第59話 過去の執着への手放し、そして和解へ
「やっと分かったか! 俺とお前とでは格が違う! 俺はお兄さんと同じ高潔な血が流れているからな!!」
俺がこれまで無意識に使ってきた自分を卑下する言葉は、もう使わない。使えば、俺はまた正妻や次男のような人間を引き寄せてしまう。
「おっしゃる通りですね。私と忠興様は住む世界が変わってしまった事を改めて感じ入りました。どうぞお元気でお過ごし下さい」
俺は感謝の気持ちを込めて微笑む。
ステージが変われば付き合う人、出会う人が変わる。
そのステージを変えるためには、自分が変わらなければ。
次男に会えて……そう思えた。
「なんや……憎たらしい目はせんのか」
「……忠興、もう行こう。結仁くん、これ……」
お兄さんから何か渡される。
「お父さん、屋敷とは別に部屋借りててな。そこから……出てきたんや」
古びた、写真。写っている男性はきっと旦那様だろう。それと子供のような見た目の若い女性と赤ん坊。
「一番、目のつく場所に……飾られててな。もうお父さんは退院も出来ひんし、もう……。そやから、結仁くんの好きにしたらええ。」
「……はい。ありがとうございます。」
お兄さんは次男を連れて帰って行った。俺も病室に戻ろう。新幹線の時間がある。
そっと、ノックせずに病室に入った。大西さんは俺に気づいていないようだ。
「教授……私、結たんに会えました。あの天使のような見た目から一変して凛々しくなっていました……」
「……」
「教授……あっ!!」
俺に気づいた大西さんが驚いて赤くなる。いや、俺の方が恥ずかしい。
「……」
「……」
二人して赤くなって目を逸らす。俺は今年34歳になるのだが……。
「――ぁ」
小さな物音に近いような声が聞こえて、驚く。
目を覚した旦那様がこちらを向いて喋っている。
「あ、教授!」
大西さんが声をかけ、旦那様の口元に耳を近づけた。
大西さんは満足そうに微笑んで涙を流し――、また旦那様も微笑んで見えた。
「あ……えっと……すみません、私ばかり。変わります」
大西さんが俺に声をかけて椅子から立ち上がる。
俺は特に話すことはないのだが……。
ただ、お父さんの死に目と光景が重なり、心が打たれてしまい旦那様に近づいた。
「……ご無沙汰しております。結仁に……ございます」
「――、」
距離にして30cmくらいだが、旦那様の声は聞き取れない。
今、思えば……お父さんは最後まで目がしっかりしていた。
交通事故は凄まじく、見るに耐えられない現状だった。
今でも鮮明に思い出せるほど……凄まじかった。
幼かった直くんと貴ちゃんには見せられないほどに……。
そんな中で、お父さんはしっかりと俺を認識して、はっきりと話した。
〝お前は誰がなんと言おうと、うちの長男だからな〟
お父さんとお母さんと過ごしたこれまでの日々が全て後悔だらけだ。
キヨさんに言われた。〝これからは後悔の無いように〟
意を決して旦那様の声が聞き取れる位置まで耳を近づける。
「……許してくれ」
「……」
「知らなかった。知ろうとしなかった。……許してくれ」
……先ほどの大西さんとの話でなんとなくは気づいていた。
俺を産んだ人に俺の状態を手紙に綴れるほど、俺と旦那様は接していない。その事を想定すると、大奥様か正妻の言葉を……鵜呑みにしていたのだろう。
それでも、最後になって許しをこう旦那様は、ずるい人だ。
「私は、反面教師にさせて頂きます」
許す、とは言えなかった。だけど、憎んでいるわけではない。
「長生き……されて下さい。……お父さん」
もうとっくに許してた。そう思おう。
生きている時に、三井の両親を一度も親と思って過ごした事はなかった。
亡くなって、後悔した。だから、今回は言おうと思った。
正しいかは、分からないけど。
✽✽✽
「これは……」
帰りの新幹線の中、俺は大西さんにお兄さんから頂いた写真を渡す。
「先ほど席を外している時に頂きました。誰からは言えませんけど」
「……彼と、私と……貴方です」
「旦那様が別で借りていたお部屋の目立つ所に飾られていたそうですよ」
「……三人で写った、唯一の写真です」
写真を懐かしむように、愛おしそうに見つめる大西さん。
「差し上げます。お好きにして下さい」
「……同じ物を私も持っています」
そう言って大西さんはカバンの中から古びたアルバムを取り出す。
「肌見放さずに、持ち歩いているんです」
先ほどのと同じ写真と、二歳までの俺と思われる写真。
「旦那様に会えて良かったですね」
なんだか気恥ずかしくなって話題を変える。
「はい。本当に……ありがとうございました」
「……行きの新幹線からずっと言おうと思っていましたが、私を見るのは止めて頂けますか?」
「……あっ!!すみません!嬉しくて……つい」
新幹線で隣同士に座ると、この人は景色どころか通路側の俺を穴が開くように見てきた。俺は落ち着かない。
「私には、この写真の中のまま……時が止まっていましたから」
「もう三十路も越しました」
「本当に……私の天使だったんです。結たんは……あ」
「気付きました? 気付いたなら止めて下さいね。私はもうオジさん扱いされる歳ですから」
あまりの羞恥に穴があったら入りたい心境だ。
「あの……あ、えっと……この写真は貴方が持っておいて頂く事は出来ませんか?」
「俺が?」
嫌ですよ。と続けようとしたが……止めた。
「……大事にするとは、約束出来ませんよ」
「……はい」
俺は当然ながら子供の時の写真がない。それは養子に貰われてからも同じだった。どこで写真が漏れて、どんな火の粉が降りかかるか分からないからとにかく避けてきた。
ただ、イギリスのホームステイ先のお父さんがカメラが趣味でかなりの枚数を取られた。そこから、直くんが産まれたくらいから日本でも写るようになったけど。
「私はもう旦那様のお見舞いには行きません、次回からは行きたければお一人でどうぞ」
「……生活があるので……私ももう、行けそうにありません」
「……もう300万使い切ったんですか?」
「そ! そんな大金! あのお金は貴方のです! 恐くて持ち運べないので、今日は返せませんが……」
「300万を恐がっているとは……。良かったです。3,000万にしなくて」
「さ、さんぜん……!!」
「一人1000万の計算です」
「ひ、ひぇ〜……」
大西さんは目を回していた。
……お金を受け取る度量、器が出来てないんだな。良かった一人100万の計算で。
自分の器から溢れる金額は身を滅ぼすから…。
「これから、自分が少し緊張する位の金額を財布に入れて持ち歩いて下さい」
「! ぬ、盗まれたら……」
「自分が引き寄せるんです」
「?」
「良い人を引き寄せるか悪い人を引き寄せるか。それは自分次第です。大人なんですから」
「……はい」
「度量を広げて下さい。そうでないと生活は苦しいままですよ」
「は、はい!」
知り合いの大富豪からの受け売りだけど、あのおじいさんの生活を少しでも楽にさせてあげたい。
「時間、大丈夫ですか? ご両親は?」
「あ、メールを……。貴方に会っていたと……伝えて良いですか?」
「どうぞ。あの契約は破棄します。貴方のお好きなようにして下さい」
「……ありがとうございます」
「もう……自分を偽って生きるのはやめましたから」
もう、最愛の弟達に隠し事はしない。
そして、桑野さんにもこれまでの事を全て伝えよう。
きっと……受け入れてくれる。受け止めてくれる。
俺の……最愛の人だから。