第4話 あれはハグではなく、抱きしめるという行為に該当します。
「私なりに一生懸命考えて、慣れる方法を模索してるんです!」
あまりの羞恥に消え入りたい。三井さんはこんな時でさえ動じない。悠然と構えている……。恥ずかしくて顔を合わせられず、三井さんの手をじっと凝視する。
女の私と違う男らしい骨ばった手。
……どうしよう意識してしまう。ドキドキと心臓が動く。
意を決して手を動かす。三井さんの手の甲、指、爪…ゆっくりと触っていく。
「本当に一生懸命考えてくれたんですね。嬉しいです。ありがとうございます」
私の真っ赤であろう顔をからかわれるかと思えば、包み込むような穏やかな声。私の羞恥心を和らげてくれる。
「三井さんにだけ、慣れるんです」
この歳まで彼氏ができた事も無い。男友達なんかいないし、男性と近い距離にいたのは数年前の婚活パーティー以来。
男の人に慣れない。異種族の男性が未知で怖い。
だけど、ずっと夢見てた幸せなパートナーシップが始まったんだから。私だって早く慣れて、三井さんを満たしてあげたい。
「愛されてますね、俺は」
「自意識過剰です」
「はいはい。自意識過剰ですね」
悔しい。掌で踊らされてる。私が一生懸命頑張ってる事に、もっと慌てて、驚いて、リアクションして欲しい。
私だけがあたふたして恥ずかしい。
それでも、手は離さない。三井さんの手の甲をずっと行き来して撫でる。
……この行為は少し慣れてきたかも。ちょっと冷静になってきた。ずっとこうしていたら、三井さんと手を繋ぐのも、ハグも……慣れるかもしれない。
だけど、
「あ、そうだ三井さん。ハグですけどね、三井さんのはハグでは無く抱きしめるという行為に該当するそうです」
悔しいからやっぱり反撃の狼煙を上げる。
「ちゃんと調べましたから間違いありません。そんなにハグがしたいのであればハグという行為を遵守して下さい」
「俺達のハグはあれだと了承して下さいましたよね」
「了承はしていません。黙秘権を行使しただけです」
「……」
「罰金を取りたいくらいですが、私は優しいのでこれまでの事は水に流す事にします」
「……いくらですか?」
「はい?」
「今後の罰金の金額です」
「破る気満々だと誤解を与えますよ」
「後学の為に聞いておこうと思っただけです」
「……100万」
「わかりました。100万円支払えば今日のハグが出来るんですね?」
「……まさか支払う気じゃないですよね?」
「俺は社交辞令は言いません」
「破りませんよね?」
「…て」
「ちょっ! コメントして下さい!!」
「お待たせ致しました」
慌てて問い詰めようとしたら鰻が運ばれてきた。
「ありがとうございます」
私は弾かれたようにパッと三井さんから手を離して店員さんにお礼を言う。
「食べましょうか。遅くなりお待たせしました」
「おかげでもっと美味しく食べれます。ありがとうございます」
しまった。ウヤムヤになってしまった。
100万とかちゃんと冗談だと分かってるよね? 大丈夫よね? 本当に支払おうとか思ってないよね?
