第13話 関係を進めるために、自分の正体を知りたい。②
「……母親に会いたくなったんか?」
「いえ」
寧ろその逆だ。出来るなら一生会いたくないし、存在も知りたくない。
「結婚したいお嬢さんでもおるの?」
「…い…え」
桑野さんの事は好きだ。だけど今の俺には結婚は重すぎる。彼女は付き合うなら結婚、と言っていた。子供が欲しいらしい。
俺は不適合者だけど、出来るなら俺だけのものにしたい。
矛盾だらけだけど、身体が動いたんだ。きっと、魂が動いた。
これから先はどうなるか分からない。だけど、動かずして彼女が他の男のものになったら嫌だ。
京都の家で、自分の物なんて何一つ無かった。食べ物も服も……誰にも奪われる心配のない俺だけのものが何でもいいから欲しかった。
彼女を物扱いしてる訳ではない。自分でも分からないけど、ただ……。
……もう子供じゃない。過去を生きてる訳でもない。
自分の未来は自分で切り開く。
「……結仁くんがうちに来たのは、結仁くんが二歳のときやったんよ」
「え?」
「出かけ先からお父さんが結仁くんの手を引いて、帰ってきたんや」
「そうでしたか」
俺は二歳までどこにいたんだ。得体の知れない。やっぱり俺は汚い。
「結仁くんはお父さんになれた様子でな、ニコニコと笑ってお父さんの手を握ってたわ」
お兄さんが当時を思い出して懐かしむように言う。
その時は俺はあの人に懐いていたのか。
「まぁ、お祖母様とお母さんは大激怒やったけどな」
「それは……そうなりますよねぇ」
あの二人が大激怒。恐ろしい。俺がお兄さんの家庭を壊したんだ。
「お父さんがこの子の母親は死んだから、ここで育てたい言うてな。頭を下げたんや」
「……」
俺を産んだ人は死んだのか。それよりも、一家の御当主となれば家で一番偉い人だ。それが頭を下げるとは。
「誰も納得はせんやったけど、御当主の命令やからね」
そして俺の記憶に繋がるのか。
「こっちで調べてみるから少し待っててほしい」
「え……? いいえ。お兄さんのお手間を取らせる訳には行きません。」
何か少し情報があれば後はこっちで足取りを探すつもりだった。
「……結仁くん、お兄さんになったんやろ?」
「? はい」
「弟は可愛いか?」
「はい」
直くんと貴ちゃんが産まれてきたときはそんなこと思わなかった。俺の居場所が無くなると、恐怖の対象でしか無かった。
さながらエイリアン。これが当時の心境だった。
ただ、直くんと貴ちゃんが大きくなって俺を慕ってくれて、お父さんとお母さんが亡くなって二人を立派に育てようと……この二人には俺しかいないと思ったら、直くんと貴ちゃんが可愛くて可愛くて仕方なくなった。
それはきっと、愛情とは呼ばないのかも知れない。性格の歪んだ俺がやっと自分だけのおもちゃを手にした感覚かもしれない。
「兄になれて良かったと思っています」
「……それなら私の気持ちもわかるやろ?弟に遠慮されるんは寂しいものですえ?」
〝あ、直くんそれお兄ちゃんがするよ!〟
〝いいって。自分の事くらい自分でするから〟
……。
「本当ですねぇ」
ふと、思い出して笑いそうになった。
「せやろ? そやから任してほしい。な?」
「……はい。ありがとう存じます。」
申し訳無い。本家のご長男にこんな身分の低い俺が物を頼むとは。
「そや、忘れる所やった。お土産や。」
「それはまた大層なお心遣いを……」
手渡されたのは……金平糖。
「今の結仁くんが何が好きか分からんやったから……結局これになったわ。」
「お兄さん……」
思わず、昔を思い出して泣きそうになる。お兄さんを前にすると俺は一気に子供に戻るようだ。
「懐かしいですねぇ……」
「ほんになぁ」
京都の屋敷では満足に食事が貰えなかった。いつもお腹を空かしていた。そんな時、まだ小学生、中学生だったお兄さんが付き人の目を欺いてお小遣いで買って来てくれていたものだ。
深夜、皆が寝静まった頃を見計らって俺の部屋にそっと持ってきてくれていた。
俺はこれで食い繋いだ。命綱だった。お兄さんがいなければ、俺は生きていない。
「……嫌な事を思い出させたなぁ」
「いえ、嬉しいです」
お兄さんが心配する。そんな事はさせられない。
俺は袋を開けてひと粒口に入れる。
「美味しい……。お兄さんの味や。」
「小中学生のお小遣いで買えて、量があって……って、あの頃はこれしか思いつかんやった。」
お兄さんが、お兄さんの家庭を崩壊させた俺にどうしてこんなによくしてくれるのか分からない。
「結仁くん」
「はい」
「結仁くんは何にも悪いことしてない」
「……」
「結仁くんは幸せにならなあかん」
「……」
京都の屋敷でお兄さんがいつも俺に言ってくれていた。
お兄さんは俺の……
希望だった。
「約束してや」
28年ぶりの再会はこうして幕を閉じた。一月後、お兄さんが東京に来るときにまた会う約束をして……。