第15話 本日のミッション
「愛ちゃんが他の男に取られなくて良かった…」
結婚して心底思う。過去の俺はよく決断した。
「俺の腕の中に愛ちゃんがいる未来が来るなんてね」
「それは私も同じだよ」
「そう?」
「やっぱり私は見る目があった」
「それは良かった」
お互い、クスクスと笑い合う。
気持ちは晴れたけど、これで良かったのか…。
俺に全く記憶が無いなかで、そんなことが起こっていたとは…。
俺はまた、きっとそうなる。
このままでいいのか。
今の俺には分からない。
✽✽✽
「こんばんは」
「こんばんは。お疲れ様です」
あれから数日が立った。受付を済ませてホールへと入る。今日はパーティーに出席。…お酒は抜きで。
(なんせ奥さんに止められたものだから。きちんと言うこと聞いておこう。…飲みたいわけでも無いし)
このパーティーは以前愛ちゃんと知り合うきっかけとなった知り合いの社長主催のパーティーである。
(このパーティーのおかげで、俺の人生が変わったな)
つい、昔を懐かしんで温かい気持ちになる。
「三井CEO!」
「神崎社長。お疲れ様です。…私は結婚しまして」
「あ!そうそう!婿に行ったんだってな!」
「はい。今後は弟が後を継ぎますので、そちらもご贔屓に」
貴ちゃんも無事進級が決まり、この生活もいずれタイムリミットが来る。
つまり直くんにバトンタッチするときがまた一つ近づいたということだ。
「前社長にそっくりだと聞いているよ」
「はい。とてもとてもかわいいですよ。…しかしながら、仕事に関しては前会長を彷彿させる、有能性がございます」
「会長の経営手腕に社長の人当たりが加われば、もう向かう所敵無しだな」
「はい。私も安心して隠居出来ます」
「それは早すぎだろう」
そろそろパーティーにも直くんを連れて来よう。正式に譲るのはまだまだ先だとはいえ、顔を売る必要がある。
「今日は奥方と一緒では無いのか?」
「はい。なんせ私が狭量でございますから」
「なんだ。他の男には見せられないって?」
「はい。ご容赦下さい」
「あんなに堅物だったのに、奥方に骨抜きだな!」
「ええ。それはそれはもう」
神崎社長は可笑しくて堪らないといった感じで笑っている。
愛ちゃんが同行しないのは勿論、俺の我儘。それと…もう一つ。
(あ、来た)
「それでは他にも挨拶に行って参ります」
神崎社長に挨拶し、俺は動き出す。
今日ここに来た一番の理由。その目的の人物を見つけたからだ。
「こんばんは」
「…?こんばんは…」
俺はにっこりと微笑みながら名刺を差し出す。
「お話させて頂くのは初めてでございますね。…佐藤さん」
そう、目的はこれ。
俺の大事な奥さんを泣かせた張本人。
「あ…そうですね…」
お互いこの異業種入り乱れのパーティーには何度も出席している。俺もこの人間の顔は知っていた。勿論、あの時愛ちゃんに話しかけていたうちの一人というのもしっかりと記憶している。
(恋はしないと思いながら、しっかりと目に焼き付ける辺りが我ながら狭量だな)
しかし、話しかけたのは初めてだ。佐藤さんもなぜ話しかけられたのか分からないといった感じで、驚いている。
「…先日は妻がお世話になったと伺いました」
「は?え…?」
「桑野愛子の夫でございます」
「………え゛」
驚いて固まってしまった佐藤さん。
「先日本屋でお会いしたと伺い、私からもご挨拶をと思いまして」
「…あぁ…そりゃ…ご丁寧にどうも…」
何か思う所があるのか、しどろもどろな佐藤さん。
「…仲良くして下さっているそうですが、私は狭量でとても独占欲が強いんです。ですので、今後は距離を取って頂けませんか?」
「…えーっと…それは…どう…いう…」
俺は本題を切り出すべく、彼を見据える。
「今後一切、妻に関わらないで頂きたいのです」
意図を理解して貰うため、目に力を込める。
「……はっ…」
一瞬固まった佐藤さんは大きく息を吐いた。
「いやいやいや、大会社のCEOが何をおっしゃるのかと思えば…」
「おかしいですか?」
「騙されてますよ。彼女はしたたかな女です」
「…」
「CEOにはもっといい女がいますよー。ほら、今日だって周りに女がいっぱい!食い放題!」
「何をおっしゃりたいのです?」
「ですから!ここに来る女なんて皆、金持ちの男目当てだって話ですよー。だから、つまんであげないと逆に可哀想というか、こっちは善意です、慈善事業!」
「…」
「俺がいい女紹介しますよ!んな、ねー…あーんな金目当てに騙されて結婚までしてしまって…。まだまだ挽回しましょう!よっ、CEO!」
「失礼ですが」
もう、これ以上話す事も無い。
「私の妻を侮辱しないで頂きたい」
俺よりも背の低いこの男を冷めた目で見下ろす。
「…」
「それを伝えたかっただけでございますから。足を止めて頂きありがとうございました。どうぞ、楽しまれて下さい」
会釈をして踵を返す。
「…いいんですか?大会社のCEOがそんな事を言って」
後ろからボソッと声がした為、俺は歩みを止めて佐藤さんに向き直す。
「女に骨抜きにされてるって知られたら、会社のイメージダダ落ちですよ!因みにうち、親開業医なんで!うちの病院敵に回したらどうなると思います?」
「それで?」
「…っ!だ、だから!俺は両親共に医者だっつーの!」
だからなんだ。
…あ。
〝お母さんに言うで!〟
…そっくり。
「あいにくですが、我社は例え私に何かあろうとも、簡単に揺らぐような会社ではございません」
うちには有能な社員しかいないし、どんな経済の波が来てもびくともしない会社にしたつもりだ。
「貴方様自身に力が無いのでしたら、どうぞ、ご両親をお頼り下さい」
俺はあっけらかんと言い放つ。
佐藤さんは下を向いて、恥ずかしそうにしている。…図星だったかな?
「…今後一切、妻に関わらないとお約束頂けますね?」
「……」
「…私も体調が良くないときは佐藤さんを頼るかも知れません。そのときは宜しくお願い致します」
「……分かったよ」
小さな、吐き捨てるような、声。
「ありがとうございます。やはり妻から伺っていた通りの優しい方でございますね、佐藤さんは」
そう言って微笑んで、その場を後にした。
とりあえず、これで本日のミッションは終了。
愛ちゃんに引っ付く虫は…俺だけでいい。