第52話 指輪をつけるという儀式。緊張のち、満ち足りる。
「指輪、三井さんが私に付けて下さい」
二泊三日はあっという間に終わり、もう空港の駐車場まで来て、さあ車を出ようかというタイミングだった。
昨日買った指輪はラッピングされたまま桑野さんに渡した。
俺が桑野さんの手を取って付けるのは、何だか重い気がしたから。
「三井さんが買ってくれた物なので、私は三井さんに付けてもらいたいです」
「……」
別に婚約指輪でも何でも無い。老舗宝石店の指輪なだけだ。
俺の独占欲を満たすだけのものだ。
「三井さん、これはそんなに重くないですよ」
「……」
俺の気持ちを見越したように桑野さんが続ける。
「高校生のカップルだって、クリスマスや誕生日になれば指輪を贈ったりします。だけど、そこに本当の未来の契約がある訳ではないですから」
「……」
「皆、〝今〟の気持ちで動いているんです。だって、もしかしたら私これから飛行機落ちるかも知れないし」
「縁起でもない事を言わないで下さい」
「明日が来るか分からないですから、今の気持ちを大切に育てて行きたいです」
「……俺は恐いです。その言葉が」
明日が来るか分からない。それは実体験で、恐怖しかない。
「三井さんが今、私に指輪を贈って下さった気持ちを、私は大切にしたいです」
「……」
「……じゃあ、私が今ここで付けてもいいですか?」
「え?」
「お互い付き合ってる実感が湧くように、三井さんの前で付けたいです」
桑野さんがここまで言ってくれているのに当の俺は言葉が出ない。
俺の独占欲を満たすために指輪を贈って、だけど俺が手を取って、付けるのは未来を予想させるから出来ない。
俺は本当に自分の事だけしか考えていない。
「はい。お願いします」
桑野さんにこの場で自分で付けてもらう事を促す。
……もし、俺がお父さんとお母さんの本当の子供だったら、もっとまともな恋愛が出来たのだろうか。
桑野さんとの未来を思い描いて、指輪を付けてあげたり出来たんだろうか。
直くん達のような、恋愛が出来たんだろうか。
未来を見据えて……。
「すっごく、綺麗」
桑野さんが箱から指輪を取り出す。
「こういうのをサラッと買っちゃうんだもんなー。三井さんは。そりゃあ、もてますよ」
桑野さんが指輪を見つめる。
「じゃあ、行きまーす!」
彼女が明るく俺に向かってにこやかに微笑む。
……
「あの!」
「はい?」
「やっぱり、俺が。……俺が桑野さんに付けてもいいですか?」
「……はい。喜んで!」
考えて出た言葉ではない。桑野さんの指輪を持った手が動いた瞬間、どうしょうもない衝動に駆られて、口が動いた。
この行為は俺には重いのに。
桑野さんから指輪を受け取り、桑野さんの左手を取る。
昨日サイズを左手の薬指で合わせたからだ。……決めた後に思ったけど、別の指にしたら良かったな。
そうすれば、ここまで俺は重く受け取っていなかった。
つくづく自分勝手だけど、その場でパッと思い浮かんだのは左手の薬指だった。それはきっと、俺の直感からの指令だ。
俺の直感は間違えない。
意を決して、左手の薬指にはめていった。
「じゃーん! どうです?」
桑野さんが手を顔の横に持って行き、俺に指輪を付けた手を見せてくれた。
「お似合いです」
「本当ですか!? 心から?」
やっぱり俺の直感は間違えない。付ける前の緊張はどこかに飛んで行った。
左手の薬指に俺が贈った指輪を付けている桑野さんを見たら……満ち足りた。
桑野さんは俺のものだという俺の幼稚な独占欲がたちまち満たされていった。
俺のものだ。
俺のものだ。
俺の……
「心から思ってますよ。お似合いです」
心を込めて、満ち足りた気持ちでそう伝えると、桑野さんも本当に満ち足りたように微笑んで……目を潤ませていた。
「ずっと……身に着けていますね」
そう言って、俺が贈った指輪を愛おしそうに見つめてくれる桑野さんを見つめて、
このまま、一緒に永遠を過ごしたいと思った。
永遠なんて、この世に存在しないのに。
「桑野さんと過ごしている時間は……とても楽しいです」
「お、気持ちが揺れ動きました?」
彼女はまた、俺を責めないように冗談っぽく笑う。
「また、来て下さい。俺に会いに」
「高級ホテルコンプリートツアーですか!?」
「喜んで頂けるなら、いつでも」
「……じゃあ、私もお礼をしなくては」
「もう充分もらっています」
一生一人の俺が、人を好きになる事が出来たのだから。
「考えておきます」
「何を?」
「三井さんが喜んでくれそうな事を」
「もう、充分です」
これ以上もらったら、俺は一人になるのに耐えられない。
もう、孤独には耐えられない。
「もう、充分すぎるほどもらっていますから……」