」
私は地蔵の如く目と耳と口を閉じ、三井さんの弄りに耐え続ける。身から出た錆。今は反撃してはいけない。
「……自立したいですか?」
三井さんは一変、優しく問いかけるように、穏やかな話し方に変える。
「以前、電話で俺は自分の意向を伝えました」
〝自立した人だと俺が満足しません〟
分かってる。三井さんは社交辞令を言わない。だから、あれは私を立てて無理して言った言葉じゃない。
「桑野さんの捉えている自立の意味を汲んで、俺の気持ちを伝えたつもりです。ですが、俺の考える自立は経済的な事でも、一人で何でも出来るようになる事でも無いと思っています」
「……」
「自立するとは、一人で何でも出来るようになる事だけではなく、人を信じてきちんと頼る事が出来る事も必要だと思っています。その依存と独立のバランスが取れている人を自立していると言うと思います」
三井さんが真っ直ぐに私を見つめて伝えてくれる。
「自立の対義語は依存ではなく、共存かと思います。俺は桑野さんを信じて、情けない所も幼稚な所もさらけ出しています。……桑野さんにも俺にさらけ出して貰いたいです」
三井さんは人格者だと思う。私をいつも…もっと大きなもので包んでくれる。
「……信頼して頂けるよう、努力します」
「信頼してます」
ハッキリと伝える。目を見て。
「信頼してるから……怒られないだろうと、このまま黙っておこうと……甘えていました。それは、依存です。……すみません」
自分のマイナスを見せたく無かった。ただそれだけ。
三井さんに釣り合うために、キャリアウーマン風を装った。
「……おにぎり、美味しかったです。ありがとうございました」
「いえ……」
「俺はお粥すら作れません。ラグビー部の合宿の炊き出しも保護者のお母様方から調理は任されません。いつもレタスを千切るかミニトマトを添える位です。ですから、料理に至っては桑野さんに依存する形になります」
三井さんの伝えたい事がスーッと心に響いてきた。
「先月、桑野さんのお家で頂いた、切り干し大根の煮物がとても美味しくて……一生、桑野さんの作った料理が食べたいと思いました。俺と桑野さんは需要と供給ががっちりとマッチした夫婦関係を築けると信じています」
「……切り干し大根のコツは、洗った切り干し大根を乾煎りしてえぐ味を甘味に変えることです」
恥ずかしさが否めないままで、ちょっと捻くれたように言ってしまった。
「自立してますね」
「そうですか。ありがとうございます」
「好きですよ」
「……知っています」
ああ、なんて可愛げのない。ここで言わないと。頑張れ、頑張れ! 頑張れ、私!
「私も……好きですから」
チロリと上目でおずおずと伝える。しっかり見つめる事は出来なかったけど、よくやった、私。凄い進歩よ!
「――はい。嬉しいです。ありがとうございます」
三井さんは一瞬驚いてから穏やかに微笑んで、その後本当に嬉しそうに笑った。
もっと早く伝えたら良かった。三井さんのこんな表情が見れたのに。胸キュンは止まりません。
「帰りましょうか? 夕飯の時間がありますから」
「はい。そうですね」
「ケーキでも買って帰りますか?」
「はい。楽しみです!」
これまでよりも、笑顔になれる。これからも少しづつ三井さんに慣れていったらいい。人生は長いから。
✽
「どれにします?」
「こーんなにきらびやかなケーキが沢山あると目移りしてしまいますね」
「沢山買っても良いですよ?」
「……甘やかしますね」
「ええ、もちろん」
ホテル併設のペストリーショップで皆にケーキを買って帰ることにした。三井さんはご家族の分を注文する。
「私はミルフィーユにします」
悩み悩んで結局これ。ミルフィーユはお店に寄っては置いてない所もある。だから見つけたら絶対これ。
「あと、ミルフィーユを2つで。以上でお願いします」
三井さんが店員さんに伝え、注文を終える。
「お、ご家族にミルフィーユ好きがいますか?」
「俺です」
「え?」
「俺は桑野さんと初めて出会って会話したあの時から、俺の定番はミルフィーユとなりました」
「へ?」
「桑野さんがミルフィーユと言っていたので」
「……」
――本当に愛されてる、私。真っ直ぐ見つめてくる三井さんに胸が高まる。どうしよう、恥ずかしさより愛しさが勝って来た。目があったらどうしよう……よりも、三井さんを見つめていたい、が勝って来た。
好き。
やっぱり、大好き。
✽✽
ケーキを受け取り、帰路につく。
「せっかくなんで手でも繋ぎましょうか」
三井さんが笑顔でいつもの件を言う。いつもはここで照れていたけど……。頑張れ、頑張れ、私。
「たまには腕にしますか?」
「は……い」
今回は腕にしよう。返事だけでいいから応えやすい。私が良いように腕を持てば良いんだから。
「ーー……本当に良いんですか?」
三井さんは驚く。当たり前だけど……。
「三井さん、私の一挙一動を弄ったりしないで下さい。私なりに一生懸命なので、サラッとしておいてくれないと恥ずかしさで何も出来ません」
「分かりました。気をつけます」
チラリと三井さんを見ると、凄く真面目な顔つき。
なるほど、といった感じでもう絶対にしないと顔に書いてる。三井さん、素直だな。
……ああ、なんか分かったかも。三井さんが私を弄る理由が。
私の人生初の彼氏はかっこいいだけじゃない。
このポカポカとした気持ち。三井さんが可愛い。
スーッと恐る恐る三井さんの腕を掴む。うん、スーツの上からだと体温が分からないから何とかいけそう。よし、このまま主導権を握ればいける!
「帰りますよ!」
「はい」
三井さんが私を見て嬉しそうに微笑む。私が三井さんにこんな顔をさせたと思うと胸がキュンとする。
もっと早く頑張れば良かった。三井さんが喜んでくれている姿を見て私まで嬉しい気持ちになる。
「新婚さんごっこですね」
「なぜそうなりますか?」
「雰囲気がそうです。甘い感じ」
やっぱり照れてしまって、俯いてしまうと三井さんが空気を読んだように話を変えてくれた。
「今日、部下に歩くプレゼントおじさんと言われました」
「……ネーミングセンスがレトロですね」
「慣れているのですが、流石に傷つきました」
「まぁ可哀想に」
部下さん、もう少し三井さんを労ってあげてよ。ん、あれ?上司じゃなくて部下か。
「桑野さんに告げ口です」
「まったくうちの子になんて事を。私は三井さんの味方です」
「嬉しいです」
この体制に入ると私は恥ずかしさよりお母さんモードで気持ちが大きくなる。
よしよし、このまま、このまま。
〝自立した人だと俺が満足しません〟の件は
【短編】人生初のスパダリ彼氏は慌てない。
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