……蒸し返す方がお金にがめついてると思わせそうで、聞けない。
「お美味しいー!」
「美味しいですね」
「餌付けされました」
「でしたら、作戦成功です」
「策士め!」
「それは本当の褒め言葉ですね」
「ネタバレしてる時点で策士ではないですよ。謙遜して下さい」
「俺は桑野さんに隠し事はしません」
「わーお」
「照れる要素ありませんよ」
「う、裏工作してるくせに!」
「いづれ明るみに出ますから」
「それを隠し事と言うんです!」
食べ始めて少し緊張が取れて、なんとなく言い合える。
「そういえばこの間、直くんに叱られたそうですね。理由は何だったんですか?」
以前の電話で「今日俺は直之に叱られて傷心です。慰めて下さい」と言われた事を話題にあげる。
「ああ、理由は言っていませんでしたね」
「ええ。私の大きなベイビーがお母さんを縋って来てそれどころではありませんでした」
「俺が泣き言を言うのは桑野さんだけですからね」
「わーお」
「俺に羞恥心を与える予定が狂いましたね」
ほんとだよ。照れてよ。
「……チラシが入っていたんです」
「チラシ?」
「はい。デパートの。そこにライダーショーがあると宣伝していたんです」
「まさか直くんを誘ったとか言わないですよね?」
「そのまさかです。直之はライダー、貴将はレンジャーと決まってましたから」
「三井さん……」
「意気揚々と直之にチラシの写真を取ってメールで送信したら、返事が来ませんでした」
「……」
「届かなかったのかと思い、昼休みに電話したら冷たく断られ一方的に電話を切られました。……思い出したらまた落ち込んで来ました。」
……この男は天然なんだろうか。
確か直之くんは10歳違い。今は、23か24歳。ライダーが好きっていつの話だよ。ってなるでしょ、普通に。
昔の事を今だに蒸し返して話題にされるって羞恥心しかないけど、分からないのかな? この子は。
「昔は行きたい? って聞いたら、小さい声で行きたいって言ってたのに……思い出したら顔がニヤけて来ました。直之はめちゃくちゃ可愛いですね」
「三井さん、落ち着きましょう。段々と怪しい人になっています」
「部下からは頭は大丈夫かと真顔で言われ、直之が不憫だと……」
部下さん、直球だな。もう少しオブラートに包んであげてよ。後で私にくるんだから。
「それは寂しいですね」
「俺の空の巣症候群は健在です」
「直くんも小さな子供から立派な大人に成長しました。三井さんのおかげだと思います」
「最近は貴将もアニメからバラエティ番組に趣向を変えて……」
貴将くんは確か…20歳。若いな、いいな……そうじゃなくて、アニメか……。絶対最近の話じゃない気がする。三井さんの時系はきっと止まってる。
「それなのに俺は大人になるどころかどんどん幼児退行しています」
きっと、三井さんは複雑で寂しかった幼少期を子育てで取り戻したんだろうな。
「私がついてますから」
心を込めて伝える。私が三井さんを満たしてあげたい。
「……友人の経営者が男はいくつになっても夢見る少年だと言っていました」
「はい」
「だからいつまでも少年の心を忘れてはいけないと教えて下さいました」
「へー」
「そこで毎晩彼女に膝枕をしてもらっているそうです。少年ですから」
「……まさか私にそれをしろと?」
さっきのしおらしさはどこにいった、少年結仁よ。
「今は、我慢します。結婚したら何でも受けて立ってくれるそうですので」
「その言葉は忘れましょう」
勢いでペラペラ話す癖は治さないと。どんどん大変になる。
「俺はその言葉を胸に毎日の幸福指数を高めています」
「……」
そんなに真剣に言われると……。
膝枕ね。それくらいなら私にも出来る、と思う。
恥ずかしいけど、それを素直に口にするのはきっともっと恥ずかしかったと思う。
それで、三井さんが満たされるのであれば……それくらい。
「俺は幸せです。桑野さんのおかげです。ありがとうございます」
私が、この人を甘やかしてあげたい。
三井さんが望む事を何でもしてあげたい。心からそう思ってる。大好きで……愛しい人だから。
……言えない。
「感謝して下さい」
「勿論です。殿下」
ほーら、だからこうなるのに。女は愛嬌よ、私。
✽✽✽
夕暮れ、三井さんの自宅に着くとお手伝いのキヨさんが出迎えて下さった。
「愛子さん、ようこそおいで下さいました。寛いで行って下さいね」
「ありがとうございます」
今回から、三井さんの自宅に宿泊。別に深い理由は無い。
三井さんの自宅には弟の貴将くんを始めお手伝いさん、三井さんのご家族がおり、お家は大きく宿泊者専用のゲストルームまであるらしい。
独身一人暮らし男の1Ꮶアパートに泊まる訳じゃない。大丈夫。
「お腹は空いておりますか? お夕飯はもう出来ておりますが……」
「はい。ありがとうございます」
「お兄ちゃんおかえりなさい! 愛ちゃん。いらっしゃい!」
「ただいま、貴ちゃん。良い子にしてた?」
「うん!! 偉いでしょ!?」
「さすが貴ちゃん。偉いね」
「そう! さすが俺!!」
貴将くんが来て三井さんは兄モードに変わる。
(……三井さんもこんな感じで褒めてほしいのね?)
