第67話 桑野さんを口説く。なりふり構わず、引き止める。
浮かれていた。早とちりもいいとこだ。
桑野さんを引き止めないと、なんとかして。
「……桑野さんの結婚の条件を満たす人はこれから先、中々現れない様な気がします」
「あはは! そうですね! 妥協出来たらいいんですけどねー」
なりふりなど、考えている場合ではない。
「桑野さんの結婚の条件を満たす男は俺しかいません」
「……」
俺は本当に抜けている。会ってから、とか考えずに早々と電話で伝えておけば良かった。
「だから……俺で手を打ちませんか?」
「……はい?」
桑野さんが知る男は俺一人でいい。後にも先にもいない。
「仕事はネット環境があればどこでも出来ます。月の……半分は東京にきて出社する事にはなりますが、俺なら、桑野さんの条件を満たせます」
俺は桑野さんとの未来を創造して、桑野さんの実家近くで生活する事を決めた。
婿養子というのは願ったり叶ったりだ。
桑野さんとだったら……沢山子供が欲しい。
俺を救ってくれた大好きな人を手に入れるために、俺はあれから物凄く考えた。条件を全て叶えてあげたい。
だから、次には……行かせない。
「ちなみに、初めて結婚を意識した時に俺にも条件がありました」
「えっと……」
桑野さんが状況を理解する前に、俺は早口で話し始める。
「条件①不倫も浮気も出来ないように見張ってくれる人。
条件②俺は幼少期の栄養不足や若い時に無茶苦茶に働いて来たので、長生き出来るか分かりません。だから…長生き出来るように健康にいい料理を俺の為に沢山作ってくれる人」
「……」
今の俺は桑野さんを引き止めようと必死だ。
「条件③俺の過去を受け止めてくれる人。条件④俺を最初で最後の恋人にしてくれる人……。まだまだあります。俺も強欲な男です」
「……」
「……この条件を全て満たせるのは、桑野さんしかいません。そう……思いませんか?」
桑野さんは下を向いてしまい、俺からはその表情は確認出来ない。
「俺は、そう思います。桑野さんは……俺の太陽です」
「っ……」
「ずっと、俺の側にいて下さい。側にいて、俺に光を下さい。俺を暖かく包んで下さい」
「な、なんでそんなキザな台詞が次々と出てくるんですか……」
弾かれたように桑野さんが顔を上げて俺を見つめる。
その顔は真っ赤だ。りんごのように。
聞こえてくる声は……涙声だった。
「思っているから……口に出るんです」
「腹黒大魔王のくせに……」
「それが条件⑤です。俺の本性を知っても好きでいてくれる人」
「……私しか……いないですよ……」
居心地悪そうに、桑野さんはボソボソと答える。
「はい。桑野さんしかいません」
「……状況がよく……分かりません」
「俺を、婿に迎えて下さい」
「――っ」
「桑野結仁、中々良いと思いました」
「……」
やや冗談交じりで言ったつもりが、桑野さんは驚いた表情を浮かべているだけだ。てっきり「ばっちりです」と桑野さんの弾んだ声が聞こえると思っていたが。
でもその目を見れば分かる。驚きの中に喜びが隠れている。
俺のこれまでが全て役に立った。人の目を見て真意を探る。
……電話ではきっと分からなかった。
「俺の帰る場所を作ってくれませんか?」
「私で……いいんですか?」
「まだ、自分を卑下していますよ」
「あ……」
「桑野さんの所に、帰りたいです」
俺の一番の願いは……これだ。受け入れて欲しい。
「いいですよ」
「俺は桑野さんの前でしか泣けません。甘えん坊です。子供っぽいです。桑野さんは大変ですよ」
「いいですよ。三井さんの奥さんも、お母さんも全部私がやってみせます」
「さすがですね」
「女優ですから」
そう言って桑野さんはいたずらっ子のように笑う。
……良かった。
良かった。
本当に、良かった。
「三井さんを一人にはさせません。私と二人で一つです」
「……最高に楽しいでしょうね。毎日が」
「三井さんを満たしてあげますよ」
「それはかなりの対価を支払わなければ……」
いたずらっぽく言い返すと、二人で目を見合わせ、笑った。
桑野さんとだと、俺はいつも笑う事が出来る。
「私を手に入れた三井さんは宇宙一幸せな男ですよ」
「……本当にそうですね」
「そこ……自意識過剰って言って笑うところです」
「本当のことですから」
「……」
「恋愛マニュアル本ですか?」
「! なんで分かったんですか?」
驚く桑野さんが愛しい。その目には涙が溜まっていた。
綺麗だな。桑野さんの涙は。
桑野さんは俺の気持ちを180度変えてくれる。俺に新しい世界を見せてくれる。
また今回も気持ちが変わった。一瞬にして。
涙とは本来、美しいものなんだ。