第15話 男性恐怖症
「こんばんは」
「こんばんは、お疲れ様です」
恒例の桑野さんとの月一の食事だ。
三月、桑野さんの装いは春めいている。
「お似合いですね」
「え?」
「柔らかい色合いが桑野さんの雰囲気にピッタリです」
「ありがとうございます。……三井さんはお上手ですね」
今日は個室のダイニングバー。少しカジュアルな場所だ。
席に通され座る。
「上手って?」
「そんなこと中々言う機会ないですって!」
二人で会うのは四回目。結構打ち解けて来たと思う。
「そうですか?私はお世辞は言いませんよ」
「三井さんってモテますよね? 何で彼女作らないんですか? 都会だからですか?」
桑野さんも最初の頃より感情を出すようになったと思う。前は当たり障りなく会話をする感じだった。
「それはこちらの台詞ですよ。桑野さんこそモテるでしょう。都会とかは関係ないですし」
彼女が母と姉という家族がいた時の態度にはまだ全然近づけないが、いつかその位近い関係になりたい。
「私、男性恐怖症なんです」
「えっ!?」
全然そんな風に見えなかった。え……と、それはつまり俺は男として見られてない?
「とてもそんな風には……。パーティーで二度お会いしたとき、どちらも桑野さんの方から話しかけて下さったので」
「理由は二つあります。一つ、男性と一対一の空間でなければ話すことは出来ます。ましてや健康相談絡みだと」
「はあ」
少し打ち解けて気づいた。桑野さんは説明になると理論的に話す。
「二つ、……三井さんはなんとなくです」
「は?」
「私、自分の直感を信じてるんです。三井さんをお見受けした時、「ヨシ、OK」と思いましたので」
「そうですか」
喜ぶ所だろうか? それよりもまた共通点が。
「私も自分の直感を信じてる人間です。また合いましたね」
「私達は良く似てますね」
始めて会った時よりも桑野さんは屈託なく笑うようになった。穏やかに微笑む人だなと思っていたけど、今はそれよりも素を感じる笑い方だ。俺は彼女の笑顔にどうしても惹かれる。今の笑顔も、たまらなく惹かれる。
そうか、男性恐怖症か。少しづつ打ち解けてくれているんだな。
「……今は大丈夫ですか? 直感通りでしょうか?」
「バッチリです。最初二人で会った時、実はすっごく緊張してたんですよ?」
「そうでしたか」
そんなに緊張する中、俺を誘ってくれたのか。……俺は特別だと自惚れていいのだろうか。
「私、なぜか初対面の方に〝優しそう〟とか〝穏やかそう〟って言って貰える機会が多いのですが、打ち解けると分かりますよ。私、かなり厳しいんです」
厳しいのか。確かに家族の前ではリーダーシップを発揮していた。
だけど家族の事を考えて行動されていた桑野さんはやっぱり優しいと思う。
「三井さんの直感を外してしまったらごめんなさい」
そう言っていたずらっ子の様に笑う桑野さんを見て、俺はやっぱり自分の直感を正しいと確信した。
「私の直感は外れませんよ。桑野さんが私に厳しくなるのを楽しみにしておきます」
始めて会ったあの時、何とも懐かしいような包まれるような……そんな気持ちを抱いた。
もう会う事も無いと忘れようともした。だけど忘れられなかった。
そして今、こうして友達レベルまで仲良くなれた。
俺の直感は間違えない。一目見て恋に落ちた。
〝ミルフィーユ、買って大丈夫ですか?〟
……もう認めよう。俺の一目惚れだ。
「私、来月で料理教室が終了するので、こうして三井さんとお会いするのもあと一回かもしれません」
え?
