第54話 あの時の、温かさ
キヨさんが戻り、大西さんに夕飯を振る舞った。
人が来たとき、キヨさんはこれでもかというほど料理を作る。大西さんがかなり食べてくれたけど、泊まりで遠征に行ってる貴ちゃんがいない場合、料理は明らかに残る。
「大西さん、これ折り詰めたんで奥様とお嬢様に渡して!」
上機嫌のキヨさんが、余った夕飯をパックに詰めて、大西さんに渡す。
「いやぁ、働きに来たのにいたれりつくせりしてもらって…」
「いーえ! 奥様は私のお茶のみ友達ですから!」
「いやぁ、本当に家内と仲良くしてくれてこんないい仕事をもらって本当にありがとうございます!」
「ね、もう夜も遅いから……坊っちゃん、お車で送って差し上げませんか?」
「そうですね」
「そ、そんな職場無いですよ!」
俺もキヨさんも総じてお節介だ。いつも通りを通すとこういう事になる。
大西さんを車に乗せ、自宅まで向かう。
「いい車に、こんなおっさんがすみません」
「いえ、この車は普段大学生の子達が乗る車なんです。こちらこそ汚くてすみません」
俺が所有する車は二台。
今はまだ、桑野さんの後は乗せたくない。暫くあの車は誰も乗せたくない。結果、ラグビー送迎用に使ってる車に大西さんを乗せる。
「大西さん、こちら本日のお代です。ありがとうございました」
「あぁ〜、ありがとうございます」
腰を低くして本当に喜んでくれた。湧き上がる申し訳無さから、少し色を付けた。
この人も俺という疫病神の被害者だから。
「生きてりゃこんないい事もあるもんなんですね!」
「そんなに恐縮されないで下さい。大西さんの労働に対する対価でございます」
「……あなたみたいな孫がいたら、幸せでしたでしょうねぇ」
「……何を仰います」
一瞬ドキッとしてしまった。恐っ。
「地元で、孫がいて農業がやれれば……一番幸せだったんですけどね……」
「……香川にお帰りになる予定はないのですか?」
確かもう売りさばいたんだっけ。土地と家。
「……死ぬ時は地元で。それは今も思っています」
「そうですか」
調査結果で行くとこの人は今80歳。
この人の未来が……明るいといい。
✽✽
大西さんの自宅へとたどり着いた。
「すみません、こんなアパート前にこんな高級車停めさせてしまって!」
「いえいえ」
木造2階建てアパート。築年数は中々のものだろう。こんな物件今もあるのか。
ついつい、俺の趣味である不動産の物色を始めてしまった。
「本当にありがとうございました。あ、何にもお構い出来ませんけど、家内と娘がいるはずなんで、お礼だけでも!!」
「!! いいえ! お構いなく!」
危ない! それだけはダメだ。
「……お父さん?」
「あ! 三井さん、娘です!」
あぁ……最悪。やってしまった……。
「えっ!? あ! お父さん!! 今日の仕事先ってこちらの!?」
「おう! もういたれりつくせり! お前もお礼を……」
大西さんが車から降りて促す。
「な、何してるのよ!! 駄目よ!! 絶対駄目だから!!」
「駄目って? 何が……」
「ご無沙汰しております。お変わりございませんか?」
この人は嘘がヘタだ。もっと上手く隠してくれ。
「えっ……」
話しかけられると思わなかったのか、俺を見て驚く。
俺は外面の笑顔を顔に貼り付ける。
「お父様にはとてもよく働いて頂きました。お礼を申し上げるのはこちらでございます。大西さん、本日はありがとうございました。それでは失礼致します」
慌てて車を走らせる。
……もう二度と会うつもりはなかったのに。最悪。
〝あなたみたいな孫がいたら……〟
……すみません。産まれて来て。
すみません。名乗れなくて……。
昨日までの夢のような時間から一変して、一気に気持ちが暗くなってしまった。
〝実家の近くに住んでくれる人〟桑野さんの条件②を思い出した。
……ありかも知れない。
俺が引っ越そうかな。
なんて……短絡的だ。
✽✽✽
仏壇の前に座り日課の挨拶を済ませた。
「直くんの資料を見ていて思い出しました。直くんはお父さん似だとばかり思っていましたが、やはり会長のお孫様ですね」
株主総会前の直くんが作った資料。なんか引っかかるとずっと思っていた。
「直くんの経営センスは会長譲りでございます」
会長の初孫。ご存命の時であればさぞ、直くんの誕生を喜ばれた事だろう。
「……そうなれば、跡継ぎ問題は解決し……私もヒマを出された事でしょうね……」
会長の出す課題をクリアすることが、この家で生きて行く術だった。出来なければ……
「……私は何のために産まれて来たのでしょうか」
会長のご病気が無ければ、俺は養子に来ていないはずだ。
色んな所で色んな歯車が狂った。
それは……全て、俺が産まれて来たからだ。
「苦しい……」
呼吸が上がる。このままだと過呼吸になる。
俺は両手で必死に口を抑える。自分の身体なのに思い通りにならない。呼吸を止めたいのに、止められない。
この世に存在してはいけない俺がこんなに酸素を使っている事にすら罪悪感を覚える。
止めないと……止めないと……止めないと……。
〝一生懸命な人ですね。〟
「――っ……」
……身体がふっと包まれて軽くなった気がした。
呼吸が出来て……
あの時の、温かさを……感じた。