第36話 ご褒美が待っている
『もしもし……』
「私です。今宜しいですか?」
あれから仕事に戻り、一通り仕事をして家に帰った。
風呂にも入り、あとは眠るだけだ。
「連絡が無かったので、つい、かけてしまいました」
『……忙しいのではないですか?』
「え?」
『この時期が一番忙しいって……』
あー、確か二回目か三回目かの食事の時に言ったな。
「……気を遣って下さってたんですか?」
『そりゃあ……背負うものが大きいでしょうから』
どうしよう。嬉しい。嬉しい!
俺を気遣ってくれる彼女が愛しい!
「……嫌われたと思ってました」
『え!? なんで!?』
「なんでって……」
俺が戯言を言ったから。……蒸し返すのはやめよう。
「嫌われる要素が多すぎて」
俺は冷酷な人間で、色々と人間性に問題がある。
『……三井さん。腎臓が弱ってますよ』
「……はい?」
なんだ急に。
『ネガティブな思想は腎臓の疲れからです。腎臓は恐れの臓器ですから!』
「そうなんですか?」
彼女は俺の知らないことを沢山知っている。
『恐れや恐怖を司るのは腎臓です。腎臓を強化しましょう』
「どうやって?」
『小豆をじーっくりコトコト炊いて食べて下さい』
「私は料理が出来ません」
『え!? 小豆に水入れて火にかけたら出来ますよ?』
「俺はお粥すら焦がす男です」
あれだって、ご飯に水を入れるだけで出来ると聞いたからやったのに。
『なんでも出来そうな人なのに』
「……買いかぶり過ぎです」
誰も本当の俺を知らない。
『私は嬉しいですけどね! 私は料理に拘りがあるんで、料理男子が苦手なんです。私の料理を楽しみに待っててくれる旦那様が理想で……あ。すみません』
「……いえ」
付き合う前は彼女はそういう理想を俺に話してくれていた。
『あ、えーっと……お手伝いさんにリクエストしたらどうですか? 小豆とかぼちゃを炊いてもらうといいですよ』
「明日言ってみます」
小豆とかぼちゃね。
「腎臓が整ったら……私は恐いものが無くなりますか?」
『え?』
「俺は臆病者で、恐いものが沢山あります」
『……』
「立場を守るために……恐れる物を全て無くしたいんです……」
もう、恐怖に脅えるのはイヤだ。
『……夜は腎臓の時間です』
「?」
『だから、夜になったら恐怖が大きくなるのは自然です』
「……」
〝夜は恐い気持ちになります〟
……。
『だから、三井さんがお仕事でお忙しい中私を選んで電話をくれた事が嬉しいです』
「……男の癖に情けないとは思いませんか?」
『それ以上に三井さんは頑張って来られたではないですか。……ご家族とお仕事の為に』
自暴自棄になりかけた俺に彼女の声は心地よく、満たされる感覚がある。
「……今日は珍しく猟奇的ではありませんね」
『は!? 私は猟奇的ではないですよ!?』
あ、これは俺が個人的に思ってるだけだった。
「すみません。つい」
『…私も最近三井さんの本性を知ったようです。腹黒大魔王!』
「すごい言われようですね」
でも、彼女に言われてもイヤな感じは一切しない。
「腹黒いので、昔の事を根に持ちます。今は夜ですよ。私は社交辞令は言いません。約束しましたよね」
『?』
「今夜は眠れそうにないので、歌って下さい。子守唄」
『はあ!?』
「言いましたよ。腹黒いって」
『性格わっる〜』
「知ってます」
俺は人畜無害ではない。
『それでこの時間にかけて来たんですね!?』
「おっしゃる通りです。いつも桑野さんにやられてばかりなので、仕返しです」
穏やかで大人で気が利く。それが俺が周りに見せてる幻想だろう。意識して演じている訳ではないが。
『……今度、そっちに行こうと思います』
「え?」
『三井さんのお仕事が一段落ついたら、会いに行ってもいいですか?』
「え……それは勿論」
『料理教室も無いです。用事は三井さんに会うだけです。それでも、いいですか?』
どうしてそんな事を聞くんだ?
「寧ろ俺だけの為に来てもらえると、……嬉しいです」
『……安心しました』
え?え?なんで……?
「ずっと……私は会いたかったので」
『……そうですか』
「今、照れてますよね?」
『三井さん、ドMじゃ無かったんですか?』
「違ったようですね」
『最悪』
だけどその言葉に怒りは感じられない。
あー。なんか久しぶりに笑った気がする。
「迎えに行きます。空港まで」
『え?いいですよ。電車で』
「車で行きますから」
『セレブですね。東京で車持ち!』
「そこがいいんですよね?」
『……根に持ちますね』
「高級ホテルを付けますよ」
『本当ですか!? やったー!!』
喜んでる。嬉しい。
いらないと突き返されるより受け取って喜んで貰える方が断然いい。
「出来るだけ長く滞在して下さい」
『三井さん、出費がかさみますよ』
「気になりません」
『わーお。セレブー! ってプラトニック! 忘れないで下さいよ!?』
「……分かってますよ」
『間! 今の間!! 三井さんが言ったんですよ!? 警戒しろって』
「意識してもらえてるようで安心しました」
明日はもう一度あの人の所に行って、それから株主総会まで仕事を頑張ろう。
大丈夫。
それが終わったら……
ご褒美が待ってる。