「三井さんのおかげで一人で東京に来るのも楽しくなりました。本当にありがとうございます。」
そうか。料理教室って永遠じゃないんだ。
始まりがあれば終わりある。それは世の中の法則だ。
永遠に小学生でいられないように。ステージはどんどん変わっていく。
「いえ、私も……楽しかったです」
変わらないものなど何もない。それが人生の面白さで、醍醐味だ。俺も養子に貰われて、人生が変わった。
変化は楽しいものだ。分かってる。
直くんが家を出ていく。そうなればどのみち夜出ていくのは控えたい。一人で食事をするのは寂しいと思う。貴将が友達と出かけていたらキヨさんは一人で食事をすることになる。それは避けたい。ただでさえ昼は一人なのだから。
桑野さんと俺はやはり共通点がある。終わりも一緒。
「いつも、ご馳走して頂くばかりで……。最初の〝ご馳走して下さい〟は照れ隠しで、冗談だったんですけど……」
「私は女性からお金は頂きませんよ」
気持ちが暗くなってしまった。終わるのかな、この関係は。
「……三井さんはジェントルマンで、女性の扱いになれてらっしゃるから、私も話しやすいと思えたんだと思います」
え?
「嫌な顔せずに、毎月お付き合い頂き本当にありがとうございました」
え?
「そんな……なれてるとは……」
「そうしてご自分を謙遜して私を立ててくれる所ですとか」
彼女は何かが吹っ切れたようにまた楽しそうに笑う。
俺はついていけない。
一目惚れだった。忘れられなかった。二人で話す機会が出来た。仲良くなれた。
俺は……これからだと、思っていたのに。
「三井さんの周りにはきっと沢山の素敵な女性がいるんだなと実感しました!」
彼女はニコニコと笑い料理に手を付ける。
「美味しいですね! 私、ジャンクメニューも好きなんです! 飲みませんけど!」
「……そうですか」
なんか……こう……温度差が……。
「ほら、三井さんも食べましょう!」
「……ありがとうございます」
彼女が料理を進めてくれる。
「今日はお礼に、私がご馳走しますから! 沢山召し上がって下さい!」
「いえ……そんな訳には」
あぁ、そうか。分かった。……恥ずかしい。
関係を進めたいと思って、闇雲に浮足立っていた自分が恥ずかしい。
彼女はただ、俺のことを〝東京で一緒に食事する人〟としか思っていなかった。
彼女にアプローチしたくてお兄さんに連絡を取って、自分の知りたくもない正体を知ろうと思ってたけど…。
あーあ。俺って本当に抜けてる。早とちりもいいとこだ。
かっこ悪。
……落ち込んではいけない。人生とは経験だと知り合いの社長に教えてもらった。
桑野さんと少し、仲良くなれた。友達レベルだと思う。まだ来月はあるだろうし、東京に来るときは連絡を貰える位の仲のはずだ。
もう、赤の他人ではない。それだけで充分。
そして、桑野さんのおかげで二十八年ぶりにお兄さんと会う機会をもらえた。彼女はきっと、そのきっかけを作るために俺の前に現れてくれたんだろう。……キーパーソンとして。
この出会いは恋を予感させるものではなかったんだ。
「桑野さんとお話出来て、私は知らない事を沢山しれました。ありがとうございます。食事はそのお礼ですから、是非ご馳走させて下さい」
「……」
「桑野さんはとても律儀な方ですね。だから楽しい時間を過ごせたんだと思います」
「田舎者の、マニアックな話は大丈夫でしたか?」
彼女はまた、いたずらっ子のようにニコニコと笑う。
あーあ。好きだったな。……うん、好きだった。
桑野さんが好きだった。
「とっても。出来ればこれからも聞きたいです」
「……え」
今度はとっても驚いてる。こんなにも感情表現豊かな人だったんだな。
パーティーではずっと穏やかに微笑みを浮かべているだけだった。
……やっぱり、もっと桑野さんの事を知りたい。〝疎遠な友達〟は嫌だ。
「以前と比べて……少し、打ち解けて下さったと思っておりましたので、もう少し……」
だけど、今の俺はアプローチ出来ない。駄目だ。続く言葉が出ない。
「もう少し、スパルタな私が見たいですか?」
彼女がまた笑う。あ、さっきの話か……厳しいっていう。
少し違うけど、助かった。この話題に乗っかろう。
「そうですね」
「あはは! 三井さんはドMですか?」
「……考えたこと無いですね」
「えー?」
ニコニコと笑う桑野さんを見て確信する。
俺は一生一人で、好きになれる人さえいないと思って生きてきた。
だけど……今、好きだ。
俺は初めて人を好きになった。
好きだ。好きだ。好きだ。
俺は堪らなく、桑野さんが好きだ。