「貴将くん、こんばんは」
「お腹減った! 早く早く!!」
貴将くんに手を引かれダイニングルームまで歩を進める。
(おぉ! 彼氏の弟と言えど男の人と手を握っちゃったよ!)
✽
「貴ちゃん今日大学どうだった?」
「楽しかったー!」
皆様と一緒に晩ご飯。三井さんは兄モードと言うより、親モード。
滲み出てるんだよね、直くんと貴ちゃんが好きだって。
血の繋がらない弟の世話がここまで出来るって凄いと思う。
私の人生初の彼氏の凄く好きな所。
だからこそ、私は三井さんに暖かい家庭を作ってあげたい。
三井さんの帰る家を、場所を、私が作ってあげたい。
伝えるのは……難しいけど。
✽✽✽
「俺、愛ちゃんと一緒にお風呂に入る!」
「……は?」
泊まらせて頂くゲストルームに貴将くんと三井さんのお母様が案内してくれた所で、貴将くんが意味不明な事を言う。
「愛ちゃんはお兄ちゃんの彼女。お兄ちゃんのものは俺のものでもある」
「た、貴将坊っちゃん、結仁さんに叱られますよ」
三井さんのお母様が慌てて貴将くんを止める。
三井さん自身は仕事の電話がかかってきて自室で電話中……
「お兄ちゃんは14歳の父でもある。つまり愛ちゃんは14歳の母でもある」
「……」
いきなり二股提案されたかと思ったら、今度はいきなりお母さんかい。
もう既に三井さんと言う大きなベイビーがいるのよ、私は。
「いいじゃん! 愛ちゃん一緒にお風呂に入ろーよ! 良いでしょ!?」
いや、良くないでしょ。
「えーっと……」
結仁父ちゃんはまだかな? 息子を止められるのは父ちゃんしかいない。
「あ、お兄ちゃん!」
きた!! 素晴らしい! ナイスタイミング!
「どうしたの?」
「お兄ちゃん、俺、愛ちゃんと一緒にお風呂に入るから!」
「た、貴将坊っちゃん!」
さぁ、結仁父ちゃんの出番よ。息子を納得させられるのはこの育ての父……じゃない、兄しかいない。
「え? 駄目だよ貴ちゃん。愛ちゃんはお兄ちゃんと一緒にお風呂に入るんだから」
…………は?
「あ、そうなの?」
三井さんのあたかも当然といった口ぶりに貴将くんは納得。
「あ、ご、ごめんなさい邪魔して!」
お母様は顔を真っ赤にして慌てておられる。
(……貴将くんを止めるためとは言え、少々荒いやり方じゃない?)
……。
「結仁さんは相変わらずユーモアが達者でございますね。それでは、本日はこの辺で。おやすみなさいませ」
――パタン
外面笑顔を貼り付けて一礼して扉を閉めた。
「……お兄ちゃん、愛ちゃんと一緒にお風呂に入るんじゃなかったの?」
「閉められちゃったね」
扉越しに声が聞こえる。
「さ、お二人もいつものように母屋のお風呂にお入り下さい」
彼のお母様が促す。
「えー! 俺、愛ちゃんと一緒にお風呂に入りたかった!」
「貴ちゃん、それはお兄ちゃんも一緒だよ」
いつまでここで話すつもり?恥ずかしい事を言わないで、聞こえてるから!
「わ、わかりました!! 私が一緒に入ります!! お二人と!」
……お母様? なんか天然な人だな。
「え? 俺、若い子が良い」
貴将くん、正直だな。(私もまだ若いかしら?)
「じゃ、じゃあ、結仁さん!」
「入るわけ無いでしょう」
冷たっ!
「む、昔は私がお風呂に入れて一緒に入ってましたよ!」
「左様でございましたか。それで?」
「……何でもありません」
……冷たい。声が凍るってこの事。
三人の遠ざかっていく音が聞こえて、ようやく一息つく。
あ、明日何時頃起きるのか聞き忘れた。朝食準備は手伝った方がいいかしら? 今更扉開けて聞けないし……。
どうしよう。
頭は大丈夫か、と言う部下は一人しかいません(笑)
毒舌部下の出演作品は
【脇役女子奮闘します!〜冷酷な彼にデレて貰いたいんです〜】にて♡